漆黒の御姫様


「……ねぇ、ラクチェみなかった?」

「いいえ。どうかしましたの?」

「うーん、ちょっとねー。ゴメンね、呼び止めちゃって」

「かまいませんから。では」

 そう言って立ち去るナンナに手を振り返して、パティは再びラクチェを探し始めた。

 


「……ふぅ、これでいいかな」

 斧を左手に持ち、ヨハンは右手の甲で額の汗を拭った。

「オゥ、サンキュな」

「なに、このくらいの仕事はかまわないよ」

「助かったぜ。お前も、男になら普通に話せるのな」

 ヨハンの割った薪を縄で縛りながら、レスターはそう言って笑った。

「無論。私とて、無意味に自分の詩をひけらかしたりはしない」

「いいことだ」

 縛り終えた薪を馬の背に載せ、レスターとヨハンは城の倉庫に向かって歩き出した。

 

 

 馬の手綱を引っ張りながら城の中庭を通る時、二人は組み手をしている最中の仲間に出会った。

「よぉ、精が出るな」

 レスターが声をかけると、丁度セリスの相手をしているスカサハが軽く手を挙げて応えた。

「薪か。すまなかったな、二人とも」

 二人の組み手を見て、気になった点を即座に指摘しているシャナンが二人の労をねぎらった。

「なに、この程度」

 最近のヨハンはシャナンに対しても余裕である。シャナンに恋人と呼べる相手はいないのだが、
ラクチェの心の大半を自分が占拠できている事を確認した為である。

 事実、ラクチェがシャナンに必要以上の特訓を受ける回数は、めっきり少なくなっていた。

「あら、ヨハン」

「ラクチェ……その格好は?」

「パティにもらったの。タンクトップって言うんだって。結構涼しいんだよ」

「いかん、いかんぞ、ラクチェ!」

 突如大声を張り上げ、ヨハンは自分のマントを脱ぐと、それをすっぽりとラクチェに被せてしまった。

 なんのことか解らずにマントの中で暴れるラクチェに、ヨハンはそれを抑えつけながら馬の背へと
担ぎ上げた。

「ちょっと……!」

「君のような乙女の肌、眩く輝くのを隠すのは忍びない。されど、君のような華が無防備に立っている
 のを、どうしてそのままにしておけようか」

「コラッ、ヨハンッ、降ろして!」

「あぁ……このヨハン、甘んじて君の叱りを受けようッ」

 そう言うと、ヨハンはラクチェを乗せた馬に飛び乗り、いきなり馬で駆け去っていった。

 

 呆気に取られている一同の沈黙を破ったのは、先程からラクチェを探しているパティだった。

「ねぇ、ラクチェいなかった?」

「いるにはいたのだが」

「なぁ?」

 互いに顔を見合すシャナンやレスターたちに、パティは不思議そうな顔で尋ね返した。

「何があったのよ」

「タンクトップ着たラクチェを、ヨハンが強引に連れ出して行ったんだよ」

「へぇ……相変わらずね、あの二人」

「ところで、パティは何でラクチェを探してんの?」

 組み手の手を休めていたスカサハが尋ねると、パティはいきなり後ずさりだすと、クルリと背を向けた。

「じゃ、ね」

 タタッと駆け出して行く元気娘を見送って、シャナンは大きく手を叩いた。

「再開するぞ。スカサハ、来いッ」

「ハイッ」

 中庭で、再び剣と剣の擦れあう音が響き始めることとなった。

 


 その日の夕食後、パティはようやく自室へ戻る途中のラクチェを捕まえることが出来た。

「いたいた。ようやく見つけたわ」

「何か用?」

「用って言うか……ラクチェ、アレはきてないの?」

「アレ?」

「ほら……その、物凄く痛いヤツよ」

「いや、傷薬なら間に合っているが」

 パティの求める答えとは完全に掛け離れた答えを返してくるラクチェに、パティはイライラを隠し
きれなかった。

「あぁッ、もぅッ。月よりの使者よ!」

 言ってから顔を赤くしたパティを十分に見てから、ラクチェはようやく反応をしめした。

「あぁ、メン――――」

「ワーーーァーー!!」

 不用意に口に出そうとしたラクチェの口を両手で塞ぎ、パティは大声で叫んだ。

 目を白くさせたラクチェが口を閉じると、ようやくパティは息を整え、再び同じ事を尋ねた。すると、
ラクチェは明るい表情でパティの予想もしなかった答えを返してきた。

「あぁ、こないのよ。いやぁ、楽よねぇー」

「へ? 来ない?」

「そ。ほら、人間って適応能力があるって言うじゃない。多分、戦いがキツくて、止まっちゃったのよ」

 あっけらかんとそう言うラクチェと反対に、パティの顔はみるみる硬くなっていった。 

「ラクチェ、それって……」

「戦女神って言われても、やっぱり人間だったのよねぇ」

「そうじゃないと思うよ……」

「そういうことだから、パティが用意してくれたもの、今は要らない」

「別のもの用意しなきゃ……」

「何よ、パティ?」

 いきなりブツブツと小声になって呟き始めたパティの顔を覗き込もうとしたラクチェは、パティに肩を
揺さぶられ、自室で一人でいるように告げられた。

「いいけど?」

「絶対だからね!」

 そう言い残して駆け出すパティに、ラクチェは不思議そうな視線を送っていた。

 


 パティの言いつけ通り、一人、自室で待っていたラクチェは、ノックの音を聞いて扉を開けた。

「あら、ラナも一緒なの」

「ついて来てもらったの。ラナ、準備はいい?」

「えぇ」

「じゃ、これからやることに従ってね、ラクチェ」

 

 

 数分後、ラクチェの悲鳴と同時に、部屋に飛び込んで来る男が約一名。

「どうしたッ、ラクチェッ?」

「……ヨハン……」

「来たな、悪の根源……」

 ラナとパティの言い様に疑問をもったヨハンだが、かまわずにラクチェを見る。見ると、ラクチェは
複雑な表情で佇んでいた。

「ラクチェ?」

「ヨハン……」

「何があったのだ?」

「なんかね……前線に出るなって」

「前線に? どこか具合でも悪いのか? ラナ殿、どういうわけで?」

 ヨハンに見つめられ、ラナは横にいるパティの横腹を突付いた。

「言うの?」

「言わなきゃダメでしょ」

「セリス様にお願いした方が……」

「決定的でしょ。4ヶ月もなかったらしいのよ?」

「紫葉漬けを食べるようになったしね……」

 遠まわしに気付かせようとする二人だったが、当然ヨハンが気付くはずもない。

 そのうちに、ラクチェの悲鳴に気付いたスカサハが扉を開けて入って来た。

「何だ、何の騒ぎだ?」

「あ、スカサハ……」

「ラナにパティまで……ヨハン、どうしたんだ?」

「さぁ? 私も詳しくは聞いていないんだ」

「どうしたんだ、ラナ?」

 スカサハならば大丈夫だと踏んだのか、パティがスカサハにそっと耳打をする。その直後、
スカサハの表情が鬼へと変化とする。

「ヨハン、貴様ァ!」

「義兄上?」

「許さん!」

 いきなり抜刀するスカサハに驚きながら、ヨハンは必死で理由を問いただそうとする。

「何があったのだ?」

「貴様ァッ、まだシラをきるつもりか!」

「ま、待ってくれ。いくら義兄上でも、理由もなしには……」

「自分の胸に聞きやがれ!!」

 スカサハの周囲が緑色に輝き出す。

「スカサハッ、落ち着いてッ」

「ダメよッ、ラクチェの子供をリーンみたいにするつもりッ」

 ラナとパティの二人が必死に声をかけても、スカサハの歩みは止まらない。さすがのヨハンもことの
次第に気付いたのか、ラクチェを振り返る。

 ラクチェが頬を染めて軽く肯いてみせると、ヨハンの頭からスカサハの姿が消えた。

「ォォォオオオッ!!」

「キャッ」

 ラクチェの体が宙に舞う。ヨハンの腕の中で、ヨハンの回転と同時に回った笑顔のラクチェを見て、
スカサハから放たれていたオーラが収束へと向かう。

 スカサハのオーラが完全に収まったところで、ヨハンがラクチェの肩を抱き、スカサハの前に膝を
付いた。

「義兄上……」

「……クソッ、泣かせたら、承知しないからなッ」

「無論。このヨハン、身命を賭し、いや、命尽きようともラクチェを守り抜くとここに誓おう」

「好きにしろ。……ラクチェ、今なら引き返せるぞ」

「いいよ……好きでやったんだし」

「ラクチェがいいなら……かまわない」

 何とかそれだけを言い切ると、スカサハは肩を震わせながらラナとパティの横を抜け、部屋を出て
行った。

 パティとラナもそれを追い、部屋には二人だけが残された。

 

 しばしの沈黙の後、ラクチェがヨハンの胸に収まる。

「気付かなかった」

「私もだ。いつの間にか、君が重くなっていたことなど、感じられなかった。これからは、君だけではなく、
 守るものが増えたようだ」

「守ってね、ヨハン……」

「当然だ。私と君との子供だ。どうして守らずにいられよう」

「好きって言って」

「好きだ。愛している」

「もっと……」

「何度でも誓おう……だが、今はこれで許して欲しい」

「あッ……」

 ヨハンの手がラクチェの頬を固定する。

 ラクチェが静かに目を閉じた。

 ヨハンの神聖な誓祷が始まった。

 

「……君を離すものか」

「共に戦い続けよう」

「未来のために」

 

「……髪、伸ばそうかな」

 

 

 御姫様の願いは、一つ、かないました。残る願いは……あと一つ。

<了>