世界で一番いい女


「寒いったりゃありゃしないわね」

 一人部屋の中で、シルヴィアは両腕で自分の身体を抱きながら愚痴を漏らした。

 窓の外に見える雪は、もうこの三日間、止むことなく降り続いている。

「ご飯に困らないのはありがたいけど、この寒さは大嫌い」

 誰かに聞かれることもない部屋で、彼女は感情を露に声を荒げていた。

 窓の外の雪を視界から遮るようにカーテンを引くと、そのままの勢いでベッドに腰を下ろす。

 乱暴に扱われたベッドが、体重の軽いシルヴィアを支えただけで悲鳴を上げた。

「暇ね」

 流浪の踊り子として生きてきた彼女にとって、明日の食事と今日の寝床に困らない生活はありがたい。

 むしろ恵まれた環境下にいるといっていいだろう。

 しかし、肩肘の張る貴族たちの生活は、彼女に苦痛を感じさせるものだった。

 シグルド軍のすべてが貴族並みな生活をしているわけではないが、シルヴィアにしてみれば大差がない。

 作法は無視すると宣言はしていても、他人を使うことに慣れていない彼女はいまだ馴染めずにいた。

「この寒さじゃ、外にも行けやしない」

 温暖な気候のアグストリアで暮らしていたシルヴィアには、シレジアの寒さは想像を遥かに超えていた。

 更に、シグルド軍に従軍してきた彼女は、冬用の衣服さえ所持していない。

 まさに身体一つでシレジアへ渡ってきた彼女は、寒さによっても行動を大きく制限されていた。

「しょーがない。デューにでも借りるか」

 このまま部屋でくすぶっていても、退屈さに飽きるしかなくなってしまう。

 そう考えたシルヴィアは、年下の盗賊に借金をする決意を固めた。

 このシレジアを半袖で動き回る元気印なら、多少はお金を持っているはずだった。

 いつの間にか商魂逞しくなっているという噂のシーフは、気前よく貸してくれるだろうか。

「ま、貸してくれなきゃ、そんときはそんとき」

 早速部屋を出たシルヴィアは、何人かにデューの居場所を尋ねてまわった。

 はっきりとした答えが得られないまま、何気なく足を向けた鍛錬場で、彼女は目的の少年を探し当てた。

「デュー」

「あ、シルヴィア姐さん」

 シルヴィアの呼びかけに、剣を振るっていたデューが剣を下ろす。

 階下の鍛錬場に続く階段を下りたシルヴィアは、そばに置いてあった布へ手を伸ばした。

 剣を片付けたデューへ手にしていた布を渡し、彼女は一際見事な笑顔を浮かべた。

「はい、ご苦労様」

「あ、ありがと。えらく笑顔なんだけど」

「ううん。いつも、ご苦労様ってね」

 シルヴィアの言葉に、汗を拭き終えたデューが頬をかいた。

「姐さん、何か用なの」

「うん。お金貸して」

 シルヴィアはそう言うと、笑顔のままの両手を突き出した。

 それを見たデューが、わずかにカクリと体勢を崩した。

「いきなりだね」

「いいじゃない。冬用の外套が欲しいの」

「そんなことじゃないかと思ったよ」

「それで、貸すの、貸さないの」

「貸すよ。でも、オイラだって、そんなにたくさん持ってるわけじゃないよ」

「少しでいいわよ。別に高いのを買うわけじゃないし」

 普段の顔に戻したシルヴィアの言葉に、デューが納得したように懐に手を入れる。

 シルヴィアはデューが手品のように取り出した財布の中身を覗き込み、思わずため息をついた。

「アンタ、貯めてるのね」

「シレジアに来て、ちょっと儲かったんだ」

「何をしたのよ」

 シルヴィアにしてみれば手にしたことのないぐらいの大金が、少年の財布の中に入っていた。

 踊り子の日当に換算すれば、ゆうに一か月分には相当するだろう。

 シルヴィアの指摘を受けると、盗賊の少年が嬉しそうに種を明かす。

「オイラだって、伊達にシーフじゃないんだからね」

「まさか、泥棒……」

「オーガスタの砦のそばに、海賊たちのねぐらがあっただろ」

「あぁ、ブリギッドが言ってたヤツ」

「そこからちょいちょいとね。ちゃんと、シグルド様に許可はもらったよ」

「怪しいもんね。こっそりネコババしたんでしょ」

「生活必需品をもらったんだよ。炭やらは高く売れなかったけど、塩はたくさんあったからね」

「それ、もらったの」

「ちゃんと許可をもらって売ったんだよ。上納金も納めたし」

 正当性を主張するデューが頬を膨らませたのを見て、シルヴィアはあわてて頷いた。

 ここで機嫌を損ねては、本来の目的すら果たせなくなってしまう。

「わかったから、ちょっとだけ貸してよ」

「あいよ。姐さんだから、利子はまけといてあげる」

「当たり前よ。ところで、いくらぐらい貸してくれるの」

「どれぐらい必要なのさ」

「これといって決まったのがあるわけじゃないから、一万かな」

「冗談だよね」

 笑顔のデューのこめかみに、ピシリと筋が通った。

 それを見たシルヴィアは、笑顔で右手を振ってみせた。

「当たり前じゃない。三千もあれば十分よ」

「それくらいなら、いつでもいいよ」

 そう言って、デューが財布の中からお金を取り出す。

 シルヴィアは両手でそれを受け取り、懐の中へとしまった。

「姐さん、財布はないの」

「そんなもの、必要なかったもの」

「エスリン様に言えば、作ってくれるよ。最近、皮細工にこってるんだってさ」

「また今度ね」

 デューの言葉に生返事を返して、シルヴィアは両腕を高く突き上げた。

「よし、行くぞ」

「どこへ行くのさ」

 年上の踊り子の仕草を笑いながら尋ねたデューに、シルヴィアは小さく肩をすくめた。

 元より、シルヴィアに店のあてなどはない。

「とりあえず城下。適当に探せばいいのがあるわよ」

 その言葉通り、シルヴィアは足取りも軽く城下へと繰り出した。

 セイレーン城から城下の街までは、歩いてすぐの距離にある。

 何回か城下の盛り場を訪ねたことのあるシルヴィアは、時折露天へ顔を出しながら、ブラブラと歩くことにした。

「まぁ、さすがにシレジアよね」

 表通りに並ぶ仕立て屋は、さすがにシルヴィアの目を楽しませる店が多い。

 仕立て屋の窓から見える外套を覗き込んで、シルヴィアはため息をついた。

 雪国のシレジアでは、冬場の気候を生かした織物が盛んである。

 他国では高値で取引されていることは、シルヴィアも知っていた。

 もちろん、シレジア国内では比較的安価になっているものの、彼女の中では十分に高級品の部類に入る。

「古着を探そうかな」

 街の外れで裏通りへと入り、シルヴィアは城の方角へと戻り始めた。

 裏通りに並ぶ仕立て屋は修繕を主としている店も多く、古着屋もその並びにあった。

「少しは贅沢しないとね」

 比較的人の出入りの多い店へ入ったシルヴィアは、他の接客を終えたばかりの店員に声をかけられた。

「いらっしゃいませ」

「ねぇ、古着でいいから、冬物の上着が見たいんだけど」

「古着ですか。それでしたら、こちらへ」

 シルヴィアが連れてこられたのは、仕立てのよい高級そうな上着が陳列されているスペースだった。

 近くにあった生地を触ってみると、滑らかに包み込むようなとても古着とは思えない感触があった。

「うわ、いい生地」

「はい。お求め安いお値段になっております」

「そうみたいね。適当に見てまわるわ」

 店員を追い払い、シルヴィアは陳列棚を眺めまわす。

 古着なだけに規格は様々だが、そのうちの一つに目が止まる。

「うーん、悪くはないか」

 傷などを確認しても、本当に目立たないように修繕が施されていた。

 仕立ての丁寧さから想像する分には高額の買い物だが、今はお金の必要な暮らしをしているわけでもない。

「ねぇ、試着はしてもいいの」

「はい。こちらに鏡もございますので」

 いつの間にかそばに戻ってきていた店員に確認して羽織ってみると、やや丈が長いものの違和感はない。

 背中をひねって後姿を確認してみると、よりいっそう満足のいくものだった。

「悪くないわね」

「えぇ。とてもよくお似合いですわ」

「これにしようかな」

「ありがとうございます」

「いくらになるの」

「古着は一括でのお支払いとなっておりまして、その分、多少は値引きさせていただいております」

「半額とか」

「いえ、そこまでは」

 さすがに苦笑を浮かべた店員の肩を軽く叩いておいて、シルヴィアは値札を確認した。

 デューから借りてきた金額で十分とはいかず、手持ちのお金を足して買える金額だった。

「おぅ、よく似合ってるぜ」

「……びっくりした」

 突然かけられた声に、シルヴィアは思わず身体をふるわせていた。

 そのシルヴィアを見下ろしながら、レックスがばつが悪そうに頭をかく。

「驚かせるつもりはなかったんだが」

「そりゃ、突然声をかけられたらびっくりするわ」

「悪いな。ところで、買うんだろ」

「そうしようかなって」

「似合ってるし、いいんじゃないか。いくらぐらい引いてくれるんだ」

 レックスが、やり取りを見ていた店員へと尋ねる。

「二割までなら」

 店員の言葉に、シルヴィアは目を丸くした。

 古着屋で二割もサービスされることなど、ほとんど稀だからだ。

「何よ。随分と良心的ね」

「はい。レヴィン王子には大変お世話になっておりますので」

「そうか。なら、遠慮はいらないな」

 そう言って財布を取り出したレックスに、シルヴィアはあわてて自分の財布を取り出して見せた。

 それを気にせずに、レックスが店員へ値段を尋ねる。

「ちょっと」

「気にすんな」

「気にするわよ。アンタにおごられる理由がないもの」

 シルヴィアの言葉を無視するように店員へ代金を支払ったレックスが、何事もなかったように店員を追い払う。

 素直に下がっていった店員に聞かれないようにしながら、シルヴィアはレックスに対して頬を膨らませた。

「いらないお世話だわ」

「軍の花にはこれでも安いもんだ」

「踊り子よ、私」

「元気の源、だろ」

 レックスがそう言うと、シルヴィアはようやく表情を緩めた。

「いいわね、それ」

 納得のいったシルヴィアは、レックスを伴って店の外へと向かう。

 少し丈の長い外套を羽織るシルヴィアは、その外見の幼さもあいまって、大人ぶる少女のように見えた。

 店を出たところでターンをしてみせたシルヴィアに、レックスが思わず手を叩く。

「よく似合うぜ」

「当たり前じゃない。女の子はね、いつも世界で一番いい女なのよ」

 陽を浴びながらそう言って笑うシルヴィアを、レックスが目を細めながらまぶしそうに見つめていた。

 

<了>