我慢できない
「ねぇ、ルフレ」
「何だ」
魔道書を読んでいる時に背後から話しかけられた俺は、適当に生返事を返した。
しかし、生返事が気に食わなかったらしいティアモが、グッと襟首を引いてきた。「ねぇ、ルフレ」
「な、何でしょう、ティアモさん」
そう答えながら魔道書を閉じた俺を解放すると、ティアモは人差し指を頬に当てた。
何かを考える時の彼女の癖みたいだが、これが実に可愛らしい。「あの子、少し変なのよ」
「変だろうねぇ」
結婚式は挙げていないものの将来を誓い合った恋人の可愛さを堪能していた俺は、また襟首をつかまれた。
「聞いてるの、ルフレ」
「はい、聞いてます」
「セレナのことなんだけど」
「セレナねぇ」
セレナというのは次元を超えてきた俺たちの娘だ。
あまり性格的には似ていないような気がしないでもない。
まぁ、あの素直でなくて、他人を気遣い過ぎるところはティアモに似てるけど。「何かあったの」
「最近、ちょっと髪型を変えてみたりしてるのよ」
「まぁ、お年頃だし。気分転換もあるんじゃないか」
「それならいいんだけど。あの子のことだし、ね」
「まぁ、中に溜める子っぽいよな」
「それで、ルフレなら何か聞いてないかと思って」
そう言われても、本当に親には何も言わない子だし。
これから生まれてくる子供がセレナとマークなら、実に扱いづらいお姉さんになりそうだ。マークは記憶喪失の影響なのか、どうもネジが一本か二本飛んでるような気もするし。
妹に振り回されて知らない間にストレスを溜める、胃に穴をあけそうなタイプだ。「素直に言うような子じゃないよな」
「そうなのよね。できるだけ一緒にいてあげようとはしてるんだけど」
「そう言えば、そろそろクラスチェンジの頃か」
軍師の目から見て、剣士としての腕はそこそこだ。
女剣士にありがちな非力さもないし、速さと武器を扱う技量も文句はない。ただ、これといった決め手がないようにも感じる。
「やっぱり、クラスチェンジで悩んでいるのかしら」
「まぁ、マークみたいに単純な子じゃないし」
妹のマークの方は単純明快。
こちらも色々できそうな感じはするのだが、軍師としての成長を第一とするらしい。「魔力もあるし、器用貧乏っぽいよな」
剣の道に進むにしては、やはり非力だろう。
訓練でどうにかなることもあるし、流星剣をものにすることもできるだろう。ただ、軍全体で見ると剣士は余り気味だし、わざわざ剣の道に進む必要もない。
軍師として考えれば、やはり天馬に乗ってほしい。「槍も扱えそうな気がするわ」
「頭も悪くないし、軍師だってできそうだよな」
能天気なマークよりも、セレナの方が軍師になって欲しい気持ちもある。
やはり最悪の手を考えてから最善手を考えるタイプの方が安心できる。
まぁ、それにしても非情になりきれなさそうだから、何か一つ欠けてる気もするが。「斧は無理よね」
「こなしそうだけどな。親としては止めて欲しいな」
「そうよね。やっぱり女の子だし」
斧を使うと、肩幅がひどいことになるしな。
まして、セレナは真面目過ぎて訓練し過ぎる。
まず間違いなく肩幅がひどいことになりそうだ。「軍師として言うと、天馬に乗って欲しいな」
軍にいる天馬騎士は、軍師としては心許ない。
スミアは王妃なわけで最前線には出せないし、その娘さんは非常に怖い。結果的にティアモの比重が大きくなってくるわけで。
軍師としても恋人としても、ティアモにかかる負担は少なければ少ないほどありがたい。「私も同じね。私も、あの子の槍捌きを見てみたいわ」
「しかしまぁ、こればかりは言えないしな」
「そうね。あの子なら、自分を押し殺してしまうわ」
そうなんだよな。そこが問題なんだよ。
軍師としての言葉も理解してしまうだろうし、親の期待としてもとられてしまう。どっちにしても、こちらが何か言うとその通りにしそうで怖い。
そして、それをこなしてしまう器用さがあるのが余計ややこしい。
能力的にダメなら、やらせてみて失敗して、好きなことをしろという流れにもできるんだが。「……天馬、乗りたそうだけどな」
「何か見たの」
「厩舎で、ティアモの天馬に餌をやりながら撫でてるのを見た」
「どうだったの」
「あれは乗れるな。天馬があわててなかった」
「そう。もしかして、ダークペガサスにも」
「あるな。風魔法は使えるだろうし、回復魔法よりも攻撃魔法の素質があるはずだ」
「軍にとっては一番欲しいところね」
「あぁ。だから、悩む。頼みそうで怖い」
「それは止めて。頼んでしまったら、あの子は……」
「わかってるよ。絶対に頼まない」
頼めば、もうそれは決定してしまう。
そして、セレナの意志としてしまうだろう。「はぁ……難しいな、子育てって」
これで、もう成長した段階の娘だしな。
これから生まれてくる0歳児とか、考えただけで気が遠くなりそうだ。「ふふっ、そうね。それに、あの子たちも結婚するわけだし」
「変な奴を旦那にするとか言ってきたら、どうしようか」
「マークはまだまだだけど、セレナはどうかしらね」
意味深なティアモの言い方に、俺は思わず立ち上がっていた。
「何か知ってるのか、ティアモ」
「さぁ、どうかしら」
「いや、その口振りは何か知ってるだろ」
「セレナからは何も聞いてないわ」
「誰から聞いた」
結婚なんて、まだ早い。
お父さんは絶対に許さないぞ。「あの子を好きって子がいるみたいなのよね」
「何だと」
よし、最前線送りだ。
さぁ、誰だ。「そんなに意気込まないの」
ティアモの指で額を突かれて、俺は椅子に腰を戻した。
俺を見るティアモは、楽しそうに笑っていた。「アズールくんだって」
「アズールって、あの傭兵か」
剣の腕はいいし、引き際も潔い。
ただ、ちょっといただけないのは軟派なところか「あの軟派傭兵め」
「女の子には優しいそうね」
「男よりも女といるところが多いらしいな」
「そのうちの一人なんでしょうけどね」
「セレナはどうなんだ」
「さぁ、どうかしら。今のところ、邪険に扱ってるそうだけど」
「……よし。とりあえず、そっちも様子見だな」
話が一段落ついたところで、食事を告げる鐘が鳴った。
俺も立ち上がり、ティアモを連れて部屋の外に出る。「今日はセレナと食事を摂るわ」
「あぁ。クラスチェンジの件、それとなく頼む」
「あの子が何になりたいかを聞けばいいのね」
「それと……天馬に乗りたいかどうか」
「聞いていいの」
ティアモの言葉に、俺は耐え切れずに視線を伏せた。
ただ、決戦に向けて、あと一人は使える天馬騎士が欲しいのは絶対的な事実だ。「軍師として、だ」
「軍師の妻として、聞くわ」
「すまない。父親としては、聞きたくないんだがな」
「あら、母親としては聞きたいわ」
「そうなのか」
「えぇ。後を継いでくれる娘なんて、嬉しいじゃない」
「あの子がどう受け止めるか、わかってるのか」
「もちろんよ。でも、貴方とマークが魔道士として対峙できるみたいに、私も娘と天馬騎士として対峙してみたい」
「……ティアモ」
他の人の話し声が聞こえる場所に来て、ティアモは笑顔で俺から離れようとした。
「心配しないで。ただ、天馬に乗りたいかを聞くだけよ。あの子の将来は、あの子が決めることですもの」
離れ際にささやかれた言葉に、俺は顔を赤くしていた。
そんな近くでささやくなんて卑怯だぞ。「あ、ほら、マークが来たわよ」
ティアモの言うように、マークがこちらへ駆けてくる。
「セレナと食べてくるわね」
「あぁ」
ティアモと別れて、マークを迎える。
走ってきたマークの息は上がっていた。「食事にしようか、マーク」
「はい。母さんは」
「セレナと食べるってさ」
「そうですか。じゃあ、私は父さんと食べます」
「あぁ。さぁ、今日は何かな」
俺たちの娘に悲惨な未来は残さない。
それは絶対的な、俺たちの誓いだ。
<了>