父娘鷹


 

「暇ねー」

「暇なら手伝えよ」

 俺がそう言うと、反対向きに座っているフィーは、プイッと顔を逸らしやがった。

「やーだ」

「なら、お茶でも入れろよ」

「面倒くさい」

 だったら、何でお前はこの忙しい俺の前で、のんびりと椅子に座ってやがるんだよ。

 俺だってこんな仕事、絶対に引き受けたくなかったんだよ。

 だけどな、実務の出来る人間が少なすぎるんだよ、この軍は。

 字がかけて経理ができれば、それだけで仕事がまわってくるんだよ。

 と言うか、フィーだってこの程度はできるはずだろうが。

「大体さぁ、何でアーサーがイザークの台帳の整理なんかしてるのよ」

「知るかよ。押し付けてきたセリス様に聞けよ」

「何であたしが、そこまでしなきゃいけないのよ」

 はいはい、もう黙ってろ。

 計算がおかしくなったら、一からやり直しなんだからな。

「要領悪いわね、アーサーも」

 事務方の足りない軍なんて、実態はどこでもこんなもんだろうけどな。

 それにしても、イザークってのは本当に搾取されていたのか疑問だね。

 単純に見積もれば、搾取されていないときの生産高は大陸一になっちまう。

 そんな国家が戦争に負けるとも思えないんだが。

「アーサー、入るぞ」

 ノックの音がして、解放軍の軍師が顔を出した。

 途端に、フィーの表情が渋面に変わった。

「何だ、ここにいたのか」

「居ちゃ悪いの」

 実は親子ということらしいけど、フィーがどうも突っかかっていくんだよな。

 親父さんは親父さんで、娘に対する牽制きついし。

「今日中に終わりそうか」

 そう尋ねてきたレヴィン様に、俺は無言で書類の山を指した。

 はっきり言って、絶対に終われないという自信がある。

「終わりそうにないか」

「そこの人が、まったく手伝ってくれないもんでして」

「何よ、勝手にまわさないでよ」

 フィーが文句を言ってくるが、予想していたのはそこまでだった。

 レヴィン様が書類の山に手を伸ばしてくれるとは、まったく考えていなかった。

 山の半分ほどを取り上げたレヴィン様は、空いている席に座ると、俺と同じく目を丸くしていたフィーを睨む。

「お茶くらい入れたらどうだ、そこの天馬騎士」

「……わかったわよ」

 フィーがそう言って、部屋を出て行く。

 あの様子だと、そのまま逃走する可能性もなくはないか。

「お前は頼まなくてよかったのか」

 そう言ってきたレヴィン様の口許が微妙に歪んでいるのを見逃すほど、俺も間抜けじゃない。

 さて、ここは挑発に乗るべきかどうか。

「さぁ。心優しいフィーなら、ついでに俺の分まで持ってきてくれるんじゃないですか」

「……つまらん答えだな」

 どういう答えを希望していたんだ、アンタは。

 そう叫びたいのをぐっとこらえて、俺は書類に視線を戻した。

 隣から聞こえてくるペンの音は、凄まじく速い。

「さて、聞いておきたいことがある」

「何でしょうか」

 互いにペンを走らせながらの会話だが、スピードはあちらの方が上だ。

 若干悔しい気持ちもするが、相手は伝説のシレジア王なのだから仕方ない。

「ウチの娘に、手は出してないだろうな」

「またですか」

 娘がいないとなると、すぐにこれだ。

 出会った日にも訊かれたし、二人きりになると絶対に尋ねてくる。

「いいか、フィーはシレジアの王女だからな。たとえお前が誰であろうと、絶対に許さん」

「女の子を無理やり襲うほど、ケダモノじゃないですよ」

「いや、男は獣だ。どんな聖人君主でも、ムラッとくる時はある」

 そりゃ、そうでしょうね。

 伝説のシレジア王が言うと、特に信憑性がある。

「それで、不倫しまくったわけですか」

「フィーが何を言ったかは知らんが、私は妻一筋だ」

「それ、娘の前で堂々と言ったらどうですか」

「言ったが、信用せんのだ」

 そう言って、レヴィン様はペンを勢いよく打ちつけた。

 部屋の外へ意識を向けると、フィーが帰ってきたようだった。

 相変わらず、すごい地獄耳だ。

「お待たせ」

「遅かったな」

「文句言うなら飲まないでよ」

 そう言い返しながら、フィーは先にレヴィン様に紅茶をいれた。

 単に俺よりも身分が上だからかもしれないけれど、端々に実は慕っている気配が見え隠れするよな。

「アーサー、何ジャムがいいかしら」

「マーマレード」

「一匙でいいのよね」

「ストレートにジャムだけだぞ」

「わかってるわよ、アンタの好みぐらい」

 うわっ、何か左から感じる視線が痛いんですけど。

 チラリと視線を感じた方を見ると、レヴィン様がカップを手に俺を睨みつけていた。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがと」

 レヴィン様の時には見せなかった笑顔付きだ。

 これは相当、レヴィン様を刺激してるよなぁ。

「仕事、終わりそう?」

「レヴィン様が半分やってくれてるから、今日中には」

「じゃあ、夕食は城の外で食べましょうよ。あたし、羊肉が食べたいな」

 明らかにレヴィン様を挑発しているフィーに、レヴィン様の怒りの矛先は俺へと突き刺さる。

 役得……と言うのだろうか、これは。

 微妙に役損になっている気がしないでもない。

 冗談抜きで、背中から襲われかねん。と言うか、この人はマジで襲ってくる。

「レヴィン様もどうですか。たまにはシレジア人同士、一緒に食卓を囲んでも」

「いやいや。若いお前たちの邪魔になるからな」

「そうよ、アーサー。こんな人、食事が不味くなるわ」

 表面上では遠慮しておきながら、レヴィン様の視線はこう言っている。

 二人きりで食事など、百年早い……と。

「いや、せっかくだから、為政者としての心構えとかも聴いてみたいなぁなんて」

「感心なことだな」

「何よ、それ。だったら、そこの人と二人で行けば」

 そんな無茶な。

 俺だって遠慮したいよ、レヴィン様なんて。

 フィーと二人きりの食事の方がいいに決まってるだろ。

「ほら、仕事手伝ってくれたしさ」

「感謝の意を示すというのは良いことだな」

「別にあたしは手伝ってもらってないもの」

 そうなんだけどさぁ……空気読んでくれ、フィー。

 君のお父さんは娘である君と食事がしたいわけで。そのダシに俺が使われているわけで。

 もちろん、二人っきりでの食事なんてさせてくれるつもりもないだろうし。

「私が金を出そう。お前たちに相談したいこともあるからな」

 額に汗が浮かび始めた俺に気付いてくれたのか、レヴィン様が苦笑しながら妥協案を出してきた。

「軍師様がおごってくれるっていうんなら、別に一緒に行ってあげなくもないわね」

 ……て、あっさり認めるのかい、フィー。

 心労で抜けた髪の毛を返してくれ。

「次の進軍に関して、真面目な話もある。フィーには話しておかねばならないこともあるからな」

「わかったわ」

 さすがに真剣な表情になったレヴィン様には、フィーも異議を唱えたりはしない。

 根っこのところでは、父親を信頼してるってことなんだろうな。

「さて、早く終わらせるとしようか。アーサー、お前は残りを片付けるまで食事抜きだ」

 片付けるスピードが違うのに、そういうこと言いますか。

 頑張りますよ、頑張りゃいいんでしょう。

 絶対に紅茶の一件の仕返しだろ、まったく。

「あたし、お腹空いてるから早くね」

 はいはい、お姫様。

 胃が痛くなるよ、まったく。

 フィーの兄貴とやらをさっさと見つけて、俺の代わりになってもらわなきゃ。

「だったら少しは手伝えよ」

「やーだ」

 ちくしょう、可愛いんだよ、その笑顔が。

 絶対にこの場では言えない台詞を心の中で叫んでおいて、俺は気分新たにペンを取った。

 いつか二人きりで食事をとるための根回しのために。

 

 

<了>