いい男は逃がさない


 

「決着はつきそうですね」

 前王であったトラバント王の戦死。

 トラキアの盾と言われたハンニバル将軍の恭順。

 トラキア王女として一軍を率いていたアルテナ王女の離反。

 トラキア王国は頭と両翼をもがれ、残るは現王であるアリオーン王のみ。

「あと少しですわ」

 私の漏らした言葉を、珍しく私の側にいたナンナが拾った。

 彼女の言葉に、私は静かに頷き返した。

「リーフ様から、完全に傷が治るまでは戦場に出すなとの御命令です」

「……頼もしくなられましたね」

「はい」

 私がいなくなっても、リーフ様は立派に王としての道をお進みになるだろう。

 教育係である私の役目は終わったのだ。

「ナンナ、少し席を外してもらえませんか」

「いいえ。リーフ様より厳命されておりますので」

「大丈夫です。部屋から出たりはしません。ただ、一人になりたいのですよ」

 前回の戦闘で受けた傷は、まだ痛みがひかない。

 ここで私が無理をするほどの戦況でないことは、私にもわかっている。

「わかりました。でも、もしもの時のために、部屋の前で待機しております」

「そうして下さい」

 ナンナが小物を片付け、退出していく。

 部屋に一人きりになった私は、ようやく身体を起こした。

 二、三日、寝たきりだったせいか、身体のあちこちの筋肉が悲鳴を上げていた。

「そろそろ、潮時かもしれませんね」

 レヴィン様のように、老臣はただ消え去るのみ。

 グランベル諸公国は、聖戦後に次々と世代交代をしている。

 レンスターも世代交代の時期なのだ。

 幸いにして、リーフ様は立派に成長され、優秀な人材も揃いはじめた。

 私が居残る必要など、どこにもないのだ。

「どこか、静かな町で余生を過ごせそうです」

 キュアン様はいない。エスリン様もいない。

 親しかった友はいるが、彼なら後を託したとしても恨み言は言わないだろう。

 私をここまでに育ててくれたお二人のことを祈りながら、のんびりと余生を過ごす。

 贅沢なことかもしれないが、許されてもいいだろう。

「ヴェルダンで畑仕事をするのもいいですね」

 サイドテーブルに置かれた、グランベルの動向が書かれた報告書を手に取る。

 そこにはグランベル中央の部下からの報告がびっしりと書き込まれている。

 それによれば、ヴェルダンはドズルの自治領となったらしい。

 イザークの植民が、次々とヴェルダンへと移住しているらしいことも書かれていた。

 ヴェルダンで農民としての余生。

 土を耕し、戦のない、権力争いもない、静かな生活。

 生まれてこの方、農民として暮らしたことはなかった。

 だが、新しい人生を歩むにはそれもいいだろう。

「この戦争を見届ける必要は……ありませんね」

 リーフ様が新生トラキア王国を建国なさってからでは遅い。

 リーフ様がトラキア半島を統べる前に、この城を出て行くべきだろう。

「ふふ……一度くらい主家に背いたとしても、許してくださいますよね、キュアン様」

 そう言って、私は窓の外に見える王宮の教会の屋根へと微笑んでいた。

 教会の屋根に反射した光が、キュアン様の代わりに答えてくれたような気がした。

 

 


 

 私の脱出計画は、遅々として進まなかった。

 勘の良いセルフィナあたりが、リーフ様に入れ知恵でもしたのかもしれない。

 私の部屋の前には必ず、私に意見できる者が待機するようになったのだ。

 酷いときには、ハンニバル将軍まで借り出されていた。

「ものものしい警備ですね」

「リーフ様たっての御指示じゃ。何か、気付かれておるのじゃろう」

 将軍の言葉に、私は苦笑せざるを得なかった。

 将軍には、私の気持ちがバレているらしい。

 それでも将軍は、私の気持ちをリーフ様へ伝えることはしないと約束してくれた。

「貴殿の気持ち、わからぬでもない」

「私は……長く居過ぎたのかもしれません」

「疲れておるのだろう。儂の口からは言えぬが、人には休養も大事ぞ」

「将軍に申し上げるのは口幅ったく感じますが、疲れました」

 正直にそう言った私から、将軍がゆっくりと視線を外した。

 窓の外を見詰めるその目は、どこか昔を懐かしんでいるようでもあった。

「貴殿の言葉、正直なものであろう」

「えぇ」

「じゃが、人には天命と言うものがある」

「天命、ですか」

「左様。老骨に鞭打つ身なれど、その因果には天の意思を感じずにはいられぬ」

 そこまで言うと、将軍は私に視線を戻した。

 半身を起こした状態で、私は彼と視線を交わす。

「何故、今になってかつての故国を攻めねばならぬのか、とな」

「何かの報いだとでも言われるのか」

「しいて言えば、教団を利用した前王を諫められなかった罪かもしれぬ」

「……罪なら、私にも数え切れぬほど」

 脳裏に、キュアン様とエスリン様の姿が浮かんだ。

 微笑んでいてくださる。しかし、よく見れば苦笑であるかもしれない。

「貴殿の罪と儂の罪、どちらが何と言うわけではない。
 だが、貴殿が罪を償っておらねば、必ず呼び戻される」

「重いですね……将軍の言葉は」

「なぁに、逝き遅れた爺の戯言じゃよ」

 そう言って、将軍は立ち上がった。

「さすがの儂も、貴殿を逃がすほどの度量はござらぬ」

「いいえ。やはり将軍と話せてよかったと思います」

「このような年寄りでも、貴殿のような若者の役に立てれば嬉しいものじゃな」

「若者ですか。相変わらず、さり気なく釘をお刺しになられる」

「なぁに、儂をギリギリまで働かされてはかなわんからの」

 私は久しぶりに声を上げて笑っていた。

 将軍と私の笑い声が、しばらく動かなかった部屋の空気を震わせていた。

 


 

 数代かけて成された、トラキア半島の統一。

 人々の喜びの輪の中に、私はいた。

 戦線復帰が可能と診断され、リーフ様は直ちに私を前線へと呼び戻されたのだ。

 左翼に展開されたアルテナ様、右翼に展開するハンニバル将軍。

 そして私はナンナの後見役として、本陣で槍を構えていた。

「アルテナ様、敵防衛ラインを突破なされました!」

「ハンニバル将軍に攻勢をかけよと伝えよ」

「ハッ」

 やはりアルテナ様は抜群の将だった。

 トラキアの誇った重騎士軍団がその相手だった。

 いかにハンニバル将軍を失ったとはいえ、侮れるものではなかったはず。

 戦端が開かれて一刻で、その防衛ラインを突破されるとは。

 私が小さく首を振っていると、リーフ様が私の名を呼んだ。

「フィン」

「はい」

「復帰早々で申し訳ないけど、頼まれてくれるかな」

「何なりと」

 私の返事に、リーフ様が頷く。

「では、右翼に展開しているハンニバル将軍の補佐にあたって欲しい」

「後詰をせよと」

「いや、突き抜けてくれ。やはり将軍では速度が遅い。
 フィンは遊撃隊として、右翼の先端に喰らいついてくれ」

「承知しました」

 アルテナ様の突出を恐れているのだろう。

 やはり、陣立てに無理があったのか。

 そのようなことを考えながら騎乗した私に、リーフ様はにこやかに微笑んでいた。

「あぁ、フィン」

「まだ、何か」

「戦死も逃亡も許さない。もしもそうなったら、僕はこのトラキアを投げ出すから」

「……御冗談を」

「僕は本気だ。フィンの居ないトラキアなんて、僕には必要ないからね」

「……肝に銘じておきます」

「絶対に、アリオーンに殺されようとかしちゃダメだからね」

 まるでエスリン様のように、鋭く核心だけをつくお言葉だ。

 私はどこか嬉しくなり、騎乗したままで槍を両手で天に向かって捧げて見せた。

「ノヴァの聖光にかけまして!」

 槍の穂先に照りかえった太陽の光が、キラリと輝く。

 若い頃に流行った、キュアン様の真似だ。

 キュアン様が練習試合の前に見せるパフォーマンスを、皆でよく真似ていた。

 それほどまでに凛々しく、憧れだったのだ。当時のキュアン様は。

「あ、あぁ……」

 私がそのようにふざけたところを見たことがなかったのだろう。

 リーフ様は、呆気にとられたようにキョトンとしていた。

「では、失礼いたします」

 陣の外に出ると、懐かしい顔触れが私の前に揃っていた。

 当時を知っている、あの暗黒の17年を生き抜いてきた猛者たちだ。

「ノヴァの聖光にかけまして、ね」

「久しぶりだな」

「懐かしいな」

 誰からともなく、先程の私と同じように両手で槍を天に向かって捧げる。

 お互いに槍の穂先を輝かせると、自然に口許が綻んだ。

「我らが主、ノヴァの聖光にかけて!」

 


 

 アリオーンは散った。アルテナ様の説得にも応じず、最後は自刃して果てた。

 戦後の論功行賞はアリオーンの死を弔ってからという通達がなされた。

 そのためか、街は全員が喪に服した。

 しかし、新生トラキア王国の青写真が出来上がっていないのも事実。

 おそらくそれが、喪に服させた理由の一つではあっただろう。

「そろそろ潮時ですね」

 遅すぎたのかもしれない。

 しかし、本当に今まではチャンスがなかったのだ。

 戦場でのおふざけのせいか、ようやく監視が外されたのが昨日。

 今日になって霊廟と教会を巡り、キュアン様とエスリン様に御報告を済ませた。

「発たれるか」

「はい。御報告も済みましたので」

 通りすがった将軍に、私は素直にそう答えていた。

 将軍も既にわかりきっていたのか、引き留めることはなかった。

「では、南門から行かれるがよかろう。他の門は誰が守備しているかわからぬでな」

「南門は将軍の担当でしたね」

「左様。今日は街からの祝いの使者が多くてな。面倒なので開け放てと言ってある」

「王宮の守りは大丈夫なのですか」

「儂がここにいる……と、いうことじゃな」

「失礼しました」

 将軍の前を辞し、私は南門へと歩き出した。

 街は喪に服しているにもかかわらず、徐々に賑わいを見せ始めている。

 長く戦乱に巻き込まれた街は、少しの平和を敏感に捉える。

 平和な時期に商売をして、戦争に巻き込まれたときの蓄えとするためだ。

「願わくば、もう二度と戦乱のない世の中に」

 南門は、将軍の言われるように開け放たれていた。

 ちらほらと他の街からやってきた村人が見えている。

 その誰もが手に花を持っている。

 どうやら、明日の霊廟の掃除係は悲鳴を上げることになるだろう。

 微笑ましい光景を思い描きながら、私は南門をくぐった。

 

「お待ちなさい」

 城壁の外に出て、少し気が緩んでいたのだろうか。

 私を誰何する声に、足が止まっていた。

「そこの者、反逆者としての疑いがかかっている。検めさせてもらおうか」

「かまいませんよ。ただ、私は外へ出て行くところですからね。
 剣の一つぐらいは容赦してくださいね」

「いいえ、検めるのは貴方の気持ちだけよ」

 振り返った私の目の前にいたのは、平服を着た茶髪の背の高い美女。

 いやいや、アルテナ王女だった。

「なっ……」

「どこに行くつもりかしら」

「将軍ですね……」

 食えない爺さんだった。

 ほんの少しでも彼を信用してしまった私自身が情けない。

「答えなさい。どこへ行くつもりなのかしら」

「このまま、ヴェルダンまで」

「一人きりで?」

「いけませんか」

 開き直った心境だった。

 アルテナ様が平服姿である以上、これからのことは予想できた。

 振り払っても、そのままついてくる気だろう。いつかのエスリン様のように。

「あたしはシレジアに行きたいの」

「は、はぁ……では、北へ向かわれればいいのではありませんか」

「ヴェルダンなんて、イザークからの植民の真っ最中よ。
 何でわざわざ、そんなところに行かなきゃいけないのよ」

「畑を耕すのも悪くないと思いましてね」

 何故だろう。

 いつの間にか、当然のように受け答えしてしまっている私がいた。

「馬鹿ね。ヨハン公子が見逃すわけないでしょう。
 見つけ出されて、いいように使われるに決まってるじゃないの」

「では、シレジアで何をなさるおつもりで」

「海が見たいの。魚のいる海で、一緒に暮らすのが夢だったの」

「……当然、私がお供しなければならないのですね」

「当たり前よ。ノヴァの聖光に誓ったから、貴方は生還できたのよ」

 セルフィナかグレイドあたりだろうか。

 しかし、二人ともあの場にはいなかったはずだ。

「ノヴァの聖痕は、貴方の返礼をお望みよ」

「聖痕って……」

 アルテナ様の聖痕は右胸に出ていたはずだ。

 張りのある膨らみの先端から、少し外れたところに聖痕がある。

 無茶苦茶だ。こんなところで素肌を晒させて、しかもそこに口付けをしろなどと。

 意地でもそんなことはしたくない。

「ノヴァよりも貴方に誓わせてください」

「いいわよ。左手を絡めてくれるなら」

 どこまでも……どこまでも貴方は私を惑わせる。

 一人きりの旅が二人きりの旅へ。部下から家族へ。

 望みが大きくなり、やがて私は何を捨てでもという気持ちになるだろう。

「一緒に参りましょう、アルテナ様」

 そう言って、アルテナ様の左手に自分の指を絡ませる。

 傍から見れば、ただ抱きあっているようにしか見えないだろう。

 よく見れば、年の離れた恋人同士のように。

「好きと言いなさい」

「好きです、アルテナ様」

「愛してると言いなさい」

「愛しています」

「何も言わないで」

 左手でアルテナ様の顔を固定して、唇を交わす。

 固く握られてくる指先は、武器を持つ人間特有の硬さがある。

 それでも、唇だけは誰よりも柔らかい。

「……行きましょうか」

「えぇ」

 アルテナ様の手を引いて、次の街へ向かって歩き出す。

 たまにはのんびりとした旅もいいだろう。

 せめてこの手に残る感触が、あの唇の半分ほどの柔らかさになるまでは。

 

<了>