バカと貴族は使いよう


「何だ、いねぇのか」

「どうかしたのか」

 広間に入るなり呟きを口にしたレックスに気付き、ソファに腰を下ろしていたアイラが尋ねた。

 レックスは視線で部屋の中を一周すると、アイラにむけて肩を竦めた。

「アゼルを探してたんだがな」

「アゼル殿なら、もう部屋に戻られたのではないのか」

「俺もそう思って、さっき部屋をのぞいてきたんだけどな」

「いなかったのか」

「どっかに行っちまったらしい」

 そばで字の練習をしていたシャナンがアイラを呼び、アイラがソファから立ち上がる。

「見かけたら、レックス殿が探していたと伝えておこうか」

「いいや。飲みに付き合せるつもりだったからな」

「今からか」

 夕食も済み、シャナンなどはそろそろ就寝しようかというような時間である。

 酒も寝酒を嗜む程度というアイラが眉をひそめるのも無理はなかった。

「ま、夜はこれからってな」

「好きにするがいい。だが、城内の酒は美味くないだろう」

 アグストリアに駐留しているシグルド軍は、それほど裕福な軍ではない。

 軍を率いるシグルドもどちらかと言えば質素を好んでおり、食事も水準並である。

 立ち退きを受け入れたシャガールの要求を飲んだこともあって、食料庫にも贅沢品は残っていない。

「ま、多少は身銭を切らなきゃいけないだろうがな」

「わからぬな。そこまでして、酒を飲みたいか」

「最近、気分が滅入ることばかりだからな」

「何かあったようには聞いていないが」

「俺の家のことさ。色々と訳有りでね」

 その話はこれまでとばかりに、レックスはコキッとクビを鳴らす。

 それを合図に、アイラもシャナンへと歩き始めた。

「ま、ちっと出掛けてくるから」

「夜も遅い。気をつけろよ」

「あぁ」

 シャナンに字の手解きを始めたアイラがいなくなると、レックスの相手は一人もいなくなった。

 普段は広間をたむろしている吟遊詩人たちも、今夜は姿を見せていない。

 広間での仲間集めを諦めたレックスは、夜陰に紛れて城内を抜け出すことにした。

 

 城下の酒場は、そろそろ夜の商売に移行しようかという時間帯だ。

 手頃な酒場に飛び込んだレックスは、酒場の中が妙に盛り上がっていることに気付いた。

 カウンターの端に腰を下ろしたレックスは、マスターに注文をしがてら、盛り上がりの種に水をむける。

「随分と盛り上がってるな」

「へい。奥でショーをしておりましてね」

「手品でもやってるのか」

「いいえ。流れの踊り子が来たもんでね。一席、頼んだんでさぁ」

「流れの踊り子か」

 蒸留酒をロックで傾けながら、レックスは何気なしに店の奥へと視線をむけた。

 ステージの上を所狭しと舞いまわっているのは、どこかで見た衣装の踊り子だった。

「へぇ、上手いな」

「一流の流れ者は、そんじょそこらの者より上手ですからねぇ」

 マスターとしても意外な手応えがあるのか、嬉しそうにレックスのつまみを差し出す。

 薄く切り分けられたチーズをつまみながら、レックスはグラスを傾け続ける。

「楽士は、この店のかい」

「へぇ、さようで」

「だろうな。踊り子のほうが旋律を引っ張ってやがる」

「ダンナはよく見てらっしゃるね」

 レックスの言葉に、マスターが感心した風な言葉で愛想笑いを浮かべる。

「気付くだろう、普通」

「そうでもないんですよ。特にグランベルの連中なんて、ロクでもない奴ばかりだ」

 レックスはマスターの言葉を聞かなかったふりをして、ステージへと身体を開く。

 彼の座る席からは、店の中全体を見渡すことができた。

 常連らしい街の者たちとは別の一角に、明らかに意匠の違う服を着た一団が座っていた。

「グランベルからの派遣役人か」

「ツケで飲むんだから、こっちはたまりませんや」

 今のレックスの服装は、これといった意匠がない。

 近付いて見れば仕立ての良いものとはわかるが、少なくとも一見してグランベルの人間だとは気付かれにくい。

「ツケかよ」

「踏み倒されるかもしれませんや」

「下っ端役人がケチな真似を」

「ま、役人なんてどこの国も同じですかねぇ」

 カウンターには他の客が座っていないせいか、マスターはレックスのそばでグラスを磨いている。

 レックスが思い出したようにステージへ視線を戻すと、踊り子はゆったりとした動きで礼を終えていた。

 客席から歓声が上がり、客席をまわる給仕にチップが投げられている。

 レックスも近寄ってきた給仕に銀貨を一枚渡し、口許を緩めた。

「随分と太っ腹ですね、ダンナ」

「あの踊り子なら、それだけの価値がある」

「流しでなきゃ、しばらく雇いたいところですがね」

 マスターが残念そうにそう言ったとき、客席の間から悲鳴が上がった。

 声のしたほうを見てみると、グランベルの役人たちが踊り子の腕を引こうとしているところだった。

 慌ててカウンターの中から出ていこうとするマスターを制して、レックスはグラスを置いた。

「見ちまったものは仕方ねぇよな」

 そう呟くと、つかつかと騒ぎの起きている席へと向かう。

 そばによってみれば、役人風の男たちが、迷惑そうにあしらう踊り子を無理やりに引きとめようとしていた。

「あのねぇ、あたしは興味ないって言ってるでしょ」

「そう言うなよ。客の相手ぐらい、してくれたっていいだろうぜ」

「冗談。あたしは踊り子なの。酒の相手は仕事じゃないわ」

「踊り子だったら、客の酒の相手ぐらいかまわねぇだろ」

 今にも蹴りが飛びだしそうな踊り子の背後に立って、レックスは陽気な声をかけた。

「見事な踊りだったぜ」

「あ……アンタは」

「偶然だな、シルヴィア」

 レックスの登場に、シルヴィアはこれ幸いと役人たちの手を引き剥がす。

 鳶に油揚げをさらわれるような形になり、酔いも入った役人たちが激昂して立ち上がった。

「貴様、何者だ」

「お前たちこそ、何者だ」

 そう問い返したレックスに、一番そばにいた一人が胸の褒章を見せながらレックスに詰め寄る。

「我々はグランベルより派遣された役人であるぞ」

「ほぅ、それはそれは」

「貴様たちアグストリアの民を守るために働く我らに、迷惑をかけようというのか」

「迷惑なのはお前たちだろう」

「何だとッ」

 次々と敵意を剥き出しにする役人たちに、レックスはわざとらしくため息をついた。

 褒賞の種類を見れば、レックスにはその者がどの公爵家の人間か、どの程度の身分の者かが大体わかる。

 幾つか見知らぬ褒章を下げているとはいえ、フリージ家の下級役人に間違いなかった。

「フリージからの出向役人か」

「貴様……何者だ」

 気色ばむ先頭の人間から視線を外し、奥でまだ座っていた男へと視線を映す。

 褒章の中でも一番レックスが馴染みのある褒章を、その男はつけていた。

 しかもレックスに気付いているのか、わざとらしく邪魔者の顔すら見ようとはしない。

「お前ならわかるだろう」

「何……」

 挑発された男が、わざと鬱陶しげにレックスを見上げた。

 当然のようにレックスの正体を悟り、ニヘリとした表情を浮かべる。

「レックス公子でしたか」

「主家の前で、情けない真似してんじゃねぇよ」

「失礼致しました」

 二人のやりとりを見て旗色悪しと判断した役人たちが、シルヴィアに対し、邪険そうに手を振り払う。

 これ幸いとその場を退散したシルヴィアを追うように、レックスはカウンターの席へと戻った。

 当然のようにレックスの右側の席に腰を下ろしたシルヴィアが、小さく頭を下げた。

「助かっちゃった」

「知らない仲でもないしな」

「まぁね」

「吟遊詩人はどうした」

「さぁ。情報収集だとか言って、どっか行っちゃったわ」

「そうかい。意外だな」

「アイツ、妙なのよね。新しい街に入るたび、コソコソ何か調べてるわ」

「まぁ、わけありだからな」

 シグルドをはじめとした幹部たちは、彼女のパートナーの正体がシレジアの王子であることを知っている。

 当然、レックスもシグルドから伝えられる形で素性を知っていた。

「だから、アタシも一人で好きにしてるわけ」

「そうかい。てっきり、吟遊詩人を天馬騎士に盗られたせいかと思ったぜ」

「冗談。アタシ、人には執着しない主義なの」

「奇遇だな。俺もだ」

 レックスの言葉に、二人は目を合わせて笑いあった。

 シルヴィアの頼んだカクテルが置かれると、二人は無言でグラスを合わせた。

「……ただのおまけにしてはやるわね」

「商品よりも大きなおまけだからな」

「まあ、いいわ。適当に飲んだら城まで送ってね」

「引き受けよう」

 誰のおまけだよ。

 そう心の中で呟きながら、レックスは残り少なくなっていた酒を飲み干した。

「マスター、同じものを。それから、もう少し軽いものが出せるか」

「踊ったばかりで、少しお腹が空いてるわ」

「踊り子さんが満足するようなものに変更だ。頼むぜ」

「へい。お待ちを」

 レックスの前にボトルを置き、マスターが調理台の前へ移動する。

「アンタ、こんなの飲んでたの」

「多少は値が張るけどな」

「少しちょうだいよ。オールドターキーなんて、めったに飲めないもん」

「好きにしな」

 グラスを置いて、シルヴィアの稼ぎを集めてきた給仕にチップを与える。

 ボトルの中身を賞味し始めたシルヴィアが、無言で稼ぎを懐に納め、給仕を手で追い払う。

「使いようね、貴族も」

「清々しいな、お前は」

「まぁね」

 そう言って笑うシルヴィアに肩を竦めて、レックスは彼女の手からボトルを回収する。

「ま、否定はしねぇけどな」

「まともで金が有って本気にならない貴族なら大好きになれそう」

「もういい。黙って食ってろ」

 マスターの運んできた湯気の立つオムレツをシルヴィアへ押しやり、レックスはグラスを傾ける。

 シルヴィア特有の悪乗りだと気付いても、面と向かって言われると面白くない。

「ちゃんと感謝してるって」

「態度で示せよ」

「はい」

 投げキッスの仕草をして見せたシルヴィアに、レックスは仕方なく苦笑していた。

 

<了>