根暗なんかに負けないんだから


 

 レヴィンと一緒にセイレーンまで来てみれば、まさか王子だったなんてね。
 お金持ちの道楽息子っぽい雰囲気はあったけど、そこまでとは思ってなかった。

 セイレーンに着いてからのレヴィンは、仕事とかで部屋に閉じ込められることも多い。
 特別に仲のいい知り合いもいないし、あたしは正直、退屈だった。

「レヴィン、外に飲みに行こうよ」

 夕食の時間まで少しあるぐらいの時に、運良くレヴィンを捕まえられた。
 城の食事もいいけど、あたしはやっぱり外で食べるほうが好き。

「シルヴィアか」

「たまにはいいでしょ。肩がこっちゃうのよね」

「ハハ、だろうな。ま、俺は別にいいぜ」

「ホントッ?」

 急に付き合い悪くなっちゃってたから心配してたけど、誘ってみるもんね。
 大体、レヴィンだって城での生活が嫌になって飛び出すようなヤツだし。

「今日はマーニャもいないしな」

「何よ。お目付け役がいちゃ遊べないわけ」

「頭が上がらないんだよ。姉代わりだからな」

 まぁ、あの年増は結婚もしてることだし、別にいいんだけどさ。
 それよりも手強いのは年増の妹のほう。
 やたらとレヴィンに付きまとっちゃってさ。

「酒場、案内してよね」

「わかったよ。ちょっと早いけど、昔からの知り合いがやってる店がある」

「じゃ、行きましょ」

 腕を組んでも、拒否はされない。
 さりげなく胸を押し当ててみても、レヴィンは平気な顔してる。
 そこがちょっと悔しいけどさ。

「お前、そんな格好で寒くないのか」

「平気。でも、ケープとか買ってくれるなら、喜んでもらうけどね」

「わかったよ。先に買いに行こうぜ」

 まぁ、あって困るもんでもないし。
 それより、さっさと城から抜け出さないと、あの年増妹が来ちゃう。

「おいおい、そんな引っ張るなって」

「早く行こうよ」

 レヴィンの腕を引っ張るようにして、裏門へと急ぐ。
 表門からだと、すぐにあのお邪魔虫に報告がいくってことは学んだ。

 今日はあともう少しで裏門に着くってところで、あたしは嫌な気配を背後に感じた。
 無言の圧力っていうか、粘着質の視線だ。

「レヴィン様」

「あ、フュリー」

 あちゃー……来ちゃったよ。
 監視でもしてるんじゃないの、この女。

「どちらへ」

「いや、ちょっと街まで。シルヴィアが寒そうだしさ、服を買ってやろうと思ってさ」

「お優しいのは結構ですが、どうか決済待ちの部下にもお慈悲をいただけるとありがたいのですが」

 フュリーの皮肉で、レヴィンが渋面に変わった。
 そうだ。その調子で嫌われちゃえ。

「お前に任せる」

「この城の城主はレヴィン様です。レヴィン様の許可がなければ」

「お前だってそのくらいできるだろう」

「そういう問題ではありません」

「だったら、お前の判断に任す。あとで俺がサインだけすればいいだろ」

 フュリーの言い分は、絶対に引き止めるための策だ。
 あたしのことは一切見てないけど、無言の圧力はむしろあたしのほうに向けられてるもの。

「そうよ。フュリーも一人で仕事しなさいよ」

「部外者は黙っていてください。レヴィン様には責務があるのです」

「だから、あとでサインすればいいんでしょ」

「そういう問題ではありません」

 きっぱりと口にしておきながら、フュリーの視線はレヴィンから離れない。
 意地でもあたしのことを見ないつもりだな。最初から眼中にないってわけね。

「どれくらいあるんだよ」

「今日していただかなければならないものは、十件ほどです」

「本当に、それだけでいいんだな」

「用事があるというのでしたら、それだけで結構です」

 えー、それはないんじゃないの。
 今日はあたしのほうが先約だったのにさ。

 あたしがレヴィンの服の袖を引っ張ると、レヴィンはあたしの耳元に口を寄せた。
 それを見ていたフュリーの表情が般若に変わった。

 ザマーみろ。

「さっさと片付けてから行く。この前の店、覚えてるだろ」

 フュリーには聞こえないように囁いてくれた返事は、あたしも背伸びをしてレヴィンの耳元で囁く。

「おっけ。早く来てね」

 ついでに、軽く耳に口付ける。
 ちらりと見たフュリーの目は、怖いくらい真っ直ぐにあたしを見ていた。

「じゃあ、先に行っててくれ」

「はぁい。仕事、頑張ってね」

「あぁ」

 レヴィンがあたしの腕を外して、フュリーの待つ城内へと戻っていく。
 どこかフュリーに負けたような気がして、ちょっと気に食わないけど。

 でも、今日の約束を取り付けたのはあたしだ。
 誰かが邪魔に入っても文句を言える立場は作れた。

「本当にオレがやらなきゃダメなのか」

「お願いします」

「お前で十分だろう。天馬騎士団長ってのは、オレの名代もできないのかよ」

「ラーナ様より、固く禁じられておりますので」

「母上の言いつけかよ」

 なのに、風に乗って聞こえてくる会話は、聞いているだけで腹が立つ。
 あたし一人が除け者にされてる気持ちになってくる。

 まぁ、実際にレヴィンは雲の上の人なんだろうけど。
 それでも、フュリーにだけは渡したくない。
 踊り子にも、踊り子の意地ってもんがあるのよ。

 

 


 

「くそぅ……冗談キツイわ」

 結局、レヴィンはあたしの待っていた店に来なかった。
 どうせ、フュリーが次々に仕事を押し付けて、レヴィンを外に出してくれないんだろう。

「はぁ。やってらんないわ」

 一人で杯を重ねながら、ステージの下手糞な踊りを眺める。
 憂さ晴らしに踊ってもいいんだけど、今のあたしじゃ踊れない。
 フュリーに腹が立って仕方ない。
 こんなときの踊りは、派手なだけできれいじゃない。

「すっぽかされたのかい」

 声のしたほうに顔を向けたら、少し暗い感じの男がグラスを持って立っていた。

「ここ、いいかい」

「好きにすれば」

 空いていたあたしの隣に腰を下ろして、男は馴れ馴れしく話しかけてきた。
 適当に相手をしてたら、男は懐の中からカードを取り出した。

「こう見えても占い師なんだ。よければ、占わせてくれないか」

「下手なナンパ」

「心外だな。本当に占い師なんだって」

 苦笑している表情を見ると、どうやら本物らしい。
 あたしは酔いのせいもあって、一つ占ってもらうことにした。

「じゃあ、あたしが何に悩んでるか当ててみてよ」

「わかった。このカードの上に、手をかざしてくれるかい」

 男の取り出したカードの上に、適当に手をかざす。
 男は何度かカードを切ると、起用にカードを並べ始めた。

「君が悩んでいるのは、恋のことかな」

「あたしぐらいの年齢なら、悩んでない人なんていないんじゃない」

「それだけじゃない。君は一人の男を二人で取り合っているね」

「へぇ……」

 どうやら、本当に占い師みたいね。

「図星、だろ」

「えぇ。でも、それがわかったからってどうなの」

「普通の占い師なら、ね」

「あなたは違うって言うの」

「もちろん」

 怪しいことは怪しいけど、少しくらい話を聞いてもいいみたいね。
 何を言ってくれるのか、興味あるもの。

「で、何を言ってくれるのかしら」

「君が恋に勝つための方法さ」

「そんな方法があるのかしら」

「ここにある」

 そう言うと、男は懐の中から粉末を取り出して見せた。
 薬包紙に包まれたそれを、男はカウンターの上に置いた。

「ほれ薬……と、言うのは冗談で、単なる興奮剤さ」

「媚薬ってやつ?」

 あたしもそれなりのところで暮らしてきたから、その手の話はよく知ってる。
 媚薬を使って老人を篭絡するっていう手が得意な知り合いもいたし。
 あたしは身体を使って生活するのは嫌いだったから、使ったことはないけど。

「まぁ、それに近いかな。相手の男に飲ませれば、君のことを欲しくなる」

「妙な薬じゃないでしょうね」

「まさか。依存症は残らないし、本当にただの興奮剤さ」

 そう言うと、男は折りたたまれた薬包紙を軽く振った。
 中の薬はかなり細かいものらしい。振った時に音は出なかった。

「これって、魔術師にも効くの」

「魔術師といっても男なら効くだろうね。何なら、試してみようか」

「いいわよ。信じてあげる」

 どうやら、飲ませてすぐに効果が現われるものではないらしい。
 しばらくしてから効き始めたときに隣にいれば、思惑通りになるらしい。

「ふぅん……効くのかしら」

「まぁ、効かなくても君の腕次第かな」

「随分と調子のいい話ね。でも、そのほうが信じられるわ」

「健闘を祈りますよ」

「お代は」

「成功したときにいただくことにしましょう」

 見てなさいよ、フュリー。
 これで一気に勝負を決めてあげるわ。

 

 


 

 占い師にもらった薬を持って、あたしは城に戻った。
 とにかくレヴィンを見つけて、お茶か何かを一緒に飲んじゃえばいい。
 そこに薬を混ぜちゃえば、一気にあたしの勝ち。

 いい具合に、レヴィンは寝る前に紅茶を飲むって聞くしね。
 今日のドタキャンを責めれば、紅茶くらいは一緒に飲んでくれるだろうし。

「お、いたいた」

「あ、悪かったな、シルヴィア」

 部屋に顔を出したあたしを、レヴィンが迎え入れてくれる。
 部屋の様子を見ると、どうやら寝るところだったらしい。

「よくないけどね。どうせ、フュリーのせいなんでしょ」

「あぁ」

「埋め合わせしろって言いたいけど、紅茶を一緒に飲むだけでいいよ」

「今、ここでか」

「そう。今日の貸しは今日中に返してもらわなきゃ」

 あたしがそう言うと、レヴィンは苦笑しながらカップを二つ用意してくれた。

「言っとくけど、飲んだら部屋に帰れよ」

「大丈夫。あたしが眠くなる前には戻るわよ」

 そう言って、レヴィンの手からポットを奪う。

「入れてあげる」

「あぁ、サンキュ」

 ふふっ、これであたしの勝ちね。

 ていねいに紅茶を入れて、薬をこっそりと入れる。
 もちろん、レヴィンからは背中で見えないようにした。
 あとはレヴィンに飲ませればいいだけ。

 ……本当に効くんでしょうね。

「はい、入ったわよ」

「お、美味そうだな」

「何言ってんの。お湯を入れるぐらい、あたしにだってできるわよ」

 軽口を叩き合って、あたしは自分のカップに手を伸ばした。
 レヴィンが不審に思わないように、先に飲んでしまうつもりだった。

「レヴィン様、お休みのところ失礼します」

「え、あぁ。もう寝るところだったんだけど」

「失礼します……シルヴィアさん」

 部屋に入ってきたフュリーが、あたしを見て途端に顔をしかめた。

「どうしたんだ、そんな格好で」

「いえ、城下にて妙な噂が」

 そう言ったフュリーは、皮の鎧を身につけていた。
 戦闘時でもないのに、何かあったのかな。

「レヴィン様暗殺の計画が」

「間者でも捕まえたのか」

「はい」

 後から入ってきたフュリーの部下が、レヴィンの手からカップを奪い取る。
 思わず声を出しそうになって、あたしはぐっと唇をかんだ。

「念のため、改めさせていただきます」

「おいおい。シルヴィアが入れてくれたお茶だぞ」

「念のため、です」

 そう言いながら、フュリーの部下がカップに口をつけた。
 その瞬間、フュリーの部下が口を押さえて倒れた。

 ……て、冗談でしょッ。

「アウロラッ」
「アウロラッ」

 レヴィンとフュリーの二人が声を合わせて叫ぶのを、あたしはどこか遠いところから聞いていた。

「アウロラ、しっかりしなさいッ」

「毒か……いや、でもシルヴィアが飲んだときは」

「そ、そうよ。まさか、あたしにも毒が回ってくるの」

 利用された。

 瞬間的にわかった。
 あの占い師が、その間者だったんだ。

「まず、医者だ。フュリー、アウロラの意識を確かめろ」

「はい」

 バタバタと足音がして、フュリーの部下が中に飛び込んでくる。

「隊長、間者が吐きましたッ」

「後にしろッ。医者が先だ」

 レヴィンが一喝する。
 てっきり出て行くと思った部下は、あたしの腕をつかんでいた。

「へ……」

「シルヴィアさん、申し訳ありませんが拘束させていただきます」

「ちょ、ちょっと、何の冗談よ」

「間者の吐いた協力者の特徴が、シルヴィアさんと一致するのです」

 冗談じゃない。
 あたしは利用されただけ。

 それ以前に、展開が速すぎない?

「事情は後で伺えばいいわ。先に医者を呼んできて」

 これってまさか、はめられた?

「シルヴィア、どういうことだよ」

「知らない。知らないわよ、あたし」

「見たところ、即効性の毒だぞ。何でお前だけ無事なんだよ」

「そんなの知らないわよ」

 レヴィンの視線が痛い。
 あたしとレヴィンの間に、フュリーの身体がさりげなく壁を作ってる。

「あ、あたしは」

「お前、誰かに何か頼まれたとか」

「知らないわよッ」

 そのとき、あたしは気付いていた。
 フュリーの口許がわずかに緩んでいたのを。

 これってまさか、フュリーが黒幕なんじゃ……。

「王子、薬師が」

「早かったな。まず、アウロラを見てやってくれ」

 薬師に倒れた部下を任せて、フュリーがあたしの前に立った。
 もう、口許の微笑みは消えていた。

「正直に話していただきましょうか、シルヴィアさん」

「だから、知らないって」

「では、何故貴方だけが無事なのですか」

「知らないわよ。特異体質なんじゃないの」

「念のため、身体を改めさせてもらっても」

 それはまずい。
 薬を包んでいた薬包紙は、まだあたしが持ってる。
 ここでそれが見つかったら、あたしは暗殺者の仲間だ。

「あ、あたしは」

 あぁ、もう、最悪。
 ここまで用意周到に罠を張り巡らせるの、フュリーってば。
 陰湿すぎるわよ、こんなの。

「フュリー、言い過ぎだぞ」

「申し訳ございません」

 レヴィンの言葉で、フュリーはあっさりと引いた。
 ここは得点を稼ぐだけでいいってわけね。

「ですが、その服の間から見えている物は」

 フュリーがあたしの服をつかんで揺さぶると、中から薬包紙が落ちた。
 部屋の中の時間が止まり、フュリーがゆっくりと薬包紙を拾う。

 レヴィンの目が、完全にあたしを敵視していた。
 でも、あたしには胸に触れている薬包紙の感触があった。
 つまり落ちた薬包紙は、フュリーの手に最初からあった……。

「確定……ですね」

「シルヴィア、嘘だろ」

「覚悟していただきます」

 フュリーが剣を抜いて、あたしの前に迫ってくる。
 逃げたらあたしだって認めたようなものだし、あたしの腕じゃフュリーの剣は防げない。
 今更、あたしの持ってる薬包紙を出したって、単に容疑を深くするだけ。

 これが……貴族の世界なのね。
 あたしなんかじゃ絶対に生きていけない、嘘と駆け引きばかりの世界。

「あたしは」

「残念です。いいお仲間だと思っていましたが」

 ちっともそんなこと思ってないでしょう。
 だってほら、振り下ろされる剣の軌道は一分の狂いもないままあたしに向かってくる。

 骨の砕ける感触を残して、あたしの意識は閉ざされた。

 

<了>