願い


「……アーサーさん」

「何ですか、ユリア皇女」

 バーハラの開城とセリス軍の勝利を祝うために開かれた祝勝会。

 セティが父親を探しに出掛けて一人になっていた俺に、バーハラ開城の功労者が話しかけてきた。

「少し、お話しても」

「構いませんよ。場所、変えますか」

「そうですね……お願いします」

 ユリア皇女を連れて、広間を抜け出す。

 廊下にはまだ戦いの爪痕が色濃く残されているが、俺は気にせずに歩を進めた。

「アーサーさん」

「さて、どこで話しましょうか」

「その、それほど離れなくても」

「では、この部屋で」

 俺は手近な部屋の中に入り、部屋のバルコニーへと出た。

 満月に近い月が、バルコニーの手すりに付いていた血を薄く照らしだす。

 ユリア皇女は部屋の中で、月明かりからも隠れるような位置に立っていた。

「アーサーさん」

「はい」

「もしもです……もしも私を殺して欲しいと言えば、殺してくれますか」

 皇女の言葉に、俺は軽くため息をついた。

 何を言い出すかと思えば、殺して欲しいときたもんだ。

「どうして、俺なんですか」

「いえ……アーサーさんなら、私の求める答えを出してくれそうで」

「死にたいんですか」

 単刀直入に尋ねると、皇女の表情が硬くなった。

 固まるくらいなら、死ぬなんてことは口に出さないほうがいい。

「俺なら、貴女を殺すとでも」

「いけませんか」

「いけないも何も、貴女を殺すということはセリスを敵にまわすことになる」

「不可能ですか」

 帝国を継ぐセリスにケンカを吹っかけるなら、もう少しマシな理由でお願いしたい。

 あの男が溺愛している妹を殺すために対立するなんて、バカの極みだ。

「大体、俺は何の理由もなく他人を殺したりしませんよ」

「私の中の龍を殺して欲しいのです」

 そう言って真っ直ぐな視線を向けてくる皇女に、俺は口許に浮かべていた微笑みを消した。

 ほんの少し入っていたアルコールが抜けるのと同時に、心が冷めていくのがわかる。

「……暗黒龍、ね」

 嘘ではない、のだろう。

 ユリウス皇子と二卵性双生児だった皇女なら、考えられる話だ。

 そして、聖者の血を受け継ぐ彼女が、そのことに気付いていることも。

「俺なら、貴女を殺せるとでも」

「はい」

「俺の魔力じゃ、貴女は殺せないだろ」

「魔力だけで頼むなら、セティ様に頼みます」

 声の震えが、逆に皇女の台詞に真実味を増していた。

 しかし、だからといって引き受けるわけにもいかないが。

「だったら、俺に頼むなよ」

「アーサーさんなら、私を殺せます」

「断言するなよ」

 正直なところ、皇女の頼みを引き受けるのは簡単だ。

 皇女を殺す理由さえあれば、俺はいつでも覚悟を決められる。

 龍を蘇らせないためというのなら、この手を血に染めてもいい。

「だって、貴方の顔がそう言っています」

「……だろうな」

 真っ直ぐな視線を瞳の奥に受け流す感じで、俺は皇女を見つめていた。

 月明かりに浮かぶその表情は、憂いの歌姫レイリアをして陶器製の人形と言わせるほどの完璧さを誇る。

 陶器製と呼ばれるほどに、皇女からは危うい脆さを感じられるのだ。

「まったく、面倒な従妹だ」

「お父様に聞きました。貴方が、従兄だと」

「その従兄に、世界を敵にまわせというのかよ」

「はい。貴方なら、世界を敵にまわしてでも本懐を遂げる」

 信じきった瞳。

 疑うことを知らない、無垢な瞳。

 これが皇女だ。

 仮面を必要としない、真に強い者だけが持つ心。

 俺とは違う。

 仮面を被り続け、他人を欺き続けた俺とは……違う。

「後悔、しないのか」

「しません」

 俺がゆっくりと手を伸ばすと、皇女がまぶたを閉じた。

 ゆっくりと喉に食い込ませた指に、皇女の極めの細かい肌がまとわりつく。

「……お願いします」

 俺が動きを止めると、皇女はそう言って俺を誘う。

 だが、俺にこの場で殺す気はなかった。

 いつでも殺せるのだ。

 皇女が死にたがる限りは。

「今はまだ、預かりますよ」

「預かる……」

「貴女の龍が出てきたとき。それが俺のスイッチだ」

「アーサーさん」

「それまで、皇女は生きなきゃいけない。アルヴィスの娘としてね」

 そう言うと、俺はゆっくりと食い込ませた指を放していく。

 そして、いつもの仮面を身につけた。

「それに、死んだっていいことなんて何もないさ」

「でも……私の中には」

「龍が目覚めたら、すぐに俺のところに来ればいい。それまでは、好きに生きればいいのさ」

 そう言うと、俺はユリア皇女の手を引いた。

 月明かりの下に出てきた皇女の顔は、より一層、青白い光を放つ。

「明かりの下で笑えない人生なんて、悲しいだけだろ」

「アーサーさん」

「笑え。笑顔を忘れた時に、人は沈み込むんだとさ」

「まぁ。フィーさん……ですね」

 ユリア皇女が、くすりと笑った。

 いい笑顔じゃないか。

 その笑顔なら、皇女を護りたいという男なんて吐き捨てるほど現れるさ。

「その笑顔さ」

 ユリア皇女の手を放し、部屋の扉に手をかける。

 逆光の月明かりの中に佇む皇女は、間違いなく美しかった。

「ありがとうございます、アーサーさん」

 そう言って頭を下げてきた皇女に手を振り返して、俺は部屋の外に出た。

 部屋の外で待っていてくれたフィーを見つけて、俺はゆっくりと近付いていった。

「どうだったの、ユリアは」

「大丈夫だろ」

「あのアーサーが笑えだなんて」

「聞いてたのかよ」

「変わるものね。あれだけ無表情で仮面を被っていたアーサーが」

「誰かさんの能天気に毒されたのかもな」

 救われたんだ、俺は。

 心の中まで入り込んでくる君の笑顔に。

「ちょっと、どういう意味よ」

「そのままだよ、フィー」

 君がいる限り、俺は笑顔の仮面を忘れない。

 君がいる限り、もう闇には飲み込まれない。

 そして誰も、飲み込ませない。

 

<了>