必然だったんだろう


 海風を受けて、レックスの青い髪がわずかに揺れていた。
 私の長い髪は、海風に遊ばれて邪魔になっているのに、アイツの髪は少ししか揺れていない。
 髪質が違うのだろう。イザーク人のそれとは、全然違う。

 レックスの身体に隠れているのは、シャナンだろう。
 レックスの膝で眠っているのだろうか。わずかに見える足は、少しも動かない。

「……レックス、シャナンは眠ったのか」

 船の甲板から地平線を眺めていたレックスが、私の声にこちらを向いた。
 身体が開き、レックスの膝で眠っているのがシャナンだと、はっきりとわかる。

「不安なんだろうぜ。ここ数日、眠りが浅かったんじゃねぇか」

 言われてみれば、そうなのかもしれない。
 私自身、シャナンの安からな寝顔は見たことがない。
 それは、寝室が分けられたからと言う理由だけではないような気がした。

 改めてシャナンの寝顔を見つめる。
 逃亡中には心休まる時がなく、アグストリアに入ってからはディアドラ公女のことに悩み。
 随分と重いものを背負わせてしまっていたな。

「レックス、お前は大丈夫なのか」

 シャナンの寝顔を見ながら、私はそう尋ねてしまっていた。

「俺か? 心配してくれんのかよ」

 レックスが、少し微笑んだようだ。
 レックスの表情から、険がとれたように感じた。

「俺なら何も心配いらねぇよ」

「だが、あの軍勢はドズルの旗印を掲げていた。お前がここに残る理由はなんだ」

 アグストリアからシレジアへ亡命することになった理由の一つ。
 あの多数の軍勢の戦闘には、見覚えのあるドズル公国の旗があった。

「別に。あの連中は、俺を迎えに来たわけじゃねぇからな」

「だが、お前まで亡命することはないだろう。わざわざ、シレジアへ行く必要はない」

「あそこでのこのこドズルに帰るようなら、シグルドに加勢したりしねぇよ」

 そう言ったレックスの視線が、シャナンに下ろされた。
 何故かその眼差しは、昔の兄上の眼差しに似ていた。

「それにコイツのこと、放っておけなくてよ」

「シャナンを……」

 どういうことだろうか。

 確かに、ここ数ヶ月、シャナンはレックスといることが多かった。
 だが、それだけでレックスはこの船に乗ったというのか。

 黙ってしまった私を変に思ったのだろう。
 気付いた時には、レックスの顔は、私を向いていた。

「勘違いすんなよ。別にコイツのせいで残ってるわけじゃねぇぜ」

「あ、あぁ……」

 だったら、何故?

 私の思いは、顔色に出てしまっていたらしい。
 レックスは苦笑すると、再び水平線の方を向いて話しだした。

「ドズルってのは一枚岩に見えて、実はそうでもない。神器を継承した奴が、前の人事を一層する」

「どの国でも行われていることだろう。事実、イザークでもそのようなことはある」

「他と違うのはな、徹底的に排除するのさ。だから、今のドズルに俺の居場所はない」

 私が知るところでは、レックスはドズルの次男坊だ。
 神器継承の能力の有無はさておき、少なくとも爵位継承権を持っている筈だった。

「兄貴に疎まれて冷や飯を食わされるぐらいなら、シグルド軍にいた方がマシだ」

「……だが、お前を慕う者はどうなるのだ」

 私の言葉に、レックスは肩を揺らした。
 だが、シャナンが懐くこの男に、人望がないとは思えない。

「俺を慕う奴、ね」

「いないわけがないだろう。損得勘定を持っているにせよ、お前に近付く者がいないとは思えない」

「そりゃ、少なくはないさ。だが、その期待に応えるとしたら、今の選択肢しかねぇな」

 矛盾している。

 私はそう感じた。
 期待に応えるのならば、今こそ恩を売っておくべきではないのか。

「……あれ、寝てたんだ」

 レックスの動きで、目が覚めてしまったのだろうか。
 シャナンが眠そうに目を擦りながら、身体を起こした。

「あぁ。船室で寝てたほうがいいぜ。海の風は、身体によくねぇからな」

「うん……そうする」

 気付かないというのか、私がいることに。
 こんなにも近くにいると言うのに。

 思えば、シャナンも齢を重ねている。
 私の背中に預けられた幼児は、もう少年になっているのだ。
 男同士の繋がりというものが強くなっているのかもしれない。

「あ、アイラ!」

 レックスの膝から下りたシャナンが、私を見て駆け寄ってくる。
 手を伸ばせば届く距離に立ったシャナンの頭を撫でると、嬉しそうに笑ってくれた。

「船室の中にいろ。私はレックスと話がある」

「はいッ」

 大地に比べれば、常に揺れている甲板の上を、シャナンが元気に走っていく。
 見送りを終えて視線を戻したとき、レックスは立ち上がっていた。

「待て、レックス」

「まだ、何か聞きたいのか」

「お前がここにいる理由だ」

 私がそう言うと、レックスは少し考える素振りを見せた。

「……ま、他人に聞かれていい話じゃねぇ。場所を変えようぜ」

「構わないが」

「んじゃ、俺の部屋でな」

 そう言うと、レックスが船室に戻り始めた。
 その後ろを歩きながら、目の前の男を見る。

 斧使いの家系からか、体格は申し分ない。
 余分な脂肪も見当たらず、身のこなしも悪くはない。
 戦場で得た感触では、騎乗技術もトップクラスだろう。
 グランベルでは、これほどの男が最前線で働く必要もないと言うのだろうか。

 ラーナ王妃が用意したこの船は、かなりの大きさを誇っている。
 私たちが小さな部隊だということを差し引いても、公子クラスに個室が与えられるほどの大きさだ。

 レックスにあてがわれている部屋の間取りは、私の部屋よりもやや狭かった。

「ま、適当に座ってくれ」

 レックスに勧められるまま、床に腰を下ろす。

「今から言うこと、あまり他人に言うなよ」

「アゼル公子にも、か?」

「アイツのそばにはティルがいるしな……ヤメとけ」

 ティル……ティルテュ公女のことか。
 そう言えば、彼女もフリージの貴族の出だと聞いている。

「わかった。誰にも話しはしない」

「そうしてくれ」

 そう言うと、レックスはベッドに座ったまま、私に視線を合わせた。

「まず、シグルドの親父の反乱だが、ありゃ、かなり嘘くせぇ」

「そのことは聞いている」

「俺の勘じゃ、ウチの親父に入れ知恵をした奴がいる」

「レプトール卿か」

 私の口から出た名前に、レックスが眉をひそめた。
 どうやら、癇に障ったらしい。

「誰かはわからねぇよ。ただ、親父は戦好きな男だ。今のこの状況は、願ってもねぇ機会だろうぜ」

「イザークだけでは飽き足らず、グランベル国内をも戦乱に巻き込もうというのかッ」

「ドズルの軍事力は、グランベル随一だ。戦乱の世になれば、必ず台頭できる」

「バカなッ。そのような野心だけで、何をッ」

 思わず、剣の柄を握り締めていた。
 イザークを追われた時の屈辱が、私を抑えきれずにいるのか。

「アゼルから聞いたんだが、クルト王子の後釜はいねぇ。一揉めあるのは間違いないってよ」

「信じられるか。為政者が真に望むべきものは、民の安寧ではないのかッ」

「俺に怒るなよ」

 レックスの声が、私の手を剣から引き離した。
 それでも堪えきれない怒りを、床を殴りつけることで紛らわした。

「……どっちにしろ、一揉めある。その時、俺はドズルにいても仕方がねぇんだ」

「仕方がない?」

「主流派じゃない俺がこの軍にいるのも、必然だったんだろうぜ。俺か親父、勝った方がドズルを継ぐ」

「お前は……」

 やはり、お前も強欲なドズルの男だと言うのか。
 そしてシャナンは、このような男に魅かれているのか。

「勘違いすんなよ。主流派じゃない俺が反乱軍にいるってのが、ドズルの歴史にとっちゃ必然なだけだ」

「ならば、お前はただ運命に従っているだけだと言うのか」

「そういうわけじゃねぇよ。ただ、嘘くせぇことが多すぎる。その時、鍵になるのはここだと俺は思った」

 確かに、嘘が多すぎる。

 イザーク侵攻のことも、ヴェルダン王国の攻撃も、アグストリアへの侵攻も。
 どれが真実で、何が嘘か。それすらもわからないのだ、今の私には。

 ただ、目の前の無くしたくないものを守ろうとして、剣を揮い続けているのだろう。

「それに、ここにはダチがいる。失いたくねぇ奴らがいる。それだけで充分だろ、ここに残る理由なんて」

「レックス……それは、私も同じだ」

「それに、お前がいるしな」

「なっ……」

 自分でもわかる。
 顔が赤くなっていることぐらい。

 思わず立ち上がった私にかけられたのは、レックスの私をからかう声。

「好きなんだよ、お前が」

「バカにするなッ」

 部屋を出る寸前で、レックスが私の腕をつかんだ。

「うやむやにされるのは好きじゃねぇんだ。俺はお前が好きだぜ」

「……ッ」

 乱暴にふりほどこうとした腕は、ガッチリと抑えられたままだ。
 最初は一本ずつ認識できていたレックスの指が、だんだんと熱を帯びたように曖昧になっていく。

「逃げるなよ。せめて答えくらいは聞かせてから、どっか行け」

「し、知るかッ」

 その時、急にレックスの力が抜けた。

「レックス……ゴメンっ」

 なっ……。

 走り去っていくのは、確かにアゼル公子じゃないか。
 思わず背後のレックスを振り返ると、レックスが目で笑っていた。

「俺は否定する気は無いぜ」

「クソッ」

 癪に障るが、レックスのことは後回しだ。
 何を言われるかわからないが、アゼル公子からティルテュ公女に話が伝わると、確実に面倒になる。
 何としても、その前にアゼル講師に真実を話さなくてはッ。

「ほれ、行っちまうぜ」

「後で貴様の首をもらい受けるぞッ」

「やなこった」

 走るしかない。

 全力で、アゼル公子を追う。
 狭い船だが、逆に残された時間は少ないだろう。

 まったく、今日はとんだ災難だ。
 シャナンはあの男の膝枕で寝る、私はあの男のせいでこんな破目に遭う。
 どれも、レックスが引き起こした面倒じゃないか。

 絶対に一発入れてやる。

「アゼル公子、待ってくれ!」

 遠くに見える銀髪は、私のタイムリミット。
 お願いだから、アゼル公子、足を止めてくれ。

「アゼル、どうしたの?」

 あぁ、タイムリミットが過ぎていく。

 いや、まだだ。

 直接弁解すればいい。
 二人が話を始める前に!

「違うんだ、アゼル公子ッ」

「キャッ」

 あぁ、銀髪が逃げて行く……。
 これも嘘……だと言って。

 お願い、神様。

 

<了>