染色
王家の存続こそが、シレジア回復の第一歩である。
その考えは民衆の中にも根強く、彼らは隠れ里に身を寄せた。
隠れ里に続く街道は閉ざされ、行き来するためには天馬を必要とした。
天馬を操ることのできないグランベル軍からは、完全に保護された状態だ。
「さて……体調はどうですか、フュリー」
「はい。安定していると思います」
「あまり無理はさせたくなかったのですが、そうも言っていられません」
「はい、ラーナ様」
身重のフュリーをチェアーに座らせ、ラーナが暖炉の火をおこす。
恐縮する母親に代わり、セティが祖母を手伝っていた。
「まずはその子を無事に生まなくてはいけませんよ」
「はい。ありがとうございます、ラーナ様」
頭を下げた義理の娘に、ラーナは心からの笑顔を見せた。
「本当、貴女がいてくれて助かったわ」
「ラーナ様……」
「バカ息子だけでは、これほど簡単にここには辿り着けなかったでしょう」
火が大きくなった暖炉をセティに任せ、ラーナが上着を脱ぐ。
水を弾くとされる皮の外套も、雪解けの水に重さを増していた。
「セティ、しばらく火を大きくさせておきなさい」
「はい、お祖母様」
与えられた役目に専念する息子を見つめるフュリーは、腹部の痛みに顔をしかめた。
臨月に近いフュリーの腹には、既に名付けられた命が誕生の時を待っている。
「レヴィン様は、まだでしょうか」
「少し手間取っているのかもしれないわね」
「申し訳ありません。本来ならば私がその役目を担うはずが」
そう言ったフュリーを、ラーナは腕を腰に当てて叱りつける。
「王家の命を授かった者が、そのようなことを言うべきではないわね」
「申し訳ありません」
「いい天馬騎士を生んでちょうだい」
「はい」
既にラーナはお腹の子を女子だと感じていた。
セティに現れた聖痕の強さから判断して、神器の後継者となる可能性は低い。
また、高い魔力を持つ子供は母体に負担を強いるため、ラーナの願いもそこには含まれていた。
「お祖母様」
「どうしたの、セティ」
「誰かが来ます」
既に神器の後継者としての素質を見せ始めているセティの言葉に、ラーナが魔道書を手に取った。
「知っている魔力なの」
「いいえ。父上によく似ていますが、少し違うみたいです」
周囲の魔力を感じる能力は、三人の中でもセティが最も高い。
セティの言葉で王族の誰かだと判断したラーナの額に、汗が流れた。
「数は」
「二人……三人です」
「ダッカーの手の者か」
シレジアの内乱で、グランベルに降った王族も少なくない。
中にはシレジア王妃の首を手土産にと考える者もいるかもしれない。
「セティ、フュリーを守りなさい」
「はい、お祖母様」
チェアーから立ち上がろうとしたフュリーを制して、ラーナがセティに指示を送る。
静かな風をまとったセティに、フュリーも諦めたように座りなおした。
「セティ、無茶だけはしないで」
「大丈夫です。父上と約束しましたから」
口を真一文字に結んだセティの目の前で、ゆっくりと扉が開く。
吹雪と共に姿を見せたのは、レヴィンとその一行だった。
「……レヴィン」
拍子抜けしたようなラーナの言葉に、扉を閉めたレヴィンが肩をすくめる。
「何ですか、母上。この敵を迎えるような気合は」
「セティが気がついたのよ。誰かまではわからなかったみたいだけど」
「あぁ、少しは魔力をいじったからな」
「相変わらず、無駄に器用だこと」
レヴィンの背後に続いていた天馬騎士たちが、フュリーのそばに膝をつく。
そのうちの一人は、かつてのフュリー隊の一人だった。
「遅くなりました、フュリー隊長」
「アウロラ……無事だったのね」
「はい。隊長もご無事で何よりです」
再会を喜ぶ主従の隣で、親子も穏やかな空気を甘受していた。
「父上、おかえりなさい」
「おぅ。もう魔力の気配を感じられるようになったのか」
「はい。まだ、完璧ではありませんが」
「それでもオレに比べりゃ、成長は早い。フュリーに似てよかったな」
外套を脱いだレヴィンに、ラーナが小声で尋ねる。
「レヴィン、様子は」
「ま、大体は上手くいったよ」
「いくつぐらい、間に合わなかったの」
「北の牧場が一つと、南が二つほど」
「北からも来ていたの」
「船で先回りされてた。恐ろしく判断の早い指揮官だぜ」
「一個中隊は結成されるかしらね」
「さぁね。それほど天馬を乗りこなせる騎士が帝国側にいるかどうか」
「志願兵という手もあるわ。民間でも、すべてが王家に従うわけではないのよ」
「ま、今は仕方ないさ。それより、フュリーの具合は」
セティを抱き上げたレヴィンが、妻の具合を尋ね返す。
ラーナは小さく首を横に振った。
「じきに生まれるわ。でも、産婆もいないこの里では……」
「心配すんな。連れてきた」
息子の言葉に目を丸くしたラーナに、天馬騎士の一人が頭を下げた。
「まぁ、正確には元産婆だが」
「予備役として復帰する以前は、メーヴェで産婆をしておりました」
「いいえ、心強いわ。でも、どうして……」
「牧場にいたから連れてきた。見覚えもあったしな」
「はい。新兵時代にはマーニャ様の隊にいたことがあります」
「……呆れた。相変わらずフュリーのことになると、無駄に頭のまわる子だこと」
そう言って肩をすくめたラーナに、レヴィンが片頬を膨らませる。
それでも息子の前では威厳を保ちたかったのか、レヴィンは何も言わずにフュリーの前に移動した。
「遅くなった」
「いえ、ご無事で何よりです」
「しばらくは動けない。冬が明けるまではな」
「冬が明けるころには、フィーも生まれていると思います」
「今度はオレに似た娘かな」
「どうでしょう。セティも小さい頃のレヴィン様にそっくりですよ」
「そうか。オレはこんなに聞きわけが良くなかった気がするが」
「いいえ。責任感の強いところや、誰かを守りたいという気持ちはそっくりです」
そう言ってほほ笑んだフュリーに、レヴィンは照れ臭そうに頬をかいた。
冬の雪に閉ざされた隠れ里に、つかの間の穏やかな時間がおとずれていた。
<了>