紅い髪

(後編)


「さーて、今日も一日頑張りますか」

 朝日を浴びて背伸びをしたフィーが、大きく首をまわした。

 フィーと一緒に外へ出たセティは、さっさとレヴィンの許へと去って行く。

 もう一度大きなあくびをしたフィーの耳に、近寄る足音が聞こえた。

「おはよ……って、アーサー、その髪は?」

「短い髪の俺は嫌い?」

 開口一番に髪のことを尋ねてきたフィーに、アーサーは微笑みながら聞き返した。

「嫌いじゃないけど……その色は?」

「銀髪が好みだった?」

 フィーは、アーサーがあくまでもはぐらかそうとしていることを感じると、ズイッと顔を近づけた。

「アーサー」

「な、何だよ」

 わずかに笑みが引きつったアーサーに、フィーがアーサーのアゴの下から、細身の槍の先端をのぞかせる。

 アーサーは、自分の額に冷や汗が滲んでいるのを感じていた。

「な、何の真似だよ、フィー」

「別に。この槍、凄く熱心に手入れしてるから、ちょっと斬っただけじゃ痛くないかもね」

「……俺を殺す気?」

「そう言えば、あたし、飼ってた子犬を殺しちゃったこともあったかな」

 フィーの目が、アーサーを見るためだけに細められる。

 無言の脅迫の中、アーサーはゴクリと唾を飲み込んだ。

「な、何が聞きたいの?」

「まずはその髪の毛」

「これは今までカツラをしてたわけで」

「その理由」

「急に赤くなっちゃってさ。バレないように短く切って、カツラをしてたんだよ」

「隠した訳」

「いや、変だろ? 急に髪の色が赤くなるなんて」

 フィーが、無言で槍の先端をアーサーの喉に近づける。

「……ほら、俺って染めるガラじゃないし」

 先端が喉を突く。

 研ぎ澄まされた冷気が、アーサーの喉元を薙いでいた。

「言う……全部話すから、この槍を」

 アーサーの言葉に、フィーがにこやかに槍を外す。

 逃げれば背中にその槍が投げつけられることは、アーサーが一番よく判っていた。

「じゃ、教えて」

 フィーの言葉に、アーサーはまずフィーの手をとった。

「俺から逃げるなよ」

「バカ。話を聞いてからよ」

 そう言いながらも、フィーの頬は紅く染まる。

 それを見て、アーサーは静かに話し始めた。

「俺はヴェルトマー家の人間だ。アルヴィスの甥だよ。アゼルはアルヴィスの異母弟なんだ」

 アーサーの手を握っているフィーの手に、力が入り始めていた。

「つまり、俺は一つ間違えば、フィーを殺すために闘っていたかもしれない。
 この紅い髪はヴェルトマーの証。真紅の、ファラの直系の証なんだ」

「……でも」

「今まで隠して来たのは、俺がどこかで逃げていたんだ。
 ファラの直系であることを、俺は認めたくなかった。認めてしまえば、俺は……」

 アーサーの手が、無意識にフィーを抱きしめる。

 フィーが難なく自分の腕の中に納まったのを、アーサーは他人事のように感じていた。

「……ファラの血は、ファラが裁く。フィー、俺はシレジア人じゃない。ファラの…人間だ」

 アーサーがフィーの髪の中に顔をうずめた。

「あたしは、アーサーがどんな人でもかまわないよ。ついてくんだって、決めたんだもん」

 フィーの言葉が、アーサーの腕の中で染み渡っていく。

 アーサーの涙が、フィーの癖のある髪を湿らせていった。

 


 戦闘が始まり、アーサーとフィー、ティニーとセティがシアルフィの城門を叩き壊した。

 中から突撃して来た兵士達を薙ぎ払ったセティが、アーサーとティニーに中へ行くように告げた。

「あぁ! 恩に着るぜ、セティ!」

「なに。後でティニーさえもらえればチャラだよ」

「さっさと行ったッ。お兄ちゃんも、無駄口叩かないのッ」

 戦闘の最中には滅多に笑顔を見せないセティの笑顔に見送られ、二人は中へと突き進んだ。

 

 

「……見つけたぞ、アルヴィス!」

 謁見の間において、公主の席に悠然と鎮座していたアルヴィスに、扉を開け放ったアーサーの声が飛ぶ。

「遅かったな、アゼルの子等よ」

「立てッ」

「ファラフレイムさえも継承していない貴様に、このアルヴィスを殺せるか?」

「父上になり代わり、このアーサーが貴様を糾す!」

「貴様に……アゼルの代りなど務まるものか!」

 アルヴィスの声と同時に、強烈な炎撃がティニーのいた場所を直撃する。

 ティニーは少しコゲながらも、何とか直撃を防いでいた。

「所詮は聖なる武器を継承できぬ半端な者よ。そのような力で、この世界を背負うつもりか。
 血縁者としてのせめてもの手向けとして、このアルヴィスが葬ってやるわ」

 そう言い放ち、アルヴィスが立ち上がる。

 それだけのことに、ティニーは足を竦ませていた。

 アーサーとて、自らの中にある怯えと対峙しなければならなかった。

「俺が、父上の代わりにならないだと……」

「貴様のようなフリージかぶれに、ファラの血を名乗る資格などない」

「フリージ…かぶれだとォッ」

 アーサーが唸った瞬間、アルヴィスの放った炎撃が、ティニーを撃つ。

「キャァッ!」

 悲鳴と共に、ティニーの体が壁へと叩き付けられる。

 アルヴィスの炎撃の威力が、体重が軽いとは言え、ティニーを数mも吹き飛ばしていた。

「ティニーッ」

「まずは一人だ」

「クソッ……アルヴィスッ」

「吼えるだけでは、この私を倒せぬぞ」

「黙れ!」

 アーサーの怒りを込めた一撃が、アルヴィスに直撃する。

 が、アルヴィス自身の炎に中和され、アーサーのボルガノンは届いてはいなかった。

「この程度で……アゼルの名を出すなァ!」

「ウゴッ」

 罵声と同時に放たれた炎撃が、アーサーに物質攻撃のような衝撃を与える。

 背中から吹き飛ばされたアーサーは、ボルガノンの書を落としていた。

「ボルガノンごときで、このファラの化身の炎に対抗できると思ったか。アゼルはもっと聡明であった」

「……自分で殺しておいて……よくも……」

「……私は、捕縛することでさえ、命は出していない」

 アルヴィスの呟きは、アーサーのうめきを途切れさせた。

「私はただ、帰りを待っていたのだ。アゼルと、その妻の……送られてきた肖像画のお前達を」

「嘘だ……」

 アーサーの中で、外の騒音が消える。

 しかし、アルヴィスにはしっかりと騒音が大きくなってきているのが判っていた。

「ことの真偽を話す時間は、ないようだな。どうする、アーサー?」

「ファラの血は、ファラが糾す!」

「来るがよい。アーサー=ヴェルトマー!」

 アーサーが立ち上がり、猛然とアルヴィスに向かって突き進む。

 アルヴィスの炎撃が、アーサーの後方で跳ね上がる。

 騒音が、はっきりとした駆け足の音へと変わり、開け放たれた扉に人影を見るティニー。

「……聡明なる……弟よ……」

「アーサーァァッ!」

 

 燃え上がる炎の中、紅い短髪の男だけが、泣きながら立ち尽くしていた。

 

 


 聖戦が終了し、アーサーとフィーはヴェルトマー城に入城した。

「ここが……ヴェルトマー城?」

 シレジアの王女でありながら、城らしい城へは一度も入ったことのないフィーにすれば、拍子抜けだった。

 一面の花畑と、見事なまでに管理された庭。その生垣は、ファラの紋章を示している。

 つい先日まで、悪魔の城と呼ばれていた城とは思えない風景が、そこにはあった。

 アーサーにしてみても、フィーの感想に間違いはないと思っていた。

「庭師がいるわ。雇ったの?」

「いや、そんな覚えはない」

「あの、スミマセン」

 さっさと声をかけにいったフィーに苦笑しながら、アーサーはその庭師をそばに呼んだ。

「この庭は一体……」

「皇帝様が、この場所だけはお守りくだされましてな。なんでも、ここは聖地であるからと」

「聖地?」

「はい。出会いの聖地であらせられるとか」

「出会いの……」

 庭師が仕事の続きがあると言って何処かへ立ち去った後も、二人はそこに佇んでいた。

「……これを、アルヴィスが?」

 そう呟いたフィーの体を、アーサーが突然花の中へと突き倒した。

「ちょっと、何するのよッ」

 仰向きに倒れたまま、フィーが怒った声を出す。

 アーサーは微笑み返すと、ヨハンばりのセリフを吟じ始めた。

「美しき花の姫よ、このような場所で私を待っていたのか」

「ちょっと、アーサー?」

「もしや、そなたは出会いの女神か? いや、女神が下された、私だけの女神か?」

「……」

「美しき女神よ。せめてその名を聞かせて欲しい」

 ”おかしくなったの?”と言い返そうとしたフィーがったが、アーサーの表情を見て、その気が変わった。

 赤過ぎたのだ、どう見ても。

 そして、芝居がかった口調で、フィーが口を開く。

「哀れなる子羊よ。我が名は……」

 アーサーの期待に満ちた瞳が、フィーの羞恥心をかきたてていく。

「我が名は……」

「ん?」

 アーサーのイタズラッ子のような表情が、フィーの最後の一線を断ち切った。

「フィーよッ」

「耳が可笑しくなったかな? それとも、女神は自分の名前を忘れたのかな」

 アーサーの口許が笑う。

「フィー=ヴェルトマー!! アンタだけの女神よッ!!」

「はい、よく言えました」

 アーサーの体が宙を舞い、フィーのすぐ隣へと落ちる。

 真紅の髪を漂わせ、アーサーはフィーを抱きしめる。

 

 

 彼等は決して知らないだろう。

 彼の両親がその地で出会い、彼女の両親もまた、花壇で初めて出会ったことを。

 

<了>