やっぱり息子


「あのさぁ、いい加減にそわそわするのやめなよ」

 長い髪を揺らしながら空港の出口の中を覗いている銀髪の女性が、不機嫌そうに下を向いた。

 彼女のそばに立っていたのは、これまた見事な銀髪をした少年だった。

 ふてくされた口調で女性をたしなめる少年は、上から迫る視線にやや腰を引いた。

 髪の毛や髪型から遠目からでも親子とわかる二人が、無言で視線を飛ばしあう。

 先に口を開いたのは、母親のほうだった。

「一週間もアゼルに会えなかったのよ。アゼルだって、どんなに寂しがっているか、わからないじゃないの」

 注意をされていた女性が、口を尖らせて少年に反論する。

 歳のわりに可愛げの残る表情と仕草に、少年も視線をそらしながらため息をついた。

「父さんなら、母さんから離れてホッとしてるよ」

「……アーサー、何か言ったかしら」

「別に」

 さり気なく母親と自分の間に妹を挟む位置へと移動したアーサーが、そっぽを向いたまま小さく呟く。

 しばらく息子を睨みつけていたティルテュに、飛行機の到着を告げる館内アナウンスが入る。

「あら、この便だわ」

 そう呟いたティルテュは、再び出口の方へと視線を向けた。

「あ、パパだ」

 それまで一言も発していなかった銀髪を二つに結んだ少女が、探していた人を見つけて口を開く。

 少女の母親は一つに結わえた髪を激しく揺らしながら、出てきたばかりのアゼルへと飛び込んでいた。

「おかえりなさい、アゼル」

「ただいま」

 体ごと飛び込んできた妻を両腕でしっかりと受け止めて、アゼルがティルテュに微笑む。

 ティルテュは伸ばした両腕をアゼルの首へと巻きつけ、嬉しそうに目を細めた。

「寂しかった」

「ごめんね。仕事だったから」

「ううん。無事に会えたからいいの」

「ただいま、ティル」

 目を閉じたティルテュと深い口付けをかわし、アゼルがティルテュの背中を優しくあやす。

 しばらく抱きついたままの二人を、アーサーとティニーの兄妹が少し離れた場所から眺めていた。

「よくやるよ、いい歳して」

「でも、ママもパパも嬉しそう」

「あれはな、バカップルって言うんだぞ」

「バカップルなの」

「そうだ。人間、あれになったらおしまいなんだぞ」

 まだ小学生にも満たない妹にそう言って、アーサーが軽く咳払いをする。

 咳払いが聞こえたのかどうなのか、二人の前で愛を確かめ合っていた両親が、ようやくのことで体を離した。

「おかえりなさい、アゼル」

「ただいま、ティル」

 ようやく歳相応のやり取りを見せた両親に、アーサーが妹の手を引きながらそばへと寄っていく。

「迎えに来てくれたんだね、二人とも」

 アゼルの言葉に、アーサーの手を離したティニーが父親へと駆け寄る。

 両手を広げて娘を受け止めたアゼルは、妻と同じように飛びついてきたティニーを軽々と抱き上げた。

「ただいま、ティニー」

「おかえりなさい、父さま」

 笑顔で抱き上げられたティニーを嬉しそうに見守って、ティルテュが口元を指先でなぞる。

「化粧が落ちたみたい。アゼル、二人のこと、お願いね」

「いいよ。行っておいで」

 可愛く手を振って、ティルテュが三人を残して化粧室へと向かう。

「ただいま、アーサー」

 母親を見送っていたアーサーの頭の上に、娘を床へ下ろしたアゼルの手から帽子が乗せられた。

 思わず上を見上げたアーサーに、アゼルの優しげな表情が向けられていた。

「おかえり、父さん」

「留守中、何もなかったかい」

「普通だよ。たまに母さんがおかしくなってたけど」

「僕の代わりに家を守ってくれて、ありがとう」

「別に。何かしたわけじゃないし」

「そんなことないさ。アーサーがいるから、僕も安心して家を空けられるんだよ」

「あの母さんなら、強盗が来たって平気だよ」

「それでも、アーサーならティルテュより先に立って戦ってくれるだろう」

 父親の言葉に、アーサーが小さく肩を竦めた。

 いつの間にか戻ってきていたティルテュが、素直でない息子の頭をハンドバッグで叩く。

「本当、素直じゃないわね。誰に似たのかしら」

「育て方が悪いんだね、きっと」

「あぁ、もう。アゼルの子でなきゃ、思いっきり泣かせるのに」

 母子のやり取りを楽しそうに聞いていたアゼルは、手をつないでいる娘とにっこりと微笑みあった。

「本当、ママとお兄ちゃんはそっくりだね」

「そっくりなの」

「そう、そっくりなんだよ」

 小首をかしげながら可愛く聞き返した娘に、アゼルはそういって微笑んだ。

 ティニーの手を握りなおしたアゼルは、似たように頬を膨らませているティルテュとアーサーに声をかけた。

「さ、帰ろうか」

「そうね。あ、荷物、持ってあげる」

「いいよ」

「ダメ。アゼルはティニーと手をつないでて」

 アゼルから強引に荷物を受け取ったティルテュは、手にしたばかりの荷物の半分をすぐに取り上げられた。

「俺も持つよ」

「あらあら。それじゃ、お願いね」

 体に比べて少し大きな荷物を背中に背負った息子を頼もしげに見つめて、ティルテュがアゼルのあとに続く。

 母親の隣を平静な表情でふらつきながら歩く息子と、やや遅れながら息子側の手を完全に空けて歩く母親。

 ともに素直でない家族の姿に、アゼルは小さく笑った。

「父さま、どうしたの」

 父親の笑顔に気付いたティニーがそう尋ねると、アゼルは立てた人差し指をこっそりと唇に当てた。

「内緒だよ」

「ないしょなの」

 同じように唇に人差し指を当てたティニーに、アゼルは片目をつむってみせた。

「ママとお兄ちゃんは、本当に仲良しでそっくりさんなんだね」

「そうなの。でも、ママはお兄ちゃんに甘いのよ」

「そうなんだ」

「うん。だって、昨日はお兄ちゃんの大好きなエビフライだったし、リンゴがデザートだったの」

 自分のいなかった日の様子を娘から教えられ、アゼルは改めて軽口でやりあう後ろの二人を振り返った。

 そこには母親の顔をしたティルテュと、精一杯の大人らしさを見せるアーサーがいた。

「もうすっかり母親だね」

 それでも、二人きりになった時間にはきっちりと甘えてくるティルテュ。

 それも、先程のような人前だけのことではない。

「僕も父親になっているのかな」

 瞳の色だけは父親の血を濃く受け継いだアーサーを見て、アゼルは自分自身にそう問いかけていた。

 アゼルの想いとは別に、似た者母子は日常化したやりとりを続けていた。

「ティニーと代わりたいとか思ってるだろ」

「さすがに娘には嫉妬しません。アーサーこそ、ティニーと代わりたいんじゃないの」

「残念ながら、卒業しました」

「その帽子、やけに素直にかぶってるくせに」

「いいだろ、別に」

 そういって歩調を速めたアーサーに、ティルテュが残念そうにため息をつく。

「フィーちゃんと付き合うようになってから、本当に大人になっちゃったわねぇ」

「べ、別にフィーは関係ないだろ」

 そっぽを向いた息子に、ティルテュがニヤニヤと笑い出す。

「あ、赤くなった」

「父さん、もう母さんを何とかしてよ」

「フィーちゃん、いい子だよねぇ」

「父さんまでそんなこと言うし。まともな家にトレードされたいよ、まったく」

ため息をつき返したアーサーに、ティルテュはアーサーの苦手な伯母の名前を出してやり返す。

「あら、そんなこと言っていいのかしら。本当にお義姉さんのところに養子に出しちゃうわよ」

「……すみませんでした」

「イシュタル姉さまのところに行くの」

「お土産を持っていかないとね。明日にでも行こうか」

「うん」

 仲の良い従姉の名前を聞いて喜ぶティニーに、アーサーが大きなため息をつく。

「あ、そうだ。ご飯、用意してないの」

「そうなんだ。それじゃあ、食べて帰ろうか」

「そうしましょう。アーサー、何がいいの」

「父さんの好きなのでいいよ」

「それじゃあ、久しぶりにピザでも食べようか」

「賛成。少し遠いけど、せっかく空港まで来たんだものね」

 母親から差し出された手を反射的に握り返していたアーサーが、そのことに気付いて再びため息をついた。

「何をため息ついてるの」

「いや、母さんに甘いオレは、父さんの息子だと自覚した」

「当たり前じゃない。アンタみたいな子、あたしとアゼルの子でなきゃ生まれないわよ」

 上機嫌でつないだ手を振るティルテュに、アーサーは本格的に白旗を上げていた。