日常茶飯事


「おーい、ノイッシュ」

 城での勤務が終わって、俺は相方とも言うべき親友に声をかけた。

 明日は休み。これから街へ繰り出そうって腹だ。

「あぁ、アレクも終わったのか」

「休みの前日に残業するほど、要領悪くはないんだよ」

「お前らしい」

 苦笑しながら、ノイッシュが手にしていた書類を棚の中へと入れる。

 どうやら、コイツも仕事終わりだったようだ。

「街に行かないか」

「何だよ、またあの店か」

「そういうこと。な、行こうぜ」

 ノイッシュの言うあの店ってのは、ここ最近できた大衆酒場だ。

 そこのウェイトレスがお目当てで、色々な連中がやってくる。

 もちろん、俺もその一人だけど。

「悪いが、今日は先約が入っているんだ」

「ありゃ、珍しい。休みでもないのに、お前が約束があるなんて」

 こりゃ、明日は雨が降るかもな。

 堅物のノイッシュが仕事上がりに約束を入れるなんて、滅多にないことだしな。

「う……まぁ、仕方がなかったんだ」

 ノイッシュが妙に歯切れの悪い返事をしてくるときは、大概が女絡みだ。

 まさか、あのウェイトレスとってことはなさそうだが。

「女か」

「あぁ……今日は、仕方がなかったんだ」

 小指を立てて突き出した俺の右手を叩いて、ノイッシュが申し訳なさそうに顔をしかめる。

 別に女と先約があるっていうのは構わない。むしろ、コイツなら歓迎するぐらいだ。

「しかしまぁ、天下の堅物様が女と先約とはね」

「メアリーの誕生日なんだ。どうしても、一緒に食事がしたいと言われて……」

 うーむ。

 空いた口が塞がらないぜ。

 メアリーってのは、このどうしようもない堅物に惚れてるお嬢さんだ。

「……お前さ、彼女の誕生日にまで仕事してたのかよ」

「当然だ。任務を放棄してはならないだろう」

「いや、せめて早勤にしてもらうとかあるだろ。今、何時だと思ってんだ」

 外は真っ暗で、普通の家庭なら夕食の時間も過ぎてしまっている。

 夜の歓楽街が賑わいを見せ始める時間帯だぞ、今は。

「私事でシフトを変更してもらうわけにはいかない。気付いてなかったんだ、今日だということに」

「それで、この時間まで待たせてるのかよ」

「いや、遅くなると話したら、彼女の家の食事会に招かれた」

「お前なぁ……その格好で行くのか」

 いつだったか、メアリーの家は商家だと聞いたことがある。

 馴れ初めの話は教えてはくれなかったが、漏れ聞くところでは、相手の親も公認らしい。

 そうじゃなかったら、家に呼ばれる筈もないけどな。

「いや、着替えて行くつもりだ。さすがに埃まみれで会いたくない」

 さすがの堅物様も、汗と埃まみれの姿で会うほどではないらしい。

 相手の親御さんもいるのだから、当然といえば当然だが。

「お前なぁ、身支度に時間がかかるなら、前もって早く終わっとけよ」

「いや、しかし途中で離れるわけには……」

「書類整理なんて、いくらでもごまかせるだろうが」

 要領が悪いんだよ、まったく。

 ここの上役は、話がわかる人ばかりだってのに。

「とにかく、さっさと宿舎に戻るぞ」

「アレク、街へ行くんだろう」

「お前を送り出してからな」

「いや、そんなに心配してもらわなくても」

 心配なんだよ、お前は。

 まさか、平民服姿で出掛けるとも思えないが、念には念を入れてやらないとな。

「お前が汗を落としてる間に、準備しておいてやるよ」

「いや、別にそこまで……」

「荷物とかは揃ってるのか」

「今朝、ベッドの上に揃えてきた」

「なら、細々したものだけだな。ほら、さっさと戻るぞ」

「あ、おい、アレク」

 まったく、手のかかる相方だよ。

 ゴメンよ、シンフォニアちゃん。

 今日は君のところに行けそうにもないぜ。

 

 


 

「……おい、アレク」

「何だよ。さっさと着替えろよ」

 水浴びをして戻ってきたノイッシュは、俺の用意した服に難色を示していた。

 思っていた通り、平民服で出掛けるつもりだったらしいからな。

「これはさすがに」

「あのなぁ、あの服で行くほうがおかしいんだよ。仮にも、恋人の誕生日だろうが」

「それにしても、これは派手というか……その、騎士として」

「お前らがあんな地味な服を着るから、シアルフィの騎士は貧乏だって思われるんだよ」

 茶色の貫頭衣に普通の下服じゃ、地味すぎるにもほどがある。

 正装とは言わないが、せめて若者っぽい服は着て欲しいものだ。

「こんな服、どこにあったんだ」

「この間、一緒に買いに行っただろ」

「お前、一番下から引っ張りだしてきたのか」

「こういう日のために買わせたんだぞ。友情のためにも、今日はこれにしろ」

「う……わかったよ」

 コイツを従わせるには、友情という言葉と騎士道という言葉があればいい。

 渋々ながらも俺の揃えた服に着替えたノイッシュの髪をいじってやり、適度に固めてやる。

「ま、こんなもんだろ」

「歩いているうちに崩れるぞ」

「崩れて丁度いいようにしてある。とにかく、それ持って、早く行けよ」

「あぁ。すまない、アレク。恩に着る」

「気にすんなって。しっかり祝ってやって来い」

「あぁ」

 いつもより足取りも軽く、ノイッシュが荷物を大事そうに抱えて街へ駆けていく。

 あんなに走っちゃ、せっかくのセットも長くはもたないだろうな。

 結構な自信作だったんだが。

「さぁて、遅くなっちまったな」

 今から店に顔を出しても、気の早い連中がお目当ての娘をいじってる頃だろう。

 せっかく出掛けて行ったのに、普通の接客をされても面白くない。

「どうするかねぇ……酒って感じでもないし」

 別の酒場で、籐の立ったオネェチャンを相手にする気分でもない。

 かといってそのまま寝るのも、ノイッシュと比べて惨めになりそうだし。

「オイフェのところでも行くか」

 スサール卿の忘れ形見であるあの後輩は、まだ起きている頃だろう。

 とにかく勉強熱心な後輩に、夜の相手をさせるのも悪くはない。

「安いワインの一本でも持って行くか」

 それを一本目にして、後は蔵のワインをいただくとしよう。

 女の子だって、侍女がいるはずだからな。

「さぁて、あんまり遅くならねぇうちに行くとすっかな」

 あまり遅くなれば、侍女長に閉めだされかねない。

 服装だって、このままで行かなきゃならねぇだろうし。

「それにしても、いい月夜だぜ」

 バルコニーの恋人たちが、お互いを見つめ合うのに最適な明るさだ。

 暗すぎず、明るすぎず。

 青白く照らされた頬が、これ以上なく女を美しく見せるだろう。

「悲しくは、頬を見せてくれる女がいないってとこだな」

 オイフェの館へ馬首を向けて、俺は片手にワインを背負う。

 きっと、俺の背中は煤けていることだろう。

「アンタ、背中が泣いてるぜってな」

 

<了>