ラスト・ダンス


 ようやく戦火のおさまり始めた城内を、アゼルは人を探して駆け回っていた。
 ランゴバルトがシグルドの手によって葬られたとき、彼の探し人は最前線にいた筈だった。

「アゼル」

 庭園の入り口で、ティルテュがアゼルを呼び止める。
 彼女もまた、アゼルと同様に人を探して城内を駆け回っていた。

 アゼルがティルテュの声に足を止めると、ティルテュが黙って大きく手をまわす。
 その意味に気付いたアゼルは、急いで彼女の元へと駆け寄った。

「ティルテュ」

「いたわ。むこうに」

 それだけで、アゼルは庭園の中へと足を踏み入れていく。
 彼の後ろから付き従うように、ティルテュもまた庭園の中を進んでいく。

 二人が庭園の奥まで進んでいくと、すでに葉を散らした木の前に一人の騎士が立っていた。
 近づいてくる足音に気付いたのか、青髪のその騎士は無言で踵を返し、二人の方へ歩き出した。

「……お節介だな」

「レックス」

 すれ違いざまに発せられたレックスの言葉に、アゼルは少し強めに彼の名前を呼んだ。
 しかし、レックスは足を止めることなく二人の前を通り過ぎていく。

「知っていたんだろう、ランゴバルト卿がシグルドの手にかかったことを」

「あぁ。目の前で起きたことだからな」

 長く話すつもりはないのか、レックスがアゼルに声が届く範囲で振り返る。
 視線を合わそうともしないその瞳は、どこか寂しそうだった。

「この場所、君がいつも……」

「関係ねぇよ。親父は俺たちの敵だった。それだけのことさ」

 そう言って、レックスが再び歩き出す。
 追いかけようとしたティルテュの肩をつかみ、アゼルが力一杯引き止める。

「アゼル」

「今は、何を言っても聞きやしないよ。ティルテュの言葉も、僕の言葉も」

「でも」

 なおもレックスを追いかけようとするティルテュの視界を、女性の手が遮った。
 その腕に視線を辿らせ、ティルテュは黒髪の女剣士が微笑んでいるのを見て、ようやく力を抜いた。

「アイラ……」

「ここは私に任せてもらえないか。これでも、あの男の妻だ」

「でも、アイラはこの庭のこと、知らないじゃない。アイツは、レックスはこの庭で」

 ティルテュが走り出さないように両腕を押さえながら、アゼルはアイラに向かって軽く頷いてみせた。
 それを受けて、アイラがティルテュの頬に手を寄せる。

「私は、羨ましい。お前たちのように、小さな頃から共にいた親友など、私にはいないからな」

「アイラ……」

 アイラの行動と台詞に、ティルテュが目を瞬かせる。
 アイラはもう一度だけ微笑むと、ティルテュの頬から手を離した。

「レックスは覚悟していたようだ。むしろ、自らの手で父親を討とうとしていた節すらある」

「そんな……あのレックスがそんなこと」

「辛かったのだと思う。そうでなければ、思い出の場所らしいこの場所へ駆け出すこともない筈だ」

 そう言うと、アイラは二人の肩越しに見える一本の木へと視線を送る。
 何の変哲もない木に見えても、レックスにとっては何よりも大切な木だったのだろう。
 木を見つめる彼女の瞳に、今は立ち去ったレックスの幻影が浮かんでいた。

「ここは、私に任せてくれないか。私でも立ち直れないとき、アイツは必ずお前たちを頼るだろう」

「アイラ……お願いするわ」

「あぁ。これでも、私はあの男の妻なのだからな」

 そう言って、アイラは二人に背中を向けて歩き出した。
 決して急ごうともせず、立ち去ったレックスを真似るかのように。
 真っ直ぐに伸ばした背で、同じ行き先を見ながら。

 その後姿を見送ったティルテュの戒めは、すでに解かれていた。
 そのことに気付いた彼女は、背後に立っているアゼルの顔を振り返りながら見上げた。

「レックス、大丈夫よね」

「アイラがいるし、スカサハとラクチェもいる。大丈夫だよ、きっと」

 台詞とは別に、ティルテュの腕がアゼルの腕を手繰り寄せる。
 求められるままに背後から彼女を抱きしめ、アゼルが耳元でささやいた。

「大丈夫。レックスはいつだって弱くなんかない」

 両肩の上から胸の前へ腕をまわされ、ティルテュは肩の力を抜いてアゼルの腕の中へともぐりこむ。
 後ろで一つに束ねた髪を避けるようにアゼルが顔を動かすと、彼女は脱力したように体を預けた。

「次は……あたしたちね」

「ティル」

「言っちゃ悪いけど、ドズル卿にこんな計画は無理よ。ここまで綿密な計画を立てて、人を煽れるのは」

「兄様か、君のお父様ぐらいだろうね」

 最後に躊躇ったティルテュに最後まで言わせず、アゼルが言葉を引き継いだ。
 黙って頷いたティルテュに、アゼルはわずかに腕に力を込めた。

「バーハラに行けば、すべてがわかるさ」

「無事に砂漠を渡らせてくれるとは思えないわ」

「行ってみるしかないさ。アイーダからの連絡も途絶えた。今の僕に判断材料はない」

「戦うことになるのかしら、お父様やお兄様と」

「そうならないように、僕たちがいる。必ず、みんなを守る。僕たちがここにいる理由を、しっかり考えよう」

「そう、だよね」

 首を曲げ、ティルテュが目を閉じる。
 一瞬遅れて目を閉じたアゼルがキスを落とす。
 二人は、しばらくぶりに吹き始めた穏やかな風に身を包み、じっと抱き合っていた。

 

 


 

 トラキアの軍勢を砂漠の手前で迎え撃ち、シグルド軍は何とかこれを撃退。
 親友であり義弟でもあるキュアンの安否を案じながら、シグルドは全軍に進軍を指示する。

 砂漠の高台に配置されたマージたちをフュリーとレヴィンの活躍で退け、フィノーラ城を攻略。
 途中、何度もマージの一団からの襲撃を受けながらも、シグルド軍は破竹の勢いで砂漠を駆け下る。

「いよいよヴェルトマーか」

 砂漠を抜けた野営地で、アゼルはレックスと共に地平線の向こうに見える故郷を望んでいた。
 彼の隣に立つレックスの表情には、もはやかつての憂いはなくなっていた。

「決まりだろうな」

「一人だけ、見知った顔がいたよ。間違いなく、ヴェルトマーの魔道士だった」

「アルヴィスが派遣してきたんだろうぜ。これで黒幕がはっきりしちまったな」

「兄上か、レプトール卿しかいないよ。最初からね」

 欠片のためらいも見せずに兄の名前を出したアゼルに、レックスは意外そうに眉を持ち上げた。

「てっきり、葛藤してると思ったが」

「わかりきったことだからね。そうでなければ、シレジアにこもってるよ」

「そうか」

 レックスが近寄ってくる人の気配に背後を振り返る。
 帯剣を担いだアイラが、彼に気付いて表情を和らげる。

「いよいよケリがつきそうだな」

「あぁ。アイラ、身体の具合はどうだ」

「心配するな。多少の砂漠など、苦にもならん」

 そう言うと、アイラが担いでいた帯剣を地面へと突き立てる。
 突き立てた帯剣の柄に両手をかけ、アゼルの見ている方角へ視線を送る。

「ヴェルトマーには、アゼルの兄がいるのだな」

「そうだよ」

「辛いか」

 アイラの不躾な言葉に、アゼルは少し間をおいてから口を開いた。

「……辛くないと言ったら嘘になるよ。僕もティルも、本当はこの先には行きたくない」

「行きたくないなら、行かなければいい。シレジアでことの成り行きを見守るのも一つの策だ」

「それでレックスを失えば、僕は一生後悔し続けることになるよ」

「だったら、為すべきことをすればいい。やらなければならないと感じることを、今、やるしかないな」

「そうだね」

 アゼルはそう言うと、二人よりも先に野営地の中心へと戻っていった。
 残された二人が、どちらからともなく視線を交わす。

「余計なお節介だったかもしれんな」

「気にするな。アゼルも、気にしちゃいないさ」

「親友か……羨ましいものだな」

 そう言って微笑んだアイラに、レックスは真顔で唇を引き結んだ。

 アイラが目顔で尋ねると、レックスは真剣な表情のまま口を開いた。

「もしもアゼルがこの軍を抜けると言っても、黙って行かせてやってくれないか」

 アイラが目を瞬かせ、その表情から微笑みが抜ける。
 そして、レックスに向かって剣を抜かんばかりの殺気を叩きつけた。

「彼は魔法部隊を率いる一軍の将だぞ。その者が抜けると言うのを、黙って見過ごせだと」

「あぁ。無茶言ってるのはわかってるさ。だから、俺もお前にしか言ってない」

「当然だ。お前自身が罪に問われる。いかに親友……いや、親友だからこそ、引き留めるべきだろう」

 当然のことを口にしたアイラに、レックスは小さくため息をついた。

「だけどな、アゼル以外にこの戦いを止められる奴はいねぇんだよ」

「戦いを止めるだと」

 レックスの言葉に、アイラが片眉を上げる。
 それほどに、レックスの台詞は彼女にとって意外なものだった。

「この一連の戦いは、アゼルの兄貴が裏で動いてる。多分、ティルテュの親父さんも巻き込んでな」

「それは薄々気付いてはいたが、だからといって、彼が戦いを止められるとは思えん」

「可能性の一つだけどな。あのアルヴィスが、アゼルにだけは笑うんだ」

「そのようなことで、彼がアルヴィスを止められるとは思えないな」

「だが、やってみる価値はあるぜ。いや、アゼル以外には止められねぇんだよ」

「しかし、可能性に賭けるにはあまりにも分が悪すぎる。彼が内通者とならない保証もない」

「俺がここにいる限り、アゼルは俺たちを見捨てない。アゼルはそういう男だよ」

 アゼルを信じきって疑うことのないレックスに、アイラは言い返そうとしていた言葉を飲み込んだ。
 そして、呆れたように、小さく二度首を振ると、大きくため息をついた。

「信じているのだな、彼を」

「あぁ。幼馴染で親友ってのは、そういうもんだろ」

 そう言うと、レックスが口端を上げて笑った。

 アイラは肩をすくめ、一歩、野営地へと歩を進めた。

「羨ましい。私にそのような者はいなかった」

「王女様だろ、お前は。俺もアゼルもティルテュも、公爵家の末弟だからな。立場が同じだったのさ」

「だとしても、そこまで信じあえる仲という者は、なかなかいないだろう」

「ティルテュのせいかもな。あぁ見えて、意外とフォローや気配りがうまいんだよ」

「それは君もだ。君たち三人を見ていると、羨ましくもあり、眩しくもある」

「お前も歓迎するぜ。いや、もう飲み込んじまってるか」

「かもしれぬな。私も、あの二人に刃を向けるつもりはなくなったよ」

「そうか……サンキュ」

「夫の頼みを無碍に断る妻もいまい。責任は私も負う。戦が止められるのなら、それもいいだろう」

 それだけ言うと、アイラは振り向くことなく野営地へと戻り始めた。
 レックスは黙って彼女を見送ると、視線を空の彼方へと向けた。

「アルヴィスか……俺には読めねぇよ。それこそ、アゼルでもなけりゃな」

 

 


 

 始まりの合図は、たった一発のメティオだった。
 フリージ軍の後方から放たれた一撃は、フリージ前線の将を恐慌に陥れた。

 間髪を空けずに全軍総攻撃の命を下したシグルドの判断は正しく、信じられない速さで前線を突破する。
 機動力に難のあるフリージ軍は分断され、シグルド軍優位のまま、戦局は進んでいく。

「アゼル、お願いがあるの」

 最前線から少し離れた位置で陣を構えていたアゼルの許へ、ティルテュが顔を出した。
 本来は後方にいる筈の恋人の姿にも、アゼルは動揺することなく馬をひいた。

「レプトール卿のところだね」

「うん。やっぱり、お父様に会いたいの」

「僕も行くよ。ティル、案内してくれるかい」

「城へ続く抜け道があるわ。お父様なら、きっとそこを通るはずよ」

「わかった。すぐに行こう」

 戦場となっている平野部を避け、アゼルは森の中をティルテュの案内で馬を疾走させる。
 昔は城を抜け出すために何度も通った道を、ティルテュが迷うことなく誘導する。

 二人が喧騒から離れてまもなく、見覚えのある外套が二人の視界に映る。
 急ぐ様子もなく佇んでいたのは、フリージ公爵・レプトールだった。

「お父様!」

 馬を飛び降り、ティルテュがレプトールへと駆け寄った。
 アゼルは足を止めさせた愛馬に騎乗したままで、レプトールの動きを観察していた。

「お父様、その格好は一体……」

 駆け寄ったティルテュの目に映ったのは、顔の半分を血に濡らした父親の悲惨な姿だった。
 思わず足を止めた実娘に、レプトールの顔が歪む。

「アルヴィスに裏切られた。すでに帰る城も、もはやあの女将軍に占拠されているだろう」

「アイーダ将軍ですね」

 アゼルの言葉に、レプトールが顔を上げる。
 それまでは視界に入っていなかったのか、レプトールの魔道書を持つ手に力が入る。

 しかし、それを感じたティルテュが腕をひくと、レプトールは魔力の放出をやめた。
 アゼルが黙って頷くのを見て、雷の当主がゆっくりと木に背を持たせかける。

「ヴェルトマーのアゼル、だったか……」

「はい」

「貴様の兄は、何を考えている」

 レプトールの言葉に、アゼルは首を横に振った。
 彼自身、アルヴィスの真意はわかっていない。

「わかりません。兄が何を考えているのか、今の僕には何もわからない」

「……ならば、あの一撃も与り知らぬところか」

 アゼルが曖昧に頷くと、レプトールは大きく息を吐き、ティルテュを側へと呼び寄せた。
 ティルテュがレプトールの肩を支え、アゼルの許へと歩き出す。

 アゼルは下馬すると、レプトールと対峙した。
 ティルテュの心配そうな表情が、アゼルの口を先に開かせる。

「レプトール卿……」

「まぁ、あの男が何を考えていようが、今の私には関係ないことだ」

「レプトール卿?」

 レプトールの口許に微笑が浮かんだような気がして、アゼルは語尾を持ち上げていた。
 そのアゼルへ、レプトールがティルテュを押し返した。
 しっかりと自分の二本の足で立ちながら、レプトールがアゼルに寄り添ったティルテュを見つめる。

「ティルテュ、もはや私に従う必要はない。その男と共に、この場を立ち去れ」

「お父様、どうしてッ」

「この戦場から立ち去れ。権謀術数の渦巻くこの戦に巻き込まれるな。この意味、貴様ならわかるだろう」

「……兄の真意が読めない。おそらく、シグルド殿も裏切られる」

 レプトールの言葉に答えたアゼルに、レプトールが満足げに頷いてみせた。

「そこまで読めていれば十分だ。ティルテュを頼む」

「お父様、どういう意味なのッ。あたしを頼むって、どういうことッ」

 一人わけがわからずに叫ぶティルテュの頭に手を伸ばし、レプトールが静かに彼女の頭をなでた。
 ひとまず口を閉ざしたティルテュに優しい視線を送り、レプトールはアゼルへと視線を動かした。

「ヴェルトマーに戻るつもりか」

「戻れません。僕が兄のところへ帰れば、兄の真意がわからない以上、危険な行為でしかないと思います」

「それでいい。逃げるのならば、マンスターへ向かえ。既に万一のときに備え、ブルームを配してある」

「では、ヒルダ姉様も……」

「私とて、黙ってフリージの解体をさせるつもりはない。たとえアルヴィスが皇帝になろうともな」

「まさか……レプトール卿は、兄の真意がそこにあると」

「わからぬ。だが、この地に留まることは危険だ。バカな娘だが、ティルテュを頼む」

「はい。ティルテュは僕の命に換えても、必ず」

 レプトールからティルテュを引き寄せ、アゼルは真っ直ぐにレプトールを見つめた。
 その視線を受けて、レプトールは懐から魔道書を取り出した。

「さて、道を空けろ。この茶番、私にはまだ出番があるようなのでな」

「シグルド殿に討たれるおつもりですか」

「そうでなければ、この茶番の幕は下りまい」

「お父様……」

 アゼルの腕に抱かれたまま涙を浮かべるティルテュを見て、レプトールがゆっくりと歩き出す。

「ご武運を」

「生きよ。フリージの血を誇りに思え」

「はい」

 レプトールが前を通り過ぎ、ティルテュから力が抜ける。
 片腕でその彼女を支えながら、アゼルは背中を見せたレプトールを呼び止めた。

「レプトール卿、兄を……恨んでいますか」

「フン……裏切りは日常茶飯事よ。今まで、少々長く舞台に上がりすぎていたのかもしれんな」

「ご武運を、レプトール卿」

「最後の舞台になるかもしれん。そのための花道、貴様に見送られるのも悪くない……」

「ティルテュは僕が守ります」

「でなければ、ここで舞台へ上がる私ではない」

「お父様」

 足を止め、振り返ったレプトールの表情は、どこにでもいる父親の顔だった。

「強き子を産め」

「はいっ」

 大きな声で返事をしたティルテュに満足そうに頷き、レプトールが再び二人に背中を見せて歩き出す。

 死に場所へ向かう彼の背中は、一欠片の気負いも見られない。
 そして彼を見送る二人の手は、しっかりと握られていた。

 

<了>