一人残されて
1
オイフェと一緒に帰ってきた故郷の地は、ほんの少しだけ懐かしかった。
アイラに手を引かれて逃げた砂漠のように砂っぽくもなく、捕まったウェルダンよりも乾燥している。
シレジアのように寒くもなくて、毎日が過ごしやすい土地だった。
シグルド様がどうなったのか、魔力を辿って僕らのところに帰ってきてくれたエーディン様は話してくれない。
ただ、どうしてエーディン様だけが帰ってきたのか。
そして、他の誰一人としてここへ姿を見せないのは何故か。
オイフェはもう気付いていて隠してるみたいだけど、僕にだってわかる。
バーハラで、何かがあった。それも、とてつもなく嫌な出来事が。
「強くならなきゃ」
幸い、イザークの剣技である流星剣はマスターできた。
シレジアにいた時から、アイラに特訓してもらったおかげだ。
でも、それだけでは帝国にかなうわけもない。
あのシグルド様たちでさえ、バーハラでの事件で帰ってこないから。
僕一人の力ではどうしようもないほど、相手は強いってことだろう。
「シャナンさま、見て」
気がつくと、目の前にスカサハの顔がドアップになっていた。
ここにいる子供は、全部で五人。
セリスにスカラク、エーディン様の子供であるレスターとラナだ。
基本的にエーディン様は教会での仕事があるので、僕とオイフェで面倒を見ている状態だ。
その中でも、スカサハは一番言葉遣いも丁寧で、教えたことはキチンと守る。
本当に五歳かなって思うほど、頭もいいし、状況判断も鋭い。
アイラに似たんだね、きっと。
「シャナンさま、どうしたの」
「ううん、大丈夫。スカサハは、どうしたの」
僕から聞き返してやると、スカサハが笑顔で、僕に手のひらを差し出した。
僕がわからずに差し出された手を眺めていると、スカサハは不満そうに手をひらひらさせた。
「シャナンさま、見て」
「見てるけど、何があるんだ」
「タコだって」
「たこ……て、どこにあるの」
タコと言えば、あのグニャグニャの海の生き物だ。
どう見たって、スカサハがタコを持っているようには見えないけど。
「ここっ」
そう言ってスカサハが指したのは、スカサハの右手の中指。
言われてみれば、確かにぷっくりと膨らんでいる。
「ペンダコかな」
「そう。いっしょうけんめい、字のれんしゅうしたからだって」
「頑張ったんだね」
そう言って、僕はスカサハの頭に手を置いた。
スカサハの髪は短いせいか、ちょっとふさふさだ。
イザーク人は髪を伸ばすとしっとりしてしまうから、ちょっとうらやましい。
そういえば、僕の髪の毛もずいぶん伸びてしまった。
「セリスさまも、ラナもまだなんだよ」
そうか。スカサハが一番になることって少ないもんね。
歳で言えばセリスが一番年上だし、ケンカはラクチェが一番。
かけっこをすればレスターが一番だし、ラナは料理をつくるのが上手。
スカサハが一番って言うのは、今まで見たことない。
「すごいじゃないか。スカサハ、一番だね」
「うん」
えへへだって。
いいなぁ、子供は。
でも、みんながああして笑っていられるように、僕が強くなるんだ。
「エーディンさまにも見せてくるね」
タタッと、スカサハが走っていった。
教会にいるエーディン様に見せに行くのだろう。
みんなの母親代わりのエーディン様は、誰にでも優しい。
元々シスターということもあるだろうけど、あれは生まれ持った気品と育ちの良さだと僕は思う。
「エーディン様、か」
辛くないのだろうか。
エーディン様の夫のミデェールさんは、ここに帰ってきていない。
あの人がエーディン様のそばを離れることはなかったから、きっと、バーハラで巻き込まれたんだ。
もしかしたら、命がけでエーディン様を脱出させたのかもしれない。
そう思うと、エーディン様の気持ちを考えるのが辛くなる。
夫に死なれて、自分の子供と戦友の子供を預かって暮らす。
どれだけ辛いことだろう。
いつだったか、その昔にアイラが見せた涙を、僕は今でも覚えている。
その涙ですら、エーディン様は見せたことがなかった。
「辛くないのかな」
日が傾きだしていた。
早く洗濯物を取り入れて、夕食の準備にかかろう。
僕は背筋を大きく伸ばして、椅子から立ち上がった。
2
「こらッ、ラクチェ」
食前の祈りを捧げようとしたオイフェの隙をついて、ラクチェが意地汚くカラアゲをつまんだ。
相変わらずの早業だ。
「……ラクチェ、ぎょうぎわるい」
「だって、さめちゃうじゃない」
スカサハの注意にも、ラクチェは何食わぬ顔だ。
今日はエーディン様がいないから、どうしても抑えが効かない。
「ラクチェ、次にやったらおしおきだ」
「はーい」
オイフェが睨むと、さすがに大人しくなった。
最近のオイフェは貫禄がついてきたように感じる。
何だか、人が変わったみたいだ。
「今日も一日無事に過ごすことができました。願わくば、明日も一日、無事に過ごせますように」
みんなで一斉にお祈りをする。
少しだけ黙祷して、あとは両手をパチンと合わせる。
「せーの」
「いっただっきまーすっ」
今日のおかずはカラアゲとナスビ。
そろそろ食欲魔人になってきたスカサハとラクチェの勢いに負けないように、僕も食べる。
日々の鍛錬はお腹が空くんだ。
ケンカのような食事が終われば、子供たちは就寝タイム。
寝つきのいいラクチェを筆頭に、次々に布団にもぐっていく。
たまにラナが眠れなくて泣くことがあるけど、エーディン様がその面倒を見てくれる。
僕やオイフェにしてみれば、一日の中で貴重な平穏の時間だ。
「紅茶が入りましたわ」
エーディン様がいれてくれる紅茶を飲んで、後片付けの終わった食堂で話し込む。
それは、大事な話だったり、ただの世間話だったり。
でも、僕が一番好きな時間。
この時間だけは、僕が子供でいられる時間だから。
「そういえば、今日、スカサハがペンダコを見せに来ましたよ」
「最近、一番熱心に練習していたからね」
「すごく嬉しそうでした。一番になることがあまりなかったからですかね」
自然と、僕たち二人にも笑みがこぼれた。
それを見ていたエーディン様が、口許を押さえて笑う。
「二人とも、父親みたいな心境なのね」
「そうかなぁ」
「……冗談じゃありません」
嬉しそうに言ったのは僕。
オイフェは、不満そうに拗ねた。
最近、オイフェはよく歳のことを気にするようになった。
ヒゲも濃くなってきたし、ひょっとしたらフケてるって言われたくないのかも。
「そうね、オイフェ君はまだ若いものね」
エーディン様がそういって笑うと、オイフェの顔が真っ赤になった。
そうなんだ。
エーディン様に笑いかけられると、男の人はみんな顔を赤くする。
オイフェも前はそうでもなかったのに、最近は赤くなるようになった。
これって、大人になったってことなのかな。
「ふふ……あら、誰か来たのかしら」
最初に気付いたのはエーディン様だった。
確かに、扉をノックする音が聞こえてくる。
そんなに切羽詰っている感じじゃないけど、こんな夜遅くに誰だろう。
「あぁ、フィノさんかな」
そう言って、オイフェがいそいそと出ていった。
残された僕は、仕方なくエーディン様の方を向いた。
「フィノさんって、誰」
「近所の商家の娘さんよ。オイフェ君にお熱らしいの」
「お熱って……恋人なの」
「さぁ、どうかしらね。オイフェ君を落とせるほどの娘じゃないと思うけど」
よくわからないけど、仲の良い女友達らしい。
でも、こんな遅い時間に尋ねてくるなんて、何かあったのかな。
少し待ってると、オイフェが外套を羽織って食堂に顔を出してきた。
「……すみません。街道の先で土砂崩れがあったそうです。見てきます」
「あら、それは大変ね。私も教会のほうへ行くわ」
「はい、お願いします」
エーディン様が、慌しく外出の準備を始める。
僕も手伝うために外套を羽織った。
「あ、シャナンはみんなのことを頼むよ」
「人手がいるんでしょ。僕だって行くよ」
「町の人を連れて行くから大丈夫だよ。それよりも、セリス様たちをしっかり守ってくれ」
オイフェにそう言われ、エーディン様からも同じようなことを言われた。
「シャナン、皆をよろしくね」
「……うん」
外套を脱いで、フィノさんも含めた三人を見送る。
少し雨が降っていたのか、地面の所々で水しぶきが上がっていた。
町の人たちも起きだして、救援に向かうみたいだった。
「気をつけてね、オイフェ!」
僕が声を大きくして叫ぶと、オイフェが走りながら僕に手を振ってくれた。
フィノさんとエーディン様も、ちらりと僕の方を向いて頷いてくれた。
「さて、どうしようかな」
とりあえず、お風呂のお湯を沸かしておこう。
それに、帰ってきたときに何か食べられるものを。
三人分、用意しておこうかな。
余ったら、朝ごはんにすればいいし。
「よし、おにぎりにしよう」
僕にできることは、今はそれくらいだ。
エーディン様みたいに治療ができるわけでもないし、オイフェみたいに力仕事もできない。
僕ができるのは、みんなの出迎える準備をすることだけだ。
こんなとき、剣の腕だけでは何の手伝いもできない。
子供以上大人未満。
早く、本物の大人になりたい。
何があっても頼りにされる、そんな大人になりたいな。
<了>