新説・炎の紋章外伝

「好きになっちゃいけないの?」


 セリス軍の進撃は止まることを知らず、遂にはフリージ城を制圧した。

 最後まで戦い続けた女王・ヒルダは、甥であるアーサーの腕の中で息を引き取った。

「アーサー、頼んだよ」

「必ず」

「聖痕に囚われない世の中を……支配体制の一新を」

 

 

 最後まで気丈にも話し続け、ヒルダはその一生を終えた。

 ヒルダの自室でそれを見届けることができたのは、アーサーとティニーの二人だった。

 それまでは同行を許されていたフィーも、この時ばかりはアーサーに拒絶された。

「悪いけど、出て行ってくれ」

「アーサー?」

「ここは俺達だけの場所なんだ。フィーには関係ない」

「そんな……私の伯母さんになる人なのよ?」

 頬を膨らませたフィーに背中を向け、アーサーはヒルダの自室へと歩いていった。

 


 フリージ落城後、セリス軍の勝利は確定的となっていた。

 アリオーンが協力を申し出て、バーハラと暗黒教団は孤立した。孤立したからと言って侮れる戦力ではないが、
アリオーンという背後の敵から解放されたセリス軍の勝利は間違いなかった。

 そして、そのころからアーサーはフィーを避け始めた。

 

「アーサー、話があるんだけど」

「悪いな。一人にさせてくれ」

 

「アーサー、御飯食べに行かない?」

「用事があるんだ。他を当たってくれ」

 

 取り付くしまのないアーサーに業を煮やして、フィーは更に付き合いの悪くなっているアーサーが唯一話す人物、
ティニーのもとを訪れた。

「ティニー、話があるんだけど」

「はい。何でしょう?」

「アーサーから何か聞いてない? 最近、避けられるみたいでさ。何か、悪いことしたのかなって」

「……お兄様は、多分疲れているんだと思います。戦い続けて来たのですから」

 そう言ってフィーの視線から逃れるようにお茶の支度を始めたティニーに、フィーは話を続けた。

「でもさ、アーサーだけが疲れるのっておかしいわ。私、アイツをよく見て来たんだけど、そんな素振りはなかった」

「お兄様に、心に残る出来事があったのかも知れませんね」

 そう言って出されたお茶を、フィーはカップを回しながら飲んだ。

 物静かなティニーは、フィーの兄であるセティと交際していることを、フィーは知っている。

 同い年でありながら落ち着いた感のあるティニーを、フィーは姉のように思っていた。

「わかんないのよ、理由が。ティニー、本当に心当たりないの?」

 熱心に見つめられ、ティニーはポツリと漏らした。

「……私達は、愛の中で育てられていました」

「え? それって、どういう意味?」

「申し訳ありません。これ以上は……」

 そう言って目を伏せるティニーを追及する気にもなれず、フィーは立ち上がった。

「ゴメンね、ティニー。無理な話だったみたい」

「……申し訳ありません」

 頭を下げるテイニーに見送られて、フィーは一人でティニーの部屋を出た。

 


 アーサーの行動は、フィー以外に対しては普段と変わらなくなった。

 それがまた、フィーの感情をささくれだたせた。

 そして、フィーは遂に、アーサーを問いただすことに決めた。

「アーサー」

「何だよ」

「あたし達、恋人よね?」

 当然すぐに返事が返って来る筈のこの言葉は、何故か答えが返ってこなかった。

「アーサー、答えてよ。あたし達、恋人でしょ?」

「……フィー、俺はお前を好きになる資格なんてないんだ」

「え?」

「俺はお前の恋人にはなれない」

 無表情なアーサーの言葉は、とてもからかっている様には見えなかった。

「ちょっと待ってよ。それじゃ、今までのあの言葉は? あの夜のことは? 全部、嘘だったって言うのッ?」

「あぁ」

「そんなッ」

「わかっただろ。俺はそんな男なんだよ。フィーに相応しくない」

 それだけ告げると、アーサーはフィーから離れて行った。

 追いかける気力もなく、ただ、呆然とフィーは立ち尽くしていた。

 

 

 前々から気になっていた二人の様子を見ていたセティは、フィーに気付かれないようにアーサーの後を追った。

 アーサーは馬に乗っているが、セティは風の力で自分を飛ばし、アーサーに追いついた。

「アーサー、話がある」

「セティか。ティニーのことなら、俺は許したはずだぜ」

「違う。フィーのことだ」

「暇だな、お前も」

 受け答えはしながら、アーサーは少しもセティーを見ようとはしなかった。

 そんなアーサーに、セティも変わらず前だけを見ながら話を続けた。

「お前は長くフィーの傍にいた。なのに、俺に挨拶に来なかったな」

「別に結婚の約束をしたわけじゃない」

「俺はお前をよく見てた。礼儀作法はフィーよりも上だ。生まれもったその気品は、隠せるもんじゃない」

「どうも」

「そのお前が俺に挨拶に来なかった。フィーは思い込みの激しいヤツだが、暴走はしない」

「……何が言いたい?」

 初めて馬の足を止め、アーサーはセティを見下ろした。

 セティもアーサーを見上げ、言葉を続ける。

「お前は、意図的にフィーを騙した」

「それで?」

「その理由を知る権利はあると思わないか?」

「何でお前に言わなければならない」

「フィーにだよ」

 今度はセティが前を向く。

「俺はお前を信じてる。お前が肉親を全て自分で殺したことを知って、俺はお前を信じることにしたんだ」

「買い被りだな」

「お前が思う程、フィーは強くもなければ弱くもない。お前が好きなんだ、アイツは」

「……それは、忠告か?」

 馬の足を止めていたアーサーの問いかけに、セティは振り返って答えた。

「男としての、な」

 それだけ答えると、セティは再びアーサーの前から消えた。

 一人残されたアーサーは、自分の胸を掴むと、瞳を閉じた。

 


 セティとの問答の後、アーサーとフィーは顔を合わせることがなかった。

 野営の時になり、初めてアーサーとフィーは警護の場所で顔を合わせた。

「アーサー……」

「警備だ。行くぞ」

 指定された警備場所に座り、アーサーは火を点けた。

「寒いだろ。着ろよ」

 そう言って投げ渡されたマントを羽織って、フィーは炎を見つめるアーサーの顔を盗み見た。

 炎に揺れるその顔は、フィーの愛したアーサーの顔だった。

 不意に視界が歪み、フィーはアーサーの腕を掴んでいた。

「……別れるのなら、ちゃんと嫌いって言ってよ!」

「……」

「あたしのことが嫌いになったって! お前とは遊びだったんだって!」

「……言えない」

 ポツリと答えたアーサーの腕を、フィーは力いっぱい握りつけた。

「言って!」

「俺はフィーを嫌いになったんじゃない」

「嘘はやめてよッ」

「本当だ。許されるなら、俺はフィーを愛したい」

「許されるって、誰にッ?」

「神にだ」

 フィーの手から力が抜ける。

 本当は引っ叩こうと思ったのだが、炎を見つめるアーサーの横顔に、フィーはその気を失った。

「……教えてよ」

「……最後まで聞けよ」

 そう言って、アーサーは炎を強くした。

 

「俺はお前を前から知っていた」

「え?」

「俺はシレジアをこの戦乱に巻き込む為、お前に近づいたんだ。出会いは、俺が作った偶然だ」

 最初からあまりのことに、フィーは言葉を失った。

「お前と仲良くなって、シレジアを戦乱に巻き込む。シレジアはお前を見捨てたりはしない。もしも俺がフィーを
 虜にすることが出来れば、シレジアは必ず戦うと読んだんだ」

「あの小屋は?」

「俺が用意した」

「そんなのって」

「卑怯だよ、俺は。フィーを虜にするために、徹底的にフィーを調べ上げた。意外に純情なのがわかって、
 俺は一気にフィーをものにすることに決めた。体さえ奪えば、フィーは俺につくってな」

「そんな」

「後は恋人のふりをして、戦乱を戦い続ける。セリスもよく戦ってくれたよ」

「まさか、この戦乱を起こしたのは」

「企画したのは俺の親父達だ。アゼルとアルヴィスの夢を、俺は継いだ」

「帝国側の人間なの?」

「俺はヒルダのもとで育てられた。両親はヒルダの部下となり、平和な時を暮らしたよ」

 もう、フィーの呟きはなかった。

「今の支配体制を一新するために、こんな戦乱を仕組んだ。俺の役目は戦乱を勃発させ、大陸全土を巻き込む
 こと。一番関わってこなさそうなシレジアに俺は向かった」

 炎が弾け、フィーの肩からマントが落ちた。

 マントを拾い上げることなく、アーサーの独白は続く。

「フィーを本気で好きになりはじめてた。ヤバイと思ったよ。俺はフリージとヴェルトマーの死顔を背負ってる。
 フィーが俺と一緒になれば、必ずその死顔を覗き込まれてしまう。そう、思ったんだ」

 フィーの目から、涙が止まった。

「俺はヴェルトマーを継ぐ。その時の伴侶は、ものを言わない方がいい。俺の死顔を一緒に背負うことのできる
 人間だと、俺が甘えてしまうのは目に見えているから」

「どうしてよ?」

「え?」

 呟きではない声に、アーサーはフィーの方を向いた。

「どうして死顔を背負える人間は、アンタを好きになっちゃいけないのよッ?」

「どうしてって……」

「バカ!」

「バカッ?」

「バカよ! 騙したんなら、騙し続ければいいじゃない! ずっと好きだったって、言えばいいじゃない!」

「おい、フィー」

「そんな自分勝手な解釈で、あたしを計らないでよッ。どんなに騙されてたって、あたしはバカだもんッ。
 騙され続けるわよ! 今だって、アーサーが欲しいッ。アーサーと二人きりの今を喜んでるのよッ」

「フィー……」

「そんな目で見ないでよッ。アンタの瞳はそんな目じゃない。炎にように人を殺す目じゃないのッ?」

 最後は悲鳴に近い泣き声だった。

 立ち上がってアーサーを睨みながら涙をこぼすフィーに、アーサーは動けなかった。

 何をしても振り払われそうで、アーサーは何も出来なかったのだ。

「惚れた」

 アーサーが俯いて微笑んだのを、フィーは見逃さなかった。

「何よッ」

「惚れたんだよ!」

 フィーの一瞬の隙をついて、アーサーは立ち上がって叫んだ。

「あぁ、惚れた、惚れてんだよ! 利用するつもりが、マジで惚れてた。虜になっちまったのは、俺だったんだよッ」

「惚れた惚れたって、何遍も言わなくても聞こえてるわよッ」

「悪かったなッ。何回言っても通じないんならッ……更に言ってやるさ。俺はフィーの事を愛してるってな」

 ようやく声色の落ち着いたアーサーにつられて、フィーの言葉も叫びではなかった。

「私だって、愛してる……」

 一瞬の沈黙が流れ、アーサーの手がフィーに伸ばされて止まる。

「今、この地で誓ってもいいか?」

「何を?」

「俺はフィーを、恋人にする」

「いいわよ。誓いの捧げものは?」

「俺の背負ってる死顔」

「……許す」

 アーサーの伸びた手に、フィーの手が重なった。

 まるでダンスの時のようにアーサーの腕の中に吸い込まれたフィーは、アーサーにしがみついて泣いた。

「俺、一生離さないぜ」

「今ぐらい、静かに黙っててよね」

「へいへい」

 

 静かな夜になった。

 彼女の寝息は、恋人の腕の中で一晩中続いた。

 彼の手は、恋人に占領されていた。

 戦いはもう、二人の中で終結へと向かっていた。

 

<了>