新説・炎の紋章外伝

三途の川


 ヒルダが目を覚ますと、そこは不思議な空間だった。

 上下左右の区別がなく、まるでシャボン玉の中に閉じ込められたかのように、周囲は極彩色に染まっている。

「……どうなってんだい?」

 思わずそう呟いたヒルダは、自分の意識を探った。

 身体の感覚はあるらしく、どうやら怪我もしていないようだ。

「怪我もないみたいだし。アーサーと戦ってたんじゃなかったのかね」

 上下左右にくるくると回りそうな身体を、ヒルダは押さえつけた。

 苦労しながら身体を押さえつけていると、懐かしい匂いとともに極彩色のヴェールが外された。

「よぉ、待ってたぞ」

「ブルームかい? てことは、ここは冥界か」

 極彩色を破られたヒルダの体は、寝台のようなところに寝かされていた。

「ま、そう言うところらしい。次々に知ってる奴等が放り込まれて来てな。そろそろお前も来るだろうと
 待ってたんだ」

「フン、さっさと地獄に落ちちまえばよかったのに」

「落ちるにしても、お前の最後を見れなかったことを謝りたくてな」

「お互い様だよ、それは。……ブルーム、起こしてくれるかい?」

 そう言って腕を上に向かって上げたヒルダの手を取って、ブルームは手の甲にキスをしてから抱き上げた。

「そういや、初めてだな。お前を起こすのは」

「ヴェルトマーの娘は、夫にも寝顔を見せないもんさ」

 そう言いながら地面に足をつけたヒルダは、ブルームに抱き寄せられた。

「もう、ヴェルトマーもフリージもない。解放されたんだ、私達は」

「フン……もう少しいい男と一緒になっとくんだったね」

 そう言いながらも、ヒルダの手は自分に巻き付いている夫の手に絡められた。

 ブルームの顔を下に向けさせ、首をねじるようにして口付けをかわす。

 

「……初めてだな、お前からキスされたのは」

「させてくれなかったのさ。アンタと、あたしがね」

「体裁、か」

 寂しそうに呟くブルームの手を更に引き寄せ、ヒルダは体の力を抜いた。

「もう、誰も見てないさ。あたしたちも後は三途の川を渡るだけ。その前に、夫婦に戻らせてくれるかい?」

「結婚した当日みたいに?」

「あの日のことは忘れないよ……アンタ、ガチガチだったものねぇ」

 そう言って若い娘のように笑い出した妻に苦笑して、ブルームは妻の腰を締め付けた。

 わざとらしい悲鳴があがり、ヒルダの腰がくだけた。

「最初からそうしてくれれば、あたしもアンタに酔い続けられたのかもしれないねぇ」

「お前が教えてくれたのさ。どのみち、体裁があった。肩書が重かったのさ」

「あの子たちはきっと、自分達の世界を作り出していくさ」

「だが、あのはねっかえりの息子達がここに来るのを待つ訳にはいかない」

「わかってるよ……ブルーム、愛してる」

 ヒルダの細い指が、ブルームの唇を閉じさせた。

 

 


「お客さん、お客さん、三途の川はこちらですよ?」

 意地の悪い船守に、若い夫婦が声をかけられた。

「あん?」

「三途の川に用はない」

 きっぱりと言い切った二人を、船守は笑った。

「ここに来て、何処に行くって言うんだい?」

 そう言って覗き込んでくる船守の頭を掴み、女は船守の耳に口を寄せた。

「地獄に行くのはごめんでね。これから二人でこの世を変えに行くのさ」

「へッ?」

 男は女の手を離させると、船守の胸倉を掴んだ。

「お前の雇い主に言っておけ。現世の女王様とその夫が、貴様をこの世の王から引き摺り下ろしてやるとな」

「な、何を言ってるッ?」

「聞こえなかったのか? 新しい閻魔様の御到着だよ」

 そう言った男の声に、若い夫婦は笑い声を上げて笑った。

 

 

「スッキリしたね」

「さて、これからどうする?」

「地獄の権力を握ることに興味はないよ」

 紅い髪をかきあげて、女が爽やかな笑みを浮かべる。

「同感だ」

 銀髪をなびかせて、男は女に寄り添うようにして歩を進める。

「商売でもしようかねぇ」

「食堂がいいな」

「いいねぇ。それに飽きたら地獄に向かうってのはどうだい?」

「お前と一緒なら、何処でも地獄だよ」

「何か言った?」

 そう言って振り向いた女に、男はアカンベーをして見せた。

 女は一瞬戸惑った後、既に軽く走り出していた男の後を追いはじめた。

 

 

 地獄の道連れは、愛する人と共に。

 天国の道連れは、愛する人と共に。

 

 そして、新しい時代は、夢見る人の後に。

<了>