二人きりになるため
解放軍の盟主であるセリスも含め、バーハラの悲劇の遺児たちの中には、まだまだ年若い者たちが多い。
オイフェやシャナンといった年長者でさえ、バーハラに散ったかつてのシグルドたちよりもまだ年下である。
困難に立ち向かうことで、飛躍的に日々成長していく彼らの若さは際立っている。日頃はその責務を強い精神力と溢れんばかりの生命力で跳ね除けている彼ら。
それでもやはり、精神的な疲労や体力的な消耗は目に見える形で蓄積されていく。オイフェは彼らの現状をよく理解し、定期的に戦術面を度外視した休息をとることにしていた。
若い時期にありがちな迷いを取り除くためにも、彼らのガス抜きをすることを忘れなかった。実際にその提案をするのはレヴィンであることが多く、彼の趣味から酒を振舞う宴席でガス抜きをすることが多い。
ダーナを解放したその晩、解放軍の主力メンバーたちはレヴィンの呼びかけで酒宴が開かれた。
解放軍の主力たちは、いくつかのテーブルに固まって、他愛のない話に花を咲かせていた。「うーん、いい味だわ」
すでに軽く出来上がっているフィーが、ダーナ城解放の戦利品として手に入れたワインを傾ける。
隣ではビールのジョッキを手にしたラナが、奥のテーブルでシャナンを取り合っている幼馴染に視線を向けていた。「ラナ、何を見てるの」
「あぁ、ラクチェとパティよ」
「また、シャナン様を取り合ってるわけ」
「まぁ、本人たちはそのつもりなんでしょうけどね」
そう言って、ラナがクスリと笑う。
傍目から見ても、二人の間に挟まれたシャナンは虚ろな微笑を浮かべていた。
そして、左右から注がれるお酒を機械的に処理し続けている。「あれじゃ、まだ遊女小屋の遊女のほうが気を引けるわね」
「確かに。まだまだお子様なのよね、あの二人は」
ラクチェとパティを見たフィーがそう言いきり、ラナが興味深そうにフィーへ視線を移した。
「随分と言うのね」
「何よ。ラナだって、そう思ってるでしょ」
「まぁね」
そういって肩を竦めてみせたラナに、フィーが意地悪そうな視線を向ける。
「ラナだって、そう変わんないんじゃないの」
「そうでもないわよ」
「今日は、でしょ」
フィーの指摘するように、ラナもラクチェたちと変わらないようなことを、つい先日まではユリアと繰り広げていたのだ。
セリスを挟んで静かな火花を散らしあう二人は、解放軍の誰もが一度は眼にした光景だった。「卒業したの」
そう言って、ラナが左手を見せ付ける。
その薬指には、控えめなシルバーのリングが光っていた。「何よ。そんなリング一つで信じられるってわけ」
「ペアリングよ。二人で、この前の街で選んだの」
「そうかしら。セリス様はしてなかったみたいだけど」
「チェーンにつけてるの。剣を持つとき、気にならないようにしないといけないし」
ラナの言葉で、フィーはユリアと楽しげに飲んでいるセリスの首元に視線を凝らした。
遊撃と偵察で鍛えられたフィーの視力は、セリスの首元に光るチェーンをしっかりと認めた。「へぇ、なるほどね」
「そういうこと。今日はユリアに譲るってことよ」
「随分と余裕を見せつけちゃって」
「ま、当然の結果だけどね」
ラナの言葉に、フィーはグラスの中身を呷った。
意図的に見ないようにはしたものの、セリスの隣にいる緑髪の男が、彼女の精神を刺激していたのだ。「それにしても、フィーってお酒が強いのね」
「雪国の人間はね。両親も強いから」
ラナの指摘するように、フィーのペースは速い。
ジョッキの中身がそれほど減らない彼女に対し、フィーのグラスの中身はそれほど間を置かずに入れ替わっていた。「まぁ、それに今日は飲みたい気分なの」
フィーは人見知りをする性格ではない。
むしろ交友関係は広く、誰とでも打ち解けられる明るさを持っている。
こういう場で、こうして誰かと二人きりで飲むということは少ないほうだ。「何かあったの」
「実はね、お兄ちゃんらしき人がこの街にいたって噂を聞いてたんだけど、まったくの別人だったのよ」
「そう。レヴィン様に相談すればいいのに」
「冗談。あの冷血漢には息子なんていないのよ。もちろん、娘のあたしだってね」
吐き捨てるようにそう言ったフィーに苦笑して、ラナがジョッキに口をつける。
しかし次の瞬間、ラナはビールにむせていた。「フィー、後ろ」
「やっ、ちょっと」
二人にまったく気配を悟らせずにフィーの背後に出現したアーサーが、だらしなく両腕をフィーの前へと垂らす。
思わず身をよじったフィーが、ぐったりと体重をかけてきたアーサーを支えなおす。「どうしたのよ」
「いいじゃん。重いか」
「重いに決まってるでしょ。ほら、早くのきなさいよ」
「やぁだ。フィーちゃーん」
「もぅ、いい加減にしないと、口聞いてあげないわよ」
「怒ってるの」
「当たり前でしょ。ラナの前で、いきなり何なのよ」
「誰に怒ってるの」
「アーサー、アンタに決まってるでしょ」
「俺だけ」
「アンタだけよ」
スッと身をかわしたフィーという支えを失って、アーサーがだらしなく背もたれにもたれかかる。
「情けない。酒に飲まれちゃって」
「だってさぁ、フィーが相手してくれないんだもん。セリスもセリスで、キラキラ見せびらかしちゃってさぁ。
知ってるかい。アイツ、凄く根性悪いぜ。戦場でもずっと胸元押さえてやがるんだよ」「見せびらかすって、リングのこと」
「そ。珍しく上機嫌でさぁ……と、ヤバイヤバイ」
アーサーはそう言うと、パッと上体を起こした。
間一髪で、アーサーの隣を鋭い風が駆け抜けていく。風を感じたフィーがこの場で唯一、アーサーに風魔法を行使できそうな人物へ視線を向ける。
紛れもなく父親の目をした男が、鋭い眼光をフィーの隣の男へ向けていた。「まったく……そろそろ部屋に戻るかな」
肩を竦めて、そそくさとアーサーが退散する。
フィーに視線を戻したラナは、フィーの胸元に先程までは見られなかった輝きを見つけていた。「フィー、アーサーって酔ってなかったんじゃないの」
「え……あ」
胸元に光るブローチに手をやったフィーは、それが何を意味するのかに思いを巡らせ、一つの結論に達した。
「そう言えば、誕生日だったわ」
「フィーの」
「うん」
何を言われるでもなく、それでもしっかりと主張している誕生日の贈り物。
フィーはやや呆れながら、グラスをテーブルの上に置いた。「まったく、素直じゃないんだから」
「いってらっしゃい」
「お礼だけ言ってくるわ」
そう言って席を立ったフィーの足取りは、ラナにはとても軽そうに見えた。
<了>