炎色


 

「ヒルダ様、今年も例の場所からの贈り物が届きました」

 侍女の声に、ヒルダはそろそろ重くなり始めていた首筋を伸ばした。

 首を左右に動かすと、小気味よいほどに音が鳴る。

「今、何時だい」

「正午をややまわったところでございます」

 侍女の答えに、ヒルダは背後の窓の外を確かめた。

 仕事を始めた頃はまだ低かった太陽が、既に窓から見えない位置へと上っている。

「そうかい。それじゃ、一息入れようかね。すまないけど、お茶を用意してくれるかい」

「承知いたしました。では、贈り物はこちらへ置いておきます」

 侍女が丁寧に梱包されている箱を執務机の端に置いて、一礼をして退室していく。

 ヒルダは少しの間考えると、箱を手元へと引き寄せた。

 毎年送られてくるそれには、一度も差出人の名前が書かれていた例はない。

 最初の年に彼女が疑いを持ってしまえば、それきり、毎年そのまま焼却処分されていただろう。

「ほぅ……今年はまた一段と猛々しいじゃないか」

 梱包をほどくと、例年通りの大皿が一枚だけ。

 釉も何もなく、ただ炎に任せた大判焼が彼女の前に姿を現した。

「ヒルダ様、お茶をお持ちいたしました」

「あぁ、ありがとう」

 ワゴンの上でお茶の用意をする侍女長が、ヒルダの手にしている皿を見て微笑んだ。

「いつもの、ですね」

「あぁ。今年は一段と猛々しいよ」

 大皿をしっかりと両手で持って、ヒルダは満足気に頷いてみせた。

 慣れたことなのか、侍女長は特に気にした風もなく、紅茶をポットから注ぎいれる。

「嬉しそうですね」

「まぁね。早速で悪いけど、後で市場に行って、尾頭付きを一匹頼んできてくれるかい」

「わかりました。料理長にもお伝えしておきます」

「そうしてくれるかい」

 ヒルダは大皿を机の上に置いて、侍女の入れてくれた紅茶を口にする。

 いつもより甘めに作られているのか、身体の奥にまで染み渡るように彼女を暖めていく。

「甘いね」

「お疲れのようでしたので」

「あぁ、助かるよ」

 お茶請けのスコーンを手にすると、まだほのかに温もりがある。

 ヒルダはまた嬉しそうにスコーンを持ち換え、侍女長へ微笑んでいた。

「作りたてかい」

「はい。お仕事が長引くようでしたので、時間を合わせてもらいました」

「相変わらず気が利くね」

「ヒルダ様のお世話も、随分と長くなりましたから」

「そうだったね」

 侍女長がヒルダに仕えるようになって、五年が経っている。

 水が合うのか、侍女長になった今も、率先してヒルダの身の回りの世話をすることが多い。

 一息を入れ終えると、ヒルダは再び大皿を両手で持って、その表面に現れた炎の模様に見惚れる。

 親指の先で模様をなぞりながら、そのかすかな浮き上がりに彼女は目を細めた。

「……炎と会話、か」

「ヒルダ様」

 ポツリと呟いたヒルダに、侍女長が怪訝そうな表情で尋ねる。

「アゼルを呼びな。それから、今から出かけてくるよ」

「今からですか」

 相変わらず唐突な言葉に、さすがの侍女長もあわてて聞き返していた。

 しかし、ヒルダの中では既に決定事項でもある。

「今からだよ。あの子に、教えなきゃならないことだからね」

「では、早馬を……」

「急ぎな。それから、料理長に夕食はアゼルも食っていくと伝えておいておくれ」

「は、はい」

 早くも立ち上がった主人に驚いてか、侍女長があわててベルを鳴らした。

 数人の侍女が現れ、彼女の指示でそれぞれ走り去っていく。

「さて、それじゃ、あたしも準備しようかね」

 そう言って立ち上がったヒルダは、軽やかな足取りで洋服ダンスの扉を開いていた。

 

 

 


 

 馬車を降りると、季節外れの雪がヒルダの肩へと降りかかる。

 その灰を片手で払い、ヒルダは建物の中へと入ってく。

「名無しのヴェミス、邪魔するよ」

 ヒルダがそう言うと、建物の外から炎が舞い上がった。

 それを見たアゼルが、窓に釘付けになる。

「あれは……何ですか」

 アゼルの言葉で窓の外を見たヒルダは、炎の柱を見て、わずかに顔をしかめた。

「どうやら、外にいるらしいね。まったく、一声かければいいものを」

 そう言いながら、ヒルダはためらうことなく炎の柱へと歩き出す。

 アゼルがおっかなびっくりの足取りで後を追うと、しばらくしないうちに、柱の根元へとたどり着いた。

 二人の到着を待っていたかのように、炎の柱が収束へと向かう。

 その様子を黙って見ていたヒルダは、炎が収まると同時に、窯の前でしゃがんでいる男に声をかけた。

「ヴェミス、久しぶりだね」

「ヒルダ様、お久しぶりでございます」

「元気そうだね」

「おかげ様で。そちらは……アゼル様でいらっしゃいますか」

 細目の男にそう尋ねられ、アゼルがあわてて頭を下げる。

 男は恭しく礼を返すと、窯の前へと戻った。

「アゼル、この男がさっき見せた、あの焼物を作った男だよ」

「陶芸家、なんですか」

 アゼルの言葉に、男は窯の中の炎と向き合ったままの状態で口を開いていた。

「陶芸家というほどのものじゃありませんよ。私はただ、炎と話せる。それだけの人間です」

「炎と、話せる……ですか」

「この男だけだよ、炎と話すなんて男はね」

 アゼルの疑問に、ヒルダが先に口を挟んだ。

 その口調は穏やかで、どこか呆れているようでもあった。

「炎はね、いろいろな言葉を語りかけているんですよ。私はただ、それに相槌を打つだけです」

「炎がしゃべる、ですか」

 アゼルがそう言ったとき、男が窯の中へと手を突っ込んだ。

「炎ってのはおしゃべりな魔物でしてね。今はほら、お二人の姿にはしゃいでいるでしょう」

 そう言われても、アゼルには男が自らの手を焼いているようにしか見えなかった。

「あ、熱くないんですか」

「あぁ、炎も私と長く付き合っていますからね」

 曖昧な表現で済ませようとした男に、ヒルダは道化師を見るような目付きで笑った。

「どんな炎でも操れる男だよ。これでも、元はヴェルトマーの筆頭魔道士さ」

「……そんなこともありましたかね」

「それほどの人が、どうして」

 アゼルの当然の質問に、男はようやく窯から手を抜いた。

 窯の蓋を閉じ、服に付いていたススを手で払うと、アゼルに視線を合わせる。

「私はね、炎と話したくなったんですよ。炎のやりたいことを知りたくなったんですよ」

「炎の、やりたいこと」

「人を傷つけるだけ、ものを燃やすだけが炎のしたいことじゃないんじゃないかってね」

「でも、どうして」

「炎がね、泣いたんですよ」

 そう言うと、男は視線を上げて、アゼルの後ろに控えているヒルダと視線を交わす。

 ヒルダが小さく頷いたのを見て、男はもう一度アゼルと視線を合わせた。

「人を殺したときにね。炎が泣いたんですよ。”こんなことがしたいんじゃない”ってね」

「炎が泣いたんですか」

「それからですよ。私がここに来たのは。もっと、炎の言葉を聴きたくてね」

「炎の言葉を聴く……」

 男はアゼルから視線を外すと、ゆっくりと窯の方へと戻っていった。

 アゼルの視線が彼を追うと、彼はその視線に気付いていないのか、再び窯の蓋を開けた。

「こうしているとね、炎の声が聞こえてくるんですよ。泣いたり笑ったり、はしゃいだり落ち込んだり……」

 男の言葉に答えるかのように、炎が窯から顔を出す。

 男を超えて飛んできた火の粉を、ヒルダは腕の一振りでかき消した。

「もちろん、そうじゃないって言う人もいます。でもね、私にはそう聞こえたんですよ」

 それきり、男は口を閉ざした。

 新たな薪をくべ、炎に勢いを取り戻させると、あとは黙って炎を見詰めるのみ。

 ヒルダは黙って踵を返すと、その途中でアゼルの名を呼んだ。

 アゼルが急ぎ足で追いつくと、ヒルダは神妙な表情で歩きながら彼に語りかけた。

「人殺しを薦めるわけじゃないが、あたしたちは誰かの命を乗り越えなければならないときが来る」

 ヒルダは前を向いたまま、アゼルの目を見ようとはしなかった。

「それがたとえ肉親の命であろうと、踏みにじらなければならない時がくるのさ」

 それは彼女自身、自分に言い聞かせていることなのかもしれない。

 ”逃げるな、戦え”と、彼女の炎は常に彼女を前向きに突き動かす。

 猛き炎を好む彼女は、炎からの言葉をそう捉えていた。

「何からも逃げるな。心が逃げたとき、炎は容赦なく炎を使った者を焼き殺すだろう」

「姉上は、そう思われるのですか」

「そう思わなきゃダメなのさ。あたしたちには、背負って生まれた責任があるからね」

「でも、僕にはあの人の言葉もわかる気がしました。何となく、何となくだけど、あの炎は優しかったから」

「炎にもいろいろあるってことさ。炎を統べる者は、あの炎みたいな炎もあるってことを知る必要はある」

 そう言うと、ヒルダはアゼルを先に馬車に乗せ、最後にもう一度、窯の方を振り返った。

 窯の前に立つ男は、深々と彼女に向かって頭を下げていた。

「名無しのヴェミス……お前の炎、絶やすんじゃないよ」

 そう言って馬車に乗り込んだヒルダは、窯から上がる煙を場所の窓からずっと見送っていた。

 

<了>