読んで欲しいの


「よかった。まだ始まったばかりみたいね」

 物音を立てないようにしながら、あたしは子どもたちから少し離れた場所に座った。
 普段はうるさいほどに騒ぐ子どもたちも、今ばかりは静まり返ってるのが不思議だ。

「昔々、あるところに正直な若者が住んでいました」

 あたしはまぶたを閉じて、神父様の声に聞き入った。
 絵は見えなくても、神父様の言葉はまるで魔法のように画を浮かばせてくれる。

 できることなら、あの輪の中に加わりたい。
 神父様の読んでくれるお話を、もっとそばで聞いていたい。

 だけど、それはあたしにとっては贅沢だ。
 子どもたちのために読み聞かせをしているのであって、もう大きくなったあたしのためじゃない。
 それをわかっているから、あたしはこうして少し離れた場所で耳を傾ける。

「すると、不思議なことに、湖の中から女神が現われたのです」

 うん、今日のは一度聞いたことがある話だ。
 正直な樵が湖に斧を落としたら、女神が出てきて正直者にご褒美をくれるっていう。

 いつものあたしなら鼻で笑う話だけど、神父様のお話は別。
 きっと、これが人徳ってヤツなんだろうね。

「女神はいいました。貴方が落としたのは、この金の斧ですか」

 あたしはまぶたを開いて、神父様のお話に聞き入っている子どもたちを眺めた。
 みんな、キラキラした目で神父様が続きを話すのを待っている。

「青年は答えます。いいえ、私が落としたのは普通の斧です」

 正直者が得をするっていう教訓なんだろうけど、そんなのは嘘っぱちだ。
 世の中、卑怯で狡賢いヤツが我がもの顔で威張ってる。

「女神は言いました。正直な貴方には、この金の斧を差し上げましょう」

 何人かの子どもが、嬉しそうに顔をほころばせた。
 そうだよね。ここが一番いいところだもの。

「でも、青年は金の斧を返してしまいました。この斧では、木が切れませんと」

 え……そんな話だっけ。

「女神は少し困った顔で、青年から金の斧を受け取ります」

 金の斧と銀の斧をもらって、裕福になる話じゃなかったっけ。

「女神は普通の斧を取り出して、青年に渡しながら尋ねます。何か、私にできることはありませんか」

 あたしは初めて聞く話に思えて、神父様の顔をじっと見つめる。
 ふと、神父様の視線があたしを捕らえて、微笑んだように見えた。

「青年は答えます。僕が切り倒した木のために、祈っていただけますか」

 ふぅん、かなり敬虔な人なんだ。
 仕事で切り倒した木のために祈って欲しいなんて。

「女神はにっこりと微笑んで、青年に答えます。
 わかりました。森の精霊として、この森に暮らすものに祝福を与えましょう」

 教会だから、特別な話なのかな。
 そういうの、よくあることだし。

 

 そんなことを考えていたら、神父様の読み聞かせが終わってた。
 残念。オチを聞き逃しちゃった。

「シルヴィアさん、奥でお茶でもいかがですか」
「あ、うん」

 いつの間にか、子どもたちは外で遊び始めたらしい。
 風に乗った歓声が、時折聞こえてくる。

 あたしは神父様の正面に座って、入れてもらったお茶に手を伸ばした。
 教会のお茶って、どこかいつもより美味しい気がするの。

「神父様って、お話を作れるの」
「そうですね。少し変えることぐらいなら」
「今日のお話って、最後がちょっと違ったよね」
「はい」

 やっぱり。
 あたしの思い違いじゃなかった。

「今日の話は、貴方に届けたかったのですよ」
「あたしに……って、何でよ。子どもだと思われてるわけ」

 神父様の言い方が釈然としなくて、あたしは眉をひそめた。
 すると、神父様はまた困ったような笑顔を浮かべる。

「途中で、斜めに聞くようになったでしょう」
「うっ」

 鋭い。
 飽きたとかじゃなくて、ちょっと反発したくなっただけなのに。

「おそらく、正直なだけでは生きられないと考えたのでしょう」
「まぁね。だって、そういうものでしょう」
「でもね、見ている人は見ているのですよ」

 そう言うと、神父様はあたしに微笑んでくれた。
 卑怯だよね。この笑顔は。

「……神父様ってさぁ、よく卑怯だって言われないの」
「言われます」

 神父様の答えに、あたしたちは声に出して笑った。
 ひとしきり笑った後で、神父様は視線を外に向けた。

「また、聞きに来ていただけると嬉しいのですが」

 そう言った神父様の横顔は、ちょっと照れてるみたいだった。
 まだ、夕日には早いもの。

「うん。また、聞かせてね」

 あたしは笑ってそう答えた。
 だって、神父様のお話は本当に面白いから。

 それにお話の後にある、この時間も好きだし。
 張り詰めてる糸がほぐされるみたいで。

「さ、あたしも仕事してこようかな」
「今日も踊りに行かれるのですか」
「うん。だって、神父様も仕事してるし、あたしだけ怠けちゃダメだもん」

 だって、このままここにいると変な気持ちになっちゃいそうだから。

「いってらっしゃい。遅くならないようにしてください」
「大丈夫。閉門までには帰るから」
「はい。では、お気をつけて」

 神父様に見送られて、酒場のほうへ向かう。
 今日はいつもよりいい踊りができそうだった。

 

<了>