炎ノ華
炎華師。
炎を統べるヴェルトマー家において、その称号を得ることは宮廷魔道士になることよりも難しい。
歴代のヴェルトマー公爵家の当主でさえも、その資格を得た者は両手の指で足りるほどでしかない。「アーサー、何を読んでるの」
「ん……魔術書」
「こんな天気のいい日に部屋にこもるなんて、あたしには魔術師が理解できないわ」
戦闘もなく、戦況も緊迫した状況でない天気のよい昼下がり。
フィーが昼食後に部屋を訪れた相棒は、部屋に一つしかない椅子に座っていた。他のすべてを遮断するかのように本に集中し、フィーの存在を気にもとめない。
そこまで気を許されているという嬉しさよりも、本を優先されたことが彼女の癇に障った。少し足を伸ばせば街に行けるということもあり、親しい人間の中には恋人と街へ繰り出した者も多い。
フィーも相棒を伴って街へ出かけようと考えていただけに、アーサーの様子に、やや落胆の色を隠せない。「何の魔道書なのよ」
「華師」
「花師って、アーサー、戦争が終わったら農家でもやるの」
「農家になるつもりはない」
「だったら、花の育て方なんて読んでも意味ないじゃない。大体、どうしてそんな魔道書があるのよ」
ベッドに腰を下ろしたフィーの言葉に、アーサーは小さくため息をついた。
何でも言い合える仲になったのはいいが、それでも感覚のズレは平行線のままだ。「何か誤解があるみたいだな」
「いや、アーサーがおかしいのよ」
「花は花でも、魔道の花だ」
「もしかして、劇薬でも作るつもりなの」
「魔力で花を作るんだよ。ヴェルトマーでは、それをできる魔道士を華師と呼ぶんだ」
そう言うと、アーサーは手近にあった紙に華師と書いた。
字を見たフィーが、認識の違いを認識する。「普通の花じゃないのね」
「そのとおり。これが意外と難しいんだ。
炎は不定形で常に変化するものだから、それにある一定の形を保たせることが第一の関門。
そこから造形をするという第二の関門につながる」「まぁ、何となく大変なんだってのはわかった」
そういって肩を竦めるフィーに、アーサーは魔道書を閉じた。
これ以上落ち着いて読むことは不可能だと判断したからだった。「あのアルヴィスでさえ、華師の称号は得ていない」
「それってものすごいわね。アルヴィスって、百年に一人の天才だって聞いたわ」
「まぁ、アルヴィスは実用的でないことにはこだわらない性格だったらしいからな。
炎の花が作れたからといって、戦争に勝てるわけでも政治を動かせるわけでもない」炎の花は、魔道士にとっては己の魔力と魔術の粋を尽くした芸術作品だ。
そこに生産性はなく、他人にとっては何の価値もない。「じゃあ、何でアーサーはそれを研究してるわけ」
「父上の日記を読んでいるときに知った」
「それじゃ、父親の背中を追ってとか、そういうのなの」
「いや、できるだろうと思ってやってみたら難しかった。悔しいから、研究してる」
まるで子供のような理論の組み立てに、フィーが大きくため息をついた。
彼女にしてみれば、アーサーの意見は子供のつまらない意地と同じだった。「魔道士ってのは、どうしてこう子供っぽいのかしら」
「レヴィン様やお前の兄だってわかると思うぜ。別に、魔道士は人を殺す魔法ばかり練習したいわけじゃない」
手にしていた日記を手荷物を入れるバッグの中に大事そうにしまいこんで、アーサーは背筋を伸ばした。
「そりゃま、あたしだって人を殺したくて剣を学ぶわけじゃないけど」
「魔道士も同じだな。元々、自分の探究心を満たすためだけに人生を使いたいような人種なんだよ。
ただ、誰かにできるのなら俺もやりたいってだけさ」「それで、できるの」
「まぁ、我流だけどな」
そう言うと、アーサーは目で見たいと訴えているフィーに応えるため、いくつかの炎を浮かべた。
かしこまったフィーの目の前で、次々と炎の形を歪めていく。「……こんなもんだな」
「まぁ、花には見えなくもないけどね」
アーサーが作り出した炎の花は、どちらかと言えばシロツメグサに似ていた。
小さな花を集めて一つの花に見せる手段は、アーサーにとってもまだ不服が残る部分らしい。
フィーの言葉に、アーサーはさっさと炎の花をかき消した。「しかるべき場所で気を練れば、もう少し綺麗にはなる。まぁ、俺ももう少し綺麗な花を見たことがある」
「でも、それじゃあ華師の称号ってやつはもらえないわけ」
「いや、もらえるだろうな」
アーサーの言葉に、フィーがカクンと体勢を崩した。
「あのさ、もらえるなら研究なんていいじゃないの」
「噂に聞いたんだ。花弁を一枚一枚丁寧に造形できた、天才と呼ばれる魔道士がいるってね」
「眉唾ものじゃないの」
「素性や出自はわかってるんだ。あの男なら、未だかつてない炎の花を作り出すことも可能かもしれない。
現に、その男の母親は、見事な炎の華を作り出せる華師だった」「だったら、その人に聞きに行きなさいよ」
「生きてるかどうか、わからないんだ」
「随分と昔の人なの」
「俺と歳は変わらないはずだ」
「随分と若いのね」
「十代で公爵と宰相になった両親にできた、史上最年少で華師の資格を得た稀代の天才魔道士だ」
そう言ったアーサーの瞳には、どこか嫉妬めいた光が浮かんでいた。
「ふぅん。それで、負けたくないんだ」
「負けるとか勝つとかじゃない。ただ、純粋に追いつきたいんだよ。それにこれは、俺たちの意地だ」
そう言うと、アーサーは父親の日記を入れたバッグへ視線を向けた。
親子二代に渡って目標を親の違う兄とする、アーサーの拠りどころへと。「なぁ、父さん」
<了>