最後の花道


 

 シアルフィ公国公子、シグルドの謀反。

 親子二代にわたる帝国への謀反は、シアルフィ公国に重い影を落とした。

 バルド公爵に従っていた遠征軍は壊滅。

 留守を任されていた騎士団のうち、公子近衛騎士団も長期遠征の末に壊走。

 シアルフィに残されていた騎士団は誰に率いられることもないまま、ただ崩壊を待つばかりとなった。

 

「ただいま」

「おかえり」

 街道から離れた村の宿屋の一室で、アレクは買出しに行っていたノイッシュを出迎えた。

 中央の政変はまだこの辺りまで伝わっていないが、二人は念のために平民服に着替えていた。

 元々庶民出身の二人は、それほど苦労せずに町人に扮することができる。

「ご苦労さん。荷物は、そこに置いといてくれ」

 ノイッシュの後から入ってきたメアリーにそう言ったアレクは、隣にいるブリギッドを振り返った。

 商家の娘であるメアリーは当然のことだが、海賊に育てられた彼女もまた、逃走中の貴族とは思えない。

 十人がいれば十人が振り返る美貌だが、貴族たちの持つ独特の神秘さがそこにはない。

「すいませんが、メアリーを手伝ってやってもらえますか」

「はいよ」

 弓の手入れをしていたブリギッドが、軽やかに立ち上がる。

 恐縮するメアリーの肩を叩いて、ブリギッドが豪快に笑う。

「気にしないでいいさ。それで、どうすればいいんだい」

 女性二人が荷物を片付けている間に、アレクはノイッシュに椅子を勧めた。

 外套を脱いで埃を払っていたノイッシュが、深刻そうな表情でため息をつく。

「どうだった」

「ダメだな。シグルド様が斬首されたのは、間違いない」

「そうか」

 ノイッシュの言葉に下を向いた二人の肩を、戻ってきたブリギッドが力強く叩く。

「痛い」

「下を向いたって仕方ないだろ」

「そうですけど、こればっかりは」

 肩を落とすノイッシュに寄り添ったメアリーが、ノイッシュの手を握る。

 それを横目で見ていたアレクは、さらに頭を小突かれた。

「あたしに、何を期待してんだい」

「別に、何も」

「そうかい。何なら慰めてやろうか、こてんぱんに」

「……遠慮しておきます」

 首を左右に振ったアレクに、ブリギッドが小気味よく指を鳴らした。

 二人のやりとりを聞いていたノイッシュが、ようやく顔を上げる。

「どうする、これから」

 ノイッシュの質問に、アレクは両腕を頭の後ろに組んで天井を向いた。

 背もたれ代わりに体重をかけられたブリギッドが、ため息交じりに身体を動かす。

 支えを失ったアレクは腕をほどいて体勢を整えなおすと、今度は肩をすくめた。

「まぁ、どうしようもないな」

「イザークへ行くべきだと思うが」

「セリス様のところか」

 シグルドの遺児であるセリスは、オイフェとともにイザークへ逃げている。

 二人がシグルドの近衛騎士団だったことを考えれば、ノイッシュの提案は当然にも思える。

 だが、アレクはあまり気乗りしていない返事を返していた。

「あまり目立ってもなぁ」

 アレクの考えも、当然の危惧だった。

 二人はオイフェが隠れ住んでいるはずの場所を知らない。

 二人が探していることが引き金となってセリスの居場所が帝国側に漏れてしまっては、本末転倒になる。

 あくまでもセリスを護るように命じられているのはオイフェであり、二人がその邪魔になってはいけない。

 まだ叛旗を翻すだけの兵も持たない彼らは、身を隠すしか現状の手立てはないのだ。

「シアルフィへ帰るか」

 帰国を口にしたノイッシュの視線が、メアリーへと向いた。

 元々、彼女はシアルフィ公国にある薬問屋の娘である。

 ノイッシュのシレジア亡命を聞きつけ、単身シレジアへ駆けつけた許嫁だ。

 娘の行動を許すほどに寛大な家だが、その規模はシアルフィでも指折りの大きさでもある。

「私のことは、お気になさらないで下さい」

「だが、君まで付き合わせるわけには」

「私はノイッシュ様の伴侶です。伴侶が夫につき従うのは当然のことです」

「君の言葉は嬉しいが、今は状況が」

 二人のやりとりを目の前にして、アレクはふと背後を振り返った。

 腕を組んで仁王立ちしている彼の妻は、いつも自信のある笑顔を崩さない。

 アレクの視線に気付いたブリギッドが、視線を下ろしてアレクを見つめ返す。

「何だい」

「いや、元気だなと」

「あたしは、いいとこの娘さんじゃないからね」

「少しは、しょげたりしませんか」

「しょげてどうすんだい」

「いえ」

 アレクが視線を戻すと、目の前の二人は硬く手を結び合っていた。

 ここ数日で幾度となく見さされてきた光景に、アレクは口許を緩めた。

「ま、オレはそれでいいと思うぜ」

「アレク」

「お前が騎士を捨てちまえば、シアルフィに帰ることには大きな意味がある」

 アレクの言葉に、ノイッシュが立ち上がった。

 アレクを見下ろす視線は、明らかに怒りを含んでいる。

「騎士を、捨てろというのか」

「あぁ」

「確かに、主君を護りきれなかった。だが、騎士の誇りまでは捨てていないッ」

 いきり立つノイッシュに、アレクは座ったままで再び肩を竦めてみせた。

 かつてシアルフィにいた頃にはよく見かけられた光景だが、今はその原因が違う。

「そう怒るなよ」

「アレク、言っていいことと悪いことがあるぞ」

「オレは本気だよ。お前は騎士を捨てるべきだ」

「何故だッ」

 ノイッシュの剣幕にやや気後れしているメアリーに視線を向けたアレクは、冷静に椅子を指した。

 アレクの顔を睨みつけていたノイッシュも、立っている意味を見失い、腰を下ろす。

「お前にはメアリーがいる」

 名前を言われたメアリーが、アレクを不安そうに見つめる。

「お前が騎士にこだわらなければ、今から彼女のところに婿養子に入ることだって可能だろう」

「騎士でなくなったから、メアリーの家に入れというのか」

「勘違いするな。お前が騎士を捨てられない生真面目なヤツだってのは、俺が一番よく知ってるさ」

 ノイッシュを諭すアレクの表情に、いつもの軽薄な色は浮かんでいない。

 元々、庶民でありながら近衛騎士団に入るほどの人間である。

 比較対象がノイッシュでなければ、アレクも優秀で機転の利く若手騎士の一人だ。

「だけどな、騎士だからこそ救えなくなる相手だっているんだぜ」

「それがメアリーだと」

「大体、お前は誰に忠誠を誓ってたんだよ」

「この命、元よりシグルド様に捧げている」

「そのシグルド様が先に逝っちまったんだ。これから先を許婚に捧げたって、バチは当たらんさ」

「主君を失ったからといって、そう割り切るものではない」

「それにな、商人だからこそ救える仲間だって出てくるはずだぜ」

「しかし……」

 言葉に詰まったノイッシュに代わり、ネネが控えめに口を挟んだ。

「父の説得ならば、大丈夫です。ノイッシュ様のことは、よく信頼していましたから」

「だろうな。そうでもなかったら、わざわざシレジアまで娘を寄越さないだろう」

「男がウジウジ悩むんじゃないよ。今、アンタが一番大切にしなきゃならない人はどこにいるんだい」

 痺れを切らしたように啖呵を切るブリギッドに、ノイッシュの視線がメアリーを向いた。

 視線を合わせる二人を見て、アレクはニヤリと笑った。

「ほら、何も言う必要ないだろ」

「だろうね。アンタらの視線が、何よりの言葉さ」

 二人に言われ、ノイッシュとメアリーが赤面しながら視線を落とす。

 二人の手は、再び固く握られていた。

「さてと、話がついたところで部屋に帰れよ」

「あ、あぁ。また、明日の朝に、これからのことを話そう」

「そういうことで」

 部屋を出て行く二人を見送ってから、アレクは空いた椅子をブリギッドに勧めた。

 それまで背後にいたブリギッドが、勧められるままにアレクの正面へとまわる。

「何だい、改まって」

「今後のことです、オレたちの」

「今後のことって、あたしたちのかい」

「えぇ」

 ブリギッドが肩をすくめて、椅子に腰を下ろした。

 アレクの真剣な表情を斜めに見据えて、ブリギッドが先に口を開いた。

「アンタ、あたしに逃げろって言うんじゃないだろうね」

「よくわかりましたね」

「冗談じゃないよ。さっきの娘とは違うんだよ」

「えぇ。ブリギッド様はユングウィ家の公爵です」

「そんなもの」

 何を言い出すんだというブリギッドに、アレクは真面目な表情を崩さない。

 二人きりのときでは珍しいアレクの行動に、ブリギッドの不満がつのりだす。

「今のユングウィはリング卿が失脚し、これから将来、ユングウィを背負えるのは貴女しかいません」

「だったら、アンタが責任持ってあたしをユングウィまで連れてくってぐらい言えないのかい」

「オレがいては、ユングウィに迷惑がかかります。それに、オレはオレでしなきゃいけないことがあるんです」

「あのカタブツを逃がして、わざわざ一人ですることかい」

「敗者が少なければ、勝者は新しい敗者を作り出す。その敗者を演じられるのは、オレしかいない」

「何をバカな」

 吐き捨てるようなブリギッドの言葉に、アレクはいつもの笑顔を浮かべる。

「貴女のおかげで、今のオレは近衛騎士団長です。敗者の肩書きとしては、申し分がない」

「……囮になるつもりかい」

「囮になれれば、それで十分です」

「……アンタも、根っからの騎士なんだね」

「残念ながら、思っていた以上にそのようです」

 アレクの言葉に、ブリギッドが立ち上がる。

 座ったままのアレクを見下ろし、ブリギッドが弓に手を伸ばした。

「情けないね」

「すみません。この程度の男で」

「勘違いすんじゃないよ」

 そう言ったブリギッドが、アレクに背を向けた。

 部屋を出て行くブリギッドに声をかけることなく、アレクはただじっとしていた。

 

 


 

 

「おはよう、アレク」

「おはようございます、ブリギッド様」

 昨晩、アレクは部屋に戻ってきたブリギッドとお互いに一言も口を利かずにいた。

 朝、いつもと変わらないブリギッドの挨拶に、アレクは気まずい空気が流れていないことに安堵した。

 そして手早く仕度を済ませると、向かいの部屋にいるノイッシュたち二人を呼びに行った。

「……すまん」

 寝惚けた声とともに起きたノイッシュが、上半身が裸だったことに気付き、慌てて布団の中に入りなおす。

「かまわねぇよ。朝食はオレたちで準備しておくさ」

「すまん」

 謝るノイッシュに笑顔で手を振り返して、アレクは先に食事の準備を始めていたブリギッドの隣に並んだ。

「まだ寝てたのかい」

「あぁ。昨日は遅かったんじゃないか」

「いいねぇ、若い子は」

「同い年なんですけどね、ノイッシュとは」

 軽口を叩きながら朝食の準備を終えた二人は、先に二人分のコーヒーを入れた。

 テーブルに腰を掛けた体勢で、二人は斜めに向かい合っていた。

「ねぇ、アレク」

「何ですか」

「昨日の話なんだけどさ」

 片手でコーヒーカップを持ったまま、ブリギッドが視線をアレクに向けた。

 ブリギッドの台詞を先んじるように、アレクがカップを口から放す。

「ダメですよ」

「そうかい。やっぱりアンタが一人になるのはダメなんだね」

「違います。貴女がオレに付き合うことがダメなんです」

「それは、あたしがユングウィの公女だったからだろう」

「そうです」

「なら、解決だな」

 企みが成功した子供のような表情のブリギッドに、アレクは首をかしげた。

「エーヴィ」

「はい」

 ブリギッドの呼びかけに答えたのは、金髪の美女だった。

 ブリギッドの外見をやや細くしただけの美女を見て、アレクはあまりのことに目を丸くする。

 事態を飲み込めていないアレクに、ブリギッドがニヤリと笑う。

「ユングウィはあたしが誘拐されてから、影武者を育てるようになったらしくてね」

「まさか」

「そう。あたしたちの影武者、エヴィだ」

「ちょっと待ってください。すると、まさか」

「そう。影武者が表になったってかまわないだろう」

「何の冗談ですか」

「冗談なもんかい。これであたしは、正真正銘の海賊上がりのブリギッドだ」

「そんな詭弁を使われても困ります」

「海賊上がりの娘が、一目惚れしたバカな騎士に勝手についていくのに、何か問題があるのかい」

「……いいんですか、それで」

「いいも悪いも、あたしにアンタの意見が通じると思ってるのかい、まだ」

「思っちゃいませんが」

「なら、解決だ」

 アレクの視線を受けたエヴィが、小さく頭を下げた。

「お嬢様にお仕えして、初めてのお願いなんです」

「そうかもしれないが」

「アレク様も騎士であるなら、侍女である私が花道を譲っていただくことに異存はありませんね」

「……昨日、部屋を出て行った理由がこれですか」

「あぁ」

「まったく、貴女という人は」

「アンタこそ、まだあたしをわかってないみたいだねぇ」

 アレクは両肩を竦め、ため息をついた。

 元より、アレクはブリギッドに勝てるとは思っていない。

「ユングウィが途絶えたって知りませんよ」

「エーディンがいるさ」

 身支度を整えて下りてきたノイッシュの気配に、エヴィが姿を消した。

 その素早さに感心しながら、アレクは何事もなかったかのようにノイッシュを出迎える。

「アレク、すまない」

「いや、いいさ」

「ところで、アレクはどうするんだ」

「いや、オレもこの人と一緒に逃げようかと思ってね」

「シアルフィへ戻るのか」

「いいや。あの辺だと、お姫様の身元がばれると面倒だろ」

「確かにそうだが……どこへ行くんだ」

「足の向くまま気の向くまま。遠慮なく元お姫様をいじめてやろうかと思ってね」

 そう言ったアレクの視線を受けたブリギッドが、アレクに話をあわせる。

「ようやくそこの男が本性を出すみたいでね。しばらくつきあってやるつもりなのさ」

 互いを挑発するように笑いあう二人の間に視線をさまよわせていたノイッシュが、小さくため息をつく。

「……何にせよ、アレクをよろしくお願いします」

「あぁ。任せときな」

 自信満々の顔で承知するブリギッドを見つめていたアレクは、タイミングを見計らって踵を返した。

「それじゃ、別れの朝食といきますか」

「あぁ。別れの朝に乾杯しようじゃないか」

 

 朝の光を反射する朝露の滴には、四人の笑顔が写りこんでいた。

 

 

<了>