CORONATION


 ようやく、私は祖国へと帰ってきた。偽りの記憶から解放され、あるべき場所へと。

 それなのに、何故、ここまで空虚なのか。

 記憶を取り戻してくれたあの人は、いつまで経っても私のことを振り向いてはくれない。

 貴方のために戻ってきたとは言わない。そこまで言えるほど、私は傲慢ではないのだから。

 だけど、少しくらいは振り向いて欲しい。

 ほんのささやかな願いとは言えない。けれど、望んでいるのも事実なのだ。

「将軍、何かお飲みになられては」

「そんな気分ではないの」

 宴から外れていた私に声をかけてきた踊り子に、私はそう答えて場を離れようとした。

 彼女のことはよく知らないけれど、踊り子に慰めてもらうなど、私の自尊心が許さなかったのだ。

「そうおっしゃらずに」

「一人にしてちょうだい」

「いいえ。将軍の瞳が、誰かを呼んでいらしたので」

 足を止めて、踊り子を振り返る。

 黒髪の踊り子は、扇情的な服装で私の前にいた。

「貴女に、何がわかるの」

「少なくとも、色恋にかけては将軍よりも場数を踏んでいると思いますけれど」

「……でしょうね」

 解放軍の軍師と逢瀬を交わしているらしいことは、既に兵士たちの噂にあがっている。

 軍師と踊り子が逢瀬を重ねることは珍しくはないけれど、あの堅物の軍師となると話は別だ。

 一体、どういう手管で取り入ったのか。

「軽蔑、なさいますか」

「軽蔑はしないわ。ただ、その素直さが疎ましいの」

「素直に、見えますか」

 そう言った踊り子の眼に、微かな翳りを感じた。

 それが何かはわからないけれど、私はこの場から立ち去ることを止めた。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったというより、この空気に私は耐性がない。

 華やかな女の子の話を聞くのは嫌いではないが、当事者にならない余裕があるからこそだ。

「ごめんなさい。悪いことを言ってしまったわ」

「いいえ。慣れております」

 沈黙が流れた。

 沈黙の重さを、このときほど感じたことはない。

 踊り子も、用があって私に声をかけたわけではないのだろう。

 お互いがお互いを探るように、私たちは言葉を探り合う。

「共通の話題でもと思ったけれど、私は貴女を知らないわ」

「将軍と私とでは、身分も立場も違いますから」

「そうね」

 これ以上、相手をする必要もないだろう。

 踵を返すと、踊り子がまた私を呼び止めた。

「片想い、でいらっしゃいますね」

「……そうよ」

 背中を向けたまま、私は答えていた。

 どこかで自身を卑下しているのか。それとも、恋人のいる踊り子に羨望しているのか。

「笑いたければ笑いなさい」

「踊り子の恋など、虚ろな夢物語。とても同じではありませんわ」

「そうかしら。随分と噂にはなっているようだけど」

「人の噂ほどあてにならないことは、将軍もよくご存知のはず」

「そうだったかしら」

 話しているうちに、視界の隅にあの人が映った。

 思わず視線であの人を追いかけてから、私は背後に踊り子がいたことを思い出した。

「情けないでしょう」

 目の前の状況も判断できずに、想い人を追いかけるなんて。

 随分と私も甘く染まってしまったものだ。

「考え過ぎなのですわ、将軍は」

「貴女のように、しがらみがなければ良かったと思うこともあるわ」

「踊り子にも業があり、話せない過去もあります」

 いつの間にか、給仕が私たちのそばにやってきていた。

 随分と長く話してしまったのか。給仕が気配を察して姿を見せるほどに。

「何かお飲み物をお持ちいたしますが」

「コロネーションを」

「同じものを」

 意外と強い酒を飲むものだと、カクテルの中身を思い出す。

 食前酒というには、少し酒精の強いカクテルのはずだ。

「かしこまりました」

 しかし、頼んでしまった以上、どうしようもない。

 給仕が帰ってくるまでは、二人でいるしかないのだから。

 私は踊り子に向けていた背を、あの人へと向けた。

 気付いてくれないのなら、私だけが見つめてしまうのなら、背中を見せていた方が気が晴れる。

「お待たせいたしました」

 戻ってきた給仕からグラスを受け取り、私はペール色のカクテルで唇を湿らせた。

 シェリーの香りが口の中に広がり、私は目を細めた。

「お気に召されましたか」

「美味しいわ」

「でもね、こういう使い方もできます」

 そう言うと、踊り子はグラスを床へと傾けた。

 グラスを伝わずに落ちるぎりぎりの角度で、踊り子がカクテルで筋を描く。

 床を濡らすカクテルを見て、私はカクテルの別名を思い出した。

「……戴冠式」

「男の人は、王子であることをわからせないといけないときもありますわ」

 そう言って微笑む踊り子に、私は口の両端を持ち上げた。

 王子とは仕えるものと思っているあの人に、一度聞かせてやりたい台詞だわ。

「楽しかったわ。また、話をしてみたいものね」

「いつでも」

 さぁ、ここまで煽られたらやらないではいられない。

 あの人に私の王子であることを思い出させてみよう。

「ありがとうとは言わないわ」

 待っていなさい、フィン。

 私は王子を取り逃がすお姫様ではないのだから。

 

<了>