愛しているから


「あー、寒い寒い」

 シレジア天馬騎士団の一人で、フュリー隊の先陣を任されているプシュケでも、シレジアの冬は寒い。
 ましてや見張り台から下りてきたばかりの今は、身体が暖を欲するのも無理はなかった。

「お、いいところに」

 目の前の廊下を横切ろうとしている侍女がカートを押しているのを見つけ、彼女は声をかけつつ歩調を速めた。
 プシュケに気付いた侍女が足を止め、その場でお辞儀する。

「これ、誰の」
「レヴィン王子のでございます。フュリー様が見回りのため、代わりに運ぶようにと」
「むー、さすがに王子のを横取りするわけにもいかないか」

 プシュケの言葉に、侍女が口許を緩ませた。
 よく見ればプシュケの髪は水気を含んでいて、外に出ていたことがすぐにわかる。

「お勤め、ご苦労様です。まだ、食堂の火は落ちていないと思いますよ」
「なら、紅茶でももらいにいくかな……呼び止めて悪かったね」
「いえ、お気になさらず」

 プシュケはレヴィンの部屋へ向かうであろう侍女を見送り、彼女とは反対に食堂へと向かう。
 廊下を歩くうち、次第に寒さは薄れてはきたが、今度は濡れた髪から寒気が襲ってくる。

「紅茶じゃダメだねぇ」

 まだ人気の残っている食堂に入ると、真っ直ぐに厨房へと声をかける。
 応対に出てきた侍女にスープを頼み、プシュケは何気なく食堂の中を見回した。

 そろそろ夜も遅くなってきているためか、食堂にいるのはそのほとんどが下級兵士である。
 上司のいない気軽さからか、いくつかのグループでは酒の力も借りて盛り上がっている。

「はい、お待たせいたしました」
「ん、ありがとう」

 スープの入ったカップを受け取り、プシュケは天馬騎士たちのいるグループへと寄っていった。
 彼女に気付いた騎士の一人が手を振って、プシュケのために席を空ける。

「ご苦労様」
「寒くってかなわないよね、本当」
「そうね。フュリー隊長も、今日ぐらいはお休みになられればいいのに」
「見回りだっけ、フュリー隊長は」
「違いますよ。今日は新人の夜間飛行訓練で、そろそろ帰ってこられるんじゃなかったかなぁ」

 同僚の騎士の言葉に、プシュケは疑問を感じながら、スープに口をつけた。
 侍女の勘違いや意訳はありうることだし、フュリーが用事でいないという事実は変わらないのだ。

 そのまま騎士たちの会話に耳を傾けていると、にわかに食堂の外が賑やかになってきた。
 ふと視線を向けると、新人騎士や見習い騎士に囲まれたフュリーが輪の中心にいた。

「あら、帰ってこられたわ」
「うわー、囲まれちゃってるわね」

 若くして騎士団長を務め、更にはレヴィン王子の側近でもあるフュリーは、若い騎士たちの憧れの的である。
 どちらかと言えば厳しさを前面に押しだすマーニャやパメラよりも話しやすく、また話に応じてくれる。
 帰ってきた王子の婚約者候補ということもあり、見習い騎士たちの中では、フュリーが抜群の人気を誇っていた。

 ただし、プシュケたちフュリーと同期の騎士や先任騎士たちには、騎士団長のフュリーも可愛がる対象となる。
 かつてはお姉様と慕ってくれたフュリーを、あるときはからかいながら、優しく見守っているのである。

「夜間飛行で、ちょっとハイになってるんじゃないの」
「ありうるわね。フュリーの手には負えないかも」

 若い騎士たちの話し声を聞いて、先任騎士が顔をしかめる。
 よく見れば、フュリーの顔にも苦笑が浮かんでいた。

「助けてきますか」
「そうだねぇ。夜も遅いことだし、あまり相手させるのもよくないし」
「それじゃ、私が行ってきますよ」
「よし、プシュケ、行っておいで」

 先輩騎士たちの視線を背に受けて、プシュケは新人たちの輪の中に加わった。
 彼女に気付いたフュリーが、少しだけホッとした表情を見せる。

「プシュケ」
「ご苦労様でした。王子が紅茶片手に待ってますよ」

 半分からかい気味の言葉にも、フュリーが頬を赤く染める。
 この初々しさが、先輩騎士たちにとってはたまらない肴となる。

「もぅ……でも、早く就寝の紅茶を持っていかないと、またご機嫌を損ねるわね」
「そうですよ……って、隊長、今日は侍女に持って行かせたんでしょう」
「いいえ。王子が愛飲されている茶葉は特別なものだから、私が預かって……」

 二人の間に沈黙が流れ、その様子に気付いた先輩騎士たちの一人が、そっと二人のところへと寄っていく。

「変ね。アタシも見たよ。侍女がポットに入れた紅茶を王子の部屋へ運ぶ途中を」
「ちょっと待ってください」

 先輩騎士の言葉を遮り、フュリーが厨房の中へ入っていく。
 しばらくして戻ってきたフュリーの表情は、やや硬くなっていた。

「いつもの茶葉はこれよ。いつもの戸棚にしまってあったわ」
「少なくなってきていたとか……」
「これだけ残っているのに」

 プシュケの言葉は、缶を開けたフュリーとその中身の量によって、完全に否定されていた。
 それと同時に、フュリーの表情が消えていく。

「一体、誰が……」

 フュリーが答えを探し出す前に、既に年配の天馬騎士たちはフュリーの周囲に集まり終えていた。
 武器こそ持ってはいないが、その表情だけでも若い騎士たちは身体を硬くする。

「念のためです。私とプシュケの二人で王子の部屋へ。後は各見張り所へ連絡を」

 フュリーの指示に、心得ていた先輩騎士が若い騎士たちを隊分けしていく。

「槍の得意な者は、天馬に乗る。剣の得意な者は城内を手分けして調べるぞ」
「は、はい」
「ラーシャが天馬隊を、クズネは残りを束ねて。シグルド様にもご連絡を」

 フュリーの決定に、槍を手にした天馬騎士の一団が駆け出す。
 食堂にいた門兵たちも、臨時的にクズネの指揮下へと編入される。

「プシュケ、急ぐわよ」
「はいなッ」

 フュリーから細身の剣を受け取り、プシュケが先頭に立ってレヴィンの部屋へと急ぐ。
 細身の槍を携えてその後ろを駆けるフュリーの緊張が、前を走るプシュケにも伝わってくる。

 

 

「レヴィン王子、ご無事ですかッ」

 ほとんど扉を蹴破るようにしてレヴィンの部屋に駆け込んだプシュケの目に、人影に馬乗りになっている侍女が映る。
 間を置かずに入ってきたフュリーの長柄が、真っ直ぐに侍女を貫かんと繰り出された。

「くっ……」

 ひらりと身をかわした侍女が離れた隙に、プシュケはレヴィンに駆け寄った。
 喉を押さえて呻いてはいるものの、これといった外傷はない。
 そばには紅茶の染みができているところからして、痺れ薬などの薬物の疑いが強い。

「この御方を、レヴィン王子と知っての狼藉か」
「……」

 フュリーの問いかけに、侍女が窓枠をつかむ。
 次の瞬間、侍女は身を窓の外へと躍らせていた。
 慌てて駆け寄ったフュリーをあざ笑うかのように、侍女が落下していく。

「フュリー隊長、王子は無事ですッ」
「こちらは窓の外へ飛び降りたわ。確認のために、誰かをやらないと」
「フュリー隊長はここでお待ちを。薬師を呼んできます」
「お願い。それから、アウロラがいたらアウロラを呼んで。ラーナ様にご指示を仰がないと」
「わかりました。すぐに飛ばしますッ」

 咳きこむレヴィンをフュリーに任せ、プシュケは薬師のところへと駆けた。
 呼吸等は安定しはじめていたものの、薬物系は薬物を如何に迅速に確定させるかが鍵になる。

「まったく、えらい夜になったものだわ」

 そう呟くプシュケの視線の先に、夜着に上着を羽織っただけのプリーストが映る。
 城全体が、目を覚まし始めていた。

 

 


 シグルドたちがセイレーン城に駐留して初めての冬。
 寒さに慣れていない面々の中で、比較的寒い地域に住んでいたティルテュだけは、それほど参ってはいなかった。

 セイレーンのように寒流がそばを流れているわけではないけれども、フリージも山間部は寒さが厳しい。
 平野部も雪こそないものの、冬の強風はフリージの季節の代名詞ともなっている。

「あー、退屈ね」
「はい、紅茶」
「ありがと、アゼル」

 ベッドの上に座り、両手でカップを持つティルテュは、贔屓目なしに可愛い。
 恋人寸前の彼女の姿を、アゼルは心の中でガッツポーズをしながら、存分に堪能していた。

「そう言えば、今日はずいぶんと騒がしくない?」
「レヴィン王子の部屋に、刺客が入り込んだらしいよ」
「物騒ねぇ。これだけ騒いでるってことは、まだ捕まってないのね」
「窓の外へ飛び降りたらしいけど、死体が見つかってないんだって」
「暗部の人間なら、その程度のことはできるでしょうね」
「多分……ね」

 二人とも、表舞台に立つ機会は少なかったとはいえ、公爵家の血筋を引く人間である。
 特にティルテュはレプトールと本妻の間に生まれた次女で、レプトールの可愛がりようも普通ではなかった。
 それだけそばにいてしまうと、いくら隠そうとしても暗部などの闇の部分は知ってしまうことになる。

「よく生きていたわね、レヴィンも」
「ギリギリだったみたいだね。念のため、エーディンも待機してるってさ」
「そう。あまり出歩かないほうがいいみたいね、今日は」

 外はいつもより風が強く、昨夜の一件がなくても出かける気にはならないだろう。
 硬く閉ざされた窓の向こうでは、常緑の木の枝が、風にしなっているのが見える。
 その中を外出するには、多少の勇気が必要だった。

「新しい腰掛けを見に行きたかったのだけど、仕方ないわね」
「そうだね。出入りの商人を呼ぶにも、今日は日が悪いよ」
「そうなると、余計に見に行きたくなるのよね」
「こらえてよ」

 腰を浮かそうとしたティルテュに苦笑して、アゼルは自分用のカップに紅茶を注いだ。
 ストレートで飲むティルテュとは違って、レモンの薄切りを浮かべ、軽くカップを揺する。
 ほんのわずかに溶け出した酸味がそれ以上強くならないようにレモンを抜き、冷めないうちに紅茶を口に運ぶ。

「失礼します」

 ノックをしてから入ってきた来客に、アゼルは一口でカップを置いた。
 ティルテュも腰掛けをわずかに持ち上げ、窓の外へと視線を向ける。

「ティルテュ様もおられましたか」
「まぁね」

 フュリーの言葉に、ティルテュが視線を戻す。
 入ってきたフュリーを見ると、昨日の一件が事実であったことがわかる。
 戦闘用の金属の胸当てではなく皮の胸当てをつけているものの、ほかは戦時中と言ってもいい装いであった。

「ものものしいわね。昨日の一件、噂しか聞いてないけど」
「はい。レヴィン王子を狙ったものと思われますが、しばらくは城内の警備を強化する予定です」
「それで、レヴィン王子は無事なのかい」
「命に別状はございません。毒も麻痺系のものでしたので、明日には抜けると薬師が」

 フュリーの報告からは、やや安堵の気配があった。
 ティルテュもそのことを感じ取り、話題を変える。

「それで、刺客は見つかったの?」
「いえ……窓の外へ飛び降りたのは確認したのですが、生死は不明です」
「妙な話ね。レヴィンの部屋から飛び降りたなら、普通の人間は助からないわ」
「風に流された可能性もありますので、今日は範囲を広げて痕跡を探しております」

 フュリーの答えに、ティルテュが立ち上がる。
 何気ないように立ち上がった彼女の後ろ姿を見て、アゼルは頭の中で今日の予定をキャンセルした。

「あたしたちも気をつけておくわ」
「はい。まだ城内に潜んでいる可能性もありますので、十分にご注意を」

 フュリーが出て行くと、ティルテュは腰掛けをたたみ、アゼルを振り返った。
 その瞳は、おやつを目の前にした子供のようである。

「ねぇ」
「やだよ」

 ティルテュの言葉を最後まで言わさずに否定したアゼルに、ティルテュが頬を膨らませる。
 アゼルにしてみれば余計なことをさせたくないのだが、その部分がティルテュに通じるはずもなかった。

「あたし、まだ何も言ってないけど」
「どうせ、犯人探しに行くとか言うんだろ」
「よくわかったわね」

 ティルテュがにっこりと微笑み、アゼルの部屋のクローゼットから、彼愛用の赤いマントを取り出す。
 有無を言わせずにマントを押し付けると、一人で頬を張り、一人で気合を入れた。

「よしっ、行くわよ」
「だからね、僕は反対だって」
「まずは侍女長ね。今日、休んでるのが一番怪しいわ」
「ここは大人しく、フュリーの仕事の邪魔をしないように」
「行くわよ、アゼル」

 意気揚々と部屋を出たティルテュを追いかけて、アゼルは慌てて外へと駆け出す。
 部屋の外に出たところで、待ち構えていたティルテュに微笑まれ、アゼルは諦めのため息をもらした。

「本当に……無茶だけはしないって約束してよ」
「侍女長に今日の欠席者を確認して、その欠席者に一人ずつ会いに行くだけよ」
「時間かかるよ」
「どうせ暇つぶしだもの。レヴィンには悪いけど、そんな細かな推理なんてやってらんないわよ」

 ティルテュにしてみれば、格好の暇つぶしでもある。
 城内にいれば事情聴取をして、城外にいれば会いに行く。
 それだけのことをしても、今日一日は十分に楽しめるのだ。

「推理ごっこしてる場合じゃないと思うんだけど」
「もちろん、犯人を見つけて締め上げて、送り込んだ人間を吐かせるのよ」
「そういうことは、フュリーに任せて」
「面白いことは自分でする。それがあたしのモットーよ」
「無茶苦茶だよ」

 再びため息をつくアゼルの腕をつかんで、ティルテュは侍女長のいる厨房へと向かった。
 引きずられるようにして歩くアゼルの視界の隅に、せわしなく城内を駆け回っている天馬騎士たちの姿が映っていた。

 

 


「プシュケです。フュリー隊長、入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」

 中から返ってきたフュリーの声に、プシュケは扉を開けた。
 中に入ると、火にかけられたヤカンが湯気を上げ、室内の適度な湿気を保っている。

「ご苦労様」

 命に別状はないものの意識の戻らないレヴィンのそばに付き添っているフュリーが、そう言ってプシュケを出迎える。
 額に置かれたタオルを交換したり、こまめに窓を開け閉めし、甲斐甲斐しく世話をする様子はどうもみても夫婦である。

 早く結婚すればいいのになどと思いながら、プシュケはフュリーの前で踵を合わせた。

「ご指示通り、調べてまいりました」
「どうだったかしら」

 翌朝になっても飛び降りた刺客の遺体が発見できず、プシュケはフュリーの指示で内偵を進めていたのだった。
 そのためには、フュリーよりも彼女のほうが聞き取りがしやすいのである。

「隊長の指摘どおりです。昨夜、私が見た侍女が、棚から紅茶の缶を取り出したようです」
「だとすれば、その侍女で間違いないわね」

 表情を変えずにそう言ったフュリーが、レヴィンの額に置かれたタオルをとる。
 そばに置いてある冷水にタオルを浸し、十分に冷やしなおしたタオルを固く絞る。

「レヴィン様がその侍女に紅茶を頼んだという話は、どこかから挙がったのかしら」
「今のところは確認できません」

 そう答えながら、プシュケは改めてフュリーの力に舌を巻いていた。

 フュリーの指示は、紅茶の缶を誰が取り出したのかを確認するだけだった。
 ただそれだけで、全てがわかると言ったのである。

「でも、それだけで犯人と決めつけていいんですか」
「レヴィン様の部屋に運ばれていた紅茶の缶のラベルだけでも、十分な証拠よ。
 そして、その者が紅茶を運んだこと自体が、刺客である何よりの証拠。
 レヴィン様が毎日紅茶を飲んでから寝るという習慣こそが、私の罠なの」

 シレジアの王位継承者であるレヴィンの暗殺を、フュリーが警戒しないはずはない。
 彼女が予め張り巡らせた罠は、いたるところに存在していた。
 毎日、レヴィンの就寝前に紅茶をフュリー自身が運んでいたことすら、既に刺客に対する罠なのである。

 シレジア天馬騎士四天王は、単にレヴィンの側近だからという理由だけではない。
 軍の指揮力では他の三人に及ばないものの、洞察力や根回しでは三人を凌ぐほどの力を持っていたのである。

「その者の場所は確認しているわね」
「はい。エレミヤをつけてあります」
「どう言って、任せているの」
「侍女の護衛としてあります。実際、侍女だけで動いている組には、他にも騎士を配してありますので」

 プシュケの報告に、フュリーが軽く頷く。
 そして、レヴィンの方を見ると、背中を見せたまま、プシュケへと指示を下す。

「そろそろ幕を引きましょう。お姉様がセイレーンに着くまでには、まだ時間がかかりそうね」
「はい。アウロラすら帰ってきていませんし」
「これ以上は待てません。心苦しいですが、王子の護衛はシグルド様のお力をお借りしましょう」

 そう言って、フュリーが固く絞ったタオルでレヴィンの顔を拭く。
 毒気はまだ抜けきっていないのか、レヴィンの額には拭っても拭っても脂汗が浮かんでいた。

「それじゃあ、どなたに」
「ノイッシュ殿にお願いしましょう。プシュケ、行ってくれるわね」
「はい。金髪の方でしたっけ」
「お願いね」

 プシュケがノイッシュを呼びに部屋を出て行くと、フュリーはレヴィンの頬に手を当てた。
 一向に目を覚ます気配はないが、それでも頬の温もりは昨晩よりも増している。

「申し訳ありません、レヴィン様。私が付いていながら……」

 レヴィンの額に自分の額を重ね合わせ、フュリーは祈るようにしてレヴィンの温もりを感じていた。

 

 


 フュリーとプシュケが昨晩の犯人を見つけ出していた頃、ティルテュとアゼルの二人は城下の教会を目指していた。
 侍女の一人から聞き出した休暇をとっている者を、しらみつぶしにまわっているのである。

 そのほとんどが在宅しており、アリバイもしっかりしたものだった。
 空振りばかりの突撃にも、ティルテュは意気揚々と歩を進めていた。

「そのうち、犯人に行き当たるわよ」
「そりゃま……そうかもしれないけど」

 アゼルにしてみれば、これほど非効率な方法もない。
 けれど、上機嫌に歩を進めるティルテュに反論することはなかった。

 彼にとっては、行く先々で受ける”ティルテュの恋人”扱いが嬉しかったのである。
 そうなれば、ここで不満を言ってこのお出掛けが断ち切られるのは面白くないのだ。

「それにしても、随分と妙なところにいるものね」
「関係ない人じゃないのかな」
「でも、暗殺に失敗して結婚に逃げるのかもしれないじゃない」
「普通なら国を出るよ」

 役目がないのか、暇そうにしていた神父に案内をさせ、二人は教会の控え室へと入った。
 衣装を調えている新婦に代わって応対に出たのは、白のタキシードを着た新郎だった。

「アゼル様……いかがなされたのですか」

 新郎に直立不動でそう尋ねられ、アゼルは記憶をたどる。
 しかし、新郎に見覚えはなかった。

「えっと……君は」
「セイレーンで門兵をしております」
「そうか。それで僕たちのことを」
「はい。何か、ございましたか」

 新郎の言葉に、ティルテュは衣装合わせをしている新婦を指した。

「あの娘、侍女の一人よね」
「はい。シーラと申しますが」
「あの娘に話があるのよ」
「承知しました。シーラ、ティルテュ様がお呼びだ」

 まだ完全に髪を整えていなかったのか、新婦は長い髪をドレスにかけたまま、新郎の隣に並んだ。
 ティルテュよりも少し年配だろうか。化粧慣れした顔には、ティルテュも見覚えがあった。

「昨日の一件、知ってるわね」

 ティルテュの言葉に、新郎と新婦の二人は困惑したように顔を見合わせた。
 そして、新婦がおずおずといった感じで口を開く。

「あの、私たち二人とも、今日の婚儀のために三日前からお暇をいただいておりましたので」
「それじゃ、昨日の晩はどこにいたの」
「はい。私の家で、シーラの家族もともにおりました」

 二人の話に、ティルテュは眉を寄せた。
 共犯とも考えられるが、それにしては嘘を吐いている気配もない。

「それを証明できる人は」
「家族のほかにも、友人が何人か訪れてくれましたので」

 アリバイもしっかりしているとあって、ティルテュはバッグの中から名前の書いてある紙を広げ、シーラの名前を消す。

「んー、シーラも関係なし、と」

 次へ行こうと踵を返したティルテュに、今度は新郎のほうが事態をアゼルへと尋ねる。

「何があったのですか」
「曲者が忍び込んできてね。今日一日、城はその者を追ってるんだ」
「それで、どうして私たちのところへ」
「決まってるじゃない。侍女の中で休んでるのが、そこのシーラだったのよ」

 足を止められたティルテュが、少し不機嫌そうに答える。
 すると、シーラが小首をかしげた。

「あの、ティルテュ様、どなたにそのことをお尋ねになられたのですか」
「その辺にいた侍女に聞いたら、貴方が休みだって」
「それ、変です。私、三日前の時点で侍女でなくなってます」

 真顔でそう言ったシーラに、新郎も頷く。

「……変ね。勘違いしたのかしら」
「ティルテュ様、お尋ねになられた侍女の名前は、おわかりになりますか」

 シーラに尋ねられ、ティルテュはわざわざ紙に休んでいる者の名前を書いてくれた侍女の名前を思い出そうとする。

「そういえば、何と言ったかしら」

 あごに手をやって考えだしたティルテュに、シーラが紙を見せてくれるように頼む。
 紙に書かれている字を見たシーラが、小首を傾げながらある者の名前を挙げる。

「あ、そうね。そんな名前だわ」
「だとしたら、変ですね。あの娘、つい最近入ったばかりで、私の綴りを書けるはずないのに」

 そう言って、シーラが消されたばかりの自分の名前を指す。
 他の三人が覗きこみ、そこに書かれている名前を確認する。

「”scylla”?」
「”sea”とか、”si”じゃないんだね」

 綴りを見たアゼルとティルテュの反応に、シーラが気付いたことを解説する。

「この綴り、私の故郷では女神なんですけど、シレジアでは妖の綴りなんです。シレジアなら”sire”とするはずです」
「だから、よく知ってる子なんでしょ」

 そう言ったティルテュに対して、アゼルは頬を硬くしていた。

「シーラ、君がその子の前で名前を書いたことは」
「ありません」
「たまたま同じ故郷だったとか」
「ありえません。小さい村ですから、絶対に覚えています」

 アゼルの質問にはっきりと答えたシーラに、完全な沈黙が流れる。

「はて、何かございましたかな」

 タイミング悪く控え室に入ってきた神父が、準備の終わっていない新郎と新婦を見て、そう尋ねた。
 それを合図に、新郎が神父を鏡の前へと連れて行く。

「ほら、早く準備しないと」
「えぇ。でも……」

 躊躇う新婦に、アゼルはようやく言葉を取り戻した。

「ありがとう、凄く参考になったよ」
「何言ってんのよ、アゼル。これで決まったも同然だわ」

 右拳を握り締め、ティルテュは勢いよく左の掌へと叩きつける。
 派手な音をさせた彼女に、神父が目を丸くする。

「書けるはずのない文字が書ける。決まったも同然よ」
「まだ決まったわけじゃないからね。穏便にいかないと」

 今にも走りだしそうなティルテュに、アゼルが釘を刺す。
 それでも、答えを見つけた彼女が立ち止まるはずがなかった。

「アンタ、結婚する前に手柄、欲しくない?」

 ニッと笑ったティルテュに、アゼルがため息をつく。
 新郎と新婦は顔を見合わせると、曖昧に頷いた。

「決まりね。結婚式なんだから、馬車ぐらいは用意してあるわよね」
「はい。ございますが……」

 ティルテュの考えついたことがわかったアゼルは、無意識の内に自分の足下を確認していた。
 それほど装飾のついた靴ではない。乗ろうと思えば、馬にも乗れるだろう。

「何頭引きなの」
「二頭引きです」
「よし、行くわよ」

 そう言うと、ティルテュは新郎の腕をつかんだ。

「先に行って、馬を用意して。馬車なんて引いてたら、間に合わないわ」
「わ、わかりました。急いで準備を」

 白の衣装のまま駆けだした新郎を見送り、アゼルが神父に頭を下げる。

「申し訳ありません、神父様。少しだけ、式を待ってくださいませんか」
「はて……私は構いませんが」

 事情の飲み込めていない神父がそう答えると、ティルテュがダメ押しとばかりに顔を近付ける。
 思わず身を引いた神父に、ティルテュが間髪入れずにしゃべりだす。

「新郎が手柄を手にするかどうかの瀬戸際なんだからねッ。待たなかったら、二人が不幸せになると思いなさいよッ」
「は、はぁ」

 勢いに押されて頷いてしまった神父に同情しながら、アゼルはティルテュの手を引いた。

「行くよ」
「えぇ。シーラ、吉報を待っててねッ」

 勢いよくそう言ったティルテュに、シーラはただ黙って頭を下げていた。

 

 


「一休みしましょう」

 エレミヤの一言で、見回りを続けていた侍女たちにも安堵の吐息が漏れる。
 エレミヤの先導で食堂に入った侍女の一人に、エレミヤは紅茶を入れるように頼んだ。

「貴方、厨房に人がいないみたいだから、全員分の紅茶を入れてくれるかしら」
「はい、かまいませんよ」
「王子専用の紅茶の缶も入っているから、間違えないようにね」
「はい」

 侍女が戸棚の中から紅茶の缶を取り出した瞬間、横から伸びてきたプシュケの腕が侍女をつかむ。

「……プシュケ様、何か」
「エレミヤに言われなかったのかな」
「何をですか」

 侍女の言葉に、プシュケはニヤリとして侍女の手にしている紅茶の缶を指す。

「それ、レヴィン様専用の茶葉だよ」
「失礼しました。では、この奥のですね」

 そう言って奥へ手を伸ばした侍女の袖から、金属が輝く。
 つかんでいた腕が振り払われ、プシュケは即座に腕を引いた。

「顔を忘れるとでも思ったの?」

 わずかに斬りつけられた腕を押さえ、プシュケが侍女を睨む。
 正体がばれたと悟った侍女が動き出す前に、エレミヤが出口を押さえる。

「エレミヤ、刃に毒が塗ってあるよッ」

 侍女が刃を構え、無関係の侍女たちが厨房へと逃れる。
 前後を挟まれた侍女に、フュリーが部下を連れて包囲の輪に加わる。

「……何故、気付いた」
「王子が口にするものを無防備に置いておくほど、私も愚かではありません」
「罠、か」

 刃を構えた侍女が、悔しそうに唇をかむ。
 フュリーは油断なく剣を構え、部下に周囲を囲むように手を広げた。

「観念しなさい。誰の指示を受けてここへ潜り込んでいるのか……吐いていただきます」
「冗談じゃないわ」

 侍女がエレミヤに刃を投げつけ、その身を窓へとぶつける。
 セイレーン城の分厚い窓さえ一瞬で破り、侍女が窓の向こうへ転がり出る。

「追いなさい!」

 フュリーが指示する前に、エレミヤが侍女の後を追う。
 破られた分厚い窓を開けて外に出ようとしたフュリーたちの前を、稲妻が駆けた。

「ファイア!」

 稲妻に足を止められた侍女を、後から放たれた炎が包み込む。

「魔道士かッ」

 身体にまとわりついた炎を地面にこすりつけて消そうとした侍女だったが、その炎が消えることはなかった。
 アゼルの操る魔道の炎は、普通にある炎とは構成が違うのである。

「何かよくわかんないけど、やっぱりアンタが犯人だったのねッ」

 得意そうに言いながら姿を現した銀髪の公女に、フュリーは目を丸くする。
 ティルテュの背後からは、赤髪の公子と、何故か白のタキシード姿の男が姿を現した。

「な、何故……」
「完璧であればあるほど、作戦なんてのは崩れやすいのよ」

 そう言って胸をそらすティルテュに、アゼルが陰で笑う。

「ほら、取り押さえるのよ」
「はい!」

 ティルテュの指示で、白のタキシードが侍女に飛び掛る。
 既に意識を失っているのか、侍女は抵抗することなく取り押さえられた。

 

 

「フュリー、お願いがあるんだけど」

 後ろ手に縛り上げられた侍女を連行させた後で、フュリーはティルテュに両手を合わせられた。

「はい、何でしょう」
「今の手柄、あの門兵にあげて欲しいのよ。彼、今日が結婚式らしくてさ」
「それで、白のタキシードなんですか」

 場にそぐわない服装だった理由がわかり、フュリーは更なる疑問に囚われた。

「そのような兵が、何故……」

 フュリーの言葉に、アゼルが思わず声を抑えて笑い出す。

「それがね」
「言わなくての」

 話そうとしたアゼルの首を絞め、ティルテュが慌てて止めさせる。
 じゃれあい始めた二人に、フュリーは躊躇いながら場所を変えてもいいかとお伺いをたてる。

「あの、レヴィン様へのご報告もございますし、場所を変えてもよろしいでしょうか」
「あー、はいはい。いいわよ。私も、種明かしして欲しいし」

 

 

 場所をレヴィンの私室に移した三人は、見立てよりも早く意識を取り戻したレヴィンに出迎えられた。
 それでもまだ力が入りにくいのか、フュリーに支えられて身体を起こしたレヴィンが、まずはフュリーの報告を聞く。

「そうか……さすがに、俺も気を抜きすぎていたのかもしれんな」
「いえ。そのために私たちがおります」

 顔をしかめたレヴィンに、フュリーがそう言って頭を下げた。
 苦笑したレヴィンに変わって、ティルテュがフュリーに犯人を見つけた種明かしを求める。

「それで、フュリーはどうしてあの侍女が犯人だと気付いたのよ」

 ティルテュの言葉に、フュリーが少し微笑みながら種を明かす。

「簡単なことです。レヴィン様の寝茶は、私がしっかり管理しているからです」
「でも、戸棚に入れてあるだけなんでしょう」
「缶の柄の向き、缶の置く位置、全て私以外が触った瞬間にわかります」

 フュリーの明かした種に、ティルテュは目を瞬かせた。
 何のことはない。単なるフュリーの抜群の記憶に頼ってるだけなのだ。

「完璧に覚えてるってわけ」
「もちろん、他にもトラップはいくつか仕掛けてあります。それをお答えすることはできませんが」
「いや、それって……愛じゃないの」

 呆れたように呟いたティルテュは、大きく伸びをして立ち上がる。
 そして、まだ座っていたアゼルの服を引っ張った。

「アホらしい。こっちの種明かしする気分じゃなくなったわ。腰掛け買いに行くわよ、アゼル」
「え、あ、うん。じゃあね、レヴィン」

 子猫のようにつまみあげられたアゼルが、そう言ってレヴィンに手を振った。
 ティルテュとアゼルの二人が部屋を出て行くと、レヴィンはフュリーに支えながら横になった。

「……愛、なのか」
「そうでなければ、毎日お付き合い致しません」
「なら、いい」

 そう言ってまぶたを下ろしたレヴィンに、フュリーが軽く頬を寄せる。

「お休みなさいませ」
「どこかに行くのか」
「花瓶の水を替えてまいります」
「わかった」

 すぐに軽い寝息を立て始めたレヴィンに微笑を浮かべ、フュリーは花瓶を手に扉を開けた。

「お休みなさいませ、レヴィン様」

 

<了>