明後日の笑顔


 

「いやぁ、いいお客さんでしたねぇ」

 銀貨のつまった小さめの皮袋に頬擦りをするステファニーは、いつになく上機嫌だ。

 金払いのいい客というだけでなく、楽士としての腕も褒めてくれたのだから当然だろう。

「ドズルに来て良かったなぁ」

「そうね」

 皮袋を手にしっかりと持ちながら、ステファニーが安宿のベッドに飛び込んだ。

 掛け布団の上にゴロゴロと寝転がった彼女は、嬉しそうに皮袋の中身を布団の上に広げる。

「さぁて、どれだけ入ってるのかなぁ」

「はいはい。あまりはしゃがないようにね」

「はぁい」

 鼻歌交じりに銀貨の枚数を数え始めた彼女に注意を与えて、私は私が使っているベッドに腰を下ろした。

 随分と雰囲気の良いステージで、思わず踊りにも力が入っていたのだろう。

 誘われるように横になると、取り替えられたシーツの冷たさが頬に染みる。

「ドズルって文化人が少ないって聞いてたんですけど、そうでもなかったですね」

 想像以上に疲れていた体を横たえた私に、隣にいるステファニーが話しかけてきた。

 日頃から口数の多い彼女だけれど、昔の親友と同じように話しかけられることが嫌ではない。

「そうね。街の復興も早かったようだし」

 ステファニーにそう答えて、私はドズル公国を継いだと聞いた男を思い出していた。

 初めて会ったときの印象は、単純に貴族のお坊ちゃま。

 男嫌いの女剣士にしつこく言い寄り、本当に何故彼が解放軍にいるのかわからなかった。

 それでも戦争が続くうちに、彼の本性や考え方に触れるにつれて、私は納得していた。

 何故、ドズルの公子だった彼が解放軍に加わっていたのか。

 そして、彼があの少女に執着した理由を。

「公爵様が変わり種っていう噂、本当なんですかねぇ」

「さぁ、どうなのかしらね」

「宮廷楽士、募集してたらなぁ」

 ステファニーは宮廷楽士になることを夢見る放浪楽士だった。

 解放軍が解散して流れの踊り子に戻ってから知り合い、ここ数ヶ月ほどは一緒に旅をしている。

 流れの踊り子として彼女の腕はありがたいし、女一人での旅よりは二人のほうが何かと便利だ。

 それに一緒にいて気疲れしない道連れの隣は、流れの人間にとって居心地のいい場所だ。

「なかなかないわよ、宮廷楽士の職は」

「そうなんですよねぇ」

 彼女の腕は放浪楽士としては申し分ない。

 ただ、やはり我流で学んでいたせいか、宮廷楽士にはむかない弾き方をする。

 彼女の楽曲は、どちらかといえば大衆受けをするイントネーションを持っている。

 私があえてそれを口にすることはないけれど、いずれはどこかで伝える機会もあるだろう。

「小屋の楽士でもいいじゃない」

「でも、小屋の楽士だと学ぶことは少ないです。やっぱり、自分の知らない曲を学びたいんです」

 まだまだ発育途上の身体をもつ彼女は、その心根もまだ真っ直ぐに育っている。

 すでに峠が見え始めた私では、あと一年もすれば彼女の相手として不十分になるだろう。

 私にはその確信があったし、必要以上に彼女に助言を与えるべきではないと考えていた。

 それでもあえて小屋の楽士を勧めるのは、年甲斐もない老婆心なのだろうか。

「ねぇ、数え終わったの」

「はい。これ、姐さんの取り分です」

 いただいた報酬はきっちりと折半。

 それが私とステファニーとの約束だ。

「あら、随分と多かったのね」

 渡された銀貨の金額は、想像していたよりもかなり多かった。

 ドズルの騎士たちは随分と文化にお金を掛けるようになったらしい。

「イザークよりもお金だけはあるんですねぇ」

「言い過ぎよ、ステフ」

「はぁい」

 私がそうたしなめると、ステファニーは笑顔で小さく舌を出した。

 年相応の彼女の仕草を見ていると、私まで心が温かくなる。

「あ、そういえば聞きましたよ」

 銀貨を皮袋へ戻しながら、ステファニーが何気なく話を振ってきた。

「何を」

「今度、シアルフィの公爵様がご結婚されるって」

「へぇ」

「それで、結婚披露の祭りをするらしくって、今日のお客さんも見に行くらしいですよ」

 シアルフィの公爵。

 あの男だ。

 踊り子になった私が、初めて”さよなら”を告げた男。

「……姐さん、大丈夫ですか」

 随分と意識を集中させていたらしい。

 私の中にもぐるようにして顔を覗き込んでいたステファニーに驚いて、私はあわてて身体を起こした。

「急に黙っちゃって」

「そ、そう」

「何かあるんですか、シアルフィに」

 無垢な表情で尋ねてくるステファニーに、私は笑顔を取り繕った。

「昔ね、戦友がいたのよ」

「そっか。姐さん、解放軍にいたって」

「えぇ。シアルフィはとても牧歌的なところだそうよ」

「そうなんですか。行ってみたいなぁ」

「そうね。いい機会だし、大陸の西側にも足をのばしてみましょうか」

 もしかしたら、最後になるかもしれない長旅だ。

 老婆心からも、彼女に新しい世界を見せてやりたい。

 決して、これは私の願望ではない。

 あの男の妻になる女を見てみたいという、私の小さな願望ではないのだ。

「それじゃ、明日の乗合馬車の時間を聞いてきますね」

「そうね、お願いするわ」

 ステファニーが部屋を出て行くと同時に、私は小さくため息をついていた。

 どんなに否定しても、自分自身が嘘だとわかっている。

 あの男の妻を見たいと。

「……随分と惚れたものね」

 仰向けに寝転がり、私は視線を宙に浮かべた。

 耳に残る、男の声。

 最後に会ったときから、もう数年は経っている。

 それでもなお、忘れることができないあの声。

「断ち切るためにいくのよ」

 声に出して確認する。

 これは、ステファニーの成長を見守る旅だと。

 そして、私を捕えている過去の一時を忘却の彼方へ押し流す旅だと。

 

 


 

 ステファニーと一緒に乗合馬車を降りると、そこは噂に聞くほど長閑な田舎ではなかった。

 もちろん祭りのために人が集まっているということもあるのだろうけれど、単純な田舎町ではない。

 どちらかといえば地方都市のような、ある種の華やかさと寂れかたを見せる町だった。

「もう少し長閑なところかと思っていたけれど」

「まぁ、公国の首都ってこんな感じなんじゃないですか」

「そうかもしれないわね」

 もしかしたら、アルヴィス皇帝が支配していたときの名残かもしれない。

 シアルフィを開放した直後は、ドズルからの軍が迫っていたこともあって、それほど町も見ていなかった。

 だから、私の記憶の中にある町のほうが、イメージとして間違っているだけなのだろう。

「それにしても、すごい人ですね」

「そうね。先に宿を確保してしまいましょう」

「はぁい」

 馬車の待合所を離れて、大通りを歩く。

 結婚披露の祭のためか、周囲の商店も便乗した商いを展開していて、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 ただ、治安状態はそれほど悪くはない。

 わかる人間にはわかる平民の姿をしている騎士が、通りのところどころに見かけられる。

 自警団であろう、同じ服装をした男たちの姿も目に入ってくる。

「宿を確保するといっても、宿屋街はどこにあるんでしょうね」

「私も町を歩くのは初めてだから……あの人に聞いてみましょうか」

 自警団っぽい服装の男に話しかけると、彼は愛想よく私たちを案内すると言ってくれた。

 やや警戒して申し出を断ろうとすると、彼は代わりに地図を渡してくれた。

「ほら、この地図を見るといいよ」

「随分と準備がいいのね」

「オイフェ様が用意してくださったんだ。君たちみたいな観光客を見込んでね」

「へぇ。商売上手な公爵様ですね」

 商売上手というよりは、治安のためだろう。

 重点的に警備する地域を限定したほうが、少しの労力で済むこともある。

 何事にも合理的に物を考えたがる、あの人が好む手段だ。

「まぁ、こんなに人が集まることは滅多にないからね」

「結婚式、やっぱり華やかなんでしょうね」

「気になるのなら、教会に行ってみるといいよ。さすがに明後日からは立ち入り禁止だけど」

「あ、じゃあ、花嫁様のお姿は見られないんだ」

「いやいや、当日は開放されるらしいよ。式の準備があるから、二日ほど立ち入り禁止らしいや」

 いろいろと教えてくれた自警団の彼にお礼を言って、私たちは宿を目指した。

 シアルフィの収容人数がどれほどなのかは知らないけれど、早いうちに確保するに越したことはない。

 自警団の彼の情報では、結婚式は四日後。

 後夜祭も含めて一週間ほどでこの祭は終わるだろう。

「いやぁ、みんな親切ですねぇ」

「お国柄でしょうね」

「公爵様も慕われているみたいだし」

「そのようね」

 二軒目の宿で部屋を確保して、私たちは結婚式が行われるという教会を見に行くことになった。

 まだ夕食までには時間があったし、ステファニーがどうしても見てみたいと言ったからだ。

「教会なんて、滅多に見に行く機会なんてないですよ」

「教会の楽士にでもなれば、嫌でも毎日見られるわよ」

「結婚式の楽士は楽しそうですけど、葬儀の楽士は嫌だなぁ」

「まぁ、そういうのも含めての教会の楽士なのよ」

 すでに教会には私たちと同じような観光客がたくさん訪れていた。

 日頃から手入れされているのだろうか、花壇にも季節の花が整然と咲き誇っている。

「あ、あそこですね」

 人だかりができている場所へ足を向けると、庭師が熱心に石灯籠を設置していた。

 中央の草が刈り取られているところが、バージンロードということになるのだろう。

「随分と長めに歩かせるのね」

「お披露目ってことですかね」

「多分ね。まぁ、それだけ治安に自信があるのでしょう」

 聖戦が終わったからといって、まだまだ暗殺される可能性も少なくない。

 シアルフィ公爵夫妻を亡き者にしようとする者もいないわけではないだろう。

「この様子だと、あの噴水のところまで歩くんですかねぇ」

 ステファニーに言われて、バージンロードの終着点を目で追ってみる。

 綺麗に掃除された噴水が、今は滞りなく流れる程度に水を噴き上げていた。

 結婚式の当日には水圧を上げて、綺麗な虹を作り出すのかもしれない。

「随分と凝ってますよねぇ」

「好きなんでしょ、公爵様が」

 どちらかと言えば実直という印象があったけれど、あの男だって貴族の生まれだ。

 私の常識とあの男の常識は随分とかけ離れている。

 もちろん、ここまで大袈裟に結婚式を執り行うには、あの男なりの政治的判断も含まれているはずだ。

 そこまで姑息な計算ができるぐらい、あの男はしたたかで予測のできない男だ。

「さぁ、そろそろ行くわよ」

「姐さん、あっちの方も見ていきませんか」

 来た道を引き返そうとした私の腕をつかんで、ステファニーが噴水の向こう側を指差す。

「新しい家を建てているだけでしょう」

「でも、妙に簡単な造りですよ。それに、一つ一つの区切りも小さいし」

「はいはい。見に行きましょうか」

 ステファニーが引っ張られるようにして作業をしている男たちのそばへ行くと、威勢のいい声が聞こえてくる。

 随分と活気があるというよりは、やや柄の悪い感じだ。

「おい、そこはもう少し間を空けろ。人が通れるぐらいじゃいけねぇぜ。もっと広くだ」

「へい。親方、屋根はどうするんで」

「雨なら式も延期だろ。もったいねぇから空けとけや」

 中央で式を取る髭面の男が、そばで眺めていた私たちに気付いた。

「よぉ、お嬢さん。悪いが、危ねぇから離れて見ててくんな」

「すみません」

 頭を下げて、私たちは素直に後ろに下がった。

 どうやら、少し頑丈な屋台の骨組みを作っているようだ。

「屋台の骨組みを組んでいるようね」

「おぅよ。式の前日には屋台をズラリと並べる予定よ。しっかり稼がねぇとな」

「行きましょう、ステフ。また式の前日に来ることにしましょう」

 教会から戻る道で、私とステファニーは明日の稼ぎ場所になりそうなところを何箇所か確認した。

 人通りが多過ぎるところは避けつつ、それなりに往来がある場所。

 できれば街道が広くとられていて、立ち止まって見やすい場所。

 ただし、一から作り直した街道ではない分、なかなか適当な場所は見当たらなかった。

 それでも何とか当たりをつけて、私とステファニーは旅の疲れを癒すために早々に床に就いた。

 

 


 

 ステファニーと相談して、新たに作り上げた踊りはシアルフィの民にも好評だった。

 特にステファニーに頼んだ旋律は、今までにない彼女の良さを引き出すことができた。

 調子に乗りすぎて、人が集まり過ぎたのは少し想定外だったけれど。

 それでも、私たちに降り注いだ拍手の大きさは心地よかった。

「いやぁ、最高でしたね」

「そうね。でも、夕方は町へ行かないほうがいいかもしれないわね」

 昼食をとる時も、人ごみを掻き分けながら宿にたどり着いたのだ。

 夕方に同じ場所へ行けば、今度は通りを遮断させてしまう可能性もあった。

 わずかな路銀を稼ぐつもりが、まるで青空小屋みたいになってしまったのだ。

「今から酒場を探すのは難しいかなぁ」

「宿のご主人に紹介してもらいましょうか」

 午前中の踊りが終わってからも、ステファニーは楽器を放そうとしていない。

 私の手足が踊りたがるときのように、楽器が奏でろと騒いでいるのかもしれない。

 それを思うと、何とかしてもう一ステージは組んであげたいところだ。

「あの……お客さん」

 遠慮がちなノックの後で、宿のご主人が顔をのぞかせた。

 少し肌蹴ていた衣装の裾を手で直して、私は笑顔を浮かべた。

「あら、何か用かしら」

「お客さんに用があるという男の方が」

「さぁ……シアルフィには知り合いはいないはずだけれど」

 私がそう答えると、宿のご主人が丁寧に頭を下げてきた。

「身元は保証できます。自警団のまとめ役をしてくださってる方のところの奉公人でして」

「自警団……何かあったのかしらね」

「辻での踊りはやめなさいってことかな」

 私の呟きに、ステファニーが心配そうに私を見てきた。

 自警団のまとめ役なら、突発の興行に対して注意を与えておきたいのかもしれない。

 もしくは、単にどこかで朝の踊りを見ていて、私たちを呼びたくなったのか。

 どちらにしても、別に危険はないだろう。

「そうですね。案内してもらいます」

「助かります。奉公人は下で待たせてありますので」

「わかりました。すぐに行きますわ」

 念のために踊りに必要な道具を手に、私たちはまだ若い男に連れられて宿を出た。

 辻を歩いている最中も、男は何かと周囲に視線をやっていた。

 職務に熱心なのか、元々そういう性格なのかはわからないけれど。

「それにしても、どこに行くんでしょうね」

「さぁ……わからないわ」

 男の足は決して速くはなかったけれど、それなりの距離を歩いている。

 特に曲がりくねったり同じ道を歩いたりすることもなく、街の反対側へ向かっているようだ。

 少しずつ商家が少なくなり、屋敷と呼んでも差し支えないほどの家が増え始めた。

「あの、どこまで」

「はい、ここです」

 タイミングよく、男が足を止めた。

 旧家と呼んでいいだろう。戦争の傷跡さえ見える屋敷の前で、私たちは足を止めていた。

「随分と大きな家ですね」

「シアルフィでも有数の薬を扱う商家です。旦那様に、貴女方をお連れするように言われました」

「舞を舞えということですか」

「わかりません。とにかく、中へ」

 男の案内で、屋敷の中に足を踏み入れる。

 どこからか漂ってくる漢方の匂いが、男の言葉を証明しているようだ。

「薬問屋ですね」

「そうね。戦争で急成長したという感じは受けないけど」

 屋敷の空気だけは、ごまかすことができない。

 随分と昔から薬を扱っていることだけは確かだ。

 壁に染み付いた汚れや匂いだけは、どんなに偽装してもわかるものだ。

「こちらです」

 明かりのともされた部屋に案内された私たちは、いつものように平伏してから顔を上げた。

 正面の上座に座っている男の右腕は、不自然に袖が垂れ下がっていた。

 男の隣に座っているのは、おそらく男の妻なのだろう。

 私たちを見ながら、目を細めて微笑んでいるように見えた。

「お招きいただき、ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ、突然お呼びして申し訳ございません」

「私たちに御用とは」

「もう、公爵様の結婚披露の祭りについてはご存知でしょうか」

「はい。教会の準備を拝見いたしました」

「では、こちらへは観光のために」

「人が集まるところで踊ることが、私たちの仕事ですから」

 受け答えをしながら、目の前の男は商人ではない気がしてきた。

 所作の一つ一つが角張っていて、どちらかと言えば兵士や騎士の動きに近い。

 丁寧な口調も、男の本質なのだろう。

「それでは話が早い。前夜祭のステージを、貴女方にお願いしたいのです」

「それは……随分と大きなお話ですね」

 シアルフィともなれば、宮廷お抱えの踊り子などもいるだろう。

 城下で興行している踊り子だっているはずだ。

 それを何故、流れの踊り子と一目でわかる私たちに白羽の矢を立てるのか。

「不躾な話で申し訳ない。もちろん、何組も踊るうちの一つとなりますが」

「何組も踊るのですか」

「前夜祭のステージを任されましてね。あまりに突然のことで、正直なところ、人手が足りません」

「それで、そのうちの一つに私たちを」

「見たところ、なかなかの腕前。そちらの楽士の方も、まだお若いのに腕は確かそうだ」

 男の視線は真っ直ぐに私たちを捕えている。

 このまま睨み合ったとしても、時間を無駄にするだけの気がしてならない。

 それだけの強さと信念を持った眼差しだった。

「踊りとは、どのような形で」

「時間を決めて、各組に踊っていただきます。一日踊るのですから、一組だけでは場がもたないので」

「なるほど。臨時のステージというわけですね」

「そう考えてもらってかまいません。企画した者が、少々変わり者の浮かれ者でしてね」

 そう言うと、男は初めて表情を変えた。

 苦笑しているようで、達観しているようなそんな表情だ。

「報酬としては、ここでの滞在費に色をお付けする程度ですが」

「それは、現金で支払っていただけるのですか」

「もちろんです。商売の基本ですから」

「姐さん、やりましょう」

 ステファニーの言うように、悪い話ではない。

 目の前の男だって、信じられる男だ。

 問題があるとすれば、目立ってしまうことぐらいか。

「ここだけの話、街道で貴女方に踊られては、こちらとしても集客に差し障りますからね」

「お褒めの言葉として受け取っておきます」

 商売の損得も考えて、勝手に踊られるよりはと考えたのか。

 私たちにしても、今日のように街道を止めてしまうことになると規制の対象になりかねない。

「わかりました。お引き受けします」

 私たちがそう言って頭を下げると、男からも深々と返礼された。

 商人としての所作というより、男の性格だろう。

 実直を絵に描いたような男だが、案外、妻のほうが店を取り仕切っているのかもしれない。

「貴女方のお名前を伺っていませんでしたね」

「踊り子のレイリアと申します」

「楽士のステファニーです」

「レイリアさんにステファニーさんですか。私はこの家の主人、ノイッシュと言います」

 ノイッシュと名乗った男に請われて、私たちはその日の夕食を共にした。

 男の妻が話す話はとても興味深く、男はそれを楽しげに聞いていた。

 

 


 

 舞台そのものはいつもと変わらない。

 いや、いつもよりも整った環境でできたと言っていいだろう。

 どんな複雑なステップを踏もうとも、どんなにゆっくりと爪先を滑らそうとも、バランスを保つことが容易だった。

 整えられた劇場だけで見せることができた、全力での舞い。

 少し上気した頬をステファニーに見咎められるほど、今日の私の出来は自賛できるものだった。

「いやぁ、いい場所ですね」

「……そうね」

 それなのに、白い衣装を着たままの私の気持ちは暗く沈んでいる。

 主催者に用意された、出演者用の見学席。

 それはバージンロードのすぐそばにあった。

 一等席といっても過言ではないところのよりにもよって一番前に、私たちは陣取っていた。

「あ、これ食べませんか」

「ありがとうございます」

 ステファニーを気に入った別の一団の楽士が彼女をかまってくれているのは、不幸中の幸いだ。

 どうしてこのような場所にいなければならないのだろう。

 このままではあの男でなくとも、私がいることに気付いてしまう。

 下手をすれば、教会の扉のところに用意されている来賓席にいる貴族たちでさえ気付く。

 それだけは何としても避けたかったというのに。

「姐さん、疲れてるんですか」

「えぇ、少しね」

「これ、甘くて美味しいですよ」

 そう言って、ステファニーがもらったばかりの果物を渡してくれた。

 どうせなら、帰りましょうかとの一言が欲しかったけれど。

 でも、ステファニーのことを思えばここを動くわけにもいかないだろう。

 せっかく出来たつながりを断ち切らせてしまうのも、私の本意ではない。

「お、始まりましたね」

 教会のパイプオルガンの音が鳴り始めた。

 中で行われていることを見ることは出来ないが、あと三十分もすれば中からあの男が出てくるのだ。

 私が見たいと思う新婦を、その隣に控えさせて。

「中は見えないんですね」

「当たり前よ。中にいる、呼ばれた貴族たちだけでしょう」

「多分ね。あの空いている場所に中の人たちが出てきたら、そろそろってことじゃないかしら」

 周りと一緒になって新婦を詮索する気にはなれなかった。

 当たり障りのない返事だけを返して、いつしか、私の視線は釘付けになっていた。

「あ、出てきた」

 あの目立つ金髪はアレス王だ。

 その隣にいるのは、私とともに踊ったことのある少女。

 あの子の意識は扉へ向けられているようだから、私には気付かないだろう。

 緑髪の少女がいる。隣にいる銀髪の青年と二人、相変わらずのようだ。

 前に会ったときよりも格段に姿形は成長している。とはいえ、こちらには視線を向けていない。

 盗賊娘の姿が見えない。呼ばれていないのだろうか。

 さすがにセリス皇子は外まで出てこないのだろうか。金髪の少女の姿も見えない。

 あの独特な衣装を着ているのはラクチェか。随分と女性らしくなった。

 それでも隠し切れない武人としてのオーラは、これだけ離れていても感じられる。

「あ、れ」

 扉が開き、音楽が荘厳に鳴り響いた。

 扉が開いて少ししてから、先導役の子供たちがゆっくりと出てきた。

 先導役の二人が手にしているのはシアルフィの国旗だ。

「あれが公爵様」

「違うわよ」

 間抜けなステファニーの後頭部を小突いて、私は息を呑んだ。

 影から出てきたあの男を見た途端、私は息をすることさえ忘れた。

「どうして」

 どうして、こんなにも涙が出てくるのだろう。

 悔しくてたまらないとでも言うの。この私が。

 愚かな夢をまだ見ていたとでも言いたいの。

「あれ、あれあれ」

 周囲がざわつき始めていた。

 身を乗り出してしまったステファニーの両肩を手で押さえつけながら、私は涙が引いていくのを感じた。

「……誰もいないよね」

「正直者にしか見えないんですかね」

 パフォーマンスか。

 たった一人で、あの男は堂々と階段を下りてくる。

 不思議なのは貴族たちの行動だ。

 何故あのラクチェまでが祝福をしているのだろう。

 あの少女は、政治的判断などお構いなしに直情的な行動をする娘だった。

 それが笑顔で祝福するなんて、どうかしている。

 それとも、何か事情があって后だけは中にいるというのか。

 いや、それでは何のためにこのような場所が設定されたのか説明がつかない。

 何だ、何がおきている。

「国と結婚したとか、そういう意味なのかしら」

「へぇ。随分と固い人なんですね」

 ステファニーたちのささやきを聞きながら、私はその考えを頭の中で否定した。

 あの男はそれほど生易しい男ではない。

 あの男は狡賢い男だ。

 決して見栄や酔狂で動く男ではないのだ。

 ゆっくりと歩いてくるあの男は、周囲に笑顔で手を振っている。

 見た目には素晴らしい公爵様だろう。

 思慮深く、国と結婚するという意志の固さまで民衆に知らしめる。

「違う」

 頭の中に、警告が響く。

 この場所にいては、取り返しのつかないことに巻き込まれる。

 スッと立ち去ろうとした私は、すぐ背後から発せられた殺気に身体をひるませた。

「ゴメンね、レイリア」

「パティ……」

「逃がすなって言われてるの」

「こんな場所で刃物でも振り回すつもりなの」

「観念してよ。脱走中の公爵夫人」

 パティに言われて周囲を確認すると、ほぼ私を囲むように、何人かが私のほうを見ていた。

 揃いの制服は騎士のものだ。それも一人や二人ではない。

 これほどの数が潜んでいたのか。

「悪いけど、レイリアの危険察知なんて素人に毛の生えた程度よ」

「そのようね」

「盗賊や本物の隠密相手に、かなうと思わないでよね」

 何故、私を逃がさないつもりなの。

 そこまでして、私をここに止めておく理由。

「まさか」

「言ったよね、公爵夫人。オイフェ様は黒いって」

「どこまで」

「さぁ。とりあえず、あのノイッシュって商人はオイフェ様の部下よ」

「まさか。確かに兵士だった名残はあったけれど、間違いなく商家だったわ」

「前の聖戦で騎士団を辞したらしいよ。もっとも、今も自警団の団長さんだけど」

「ステフは。楽士たちは」

「そこまで手がまわらないわよ」

 私たちのやり取りは、ステファニーの気付くところになった。

 楽器を手に、ステファニーが私の様子を窺がっている。

「姐さん、その人は」

「昔馴染みよ」

「そういうこと。さぁ、時間はないわよ」

 やけに楽しそうに話すパティに、私は背後からの視線を感じた。

 あの男のものではない。緑髪の天馬騎士だ。

 それだけではない。かつての仲間たちが、私を見つめていた。

 そして、近づいてくる中身の黒い男。

「ガラスの靴は必要かな」

「狼に履かせていただくほど、優雅な足ではございません」

「素足で駆ける草原の少女か」

「少女と呼ばれるには、いささか抵抗がございますね」

 足を止めた性格の悪い公爵と、やり取りをする平民の私。

 自然と視線が集まってくる。

「垣根は自分で越えるかね。それとも、引きづり出されるのがお好みかな」

 そう言って、白い服装をした男が私の前のロープを視線でなぞった。

 つくづく、嫌な男だ。

 どこまでが策略で、どこまでが偶然で、どこまでが用意された道なのかもわからない。

 そして、私は嫌な女だ。

「軽やかに跳んでみせましょう」

「では、すぐに」

 私はステファニーたちがよけて出来た空間を目一杯に使い、仰々しく礼をした。

 まずは目の前の新郎に。

 そして、ステファニーに。

 そして周囲から視線を投げかけてくる観衆に。

「皆様、随分とお待たせいたしました」

「あ、姐さん」

「ありがとう、ステフ。ここから先は、私だけのステージよ」

 ステファニーに別れを告げて、手を差し出してくれた私の夫となる男の隣に並ぶ。

 何故か心が軽い。

 好きなんだ、オイフェ様が。

「君が望むなら、一度教会に戻りたいのだが」

「途中からのバージンロードがお似合いですから」

 貴方を国から奪った悪女がいたとして、いい伝聞になるだろう。

 シアルフィの公爵は遊女に狂ったと言われてもかまわない貴方なら、それさえも上手く使うはずだから。

「まずはこのまま噴水まで」

「踊り進みましょうか」

「ワルツでならかまわないが」

 オイフェ様がそう言うと、シルクを極限まで薄く紡いだストールが私の肩にかけられた。

「馴染まないかもしれないが、私からの贈り物だ」

「身に余る光栄……とでも言うべきでしょうか」

「いや、踊り破いてくれてかまわない」

「ならば、踊ってこの布の素晴らしさを伝え広めましょう」

 ステップを踏み、彼の周囲を踊る。

 初めて手にした薄布は、まるで長年の相棒のように私の手に馴染んだ。

 いつの間にか鳴り始めていた音楽が、私の踊りを加速させていく。

 視線をやると、ステファニーは楽器を握り締めて私を見つめていた。

 指先で誘うと、彼女が意を決したように旋律を奏で始める。

 一瞬でコピーをしたのか、楽隊と同じ旋律を奏でる彼女は、たいした才能の持ち主だ。

 ところどころでズレる音色が、私に彼女の存在を教えてくれた。

「さて、行こうか」

「はい」

 私が一際大きく跳ね上がり、オイフェ様が手を挙げた。

 音楽が鳴り止み、私たちはゆっくりと静かに残りの道を歩き始めた。

 いつか、この道にふさわしい自分であったと胸をはれるようになるのだろうか。

 ざわつく周囲の雑音をかき消すことなく、私の隣の男は前を向いたままささやいてくる。

「結婚してくれないか」

「随分と遅いプロポーズですね」

「返事を聞かせてもらえないか」

「噴水の前で足を止めてください」

 噴水の前で足を止めたオイフェ様に、私は目一杯伸びをして唇を寄せた。

 重ねられた唇を、私は娼婦のように深くくわえ込む。

 楽隊がやかましく楽器をかき鳴らす。

 呼吸を整えるために身体を離した私を、かつての戦友たちが取り囲んでいた。

 手にしている生米を、今にも投げつけんとして。

「随分とお待たせいたしました」

 深く頭を下げ、式を抜け出していた失礼を詫びる。

 一番先頭に立っていたラクチェが、ニヤリと笑ってくれた。

「手荒な祝福は覚悟の上よね」

「ご随意に」

「結婚、おめでとうッ」

「おめでとう」

 一斉に降り注いだ白い光をともに浴びてくれたオイフェ様は、いつもよりも幼い表情をしていた。

 無意識のうちにしがみついていた私を強く抱き返しながら、オイフェ様は笑っていた。

「レイリア、君を愛している。今までも、これからも」

 言葉にならずに涙を流そうとした私は、涙をすべて使い切ってしまっていたらしい。

 自分でも驚くほどの笑顔で、私は彼を求めていた。

 

<了>