異常者


 気付いていたのかもしれない。

 自分自身の本性に。

 生まれながらの統治者。生まれながらにして、他者の犠牲を強いる者。

 たとえ誰であろうが逆らう者を許さない、魂からの衝動。

 否定しきれない、聖斧騎士の血脈。

 同族を忌み嫌う、騒乱の当事者。

 これが、ドズルに生まれた者の宿命。

 

 


 イザーク城、奪還。

 セリスを盟主とする解放軍のイザーク城解放は、戦いの趨勢を決定付けた。

 旧イザーク王国領を支配していたドズル公国の主だった拠点は、既にその大半が陥落。

 果てはイザーク城主であり、現ドズル公主の妾子であるヨハン公子の叛旗。

 ティルナノグ陥落に始まったイザークの動乱は、イザーク王国復活での終幕を迎えている。

 

「デルムッド、スカサハ。セリス様がお呼びだ」

 営地の中央に位置するテントへ、オイフェはそう声をかけた。

 破竹の勢いで勝利を重ねるセリス軍にも、唯一の弱点があった。

 補給路と物資の不安定さである。

 一軍を率いる将軍格でさえ、複数の将が同一のテントに寝泊りをする。

 夜襲の相手には格好の条件が続きながらも、短期決戦を挑み続けることで、野営地を特定させずにいた。

「スカサハはいませんが、俺なら、すぐにでも」

 テントの入り口から顔をのぞかせたオイフェへ、デルムッドがそう答えた。

 デルムッドの返事を受けて、オイフェがあごに手を当てて考え込む。

 その様子に、同じテントに座っていたラナが、綿毛のような微笑を見せて、オイフェへ場所を譲った。

「至急の御用でなければ、お茶をお持ちいたします」

「あ、あぁ。すまないな、ラナ」

「いいえ、お気遣いなく」

 ラナに声をかけられ、オイフェがテントの中に腰を下ろす。

 テントを出ていく準備を整えていたデルムッドも、装備をそのままにして、元居た場所へ腰を下ろした。

 お湯をもらうためにラナがテントを離れると、中に残っているのはオイフェとデルムッドだけとなった。

「軍議ですか」

「いや、そういうわけではない。ただ、ヨハン殿のことで、こちらの扱いを決めておくべきということになってな」

「ヨハン公子……あの、イザーク城主ですか」

 オイフェの言葉にヨハンの顔を思い浮かべたデルムッドの顔が、渋面に変わる。

 その雰囲気を読み取ったオイフェも、口許に苦笑を浮かべていた。

「デルムッドの気付いている通り、理解しがたい人物だろう。素直に信用してよいものか、未だ疑わしい」

「俺も、真に信じるに足る人物とは思えません。計算高いのでも、裏があるわけでもありませんが」

「その点は同感だな。狡い人間ではない。だが、それ以上に信念を曲げぬ人物と見ている」

「俺も、そう思います。セリス様の怖いときに似ている感じがして、苦手なタイプですよ」

 デルムッドのヨハンに対する人物評が、自身の人物評と大差ないことに、オイフェが表情を和らげた。

 最近、少しずつ盟主としての威厳を持ち始めたセリスの、ある意味冷酷なまでの一面。

 その一面が、ヨハンにはある。

 オイフェは自分の感覚に狂いがないことを確かめると、今度は眉を寄せた。

「ヨハン殿の手勢は、今の我が軍にとって重要なものだ。数的にも、質的にも」

「特に、補給に関してはヨハン公子の手勢が鍵となるでしょう。それも、俺が危惧している点ですが」

「流石にベオウルフ殿の血だな。そういう感覚には優れている」

 その言葉には答えずに、デルムッドが小さく笑った。

 乾いた足音とともに、湯飲みを持ったラナがテントへと入ってくる。

 二人は笑顔でラナから湯飲みを受け取ると、お茶をすすりながら会話を進めた。

「今、スカサハを前線から外すわけにはいかん」

「俺が後衛にまわりましょうか」

「デルムッドの手勢では、抗しきれんだろう。ラクチェの隊をまわすつもりだ」

「では、俺も気にかけておきます」

 男同士の会話が終わるまで黙っていたラナが、話のとぎれを待って、口を挟んだ。

「ラクチェなら、さっきテントにいなかったわ」

「スカサハと鍛錬でもしているんだろう。決戦前だ」

「大丈夫です。多少の怪我なら、すぐに回復させてみせます」

 戦場への従軍は、回復役であるラナにも多くの経験値を与えていた。

 つい数ヶ月前までは持つことのできなかった自信は、ラナの心にもしっかりと育っている。

 それを頼もしく感じて、オイフェは空になった湯飲みをラナへと手渡した。

「頼りにしている。エーディン様も、その杖も、お喜びになっているはずだ」

「はい」

 はっきりと答えるラナに、オイフェは微笑みながら立ち上がった。

 テントの外に出たオイフェに、小さな水滴がかかる。

「雨か……夜襲に気をつけるよう、警備兵に言わなければな」

 そう呟くと、オイフェは当直の兵の元へと足を向けた。

 

 


「……斥候か」

 その日の当直だったラクチェは、オイフェに命じられるままに営地の周囲の警戒を続けていた。

 そして、森の中へ入っていく人影を見かけ、悟られぬように、慎重に後をつけて行った。

 営地から少し離れた場所で足を止めた人影は、雨が降り出したにもかかわらず、静かに立ち続けている。

 最初こそ敵の斥候かと疑っていたラクチェも、次第にその考えに疑問を持ち始めていた。

 雨が降り出したにもかかわらず、人影は微動だにすることなく、ただ顔を上げている。

 雨をうらやんでいる様子もなく、大きな息遣いも、わずかな緊張感でさえも漂わせていない。

 斥候にしては無防備かつ覇気のなさ過ぎるその様子に、ラクチェは身構えていた態勢を解いた。

「軍の者かしら。それにしても酔狂な……体調を崩すわ」

 しばらくして本格的に降り始めた雨に、ラクチェは大きな木の根元へと身体を移動させた。

 人影を追いかける時に、当直の仲間には事を告げている。

 ラクチェ一人が問題の人影に関わり続けたとして、見回り自体には支障は出ない筈だった。

「……やはり、私は」

 突然虚空に向かって語りかけた人影の声に、ラクチェは剣を納めたまま立ち上がった。

 わざと音を立てて近付くと、人影がゆっくりとラクチェの方へ向いた。

「ヨハン、体調を崩すわ。営地に戻りなさいよ」

「ラクチェ、心配はいらない」

「心配いらないって言われても、この雨の中をズブ濡れになるつもりなのっ」

 唇を尖らせたラクチェを見下ろして、ヨハンが舌を出した。

 そして、自分の口許を舐め回すと、再び視線を虚空へと向けた。

 その一連の動きに、ラクチェは視線を伏せた。

「……ひょっとして、ヨハルヴァのこと」

「……あぁ」

 つい先日、セリス軍が撃破したソファラ軍。

 その中に、ソファラ軍を率いる将として、ヨハンの異母弟であるヨハルヴァの姿はあった。

「泣いてたの?」

「どうだろうな。涙にしては、味気のない涙だ」

 ラクチェの問いかけにそう答えて、ヨハンは頬を拭い、拭った手を再び舌で舐めた。

「この雨を私の心が流させたと言うのなら、面白いのだがね」

「とにかく、営地に戻りましょう。風邪をひくわ」

 そう言ってヨハンの手を取ったラクチェは、そのあまりの冷たさに思わず手をひっこめた。

「ヨハン、こんなに冷えてるじゃないッ」

「君の熱からすれば、私の体温など氷にも等しいのだろう」

「バカなこと言ってないで、ほら、早くッ」

 そう言って腕を引いたラクチェは、頑として動かないヨハンの顔を、キッと睨み上げた。

 雨の滴がしたたるヨハンの髪は、普段とはあまりにもかけ離れていた。

 イザーク人にはない腰のある青髪が、雨に濡れて平たく押し潰されている。

 髪をまとめるためにつけているバンダナは、髪の奥で存在すらも確認することはできないほどだ。

「ヨハンッ」

「私は、異常者なのかもしれないな」

 突然の台詞に、ラクチェの動きが止まった。

「ヨハルヴァの死に、微塵ほどの涙も流れない。雨に打たれてみればとも思ったが、雨すらも私を動かさない」

「ヨハン……」

「よく、父に言われたものだ。お前は異常者だと。生まれながらにして、鉄の鞭を奮える男だと」

 ヨハンの手が、静かにラクチェの指を開かせていく。

「信じたことはなかった。母が死に、弟が死ぬまでは」

「ヨハン、それはアンタのせいじゃないわ。ヨハルヴァは敵だったし、それに」

 言い募ろうとするラクチェを封じ込めるように、ヨハンが視線を交わす。

「だが、殺したのは私だ。迷いを見せたヨハルヴァの斧に、迷いのなかった私の斧。どちらが勝つかは明白」

「でも、ヨハンが選んだのは自分の正義でしょうッ。アンタは正義に……」

「返り血を拭った手も、赤く染まることはなかった。この雨ですら、涙ほどの価値も見出せない」

 ヨハンの言葉に、ラクチェの言葉が止まる。

 それを口許で受け止めて、ヨハンが歩を進めだした。

「今もこうして、真っ直ぐに歩けるのだ。君が私を選んだのは、君にとっての大きな過ちだろう」

「私にとっての過ち」

「私はラクチェ、君を犠牲にすることを厭わない。むしろ、当然のように君を犠牲にする」

 ヨハンとラクチェの立ち位置が、完全に逆転する。

 夜営地に向かっているのは、ヨハン。森へ向いているのがラクチェだった。

「私は他者に犠牲を強いるために生まれてきた人間だ。生まれながらの統治者、生まれながらに消費する者」

「……私は、間違ってなんかいないわ」

「仮面に素顔を隠す必要もない、あるがままにして人を喰らう。
 他者の涙を味わうことはできても、己の涙の味を味わえぬ男だ。
 手に入れたとしても、君を餌としてしか見ることはできないだろう」

 そう語ったヨハンの手が、再びぬくもりに包まれた。

 驚く素振りも見せずに視線を向けてきたヨハンに、ラクチェは顔を上げた。

「涙の味なら、私が教えてあげる。他人の涙の味なら、ヨハンにもわかるんでしょう」

「君の涙も、私には味がわからない。無味な味だ」

 ヨハンが、ラクチェの頬を掬うようにして得た水滴を舐めた。

 視線を外すことなく……足を止めて。

「私が、ヨハンの優しさを食べてあげるわ」

「無意識の計算に裏打ちされた優しさをか」

「アンタにとって余分な感情を、私が食べ尽くしてあげる。アンタは、私の涙を食べればいいわ」

「異常者なのか、君も」

 そう訊き返したヨハンの手を、ラクチェは力強く握り締めた。

 戦場で剣を振るうラクチェの力強さに顔をしかめたヨハンが、ふりほどこうと腕をのばす。

「痛いのだが」

「仲間だから、一緒に生きていかなきゃいけないから……補い合うものでしょ」

「補い合う、か。私は、君に何を補えばいい」

「背中を守って……私達の背中を」

 ラクチェの手が離れ、ヨハンは無意識のうちに、握られていた手を胸に抱いていた。

 その場から先に歩き出したラクチェの背中が、ヨハンの視線を釘付けにする。

「……背中を守るか。君は厄介なことを頼む。いつでも裏切れる場所に追いやりながら、裏切りを許さない」

 ヨハンの足が、地面を蹴った。

 前を行くラクチェを軽く追い抜いたヨハンが、振り返りざまに微笑を投げかけた。

「戦女神、私の選択は間違っていなかったようだ。君を愛し続けよう、永遠に」

「なっ……」

 

 


 私は異常者だったのだろうか。

 父の言うように、生まれながらにして他者に犠牲を強いる者だったのか。

 答えなどは要らない。

 この顔にかかる雨を冷たく感じられるのなら、私は異常者などではないだろう。

 私は、騎士だ。

 

<了>