見られない未来


 戦局は、お世辞にもいいとは言えない。
 現状の戦線を維持するので手一杯だし、はっきり言えば戦線を保っていることでさえ奇跡とも言える。

 これは屍兵が通常の食料を必要としないため、戦力を補給路にまわす必要がないためだ。
 周囲の村への略奪や暴行も考えずに済むため、ほぼ戦力として使える人間を戦局に集中投入できている。
 だからこそ、こうして戦線を維持できている。

 逆に言えば、もう予備兵力もなく、かき集められる兵もいないということ。
 今、この戦場に動員している兵士が倒れれば、もう交代させられる兵士はいない。

「……ここまでかしらね」

 誰もいない天幕だからこそ呟ける、本音の弱音。
 誰にも聞かれてはいけない、ひとり言。

 ルキナのカリスマと、幾人かのずば抜けた騎士だけでこの戦いに勝てるわけもない。
 最後の手段として決戦の地に選んだこの地でも、あたしたちは苦戦している。

「母さんが負けるはずだわ」

 あたしの中で、母さんは越えられない壁だった。

 常に冷静に戦局を判断し、時には戦局を打開することのできる天馬騎士。
 あたしの知る限りでは魔法を使っていなかったけれど、噂では魔法も駆使していたという。

 その母さんが負けて、父さんも帰ってこなかった。
 母さんの遺体にはいくつもの傷がついていて、帰ってきた天馬も、戦線復帰は絶望的だった。

 父さんなんて、遺体すら帰ってきていない。
 マークは健気にも父さんは帰ってくるとか信じてるみたいだけど、絶対にそんなことはありえない。

 あたしは母さんに追いつくため……母さんを越えたと認めさせるためにこの戦争にのった。
 それはあまりにも身勝手だったかもしれないけれど、今のあたしは負けられないことがわかっている。
 母さんの遺児として、逃げ出せないこともわかっている。

「さぁ、どうしましょうかね」

 そう呟きつつも、答えは決まっている。
 この服を脱ぎ捨てて、一人の剣士へと戻るだけだ。

 母さんの後ろ姿を追って天馬騎士になったわけでもなく、父さんの影を踏むために軍師を選んだわけでもない。
 そんなあたしにできる、あたしにしかできない、最後の一手。

 純粋な剣の腕なら、ルキナにも劣る。
 それでも、並の兵士ほど弱くもなければ力が足りないわけでもない。

 究極の器用貧乏。
 万能だった母さんの劣化版。

「こんなところで役に立つなんてね」

 ルキナの影武者のそばで、あたしが前線を率いる。
 屍兵の動きは、この何回かの戦闘で傾向はつかめている。
 まず間違いなく、ルキナを狙っていることも。

 ならばその傾向を逆手にとって、影武者を本物らしく見せてやればいい。
 その間にルキナたちだけでも逃がすのだ。

 再起を図るために。
 人類の希望のために。

「……姉さん、何をしてるんです」

 天幕に入ってきたのは、あたしの妹。
 あたしよりも魔力が高く、あたしよりも型に当てはまらない考え方のできる軍師の卵。
 マークはルキナの片腕として、再起を図るべきよね。

「何って、前線に立つのよ」

「でも、姉さんは」

「剣士としてね」

 最後までダメな姉でゴメンね。
 でも、お姉さんの言うことは聞かなきゃダメよ。

「ルキナの影武者とともに、あたしが左翼に出るわ」

「え、は、はい」

「あたしの虹色の叫びがあれば、ルキナのカリスマ程度には兵士たちを率いることができるはずよ」

「姉さん、もしかして」

「屍兵の集団がルキナの影武者に向くように仕向けて、アンタたちはその隙に退きなさい」

「そんなっ……姉さんを犠牲にしろというんですか」

「今、ここでルキナやアンタを失うわけにはいかないわ。それこそ、人類が終わる」

「姉さんが残る方が、戦局を立て直す力になりますッ」

 ありがとう。
 でもね、あたしにはあたしの限界があるの。

「器用貧乏じゃ、戦局を打開する力にはなれないのよ。わかって」

「わかりませんッ」

「ルキナのカリスマとアンタの自由な発想で、戦局を立て直しなさい。いいわね」

 泣かないで、マーク。
 最後に覚えているのが泣き顔なんて、悲しすぎるじゃない。

「何年かかってもいい。人類を救えるのは、アンタとルキナよ」

「姉さんが必要ですッ」

「あたしの代わりは、すぐに見つかるわ」

 大丈夫よ。
 ロナンがいる。
 あの男なら、あたしの代わりの目になれる。

「でもね、今、ここでルキナのように周りの兵士を鼓舞して屍兵の目を集めることは、あたしにしかできないの」

「虹色の叫びなら、私にもできますッ」

「バカ。アンタには、戦局を立て直してもらわなきゃ。それはね、あたしじゃなくてアンタにしかできないの」

「どうしてッ」

「それにね、姉の役目まで奪わないで」

 羨ましかった。
 素直に父さんの影を踏もうと努力するマークが。

 あたしも、母さんの後を追えていたなら、何かが違っていたのかもしれないけれど。
 でもね、変えられない過去に興味はないの。

「さぁ、ルキナに伝えて。説得は……任せるわ」

 泣いてきなさい。それで、通じるわ。
 ルキナのお人好しは、とっくにお見通し。

「元気でね、マーク。父さんを越えてよ」

 外は瘴気のたち込める禍々しき世界。
 こんな世界に妹を残していくなんて、なんて不幸者なのかしら。

「母さん、少しは近付けましたか」

 

<了>