私の彼は寂しがり


 初めて会ったとき、彼は復讐者だった。

 戦争によって家族を引き離された戦災孤児として生きていた。
 生き別れの妹を探しているという眼は、獲物を探して駆けまわる獣だった。

 どうして一緒に行こうと誘ったのかはわからない。
 ただ、彼が眠りにつく前の一瞬の表情が、彼が復讐鬼でないことを教えてくれた。

 次に気付いたとき、彼は私の相棒だった。

 解放軍に加わる私の相棒として、彼は解放軍に加わった。
 彼の素性を保証するものは何もなく、ただ実力だけが彼を解放軍の幹部たらしめていた。

 イザークを出たときから、彼がわからなくなった。
 それまでは私と行動をともにしていたのに、イザークを出て互いに多忙になってくると、彼のことがわからなくなった。

 会わなくなったわけではない。
 軍議、進軍中、休息中。
 彼はいつもと変わらずに私のそばにいた。

 それなのに、私には彼の眼がわからなくなった。
 復讐者であった頃の殺気は薄まり、相棒だった頃の曖昧さが消えた。

 アルスターを解放し、妹と再会した彼はお兄ちゃんだった。

 ティニーの行動をさりげなく見守り、必要と見ればすぐに手を差し伸べていた。
 兄と妹は限りなく恋人に近いという言葉を聞いて、無意味な嫉妬も繰り返した。

 それでも彼は私のお兄ちゃんではなかった。
 彼は私を妹としては見なかったし、常に相棒だった頃と同じように接してくれた。

 そこに私は優越感を感じ、ようやくティニーを受け入れることができた。
 喜ぶ彼は、妹の請うままに解放軍に居座り続け、軍の命令に従う戦士になったはずだった。

 このあたりから、彼の行動には不可解さが付きまとい始めた。

 何故、軍の進軍速度に歩を合わせないのか。
 ブルームを討つために、単身で城内を迷いなく進めたのは何故か。
 ティニーという内部を知っていた人間よりも早く、彼がブルームの元にたどり着いていたのは何故か。

 私がお兄ちゃんと再会したとき、彼は魔道士だった。

 お兄ちゃんという好敵手を得て、彼の眼は魔道士に変わった。
 物事を研究し、魔力の構成に時間を費やし、理知的な判断を下していく。

 それまでは発言しなかった軍議の場が顕著な変化だった。
 発言が増え、他人の考えを否定することさえあった。
 それはまさに魔道士であり、彼がお父様やお兄ちゃんと同じくくりの人間だと知った。

 トラキア半島からグランベルに戦場が移ったとき、彼はようやく本当の姿を見せてくれた。
 ヴェルトマーの至宝と呼ばれたアルヴィス皇帝の異母弟の血を引く、炎の継承者。

 彼の眼から迷いが消え、彼の背中が大きくなった。
 彼が背負っていたものは、私よりも大きなものだった。
 お兄ちゃんと同じものを背負い、ヨハンたちとも対等に戦う政治家だった。

 ここに来て、私はようやく恐ろしくなった。

 彼は一体、何枚の仮面をかぶり続けてきたのか。
 しかもその仮面は、眼の色でさえも変えてしまうほど分厚いものだったのだ。

 何故、彼は盲目に近い状態で歩き続けたのだろう。
 そして、彼の言葉はどこまでが本物なのだろう。

 ヒルダの前で、彼は子供になった。

 泣きじゃくりながら、彼は宿敵であったはずの伯母の亡骸にすがり付いていた。
 彼女に育てられていた妹よりも、はるかに長い時間。そして、はるかに涙を流して。

 最後の聖戦が始まる前に、長い雨が続いた。
 占領したばかりの城に足止めをされた私たちの焦りとは逆に、彼は精力的に動き始めていた。

 そのとき、私はようやく気付いた。
 彼は本来の居場所に戻ったのだと。

 そして、彼の妹を見て、私は確信した。彼は旅人だったのだと。
 昔、父が神器を継承する前に旅に出ていたのと同様、彼は継承する前に旅をしている旅人だったのだ。

 それに気付いたとき、私はお父様の部屋を訪れていた。

「お父様」

「フィーか。入れ」

 部屋に入ると、お父様は書類を書く手を休めてくれた。
 知らない間に、お父様の手は細く、角ばり始めている。

「急に来て、ごめんなさい」

「娘が父親の部屋を訪ねるのに、時間も理由も関係ない」

「その逆も当然だ……だったかしら」

「フュリーに怒られたな、あの時は」

「娘と息子を夜中に叩き起こして外に連れ出すなんて、お父様にしかできないことだわ」

「胸を張っていいぞ。お前はそのオレの娘だ」

「お母様の娘よ。そこだけは譲らないわ」

 私の言葉に、お父様は拗ねてペンをまわしだした。
 器用にクルクルと指先でペンを遊ばせるお父様の前で、私は床の上に正座した。

「お父様」

「何だ」

「アーサーに婚姻を申し込まれたの」

「それで」

「受けるわ」

 お父様が椅子の向きを変えて、深く座りなおした。
 ただの椅子が、お父様によって王座に見えた。

「オレは、聞いていない」

「アーサーからは、これは俺個人の言葉だって」

「それで、お前は何と答えた」

「あたし個人としてなら、ついて行くって」

「ほぅ……それで」

「この戦いが終われば、アーサーからお父様に話をすると思うわ」

「遅い」

 そう言うと、お父様は椅子から立ち上がった。
 私の正面に立つお父様は、まぎれもなくシレジア王だった。

「もはや途中で事は収まらん」

「それは、勝つ以外に道はないということ」

「それさえ理解できぬ男に、娘はやれん」

「アーサーなら、理解しているわよ」

 彼の行動は、戦争の後を考えている。

 そして、恐ろしいことにはセリス様を敵にまわすことさえも選択肢の中に含めている。
 神器を使えないはずの彼がファラフレイムにこだわったときから、すでに彼の戦いは次のステージに進んでいたのだ。

「何故、あの男に肩入れする」

「わからないわ」

 わからない。

 何故、彼に惹かれているのか。
 仮面をかぶり、嘘の過去を作り、妹でさえも利用する。
 そんな彼に、どうして惹かれてしまうのか。

「……つまらんなぁ」

 お父様はそう言うと、それまでの威厳が嘘かのように軽やかに腰を下ろした。

「つまらんなぁ」

「……何がつまらないの」

「娘をとられるって、もっとこう、ドラマチックだと思ってた」

「お父様」

「貴様のような未熟者に娘はやれん……とか言って、セティとかお前になだめすかされてさ。
 最後にはフュリーの名前を出されて渋々頷く父親ってのがやりたかったのに」

 この父親は、どうしようもない。よくまぁ、お母様も結婚したものだわ。
 もしかしたら、ダメな男を保護せずにはいられない症候群だったのかもしれない。

「呆れた」

「そう言うな。お前も、父親になればわかる」

「なれるわけないでしょ」

「それにしても、お前が結婚か」

「まだ気が早いわよ」

「セティには伝えたのか」

「まだよ。お父様に話す前に、お兄ちゃんに言えるわけないじゃない」

「そうか」

 お父様はふっと笑うと、机の引き出しを開けた。
 私が立ち上がると、お父様は小さな包みをくれた。

「祝いだ」

「何よ」

「開けてみろ」

 包みを開けると、小さなピアスが入っていた。
 風精を模ったそれは、お母様が付けていたものに近い。

「ありがとう、お父様」

「今、幸せか」

「当たり前じゃない。お母様より、幸せになるわよ」

「いい風がお前に吹くことを祈っている」

「ありがとう。お休みなさい、お父様」

 部屋を出ようとした私は、お父様が弾いた風精に守られているのを感じながら、静かに頭を下げた。

 

 

<了>