美味しいって言ってくれ
死刑台に上がる死刑囚の心境だろうか。
どう考えても、俺に待ちうけているのは五感の喪失だ。「おい……どう責任取るつもりだよ」
「元はと言えばアーサー、君が悪いのだろう」
「お前だって、同調したじゃないか」
「私は率直に真実を述べたまでだ」
「その結果がこうなっちまったんじゃないか」
俺がそう詰め寄っても、セティはただ首を左右に振るだけだった。
このまま逃げ出してしまいたい誘惑に駆られそうになるが、逃げた後はもっと怖い。
恐怖政治に従う人間の心境がよくわかる。これは逆らえない。「なぁ、逃げたらどうなると思う」
わかっていても、聞かずにはいられなかった。
恐怖を紛らわせるために、人は雄弁になるらしい。俺の心境を悟ってか、セティはゆっくりと答えてくれた。
「まぁ、勇者の槍は覚悟することだな」
生かさず殺さず……か。
「もしくは、ティニーに泣きつかせるかだろうな」
「精神的にきついぞ、それは」
ティニーに泣きつかれると、あの泣き顔が俺を悩ませるわけだ。
それなら、まだフィーにいたぶられた方がマシだ。「理解したなら、黙って覚悟を決めたまえ」
「嫌だ……まだ、死にたくねぇ」
机にしがみついて、何とか逃亡をこらえる。
ふと、視線を机の下へ向けると、セティの足が震えているのが見えた。何だよ、結局はお前だって怖いんじゃないか。
涼しい顔してても、やっぱり人間だな。「おい、セティ」
俺の視線に気付いていたのか、セティが心持ち口端を持ち上げた。
歪な笑顔からは、元が整っているだけに凄惨な印象を受ける。「話かけるな。私だって、逃げたい気持ちをこらえるのに必死なんだ」
「二人で逃げないか」
「誰がフィーの怒りを静めるんだ」
「死者が出るな」
怒り狂ったフィーが、勇者の槍を片手に俺たちを狩る。
想像しただけで恐ろしい絵面だ。だが、むしろ泣けてくる。
オチを思いだして笑うという話があるが、結末が見えすぎていて涙する話もあるらしい。「大体、君が悪いんだろう」
「俺は、フィーの料理って食べたことないなって言っただけだろ」
「そのことが間違いだ」
恋人の手料理を食べたことがないって言って、何が悪いんだ。
セリスとかの話を聞いてて、ちょっと羨ましかったんだよ。恋人の手料理を食べたとか幸せそうに言う奴がいて、俺は一回も食べたことがない。
二人でシレジアからセリス軍に参加するまでの旅だって、乗り賃とか言われて俺が作ってたし。「大体、恋人のくせにフィーの料理下手を知らなかったのか」
「作ってもらったことなかったんだから、知らなくて当たり前だろうが」
「あの父上でさえ、食べようとしないのだぞ」
「あのレヴィン様が……嘘だよな、嘘だって言ってくれぇ」
俺の懇願にも、セティは再び首を左右に振った。
あの娘を猫可愛がりしているレヴィン様が食べないほどの料理。
逃亡しなくても死者が出そうだな。「な、なぁ」
「もう覚悟を決めたよ、私は。大人しく、母上のところへ行こうと思う」
「いや、それって死んでるからッ」
調理の音が止んだ。
死刑宣告の鐘は、無音を響かせるらしい。身体を硬直させる俺たち二人のところへ、フィーが笑顔でやってくる。
天使のような悪魔の笑顔だ。「お兄ちゃん、アーサー、お待たせ」
生唾を飲み込んで、無理やり笑顔を浮かべる。
隣のセティをチラ見すると、どうにも表情が堅い。「お兄ちゃん、何か表情が堅いわよ」
あぁ、会心の笑顔だね、マイ・ハニー。
「ほら、温かいうちに食べて」
そう言いながら、フィーが二つの皿に鍋の中身を盛ってくれた。
一つの皿でもいいよとか思ってしまったのは、絶対に内緒のお話だ。目の前に置かれた皿の中身を、覚悟を決めて見る。
これは……スープかシチューか。
悩むところだが、とりあえずスプーンを入れてみよう。
かすかに粘り気があるようなないような。「シチューか」
「そうよ。アーサー、好きだって言ってたじゃない」
確かに、冬の暖炉の前で食べるクリームシチューは絶品だろうな。
でもね、さらさらのシチューは危険信号だよ、マイ・ハニー。「だ、大分上達したんじゃないか」
声がどもってますよ、義兄さん。
「でしょう。やっぱり上手い人の手付きを見てるからかなぁ」
手付きを見てるだけで上手くなるんなら、料理店なんて潰れるよ。
頼むから、上手い人の隣で料理を練習してくれないか。これで、味の保証はできてしまったようなもんだ。
断言しよう。死ななければ由としなければならないと。意を決して、かなり芯の残っているキャベツを掬い上げる。
キャベツなら生でも食べられるだろうし、生野菜のサラダを食べてると思えばいいんだ。「ぐっ……グッドだ」
「でしょう」
満面の笑みだね、マイ・ハニー。
「ぐはっ……」
スプーンの落ちる音とともに、セティの身体が崩れた。
不幸なことに、俺のいる側とは反対に倒れたようだ。おいおい、冗談だろ。
俺は耐えれたのは偶然のか。「ス……プ」
美味いって言ってくれよ。
なぁ、頼むって。ここで俺一人を戦場に残して、義母さんのところへ行かないでくれ。
「あれ、お兄ちゃん」
セティに駆け寄るフィーから視線を外して、俺はスープを掬い上げた。
妙にサラサラ感のあるスープ。セティはこれを飲んで倒れたんだ。「男は度胸だ」
これは……凶器だ。
誰か、これを美味いと言えるものなら言ってくれ。「アーサー、アーサーッ」
あぁ、誰かが呼んでる。
フィーに似て、美人だなぁ。
あぁ、でも、ちょっと大人っぽいかも。今、逢いに逝きます。
<了>