禁中の華


 どれだけ待ちわびたことだろう。

 この城を離れて、早二十年。

「随分と長くかかってしまったわ」

 ヴェルダンからの侵攻を受けて始まった、二世代にわたる聖戦。

 結果としては暗黒竜の復活を阻止したセリス皇子の勝利に終わった。

「そして、失ったものも大きかった」

 ミデェールは戦死し、再会できたお姉様も命を落とした。

 愚弟はお姉様に討たれ、お父様は心労から死期を早められた。

 最後の聖戦に、このユングウィは名前を刻むことができなかったのだ。

「随分と痛手だわ」

 帝国軍としても、解放軍としてもユングウィの名は薄かった。

 華やかな宮廷時代が戻れば、必ずそれは汚点となってやってくる。

 いくら皇帝の后がユングウィの娘であろうと、人の心とはそういうものだ。

「数少ない幸運は、私が生き残ったということね」

 他にも、ユングウィの血筋がここに固まっていることもあるけれど。

 ただしそれを使いこなせる人間がいなければ、ただの寄り合い所帯になる。

 お姉様の子供であるファバルでは、この平和な世は乗り切れない。

 レスターを補佐に付けはしたが、あの子ではまだまだ勝てない相手が多過ぎる。

「耐えたかいがありましたわ」

 ドズルのヨハン公子に、シアルフィのオイフェ。

 この辺りには逆立ちしても勝てはしない。

 旧来は宮廷には疎かったシアルフィも、今や皇帝とのつながりは最も太い。

 そして宮廷を知るドズルの公子はイザークで見知っただけで、ファバルとは格さえ違うとわかる。

「まずは現状の把握からね」

 どれだけの人間が残っているのか。

 誰が力を持ち、誰が力を欲しているのか。

「それさえわかれば、私は戦えるわ」

 宮廷での戦いを知る者は、私の怖さを知っているだろう。

 現状さえ読み違えなければ、ユングウィは再び咲き誇るのだ。

「母上、レスターです」

「入りなさい」

 使いに出していたレスターが、一人の女性を連れて戻ってきた。

 部屋に入るなり、私を見た女性が泣き崩れる。

「エーディン様……」

「久しぶりね。生きていてくれて嬉しいわ」

「お久しぶりです、エーディン様。よくぞご無事で」

 かつて、私が宮廷にいた頃の仲間。

 ドズルに嫁ぎ、解放戦争にも生き残った数少ない一人。

 それほど力のない貴族の次男に嫁いだことが幸いしたという。

「貴女も、よく無事だったわね」

「はい。夫が機を読むのに長けておりましたので」

「そう。次男に嫁いだと聞いていたから、心配していたのよ」

「ありがとうございます。今は夫婦揃って、新しいドズルに仕えておりますわ」

「あのヨハン公子に」

「はい。夫が役職を賜りまして、今は税務管理官をしております」

 ドズルの税務管理官といえば、かつてなら下級貴族の一番手だ。

 そこからドズルの中枢ともいうべき軍部に昇格した者も多いはず。

「出世したわね。今は貴女もそれなりに暮らせているのね」

「はい。ありがたいことに、ドズルの宮廷のことはほぼ把握しております」

 この子は昔からその手に関しては、私の仲間内でも耳が早かった。

 内助の功とまでは言わずとも、嫁いだ家にそれなりの益をもたらしているだろう。

「そう。それなら、これから起こることは理解できるわね」

「バーハラの宮廷でございますね」

「話が早くて助かるわ」

 バーハラの宮廷の現状がどういうものか、私には知る手がかりが少なすぎる。

 ラナを使ってもいいのだが、あまりラナの上に私が立つことは避けたい。

 あの子にはあの子が築くべき土壌があり、そこに私は手を伸ばしたくない。

「最近のバーハラの宮廷は、ほぼフリージの人間で固められておりました」

「ヴェルトマーやドズルはどうしていたの」

「アルヴィス皇帝の退陣後は、バーハラの宮廷などあってないようなものでしたから」

 まぁ、あのアルヴィスがただで引き下がるとは思っていなかったけど。

 ましてやフリージも一枚岩でなかったのなら、あの子供たちに勝ち目はなかっただろう。

「貴女は、どう見るのかしら」

「ドズルでは勝ち目は薄いかと」

「どうして」

「あの公子はなかなかに食わせ物ですが、おそらくは御自分で動かれますわ」

 ヨハン公子はラクチェ王女を迎え入れたはず。

 まずは足下を固めてからということね。

 だけど、それでは勢力を築くには遅すぎる。

 もしかしたら今まで同様、宮廷に重きは置かないのかもしれない。

「フリージはまだ国の根幹が揺らいでいるはず。恐れるとすれば、ヴェルトマーかしら」

「噂では、あの公子をヒルダの城で見かけた者がいるとか」

「どういうことかしら」

「解放軍に馳せ参じたシレジアの魔道士とは偽りで、実はヴェルトマーの教育を受けた公子だという噂が」

「アゼル公子の遺児ということだけど、そんなことがありえるのかしら」

「他にも、サイアス司祭はアルヴィス皇帝のご落胤との噂が」

 話を聞いているうちに、昔の感覚が徐々に戻ってくる。

 この噂話の真偽を見極める勘は、誰にも負けないという自負もある。

「サイアス司祭の母親は」

「これは確かな情報で、あのアイーダ将軍かと」

「なるほどねぇ……まず、間違いないわ」

 あの司祭の年齢からみて、まずこの噂は間違いない。

 下手をすればヴェルトマーを二分する情報だ。

「どの程度広められるの」

「知る者は知るという感じです」

 そうであるならば、何故、権力闘争の始まる今に何ももめていないのか。

 まさか、サイアス司祭の一存で沈静化するものでもないはずなのに。

「妙ね。ヴェルトマーの動きはわからないの」

「バーハラの宮廷には、旧家臣団は誰一人出ておりませんでした」

「統制が取れているのね。もしかしなくても、ユリウス皇子は踊らされていたのかしら」

「新旧の交代というには、鮮やか過ぎたようにも感じますわ」

「他にも、サイアス司祭は真実を知ったユリウス皇子に追われたとも」

「いいわ。この件に関しては深入りするのをやめておきましょう」

 もしも家臣団が意図して情報を漏らしていたとしたら、彼女ぐらいは簡単に吹き飛ぶ。

 数少ない手駒を飛ばされては、さすがの私も苦しくなってしまう。

「ユリア皇女に関して、何かわかることは」

「最後までユリア皇女はアルヴィス皇帝の手許に置かれていたので、宮廷には出てきておりませんわ」

「皇女なのに」

「はい。出てきても顔見世だけで、さしたることは」

 アルヴィスが何か考えを持って動き続けていたのなら、ありえる話かもしれない。

 ナーガの継承者である皇女を手許に置き、皇子を牽制していたのだとしたら。

 もしくは他の理由があって、皇女を手放さなかったとしたら。

「ありがとう。これからも、また仲良くしていきましょう」

「はい。お元気なお姿を拝見できて、本当に嬉しく思いますわ」

 レスターに彼女を送らせて、私は古参の女官長を呼びつけた。

 とうの昔に錆びついていたと思っていたものは、簡単に私の中で研ぎ澄まされていた。

 

 


 

 

 密会によく使われていたという店は、まだ変わらずに変わらぬ場所にあった。

 記憶の中のものよりも幾分か寂れた店構えも、中に入れば記憶のものと一致する。

「いつの世の中も、変わらないものがあるのね」

 記憶よりも身体に馴染んだ間取りが、私を奥へと導いていく。

 店の主人に来客があることを伝え、私は一番奥から一つ手前の部屋に入った。

「お待たせするとは思いませんでした」

「いいえ。私も着いたところよ」

 あまり間をおかずに姿を現したのは、ヴェルトマーを継いだという銀髪の子供。

 ヴェルトマーである証は、その深紅の瞳を見れば一目瞭然だ。

「お会いできて光栄です、エーディン公女」

「私もですわ、ヴェルトマー公爵様」

 大仰に腰を折ってみれば、自然な振る舞いで席を促す子供。

 これは随分と面倒な子供だわ。

「面倒くさいことは、抜きにしませんか」

「それは、どういう」

「当面はユングウィとことを構えたくないんですよ、オレとしては」

「また、随分と率直に仰るのね」

「まぁ、他に労力を割きたいもので」

 そう言って頭をかく子供は、見た目だけならただの子供だ。

 しかし、その目を見れば絶対に甘く見てはいけないものだとわかる。

「では、今回は貴方の意見にのらせてもらいますわね」

「ありがとうございます」

 主人の運んでくれたワインでグラスを合わせて、私は彼の名前を思い出した。

「この場では、アーサーと呼ばせていただきますわね」

「その方が、オレもやりやすいですね」

 グラスを置く仕草は、本当に昔のアゼルの面影がある。

 当然、ティルテュのようなフランクさも持ち合わせているのだろう。

「ユリア皇女の出自はご存知よね」

「えぇ。従妹ですから」

「そして、当然誰がセリス皇子に嫁いでいるのかも」

「ラナさんでしょう。ユングウィ家の」

 それがわかっているなら、最初は踊らせてもらってもかまわない。

 後で踊っていただければ、それで収支はプラスに傾くのだから。

「ユリア皇女が皇家にいることに関して、アーサーはどう考えているの」

「いつかは降嫁するとは思いますけどね」

「ヴェルトマーで引き取るつもりなのかしら」

「残念ながら、それだけの人材はいませんね」

「では、どう処遇なさるおつもりなの」

 そう言って、私は言葉を切った。

 さぁ、どういう答えが返ってくるかしら。

「オレとしては、幽閉が必要かと思いますけどね」

「ナーガの継承者を途絶えさせるつもりかしら」

「まぁ、その方がオレとしてはありがたいですからね」

「皇家の絶対性を落とすつもりかしら」

「さぁて。今のオレにはそこまでは言えませんが」

 あのアルヴィスなら考えそうなことだ。

 元々、ヴェルトマー家は皇家の乗っ取りまで考えていたはず。

「それはさすがに聖戦の後では許されないでしょうね」

「なら、誰かに奪っていってもらうしかなさそうですね」

「公爵家に降嫁するというのなら、他の公爵家が黙っているかしら」

「ユングウィを継いだ男にしか、その権利がないのは困りものですがね」

 確かに、公爵位を継いだ者で独身はファバルだけ。

 そのファバルに皇女が嫁いでくるというのは、私には許容できないことだわ。

「ところで、スカサハはご存知ですよね」

「えぇ。イザークで面倒を見ていましたわ」

 もしかしてこの子は、皇女を政争の種から外そうとしているのかしら。

 不確定要素の多い皇女を政争から遠ざけ、より戦いやすい場を作ろうとしているのでは。

 足がかりやアンテナの少ないユングウィにとって、それは歓迎できる動きだ。

 かつての人脈を使えるようになるのなら、こちらの戦力も戦えるものになる。

「まさか、スカサハが」

「憎からずってところですかね」

「弱いように感じるわ」

「炊きつけはたくさんありますからね。炎をおこすのは専売特許でして」

 そう言って口許を緩めたアーサーに、私は少し背筋が震えた。

 久しく感じることのなかった、全力で渡り合える相手。

 まだ余裕はあるけれど、楽しめる相手ではありそうね。

「なるほどねぇ。貴方の筋書きが見えてきたわ」

「それで、協力はしてもらえるのですか」

「いいでしょう。皇女の降嫁は、やはり王家でなければね」

「そういうことです。では、これ以上は話すこともないかと」

「そうですわね。いいワインでしたわね」

 アーサーが先に店を出て、私は一人で残ったワインを傾けていた。

 ユリア皇女に退場してもらい、そこから先は公爵家の力比べ。

 まだまだユングウィの人材は乏しいけれど、宮廷の閉鎖性は私の味方だ。

「まずはお手並み拝見、かしら」

 喉を潤すワインに、私は目を細めた。

 

<了>