吐息に残る


 

「言ったわね、レックス」

「あぁ、言ったぞ」

「絶対に許さないんだから」

 食堂の中央で白熱している幼馴染二人の声に、夜食をとりに来たアゼルは何事かと振り返る。

「ちょっと、どうしたのさ」

「アゼルは黙っててッ」

「そうだぞ。この爆弾娘に、お仕置きしてやらんといかんのだ」

「何ですってッ」

「まぁまぁ」

 アゼルを挟んで口論を再開しようとした二人の間に、すべり込むようにして身体を入れる。
 最初は両腕を突っ張ろうとしたアゼルだったが、二人の接近する勢いに負けた。

 仕方なく両手でティルテュの肩を押さえることにして、ようやく二人を引き離す。
 もちろん、その程度でこの二人のケンカが収まるはずもないが。

「アゼル、邪魔」

「とにかく落ち着いてよ。何があったのか、僕に話して」

 アゼルの言葉に、レックスが顔を背ける。
 それを見た瞬間、アゼルは事の発端を悟った。

「レックス……また、ティルをからかったんだね」

「いや、別にそうじゃねーよ」

「レックス」

 アゼルの語気の強さに、レックスが両手を挙げる。

「別に何も言っちゃいないぜ。アイリッシュ・コーヒーなんて飲める歳になったんだなって」

「それだけじゃないわッ」

 また激昂し始めたティルテュを押さえて、アゼルは無言でレックスを見詰めた。
 身長では頭一つ分も低い二人に睨まれて、レックスが再び視線をそらす。

「まぁ、その、何だ」

「それから、何言ったの」

「まー、その、言っちゃいけないことを」

「何を、言ったの」

 一文字一文字を区切るアゼルに、レックスがこらえきれずにテーブルを叩きつけた。

「胸がないとか、いつまでも腹出てんじゃないのかとか、そういうこったよッ」

「また言ったッ」

 一触即発の二人に、アゼルは深いため息をついた。
 毎度のこととはいえ、他人目のある、しかも他国で言い合うことではない。

「レックスが悪い」

「何だよ。率直な感想だろ」

「最初の一言だけならね」

「まぁ、その、何だ……つい口が滑ったんだよ」

 早くも放電し始めたティルテュに、二人は慌てて制止にかかる。

「ティル、抑えて」

「そうだぞ。場所を考えろ、場所を」

「ヤ」

 たった一文字だけで、彼女の殺気と本気度が伝わってくる。
 これほどまでに短縮された意思表示もないだろう。

「レックスも謝ってよ」

「悪かったよ。気にしてるんだな」

「一言多いッ」

 最初はことのなりゆきを見守っていた観客たちも、我先にと避難し始めた。
 アゼルほどの魔道士だから無事でいられるものの、ティルテュの雷は周囲を怯えさせる。

「アゼル、後は任せた」

 さすがに命の危険を感じ始め、レックスが逃走を試みた。
 背中を向けて走りだそうとした彼の目の前に、先走った雷が落ちた。

「アゼル、オレ、死ぬかも」

「自業自得だね」

 脂汗をにじませながらの言葉にも、素気無い言葉が返される。
 レックスにしてみれば、生きた心地がしないとは、まさにこのような状況である。

「んな、薄情な。オレたち、親友だよな」

「いくら親友でも、自分の彼女にそんなこと言われたら、気分悪いだろ」

「いや、ほんの弾みなんだって」

 弁明するレックスに、ティルテュが手をかざす。
 魔力発動の呪文を詠唱し始めた彼女を見て、レックスが思わず目を閉じた。

 走馬灯が走りそうになっている親友をみかねてか、アゼルハティルテュの口を塞いだ。
 魔力の発動は抑えられたものの、止まらなかった雷が、食堂内に黒い煙を立ち上がらせる。

「んーん、んよッ」

「トローンなんか撃ったら、レックスが死んじゃうよ」

「そうだぞ。自慢じゃないが、耐える自信がない」

 堂々と死亡宣言をするレックスに、ティルテュが発動を解除する。
 表面上は飄々としていても、レックスの背中には冷たい汗が滝のように流れていた。

「ふぅ……でも、このままじゃ腹の虫がおさまらないわ」

「なら、罰ゲームですませるっていうのはどうかな」

「……うんと滑稽で、一ヶ月くらいネタにされるのなら許すわ」

「何だよ、晒し者か」

 レックスの呟きを無視して、アゼルは胸を撫で下ろす。
 このままティルテュが暴走でもすれば、後始末は間違いなくアゼルの役目になる。

「ちょっと、耳貸して」

 とはいえ、最悪の事態は免れたが、このままのティルテュの怖さは身に染みてわかっている。
 必死に思考を巡らせ、彼女の気分が収まる案を考え出す。

「えー……あー、うん。それなら」

「ね……いいでしょ」

 

 自分の彼女へにっこりと微笑む親友の姿に、レックスは寒気を感じ始めていた。

 権謀術数の元締めともいえるフリージの公女に、才気溢れるヴェルトマーの公子。
 その二人が納得するような仕返しなど、考えただけで恐ろしいものがある。

「あの、逃げてもいいのかな、オレ」

 レックスの呟きに、ティルテュが笑顔で振り返る。
 覚悟を決めたレックスは、どっかりと椅子に座った。

「仲直りの手打ちに、まずは一杯」

 レックスの隣にティルテュが座り、アゼルが厨房へと入っていく。
 レックスにとって耐え難い時間が流れること数分。ようやくアゼルが戻ってきた。

「はい、これ」

「何だよ、これは」

 目の前に置かれた七色のカクテルを見て、レックスは顔をしかめた。
 元々、ドズルでは原酒をそのまま飲むのが主流で、ヴェルトマーのようにカクテルには詳しくない。

「プース・カフェね」

「怒りを”おしやる”というわけで」

 綺麗に層になっているグラスを持ち上げ、ティルテュが先に口に含む。
 後を追うようにしてグラスを傾けたレックスは、あまりの度数の強さにむせこんだ。

「な、何だよ、この酒ッ」

「あ、度数は高いからね」

「こんな酒、飲めるかよッ」

 通常のワインの悠に二倍のアルコール度数を誇るカクテルに、レックスは思わずグラスを置いた。
 その隣では、ティルテュが混ざり始めたカクテルを悠然と飲み続けている。

「う……」

 飲みながら、目顔で挑発してくるティルテュに、レックスは勢いよくグラスを持ち上げた。

「いッ……ん……どうよッ」

 コクコクと胃の中へカクテルを流し込み、レックスは熱くなった頬を押さえつつ立ち上がる。

「はい。ついでで悪いけど、アイラに寝酒を持っていってあげてね」

 立ち上がったレックスに、アゼルが銀盆に載せた新しいカクテルを渡す。

「何だよ、お遣いか」

 自身の息に混じるアルコールの匂いに顔をしかめつつ、レックスは銀盆を受け取った。
 まだグラスを傾けているティルテュを盗み見ると、ここで退場しても文句は出なさそうである。

「悪いね。頼まれてたんだよ」

「いいぜ。そのかわり、今日のことはこれで手打ちだからな」

「はいはい」

 

 銀盆を手に、少し危なっかしい足取りで、レックスが食堂を出る。
 残った二人は十分に彼が離れてから、声を潜めて笑いだした。

「んー、あっさり引っかかったわね」

「よく飲んだよね。カカオリキュールじゃなくて、ブランデーを強くしたのに」

「明日の朝が楽しみだわ」

 アルコールの匂いをまったくさせないカクテルを飲み干して、ティルテュが笑う。
 彼女に出されたカクテルには、リキュールすら、一滴も入ってはいなかった。

 

 

 

 

「む……誰だ」

 髪をとかし、寝支度を終えていたアイラは、少し乱暴なノックの音に顔をしかめた。
 それでも夜着の上に厚めのコートをはおり、何とか体裁を整える。

「よぉ」

「レックス。何かあったのか」

「いや、単なるお遣いだ」

 緊急事態ではないとわかり、アイラは小さく肩をすくめた。
 銀盆を手にしているレックスを押しやるようにして廊下に出ると、後ろ手に扉を閉める。

「何だ、それは」

 銀盆を指したアイラは、レックスからアルコールの匂いをかぎとった。
 思わず眉をひそめるが、レックスに気付いた様子はない。

「アゼルに寝酒、頼んだんだろ」

「あぁ……だが、何故にお前が」

「いろいろあんだよ」

 視線をそらしたレックスに、アイラは銀盆の上へと視線を落とした。
 黄色のカクテルからは、微かにレモンの香りが漂ってくる。

「ふむ。それは悪かったな」

「気にすんな」

「ところで、この紙は何なんだ」

 グラスで挟まれていた紙をつまみ取り、アイラは書かれている文字を読む。

「あぁ、お前にあったカクテルの名前だろ」

 紙に書かれている字も確認せずに、レックスがそう言って肩をすくめる。
 アゼルのそうしたカクテル合わせはいつものことだった。

「ほぅ……いい度胸だな」

 レックスの言葉に、アイラは握りこぶしを固めた。

「酒に酔った上での所業ならば、これで終いにしてやろう」

「あぁん……何言って」

 レックスに最後まで言わせずに、アイラはレックスの顔面へ制裁を加えた。

 

 

 

 

「ぷっ」

「キャハハハッ」

 翌朝、食堂へ姿を表したレックスを待ち受けていたのは、女性陣からの嘲笑だった。
 特に上流階級の淑女でもないシルヴィアなどは、指をさしながら笑う始末である。

「レックスのダンナ、黒猫にでも引っ叩かれたんですか」

「知るかッ」

 すれ違いざまにからかってきたアレクを怒鳴り散らし、レックスは目的の人物の背後に立つ。
 レックスが声をかける前に、アゼルの向かいに座っていたティルテュが机を叩きながら笑いだした。

「アハハッ……お、お腹痛い」

 腹を抱えて笑うティルテュに、レックスは不機嫌さ丸出しの低い声で応える。

「テメェらのせいだろうがよ」

「アハッ、その顔じゃ、何言っても無理ー」

 ティルテュの言うように、レックスの右頬には赤い手形があり、左顎には青あざができていた。
 心なしか、唇も腫れぼったい。

「うわー、見事にやられたね」

 レックスを振り返ったアゼルが、目許に涙を浮かべながら、仕草でレックスに席をすすめる。
 周囲の好奇の視線を感じながら、レックスは昨夜の一件の仕掛人であろう親友をにらみつけた。

「アゼル、あのカクテルは何だ」

「何って、寝酒だよ」

「寝酒を持っていっただけで殴るような奴じゃねぇ。何か、細工してあんだろうが」

「細工も何も、素敵なナイトキャップ・カクテルだよ」

「んなわけあるかッ」

 思わず立ち上がり、レックスはアゼルの胸倉をつかんでいた。

「お前、わざわざカクテルの名前を書いた紙を挟んだだろッ」

「名前、教えて欲しい?」

「言え、今すぐ」

 アゼルの身体ごと持ち上げんばかりに力をこめたレックスに、アゼルが口許を緩める。

「ビトゥイーン・ザ・シーツって言うんだよ」

「”ベットの中に入って待ってろ”って意味よね」

 アゼルの口にしたカクテル名を補足するように、ティルテュが微笑みながら意味を告げる。

「……じゃあ、何か。俺は、酔っぱらって、アイラに”ベッドで待ってろ”とか言ったわけか」

「まぁ、そうなるわよね」

 思考の停止したレックスの背後を、食事を終えたアイラが通り過ぎる。

「あ、あの、アイラさん」

 アイラの名前を呼んだレックスは、自身の声が妙に乾いているのに気付いていた。
 細めた目をして振り返ったアイラが、静かに口を呟く。

「今日はことのほか、剣のキレが良さそうだ。鍛錬場で待つ」

 それだけ言って、アイラがスタスタと歩き去っていく。

「よかったわね、レックス。アイラとマンツーマンよ」

「……オレ、死ぬな」

 どこか客観的に物事を受け止めつつ、レックスは改めてこれから迫りくる恐怖に身を震わせていた。

 

<了>