献杯
一日の訓練を終えて、夕食も食べ終わると、そこからは兵士たちにおとずれる至福の一時。
家族のある者は家族と一日の出来事を話し合い、仲間のある者は仲間とともに明日への英気を養う。
しかし、中には静かにその日を終えるために時間を費やす人間もいる。
ブリギッドが顔を出した城内の地下にあるカウンターには、まさに後者が腰を下ろしていた。
「にらみ酒かい」
ためらわずに声をかけたブリギッドに、カウンターに座っていたアレクは無言で視線を上げた。
いつものような皮肉ったセリフが帰ってこないことに肩透かしを食らったブリギッドが、椅子を一つ空けて座る。
「ウイスキー……それも、ストレートかい」
ブリギッドのよく知るアレクは、どちらかというと軽めの甘い酒を好んでいた。
フレーバー臭を好み、隣の席まで漂うようなヨード臭は好んでは飲まないはずだった。
「ボトル、見せてもらってもいいかい」
「インペリアルですよ」
ブリギッドがボトルに触れることを拒むかのような早口で、アレクがボトルの名前を口にする。
手を伸ばしかけていたブリギッドが、ボトルを覗き込むように目を細めて、伸ばしかけていた手を止める。
「アンタの趣味じゃないね」
「今日は、特別な日でね」
「そうかい」
アレクの言葉に、カウンターの中にいる男が苦笑を漏らす。
「ブリギッド様は、何を」
「あるのでいいって言いたいところだけど、隣の男が許してくれなそうだ」
「オレのことは無視して結構ですよ」
「クラガンモアを探してきてくれないかい」
「開いているものがありますよ」
「ロックで」
「はい」
氷の用意をする男から視線を外して、ブリギッドがグラスの縁に目をこらす。
「……飲んでないね」
「献杯、ですから」
「けんぱいって、何だい」
聞きなれない言葉に眉をひそめたブリギッドに、アレクは水の入ったグラスを傾けた。
ポタリ、ポタリと、グラスから垂れた滴が、ウイスキーの入っているグラスに加えられていく。
「死者への手向け」
「……そうかい」
「えぇ」
「そいつが好きだったのかい、それを」
「いや、その男は下戸でね」
「だったら、何で」
「イメージがね、合うんですよ」
アレクの言葉に首をかしげたブリギッドの前に、男がグラスを置いた。
「聞かないほうがよろしいですよ」
「遅くてね、堅くてね、強いんですよ」
「……下ネタかい」
呆れたように鼻を鳴らしたブリギッドに、アレクは水の入っているグラスの傾きを戻す。
眉を寄せたブリギッドに、アレクは加水したグラスを持ち上げて、ブリギッドからの乾杯を促す。
「水割りかい」
「オレには強すぎまして」
「だったら、もっと薄めたらどうだい」
「これ以上の加水は、ただの薄めの水割りになるので」
「強すぎるんだろ」
「香りの花が開いていなかったんですよ」
「そうかい」
アレクの軽口に普段の気軽さを覚えたブリギッドが、グラスの中で氷を回転させてからグラスを合わせる。
「乾杯」
「献杯」
二口ほどでグラスを置いたアレクを見ながら、グラスを空けたブリギッドがカウンターの中の男を呼んだ。
「ラム。何でもいいよ」
「アレク、ラムって何が美味いんだ」
「知るかよ」
「お前で知らんのなら、俺はもっと知らん」
「面倒だから、キャプテンとかなら開いてるのがあるだろ」
「キャプテン……普通の綴りだよな」
二人に背を向けて棚のボトル群をしらみつぶしにたどり始めた男に、アレクは右端を指示する。
「右端……お、これか」
数本並んでいたラムのボトルを確かめ始めた男から視線を外して、ブリギッドが気になっていたことを尋ねる。
「なぁ、誰の命日なんだ」
「……アーダンですよ」
アレクの答えに、ブリギッドが目を瞬かせる。
「……なぁ、あたしの目の錯覚じゃなけりゃ、目の前にいる男は誰なんだい」
「目の前にいるのは女たらしに成り果てた、鎧騎士の成れの果てです」
「……なんだ、そりゃ」
呆れるブリギッドに、アレクは大袈裟なため息をつく。
「天馬騎士をたぶらかして、今度一緒に食事に行くそうなのですよ」
「いいじゃないか、別に」
「オレの知ってる、遅くて固くて強いアーダンは死んだんです」
「俺に言わせれば、アレクの方がよっぽどだ」
「嘆かわしい。このオレがたらしだって言うのか」
男二人のやりとりにため息をついて、ブリギッドが出されたばかりのラムを口に含む。
「うん。美味いよ」
「ボトル、置いておきますんで」
アーダンがボトルをカウンターに置き、ブリギッドの一杯目のグラスを片付ける。
目線で感謝の意を伝え、ブリギッドが話題を変える。
「そういえば、アレク」
「何ですか」
「子供ができたらしい」
「は……はいッ」
目をむかんばかりのアレクの反応に、ブリギッドが小気味よくグラスを傾ける。
「アンタ、何を飲んでるんですかッ」
「ラムだ。キャプテンらしい」
「そうじゃなくて、子供ができたら禁酒でしょう」
「そうなのか」
「当たり前ですッ」
「それなら、明日からは禁酒しよう」
平然とそう言い切るブリギッドに、アレクはあわててボトルをブリギッドから引き離した。
「その一杯は大目に見ます。アーダン、水だ」
「はいはい」
アーダンも急いで水をグラスに注ぎ、ブリギッドへと押し付ける。
「しかしまぁ、お前の方が裏切り者だな、アレク」
「い、いや、別にオレと決まったわけでは……」
「あたしは、そういうことをお前としかしてないぞ」
「う……その、心当たりはありますが」
「観念しろ、アレク」
鬼の首をとったようなアーダンと顔色をなくしているアレクを見比べて、ブリギッドが快活に笑う。
「ま、子供ができたのはエーディンだけどな」
ブリギッドにからかわれていたとわかったアレクは、腹立たしさを紛らわすために目の前のグラスをあおる。
「おや、献杯ってのは故人のためにグラスの中に残しておくものだろう」
意地悪くそう尋ねるブリギッドに、アレクは耳を真っ赤にする。
「くそう……献杯の意味も知ってるじゃないですか」
「ははは。さすがのあたしだって、本当に子供ができてたら飲みゃしないよ」
頃合いを見計らって、アーダンがスッと姿を消す。
それを確認したブリギッドが、アレクが後ろ手に隠しているボトルへと手を伸ばす。
「人をからかおうとするからだ」
「別にブリギッド様をからかうつもりはありませんでしたよ」
「ま、そういうことにしておこうか」
「本当ですって」
ブリギッドへとボトルを譲ったアレクは、空になった目の前のグラスにクラガンモアを注ぐ。
「飲み直しかい」
「最後ぐらいは好きなのを飲みますよ」
「おや、もう止めるのかい」
「えぇ。ブリギッド様も早めに切り上げたほうがよろしいですよ」
「どうしてだい」
「明日のエーディン様のお祝いに、酒臭い息ではまずいでしょう」
アレクはそう言うと、ブリギッドへとグラスを掲げた。
ブリギッドも、飲みかけのグラスを口許から外し、アレクの持つグラスへと合わせる。
「今度こそ、乾杯」
「乾杯」
酒の飲める二人に、会話はない。
ただ、二つの酒の香りはゆっくりと混じりあい、地下のカウンターを包みだしていた。
<了>