変わらない瞳


 アゼルの瞳が揺れていた。

 レックスはそんなことないって言ってたけど、レックスよりも長くアゼルと付き合っている私にはわかる。

 いつもは何が起きても揺らがないアゼルの瞳は、シグルドに告げられた反逆者の烙印に冷静さを失っていた。

 もちろん、取り乱したりすることはない。

 だけど、確かにアゼルの瞳は揺れていた。

「ティルテュ、どうかしたの」

「ううん、何でもない」

 目の前にいるアゼルは、いつものアゼルだ。

 どちらかと言えば頼りなくて、いつも私に振り回されているアゼルだ。

 それなのにどこか違和感をおぼえてしまうのは、私の錯覚からくるものだろうか。

「紅茶、冷めちゃったかな」

「うん。でも、もういいわ。船の上だし、トイレに困る」

「それもそうだね。まぁ、お茶をもらえるって聞いたからもらってきたけど、少し贅沢だったかな」

「そうね」

 まだカップに半分ほど残っている紅茶に、フュリーがくれた固いパンを浸す。

 そのまま食べていては味気ないパンも、紅茶に浸せばそれなりの味に変わったように感じられる。

「ねぇ」

「あ、そうだ。レックスに頼まれてることがあったんだ」

 私が話を切り出そうとすると、アゼルはそう言って席を立った。

 いつになく素早いアゼルの動きは、私から逃げているようだ。

「もぅ。あれは明らかに逃げてるわね」

 部屋に一人で残された私は、残りの紅茶を腹立たしくかき込んだ。

 一人になって頬杖をつくと、ここ数日のアゼルの動きばかり浮かんでくる。

「あれは、何か隠している感じなのよね」

 アゼルの行動は単純だ。

 だけど、本気になった公子としてのアゼルは、私がとてもじゃないけど太刀打ちできる相手じゃない。

 正面突破が得意な私と違って、公子としてのアゼルは硬軟を取り混ぜる。

 それでいて、目的の遂行に全てを賭けるタイプだ。

「私が勘づけるほど、用意周到ではないけどね」

 アゼルは誰かに連絡を取っている。

 アルヴィスがアゼルを見捨てるなんてことは絶対にない。

 いつだったか、アゼルが大きなミスをしたとき、あの人は近衛騎士団の職を休んでまで本国に帰ってきた。

 クルト王子の近衛騎士団の職を休んで本国に帰るほど、アゼルのカバーには全力を注ぐ人なのだ。

 そんな弟狂いのあの人が、今回だけアゼルを見捨てるということはない。

「でも、アルヴィスとは連絡が取れてる気配がないのよね」

 アルヴィスと連絡が取れているなら、アゼルの瞳は揺るがない。

 こと政治面に関して、アゼルのアルヴィスへの信頼は絶対だ。

 例え私のお父様が疑問を投げかけたとしても、アゼルはアルヴィスの言うとおりに動くだろう。

 そこから考えると、連絡を取っている相手はアルヴィスの側近か、アゼルに近い人物だ。

「ヒルダ……かしら」

 アゼルの従姉らしいあのヴェルトマーの女は、さすがに実力も一級品だ。

 ただ、あの女は私と同じタイプで正面突破を好む。

 さらに派手好きなあの女のことだから、私ならすぐに気付く。

「侍女あたりか」

 ヴェルトマー城の侍女たちは、さすがに一筋縄でいかない人も多かった。

 アゼルの護衛という立場を兼ねている人もあるのだろう。

 侍女辺りなら、アゼルの不安も理解できる。

「それにしても、情報が少なすぎるわ」

 アゼルに劣らず、私の方も情報源がない。

 本国にいる頃なら適当に城内をうろつくだけで大体のことは見えてくる。

 気になることがあれば、直接お兄様に聞きに行くこともできた。

「じっとしてるってのは、性に合わないんだけどね」

 ただ、私には手段がない。

 本当に物見遊山気分で家を飛び出してきたし、書き置き一文をしたくらいなのだ。

「さすがにお父様が気付くまでにも時間がかかるか」

 それに、私のお父様なら平気で私を無視するだろう。

 損得を考え、リスクを考え、最善手を採る。

 それが私のお父様のやり方だ。

「よぉ、ここにいるって聞いたんだが」

「あぁ、何よ、レックス」

「いや、特に用事はないんだが、暇潰しの相手をさせようと思ってな」

「普通は暇な私の相手をしようと思うものよ」

「お前相手に気を使ってられっかよ」

「少しは使いなさい。そんなことだから、女の子に見向きもされないのよ」

「ドズルの第三公子なんてそんなもんだろ」

「いやいや、ヴェルトマーの第二公子は周りのガードが固かったのよ」

「お前が無茶苦茶するからだろ」

 私に断りもなく、少し前までアゼルが座っていた向かいの席に、レックスが腰を下ろす。

「ねぇ、何かわかってないの」

「俺にわかるかよ。自慢じゃないが、情報戦は俺の苦手分野だ」

「貴方に得意分野なんてあったのかしら」

「肉弾戦だけだな」

 ポットの中身を勝手にカップに注いで、レックスが私の背中側にある部屋の窓へ視線を向けた。

「ま、アゼルに任せろ。どう動けばいいかさえわかれば、あとは突破してやれる」

「それは私も同じことよ。そのアゼルが動かないし何も言わないじゃ、暴れようがないのよね」

「何だよ、暴れるつもりだったのか」

「そういう貴方も同じでしょう」

 私がそう言うと、レックスが腕を組みながら口許を曲げた。

「俺は単なる護衛だよ」

「それって、護衛って名前の暴れ馬じゃないの」

「きな臭かったんだよ。イザークから流れてくる情報とかがな」

「部屋住みが動くと、ロクなことにならないわよ」

「シグルドに会えば手持ちのネタの真偽がわかると踏んだのもある」

 へぇ。

 さすがにレックスもバカじゃないか。

「ま、俺はそこで手詰まりになっちまった」

「一度本国に帰れれば、もう少し情報が入るんだけどね」

「お前が考えなしに動くからだろ。俺とアゼルは、お前がフリージにいるものとして動いてたんだからな」

「仲間はずれじゃない、そんなの」

「ま、お前が大人しくしてる女じゃないって、再確認できたよ」

 お互い、わかっているようで動きが読めてないのよね。

 だからこそ、長く付き合っていられるのだろうけど。

「とりあえず、今は船旅を楽しみましょう。アゼルのことは私に任せて」

「あぁ」

「アンタはアンタで、あの女の方を気にしなさいよ」

「俺のことはほっとけ。ライバルが多いんだよ」

「金髪の剣士やら、律儀な騎士とか、楽しそうよね」

 アイラとかいう黒髪の剣士は、私から見ても魅力はある。

 ただ、アゼルの好きなタイプではないし、私の敵じゃないけどね。

「お前こそ、神父様はどうなんだよ」

「神父様は神父様よ。私、意外と権謀術数が好きなみたい」

「なるほどね。ただ、アゼルを逃がすつもりもないんだろ」

「こっちはサインを出してるんだけどね。ま、もうあと一押ししてみるけど」

「あまり押しすぎるなよ。アゼルも、男だからな」

「押し倒されたほうが気が楽だわ。アゼルったら、最後の最後まで紳士なんだから」

 私に魅力がないわけじゃない。

 だけど、いつまでも待たされちゃ、さすがの私だって自分の魅力に自信を失っちゃうわ。

「変わんねぇな、お前は」

「ありがとう。惚れていいわよ」

「冗談だろ。アゼルと張り合う気はねぇよ」

 そう言って席を立ったレックスに、私はニヤリと笑って見せた。

 結局のところ、私たちは何があっても変わらないだろう。

 アゼルが考え、レックスが動き、私がかきまわす。

 一見仲が良さそうで、まとまりがない。

 だけど、絶対に変わらない信頼が私たちにはあるのだ。

 

<了>