鳥籠の外へ連れ出して


 後宮という名の鳥籠。

 今の私の置かれた状況を一言で表せば、これに尽きるだろう。

 セリス様という異父兄が皇位を継ぎ、その隣にはめでたく后となった白豚がぴったりと寄り添う。

 見たくもない光景を見る必要性を感じなくなった私は、体調不良で公式行事を欠席して以降、この後宮という名の鳥籠の中に閉じこもった。

 そもそも、後宮と言いながらも私以外は侍女ばかりで、側室となりうる女性がいるわけでもない。

 大体、あの白豚は嫉妬深い性質で、ことあるごとに牽制してくるのだから、誰もセリス様の側室に立候補する女性もいなくなったのだろう。

 まぁ、二人の間に子供も生まれそうだから、帝国としてはかまわないのだと思うけれど。

「暇ね」

「髪をお梳きいたしましょう」

 昔から使えてくれていた侍女がそう申し出てくれて、私は姿見を正面に、椅子に腰を下ろした。

 彼女は、元々はヴェルトマーの暗部に身を置いていて、簡単に言えばお父様がつけてくれた護衛役だ。

「あの白豚、どうしてくれよう」

「ラナ様が、どうかされましたか」

「目障りなの」

「よろしいではありませんか」

「生理的に受け付けないのよ」

「まぁ……では、仕方ありませんね」

「消してきて」

「ホワインインクで消えますか」

「いいわね。白髪こそ、あの白豚にはお似合いよ」

 他愛もない冗談を言いながら、髪を梳かれる気持ちよさに目を細める。

 せっかく綺麗に整えても、誰も見てくれないのが腹立たしい。

「今日はどのようにまとめましょうか」

「流しておいていいわ」

「そうですか」

「どうせ、誰も面会にこないでしょうから」

 元々、着飾る熱意は薄いほうだったけれど、後宮に閉じこもってからはそれも顕著になってしまった。

 見せる相手も張り合う相手もいなければ、外見などは繕うだけ、ただの労力の浪費に過ぎない。

「今日は、よい一日だとよろしいですね」

「そうね」

 このとき、私は気付くべきだった。

 どうして、彼女が普段にはないことを口にしたのか。

 仕事だけは丁寧にこなす彼女が、ありもしないことを口にしたのか。

「ユリア様」

 別の侍女が扉を叩いてきて、私は入室を許可した。

「失礼します、ユリア様」

「特に用事もないわ」

「来客です」

「珍しい……どなたかしら」

 入ってきた侍女が言いよどむ。

 言いよどむぐらいなら、最初から知らせなければいいのに。

 面倒になった私は、椅子から立ち上がった。

「玄関にいるのでしょう。会いに行くわ」

 少しあわてている侍女を置いて部屋を出て、玄関ホールに繋がる階段へ向かう。

 この後宮を建てたお父様の趣味なのか、玄関ホールから二階へ続く階段は直線的だ。

 逆に言えば玄関を開け放していれば、二階から来客が見える形だ。

「あら、珍しい」

 玄関が開け放たれていて、わずかなダストが日光に輝いている。

 最近のこの屋敷では、見られなくなっていた光景だろう。

「ユリア」

「……どうして」

 あなたがここにいるの。

 あなたがいるのは、遠く離れたイザークのはずなのに。

「迎えに来たっていうか……その、君をさらいに」

「どうして」

「いや、その、風の噂で君が嫁がされるって聞いて」

 初耳だけど。

 大体、ナーガの血とロプトの血を継いだ私が、そう簡単に嫁げるはずなんてないのに。

「でも、ここに来て気付いたんだ。アーサーにかつがれたんだって」

 そういって頬をかくあなたは、私の記憶の通りに優しくて、自信なさげで、柔らかい。

 戦場でのあなたは、あれほどまでに凛々しくて、自信に満ちていて、ひどく猛々しいのに。

「スカサハ」

 どういう理由でもいい。

 あなたが私を鳥籠の外へ連れ出してくれるのなら。

「えっと……大人しくさらわれてくれるかな」

 あなたの胸に飛び込んだ私に、今更聞く必要もないのに。

 優しいあなたは聞いてくれる。

 だから、私の答えは一言でいい。

 優柔不断で、優しくて、私を支える手さえもためらうあなたを惑わせないように。

「……はい」

 

<了>