不器用に見えるだろ


 バーハラ城を囲うように生い茂っている森の中から、バラバラと剣士集団が城へと駆けていく。

 その後を追うようにして、大きな歓声と共に隊形を整えたままの騎馬集団が姿を現した。

「一気に城門を開く! 何としても城門へとり付けッ」

 集団の後方から、騎乗したまま指揮を執る青年の声が前線の兵士へと通り抜けた。

 命令自体は定石に適ったもので、ここまでの激戦を戦い抜いてきた者達に改めて下すものではない。

 しかし、命令がかかる事が大きな力となることも、また事実だった。

「城門を制圧した後は、その場を死守せよ!」

 命令を下すと共に、デルムッドは森の中を飛び出した。

 彼の率いる部隊が城門へと押し返したのは、バーハラの十二神将の一人、ドライの率いていた部隊である。

 ウォーリアであるドライ将軍をはじめ、機動力には乏しい部隊だった。

 森林へ誘い込み、各個撃破を果たしたデルムッド隊は、その勢いを駆って城門へと迫ったのだ。

「デルムッド、私達が出るぞッ」

 騎馬隊であるデルムッド隊の後方で待機していたラドネイ率いる剣士隊が、平野へと繰り出された。

 それまでの戦闘に参加していなかったせいか、ラドネイ隊の士気は高かった。

 城門から城内へ入ることを諦めたドライ隊の重騎士の生き残りを、一人として討ち洩らすまいという気迫。

 事実、ラドネイの率いる剣士隊は技術の確かな者が多い。

 同じく解放軍の主力剣士隊であるラクチェ隊やスカサハ隊よりは、各人の技能に優れた者が選抜されていた。

「早まるな! 城門を確保するまで待てッ」

 隊の後方で冷静に戦況を判断していたデルムッドの意識が、戦場の端へと移る。

 やや離れた位置で戦闘を開始したラドネイ隊の先頭には、彼の予想した通り、ラドネイが立っていた。

「だからスカサハと組ませてくれと言ったんだ」

 デルムッドの苛立ちの含まれた呟きに、彼の副官が馬を寄せた。

「隊長、どうなされますか?」

「城門の確保が先だ。反対側の城門に取り付いている魔法騎士隊が来る前に、城門を確保する」

「では、増援を……」

 副官がそう言った時、大きな爆発音と共に地面が振動した。

 広域魔法発動時特有の異様な黒い妖気が、それまで降り注いでいた太陽を遮断している。

 デルムッドがそれと気付いたときには、城門近くまで迫っていた騎馬隊の進行速度が鈍っていた。

「あちらの増援か」

「近衛魔道士が出てきたのかもしれません」

 増援となるために駆け出そうとしていた副官が、眼を凝らして城壁の上を睨む。

 しかし、大掛かりな魔道士隊の展開は、城壁に確認することはできなかった。

「……十二神将に、マージファイターがいたな」

「情報が正しければ」

 デルムッドが敵増援の正体に気付いたとき、既に先鋒隊は壊滅状態にあった。

 広域魔法の発動と同時に、崩れかかっていた城門から敵部隊が繰り出されたせいだった。

 瞬く間に数を減らした先鋒隊は、後退を余儀なくされていた。

「魔道士相手に森の中で戦うべきか。いや、こちらの増援を待つか……」

 馬上で、解放軍随一の軍事頭脳が回転を始める。

 実のところ、初期の解放軍の勝利には、デルムッドの頭脳もかなりの役を担っていた。

 カリスマの高いセリスの元に集まっていたシグルド軍の遺児達は、まだ兵士としての能力に傾いていた。

 その中で、軍師として働いていたのがデルムッドである。

 全体の指揮をセリスが、実戦部隊の指揮をスカサハが執り、そのスカサハを支えたのが彼だった。

「隊長、ラドネイ様が我が隊の前方に割り込まれましたッ」

「あのバカ! 自重しろって言い聞かせておけばよかった」

「隊長っ」

「俺の小隊で援護に向かう。お前は隊を立て直して、城門の制圧を窺え」

 早くも手綱を握り、デルムッドが馬首をラドネイのいる方向へと向ける。

 副官の返事を待たずして、デルムッドは小隊を率いて平野へと飛び出した。

「お前たちはラドネイ隊の援護だ。ラドネイ隊を城門の右へと退却させる」

「ハッ」

 激戦を繰り広げている両軍。しかし、ラドネイ隊の不利は明らかだった。

 敵軍の先頭で猛威を奮う男の速度が、一向に止まらないのだ。

 重騎士隊をほぼ壊滅させたラドネイたちは、その疲労も手伝ってか、じりじりと後退していた。

「敵はただの魔道士じゃないみたいだね」

「その通り。覚悟してもらおうか、お嬢ちゃん」

 台詞と同時に払われた剣をさばき、ラドネイは唇を噛んだ。

 さばいたつもりの剣の受け損ねか、微妙な切り傷がラドネイの腕をしびれさせている。

「……ッ、魔法剣ッ」

「我が名は十二神将が一人、ゼウス。その命、もらい受ける」

 剣を水平に構え、ラドネイを将と見たゼウスの口許が緩む。

 対抗して正眼に構えたラドネイは、ゆっくりと息を吐いた。

「解放軍剣士隊三番組隊長、ラドネイ。相手になるわッ」

「名不足だな」

 ゼウスの挑発に、ラドネイの剣先が上がる。

 完全に唐竹に移行したラドネイの隙を突くように、ゼウスの剣が疾る。

「やぁ!」

 気合一閃。垂直に振り下ろしたラドネイの剣が、ゼウスの剣先を捉える。

「名不足だと言った筈だ」

「えっ」

 ラドネイの視線が、自分の剣の剣先へと落ちる。

 ゼウスの剣先を押さえていたと思っていたその場所は、かなり柄の部分へと流されていた。

 一瞬の静寂の後、ゼウスの力がラドネイの剣をまきとっていく。

 甲高い音をさせ、ラドネイの剣が宙へと飛んだ。

「……ッ!」

 ゼウスの剣が、真っ直ぐにラドネイの額に狙いを定める。

 無言で突き出された剣を見据え、ラドネイは声もなく立ち竦んでいた。

「これだから剣士はッ」

 ゼウスの死角から馬で駆け寄ったデルムッドが、悪態を吐きながら剣を振るう。

 ゼウスの剣の切っ先が、ラドネイの額を斜めに斬り上げ、そのまま下方へと流されていく。

 額の切れた感覚を感じながら、ラドネイの視線が上を向いた。

「……デッド!」

 ラドネイ自身、無意識に呼んでいたデルムッドの愛称に気付くことなく、デルムッドの顔に見入っていた。

 デルムッドもラドネイの呼称には気付いていないのか、すぐさま剣を振る。

「このまま連中を右へ引きつける。早くその剣を拾うんだ」

 新たに攻め寄せた敵を引きつけ、デルムッドがラドネイを現実へと引き戻す。

 デルムッドに守られながらゼウスの右手から剣を引き抜き、ラドネイの瞳が生気を取り戻した。

「アンタの隊が機を窺ってんでしょう? このまま戦いながら退くよ」

「君が先に離脱するんだ。後退して隊を立て直せ」

「アンタの小隊じゃ、絶えられない」

「俺も退く。今の状態で戦えば、死ぬかもしれないだろうが」

「何を言って……」

「額を切られて平常心でいる人間なんているか。死にたくなかったら言うことを聞いてくれ」

 いつもより早口でまくし立ててくるデルムッドに、ラドネイは気圧されたように返事をした。

「わかったわ。アンタについていくからっ」

「よし。引き上げるぞ!」

 デルムッドが馬上で剣を煌かせる。

 雷の輝きを持って合図に変え、デルムッドはラドネイを従えて城門から離れた位置へと撤退を始めた。

 

 

 バーハラ城は陥落した。

 セリスと共に城内へ突入したユリアが、その手でユリウスを葬ったのである。

 バーハラ陥落は瞬く間に大陸全土へと伝わり、各地を蜂起の炎が駆け巡った。

 そんな中、名将ヒルダが統治していたヴェルトマーは、新たな当主にアーサーを迎え、セリス王を公認する。

 元々ヒルダの統制化で激動を乗り切ってきた、力ある公爵家である。

 アーサーを迎えても何の混乱も見せずに、ヴェルトマーは復興の中心的地位を確保した。

 同様に、聖杖バルキリーの後継者であるコープルを迎え入れたエッダも、瞬く間に勢力を回復。

 政教分離の復活を目指すセリスの考え方に従いながらも、暗黒教団下で確立された祭典の維持を認めさせる。

 そして暗黒教団の排除を追い風に、国教の地位を取り戻した。

 逆に、苦しい立場へと追い込まれたのはフリージとユングウィの両公国であった。

 元々点在している領土のためか、フリージの主だった将は総て解放戦争時に戦死。

 ヒルダ配下の諸将がヴェルトマーへ移っていたことも災いし、内部抗争が勃発していた。

 ティルテュの遺児であるティニーを推す中央派と、イシュトーの遺児を推す地方派に別れての抗争だった。

 結局はアーサーの介入でティニー派がフリージを治めるが、長期間の抗争で、領土の大半を減らしていた。

 ユングウィも主だった者が死去し、後継者となる人物の目途が立たず、セリスの沙汰を待つことになった。

 セリスは直ちにイザークにいたエーディンを呼び戻し、エーディンを介してファバルを擁立。

 領土問題のないユングウィは、ファバルとレスターを中心に、一からの立て直しに着手した。

 

「それでは、私もシアルフィへ帰らせていただきます」

 公国の中で、最後のユングウィ復興の目途が立つと同時に、セリス軍の宰相を務めていたオイフェが辞任。

 引き留めるセリスを前に、オイフェはセリスの持つ聖剣ティルフィングの下賜を申し出る。

「今、セリス様がシアルフィ公国をお継ぎになることはできません。公国のバランスもありますからな」

「わかっている。僕も、オイフェがシアルフィを継いでくれるのなら、心配はないよ」

「ありがとうございます」

「でも、今じゃなくてもいいじゃないか。僕にはまだ国を動かすだけの力も、それを手伝ってくれる家臣もいない」

 そう言って引き留めたセリスに対し、オイフェは戦場で見せることのなかった微笑みを見せた。

「大丈夫ですよ。解放軍の皆は、セリス様に従います。それに、アーサー達も協力は惜しまないと」

「それはわかっている。だけど……」

 なおも言い募ろうとするセリスを手で制して、オイフェは深く頭を下げた。

「シアルフィ公主としてセリス様にお仕えすることが、今の私の望みです」

 それきり、口を開くこともなく、顔を上げることもないオイフェに、最後はセリスが根負けをした。

 不機嫌な表情を見せるセリスの傍らに鎮座していたラナに促され、セリスはティルフィングを託した。

 それを受け取った時にオイフェの見せた涙は、後世までの語り草となっている。

 

 グランベル国内で残されていたヴェルダン統治問題で実力を発揮したのが、ドズルをまとめたヨハンである。

 解放軍の中で最初に離脱したイザーク国王シャナンとの取引で、イザーク国内の領土を返還したヨハンは、
辛抱強くヴェルダンの動向を見守っていた。

 愛妻ラクチェと共にイザーク国内での見事な撤退をみせたヨハンは、ヴェルダンの統治に際して、
イザーク領内で執政していたことを理由に、イザーク、ソファラ領内の植民の受け入れ場所を要求。

 撤退と同時にシャナンと交わしていた、ドズル民のヴェルダンへの移住を成功させる。

「……結構無茶するわね」

「イザークに禍根の種を残すわけにもいくまい。それに、ドズルの民は地位よりも土地を取るのだよ」

 かつてより骨肉の争いを演じ続けるドズル公国は、ここで一気に主流派を交代。

 ヨハンを中心とした体制へと移行し、バーハラのセリスに対する軍事牽制国として力を発揮し始める。

 これに対し、アーサー率いるヴェルトマーが元アルヴィス派の家臣団を吸収して、中央での勢力を確保。

 武でのドズル、政でのヴェルトマーが、セリスの暴走を押さえるバランサーとしての勢力図を整えた。

 

 グランベル国内の体制が固まるのと前後して、解放軍に加わっていた各国の者が帰国を申し出ていた。

 最初に、イザーク国王に就任したシャナン、将軍となったスカサハが帰国。

 ラクチェ一人がドズルへと向かい、代わりにパティがセリスに示されていた財務官を辞し、イザークへ出立した。

 次に帰国を申し出たのは、リーフ率いるレンスター軍だった。

 しかし、リーフ、フィン、アルテナと、レンスター軍の主力部隊が帰国する中、一部はセリスの護衛部隊として
バーハラでの駐留を続ける。

 セティはシレジアへの道の雪解けを待って帰国することをセリスに伝え、フィーはレヴィンとセティの残っている
間にと、解放軍で最初の結婚式を挙げることになる。

 既に帰国した仲間達からの祝電が届けられ、新たな仕事に追われていた解放軍の中にも笑顔が戻りだした。

 その中で、戦乱の続くアグストリアの地に向かって、遂にアレスが重い腰を上げた。

 

 

「世話になったな」

 開口一番、セリスにそう言ったアレスは、微笑むセリスに対して顔を背けた。

「……まだ、疑ってるの?」

「真相など、もはやどうでもいい。ただ、オレはお前のそういったところが嫌いだ」

「相変わらずだね、アレスは」

 フンッと鼻であしらったアレスに代わり、デルムッドがその場を取り繕う。

「セリス様、長い間、お世話になりました」

「うん。デルムッドがいなくなるなんて、考えられなかったけどね」

「俺も、アグストリア出身ですから」

「それに、ラドネイとくっつくなんて、詐欺だよね。ラドネイも、何でデルムッドなんか……」

 本気で拗ねるセリスに、デルムッドとラドネイが真っ赤な顔をしてうつむく。

 そのことにますます気を悪くするアレス。

 何とかその場をもたせたのは、ラナの一言だった。

「いつまでも子供なことを言わないで下さいね、セリス様」

「ラナ……」

 既に頭が上がらなくなっているのか、ラナの言葉に、セリスはすごすごと引き下がる。

 代わって場を支配したのは、ラナだった。

「ラドネイも、身体に気を付けてね」

「ラナも、元気で」

「もちろんよ。ラドネイは、また先頭に立つの?」

「多分。デッドが戦うなら、私はそのコマだから」

 ラナの前では、ラドネイも妙な遠慮は見せない。

 自分に対して己をさらけ出してくれたラドネイへ、ラナは微笑みながらラドネイを抱き寄せた。

「元気でね」

「大丈夫だって」

 ティルナノグからの幼馴染み二人が抱き合っているのを横目に、それまで黙っていたナンナがセリスを呼んだ。

 完全に拗ねていたセリスも、ナンナの声にようやく現実を見直す気になっていた。

「セリス様、私達レンスターの残留部隊も、アグストリアへと参ります」

「そう。リーフの許可は取ってあるの?」

「えぇ。母の生国ですし、アグストリアの現状には、私達も黙って見ているわけにはいかないと」

「リーフの許可があるのなら、僕は何も言わないよ。デルムッドもいることだしね」

 ナンナの話が終わると同時に、アレスはセリスへ背を向けた。

 その背中へ、セリスは子供っぽさのない、王としての台詞を伝える。

「アグストリア王位継承者、アレス。我々グランベルはアグストリアの復興を待ち望んでいます。
 願わくば、我が父、シグルドとエルトシャン王のように、互いに信頼し合う関係を築きたいと思っております」

「オレが王となれば、グランベルへ牙を剥くことはないだろう」

「アレス……」

 間髪入れずに答えたアレスの言葉に、セリスは二の句を繋がなかった。

 退出したアレスに続き、ナンナが礼をして席を辞する。

 最後に残ったデルムッドだけが、ラナへ笑いかけた。

「まぁ、アレス様はセリス様よりも素直な方ですので」

「そうね。デルムッドもいることだし。大変だとは思うけど、貴方達ならきっとやれるわ」

 笑顔で応えたラナにもう一度深々と頭を下げ、デルムッドはラドネイを連れて扉の外へ出た。

 一歩下がり目に付き従うラドネイに、デルムッドは静かに足を止めた。

 ラドネイが戸惑いながら横に並ぶのを待って、デルムッドの手がラドネイの手をつかむ。

「戦いは続く。セリスのところにいても良かったんだぞ」

「アンタの隣で剣を振るうほうが、私には似合ってる」

「アグストリアには親父が待ってる。会ってくれるよな」

「アンタの父親、生きてるの?」

「あぁ。あの人は、常に戦いの中にいる。ナンナには知らせていないが、親父は生きてる」

「……わかった。覚悟しとくから」

 自分の手を握り返してきたラドネイに、デルムッドは力強くラドネイの身体を抱き寄せていた。

 

 

 アグストリア国内は解放戦争が始まる以前から小国が乱立し、グランベルの統治が行き届かなくなっていた。

 大陸全土を支配したと思われていたグランベル王国も、実のところ、アグストリア全土を統治したことはない。

 最大勢力時で東部から南部にかけてを支配下に治めたに過ぎず、現在は東部へと押し込まれていた。

「グランベルじゃ、戦争は終わったらしいぜ」

「後れを取りましたわね。ノディオンもまだ取り戻せていないとは」

 ノディオンから遥か北方のアグスティ城で、アグストリアでも有数の勢力を誇る一団の将が、茶を嗜んでいた。

 城内の敷地に置かれたオープンテーブルで、金髪の男女が互いに別の方向を向きながら会話を交わす。

「デルムッドからの書簡だと、エルトの息子がバーハラを発つんだとよ」

「アレスが? フリージからこちらへ向かうように送り返して」

 金髪の女の視線が、男へと向けられる。

 男は変わらずに視線をあらぬ方向へ向けながら、女の求めに頷いた。

「デルムッドには言い付けてある。フリージ経由で、アグスティ城へ入れってな」

「そう。だったらいいわ」

 女の視線が男を離れ、城壁へと向けられる。

 数ヶ月前の戦闘の名残が色濃く残されている城壁は、彼女に勝利を印象付ける。

「もう少しよ。もう少しで、アグストリアを取り戻せる」

「エルトの息子を旗印に使うつもりか?」

 女の呟きに、男は何気なく尋ねる。

「もちろんよ。ノディオン王はエルト兄様。エルト兄様の跡継ぎは、あの子だけ」

「アグストリアの王になるには、ちと経験不足だ」

「力で黙らせるわ。それに、デッドも充分に経験は積んでるわ」

 自分の息子を補佐役として名前を挙げた女に、ベオウルフは肩をすくめた。

「俺としちゃ、このまま戦争が続いてくれなきゃ、食い扶持がなくなっちまうんだが」

「雇ってあげるわ。馬の世話係なんか、どう?」

「それも構まわねぇが、いくら出るんだ?」

「言い値でいいわよ。それとも、また一万Gで雇われてみる?」

 そう言って笑い出した女に、ベオウルフは小さくため息をついてから、大きく背伸びをした。

「へいへい。さて、甥っ子を迎えに行くぞ、ラケシス」

「そうね。出迎えの準備をしなきゃね」

 金髪の女が立ち上がり、昔からの側近であり、今では軍団の部隊長となったアルヴァを呼んだ。

「アルヴァ! アレスを迎えに行くわよ!」

「はーい」

 昔から変わらぬ間延びした返事に、ベオウルフが待ったをかける。

「お前さんはここを頼むぜ。俺とラケシスで迎えに出る」

「……姫様〜?」

 アルヴァが、主であるラケシスの指示を仰ぐ。

 長くなった髪を手で押さえると、ラケシスは愛剣を腰に差しながら答えた。

「ベオの言う通りにして頂戴。それと、今の私は姫ではないわ」

「はーい」

 間延びした返事を聞きながら、ラケシスは先に歩き出していたベオウルフの隣に並ぶ。

 自分の肩までしかないラケシスが隣に並んだことを感じたベオウルフが、歩きを止めずに声をかける。

「お前も、いい母親じゃねぇな」

「母親である前に、ノディオン王女。義姉様の意志は、私が受け継いだの」

 口を真一文字にしたラケシスの表情を見下ろして、ベオウルフは、立ち位置を一歩下げた。

 そのことを気にも止めずに歩き続けるラケシスの後姿を見ながら、静かに首を振った。

「義姉様の意志、ね」

 母親になっても変わらない、艶やかな金髪。

 過酷な戦場を生き抜いて身に付けた、たくましい雰囲気。

 そして、以前と変わらぬそのカリスマ性。

 そのどれもが、ベオウルフにとっては高嶺の花に感じてしまう。

 たとえ彼が、デルムッドとナンナの父親だとしても。

「ブラコンだとは思っていたが、まさかシスコンとはねぇ……」

 勝てもしない戦いを勝ってしまったベオウルフは、そう呟きながら愛馬へと飛び乗った。

 手綱を引けば、そこには傭兵として数多の戦いを潜り抜けてきた男の、精悍な顔があった。

 

 

 アレス率いる一行は、デルムッドの進言どおり、フリージを経由してアグストリア領内へと入った。

 アレス自身が先鋒を務め、ナンナが率いるレンスター部隊が後方を固める。

 アレスが野営を決定した草原で、彼らをノディオンの国旗が包んだ。

「……ノディオンの国旗?」

 幼い頃から持っている自分の財布の紋章と同じ国旗に、アレスは歩いてくる使者らしき人影を待つ。

 使者が充分に視認できる距離まで来たとき、アレスの傍らで剣を構えていたデルムッドが安堵の息をもらす。

「母上」

「元気そうね、デッド」

「は、母上ッ?」

 デルムッドの傍に控えていたラドネイが、デルムッドの言葉に唾を飲み込んだ。

 驚きはアレスにしても同じことで、デルムッドの母親と呼ばれた女性を凝視していた。

「アレス……本当にお兄様に瓜二つね」

「アンタは、親父を知ってるのか?」

 アレスの問いかけに、ラケシスはにっこりと微笑んだ。

「貴方の叔母よ。デルムッドとナンナの母親と言ったほうがわかりやすいかしら」

「いや、わかるが……ナンナが死んだと言っていたものでな」

「……そう」

 微笑んでいたラケシスは、その言葉にも微笑を崩さなかった。

 隣で聞いていたベオウルフだけが、笑いをこらえきれずにいた。

「デッド、そちらの娘は?」

 微笑んだまま話題を変えたラケシスに、ラドネイが身体を硬くしながら前に出る。

「イザークの、ラドネイと申します」

「イザーク? あぁ、アイラ様の御息女かしら」

「い、いえ! アイラ様の御息女、ラクチェ様のお側にお仕えしていた者です!」

 慌ててラケシスの勘違いを訂正するラドネイを見て、ラケシスはまた小さく笑った。

「デッド、どういうことかしら?」

「いや、ま、その……一応、婚姻の約束を……はい」

「そう。義理の娘ね。ところで、ナンナはどこにいるのかしら?」

 ラドネイのことはすっかり終わったような口ぶりで、ラケシスが実の娘の居場所を尋ねる。

 丁度その頃には、レンスター部隊も野営地へと到着していた。

「お、お母様! それにお父様まで!」

 様子を窺うようにゆっくりとした速度で馬を近寄らせていたナンナは、二人を確認すると同時に馬を下りた。

 そのまま近くの者に馬を預けると、二人へ向かって駆け寄る。

「千客万来だな」

 そう呟いたベオウルフの脇を走り抜け、ナンナがラケシスの胸へと飛び込んだ。

「お、お母様ッ」

「あら、ナンナも元気そうね」

「は、はい。それより、お母様は今までどちらでっ?」

「心外ね。アグストリアにずっといたわ。貴方達の帰りを待ちながらね」

「そんなっ。だったら、何故!」

「連絡はデルムッドにしていた筈よ。ねぇ、ベオ?」

 声をかけられたベオウルフは、明後日の方向を向きながら、肩をすくめてみせた。

「さぁて。定期的には書簡を送っていたがなぁ」

 しかし、父親の答えが聴こえていないのか、ナンナがラケシスの胸で大声を上げながら泣き出した。

 あまりの音量に、周囲にいた人間が思わず耳をふさぐ。

 しばらくして泣き止んだナンナと共に天幕の中へラケシスが消えると、デルムッドは自分の父親に呼ばれた。

 デルムッドが静かに父親の言葉を待っていると、ベオウルフはニヤリとだけ笑った。

 その真意を測りかねたデルムッドがそのことを口にする。

「何か?」

「いや、知らぬは親ばかりなりってな」

「ラドネイのことでしょうか」

「そいつもあるがな。どっちにしろ、お前たちは誰に似たのかはっきりしたぜ」

「……俺は父上でしょう。オイフェ様も、用兵に父上の面影を見たと」

「どうかねぇ。俺は傭兵だ。他人を使うような人間じゃねぇよ」

「ですが、今のアグストリアを平定できるのは、父上の働きあってこそ」

 息子の言葉にくすぐったい感じを受け、ベオウルフは剣の柄で息子を小突いた。

「子供にベンチャラを言われるほど、俺は歳じゃねぇ」

 小突かれた部分を手で押さえ、デルムッドが頭を下げる。

「俺はラケシスに雇われた傭兵。お前はラケシスの嫡男、アグストリアの貴族様だ」

「……父上?」

「むやみに頭を下げるな」

「は、はい」

 そう言ってデルムッドの背中を剣で押したベオウルフに、デルムッドが腰の剣を外した。

「父上、この剣を……」

「お前にやった。今更返してもらっても、使えないしな」

「それは……」

「心配するな。その剣はお前を選んだ。今、その剣に選ばれているのは俺じゃない」

「剣が、選ぶ?」

 自分の言葉に納得できていない息子に、ベオウルフは笑いながら再度、剣を押した。

 背中を突かれてよろけるように天幕へと運ばれるデルムッドへ、ベオウルフは何気ない風で、口を開く。

「大変だぞ、ラドネイとそっちの踊り子は。ラケシスが宮廷作法を教えたくて、うずうずしてるからなぁ」

「リーン様のこと、お気付きですか?」

「王妃と王族としての作法を、みっちりとしごかれるだろうな。求められているものは高いぞ。
 ラケシスの王族の基準は、自分とエルトシャン、グラーニェだからな」

「……父上」

「逃がすなら、今のうちだぞ。どうもノディオンの人間ってのは、一度引き寄せた人間を離さんらしい」

 二人の足が、天幕の前で止まる。

 既に中では何かが行われているのだろう。

 ラケシスの声だけが天幕の外へと漏れていた。

「ラドネイって娘、飾りじゃない武人だな。犠牲者第二号か」

「第一号が誰かは、お尋ねしませんが」

「そうしておけ」

 天幕の中へデルムッドを押し入れて、ベオウルフは天幕をくぐった。

 ベオウルフの予想通り、ラドネイが剣を外され、妙な歩き方で天幕内を歩き回らされている。

「早速か」

 そう言って、ベオウルフは手近な場所へ腰を下ろした。

 神妙な面持ちで歩き続けるラドネイを横目で見ながら、デルムッドがベオウルフの横に立つ。

「……いい娘だな」

「はい」

 デルムッドの返事に、ベオウルフは目を細めた。

「お前は、あの娘を守るつもりか?」

「それが、伴侶となる者に対する礼儀かと」

「ラケシスの言葉じゃないが、戦える女ってのは、守られることを善しとしない。忘れるなよ」

「不器用なりに」

「バァカ。不器用ってのは、俺たちみたいなのを言うんだよ」

 そう言って、ベオウルフはバタリと仰向けに転がった。

 ラケシスの言葉を実践しようと苦労しているラドネイと、それを見守るデルムッド。

 そして、自分の持てる物をすべて叩きこもうとしているラケシス。

「似合わぇなぁ……俺には」

 天幕の中の光景をそう思いつつ、ベオウルフはゆっくりとまぶたを閉じた。

 アグストリアに猛威を振るった戦乱の嵐は、あと少しで収束へ向かうだろう。

 それは、ベオウルフの生きる場所が消えることを意味する。

 かつては決して願うことのなかった戦乱の終結を心のどこかで待ち望んでいる今の自分を嘲笑しながら、
ベオウルフはまぶたの裏に浮かんだ親友の顔を思い出していた。

「……お前の願いが叶うなら、それもいいのかもしれねぇな」

 

<了>