さよなら


             「ここにいたのかよ」

             「あぁ」

              アーサーに声をかけられるのを待っていたかのように、セティの返事は早かった。

              先に声をかけたはずのアーサーが、微妙な間を空けてしまうほどに。

             「……泣いてんのかと思った」

             「シレジアに帰れば、いくらでも涙は流せるさ」

             「どうだか。フィーに聞いたことがあるぜ。お前が泣いたのを見たのは、ただ一度だってな」

             「随分とおしゃべりな妹だ」

             「自慢の妹、だろ」

              城壁の外を向いていたセティの隣に、アーサーが並び立つ。

              まったく互いの顔は見ないまま、二人は話を続けていく。

             「フィーはどうしている」

             「さぁね。珍しく手料理を作ってたな」

             「父上か」

             「多分な」

             「別れの餞別か」

             「あと一週間だ。それ以上は待てない」

             「ついて行くのか、君に」

             「返事は保留だよ。正直、怖い」

              バーハラのユリウスを倒して一ヶ月。

              既にイザークへと戻って行ったシャナンをはじめ、解放軍は事実上解散している。

              そして、それぞれが統治しなければならない土地へと帰り始めていた。

              旧グランベル帝国の各公爵家を継いだ面々も、その例外ではなかった。

             「保留、か」

              自嘲気味な笑いを含むセティの言葉に、アーサーが視線を伏せる。

              セティはアーサーの気配を感じ取ると、アーサーとは逆に顔を上へ向けた。

             「私は結論が出たよ」

             「……知ってるよ」

             「今ほど、私が父上の子であることを恨んだことはないな」

             「泣けばいいだろ」

             「泣けないのだよ、私は」

              そう言うと、セティは視線を真っ直ぐに戻した。

             「風が湿ってきた。そろそろ雨が降るな」

             「先に中に入るわ。お前は、もう少しいた方がいいぜ」

             「それが、君の友情か」

              そう尋ねるセティの口許は、かすかに震えていた。

              向けられていたセティの視線に気付いたアーサーが、真正面から視線を受け止める。

             「頑固な妹で悪かったな、セティ」

             「いや、そこに惚れたのは私だよ」

             「そうやって納得せずに、ティニーの前で泣いてくれればよかったんだよ」

             「それはできないな。彼女の決定に水を差すわけにはいかなかった」

             「意地っ張りめ」

             「それが私だよ」

              ため息をつこうとしたアーサーの頬に、水滴が落ちた。

              視線を上げたアーサーの睫毛が、落ちてきた水滴を弾く。

             「……降ってきやがったな」

             「そのようだ」

              そう言いながら、セティは目を閉じた。

              頬を伝う水滴が、雨なのか自身の涙なのか。

              その真実から目を背けるかのように。

             「そうやって、泣いてきたのかよ」

             「さて……どうだったかな」

              激しくなってきた雨が、二人を濡れネズミに変えていく。

              雨の中で佇む二人は、静かに視線を合わせあった。

             「行くわ」

             「あぁ。元気でな」

             「また会おうぜ」

             「いずれ」

              背を向けて歩き出したアーサーを、セティはただ見送った。

              今も想い続ける女性と見間違うほどの銀髪が、少しずつ離れていく。

             「雨があがるまで、だな」

              そう呟くと、セティは再び目を閉じた。

              溢れるように思い出される彼女の笑顔を、一つ一つ丁寧に心の内から消していきながら。

              雨があがり、涙の乾いた時に彼女を忘れていられるように。

 

 

<了>