翼の資格
ミレトス地方特有の小さく重たい雨粒が、セリス軍の進軍を阻んでいた。
谷を越えるには視界が悪く、更には雨粒の森の木々を叩く音が聴覚を封じている。
天然の要害とは良く言ったもので、一週間も続くこの雨に、セリス軍は完全に足止めを食らっていた。
野営を続けるだけの食料は持ち合わせているものの、解放軍を率いるセリスもさすがに苛立ちを隠せない。
野営用のテントの中で、悶々とした時間を過ごしていた。
「ミレトスまで、あと少しなんだ。何とかして谷を抜けられないだろうか」
雨の怖さを知らないわけではないが、セリスはそう言って軍師であるオイフェの顔色を窺った。
オイフェの方は手馴れたもので、ゆっくりとした口調でセリスの提案を退ける。
不満そうに頬を膨らませながらも引き下がるセリスを、端から見ていたレヴィンが小さく笑う。
「……何を笑われているのです?」
「聞くまでもない。若いと思っただけさ」
「どうせ私は若いですよ」
完全にそっぽを向き、セリスが唇を尖らせた。
その仕草さえも笑顔で眺め、レヴィンはわざと楽しげな声でオイフェに話し掛けた。
「どうだろう、そろそろリーダーを代えてみないか」
「レヴィン殿……」
レヴィンの真意を読み取ったのか、オイフェは苦笑を漏らした。
その隣では、セリスが厳しい視線をレヴィンへと叩きつけている。
「セティなんかどうだ? 一国の軍を率いた経験もあるし、マンスターでは市民組織の軍も動かしていたようだ」
「レヴィン殿、いい加減にして下さいよ」
不機嫌になったセリスを宥めるのは、今も昔もオイフェの役目だ。
これ以上厄介事を増やすなと、あからさまに表情で伝えているのだが、レヴィンは全くの無視。
セリスの不機嫌さを煽るかのように、ニヤニヤとした表情を崩さない。
「年齢も上だし、風格があるよなぁ……おっと、何もセリスが頼りないと言っているわけではないがな」
オイフェにしてみれば、非常に面倒な展開だった。
いつもなら救済役に入ってくれるフィンも、今は彼の主君のテントにいるのだろう。
セティ本人がこの場にいれば、レヴィンも少しは自重するかもしれない。
だが、今は何の助けも来る気配はなかった。
「……どうせ、私は頼りないですよ」
「いやいや、よくやっていると思うよ。現に、ここまでは勝利を収めているのだし」
「ここまでは、ね」
結局のところ、レヴィンも暇を持て余しているのだ。
だから、手近にいたセリスをからかって楽しんでいるのだろう。
伝説のシレジア王・レヴィンとは、そういう人間なのだ。
諦めたオイフェが吐息をついてテントを抜け出そうとすると、その直前でテントが開かれた。
入ってきたのは銀髪の美青年。
遠目にもわかる銀髪の持ち主は、多国籍軍であるセリスの軍にも、ほんの僅かしかいない。
「アーサー、どうしたんだ?」
「オイフェさん……フィーを探してるんだ」
そう言いながら、アーサーは素早くテントの中を見回していた。
呆れるほど決着の見えている大将と軍師が言い争っている他は、目立ったものはない。
「フィー殿が、どうかなされたか?」
「いや、今朝から姿が見えないんだ。少し胸騒ぎがして……」
「そう言われれば、今日は私も御見かけしていませんな」
アーサーとオイフェのやり取りを聞いていたのか、それまでセリスをからかっていたレヴィンが口を挟んだ。
「マーニャがいれば大丈夫だろ」
マーニャというのは、フィーの騎乗する愛馬の名前である。
かつて天馬騎士団筆頭であった女将軍の名を戴く彼女の愛馬は、レヴィンが用意したものでもあった。
「マーニャの姿もないから探してるんです」
「マーニャがいない?」
それまで笑っていたレヴィンの表情が一変した。
全身から理知的なオーラが溢れだし、見ている者にその頭脳が動き出したことを示す。
伝説のシレジア王と呼ばれる所以だ。
「……マズイな」
「えぇ。この雨の中、偵察に行かれると心配なので、探しているんですが」
「捕まえとけよ、バカ」
アーサーをフィーの婿と認めたレヴィンは、アーサーに対して容赦がない。
元々がフランクな人間なのだが、家族と認めたものに対してはその傾向が顕著である。
「昨夜は俺が見張りだったんで、仕方なかったんです」
「セティの奴に言明しておけばよかったな」
「迂闊でした」
急にその場をシリアスに染めた二人に、セリスが恐る恐る口を挟む。
「何か、随分と深刻な話みたいだけど」
事情がつかめていないセリスに気付いたのか、レヴィンは手身近に説明した。
「バカ娘が単騎偵察に行ったかもしれん。この雨では、確かに広範囲の偵察も必要だからな」
「フィーなら大丈夫だよ」
「いや、ユリウスの動きが入って来ていない。ミレトスに下向しているという情報までだ」
「……まさか、ユリウスが直接出てくるとは思えないけど」
「あのバカ娘は、俺の無謀さとフュリーの意固地な部分をあわせもってるからな……」
そう呟き、レヴィンはアーサーを睨みつけた。
その視線を真っ向から受け止め、アーサーが小さく頷く。
「セティを呼んで来い。俺はアルテナ王女を連れてくる。面倒だが、さっさと連れ戻さんとな」
「はい。アルテナ王女なら、リーフ王子のテントでお見掛けしました」
「わかった。オイフェ、少々ここを離れる」
「承知しました」
オイフェの返事を聞くが早いか、レヴィンとアーサーが雨の降る外へと飛び出していく。
残されたセリスとオイフェは、困惑した表情を浮かべるしかなかった。
レヴィンに与えられているテントへ集められたセティとアーサーは、レヴィンが戻ってくる前に対策を練っていた。
フォルセティを操るセティと風の聖霊魔法を操るアーサーは、二人とも風を読むことができる。
しかし、この雨の中では、フィーの居場所を風に尋ねることもできなかった。
「谷特有の風が吹いている。さすがの私でも、この風は読めない」
「そこを何とかしろよ。風の勇者様だろうがよ」
イライラしているのか、アーサーの口調は先程にも増して厳しいものになっていた。
セティと一緒についてきたティニーがお茶をいれたのだが、それにも全く手を付けようとはしない。
「お兄様、少しは落ち着いて下さい」
「黙ってろ」
アーサーの言葉に、ティニーはそれきり口を閉ざした。
完全に怒りモードに入ってしまったアーサーを止めることはできないと判断したのだ。
テントの中に沈黙が流れる。
セティがたまらずにティニーにお茶のお代わりを要求した時、テントの中にレヴィンが戻って来た。
「おぅ、待たせたな」
「父上……」
ホッとしたようにそう漏らしたセティとは対照的に、アーサーの視線は厳しい。
レヴィンの後ろから入って来たアルテナとフィンに対しても、会釈すらすることはなかった。
「ティニー、お茶を三人分用意してくれ」
「は、はい。レヴィン様」
慌ててティニーが動き始めるのを見て、セティがさりげなく立ち上がった。
ちらりと交わした親子の視線でティニーを手伝うことを了承されたセティが、ティニーを追って消える。
既に事情は説明されていたのか、フィンが机の上に一枚の地図を広げた。
「これがミレトスの地図です。ここが私達のいる場所ですね」
フィンが谷の間を指でなぞった。
「偵察するとすれば、この範囲内と言うのが妥当だと思うのですが」
フィンがそう言って囲んだ地域は、レンスター軍の常識の範疇よりもやや広いものだった。
しかし、それを遮って、レヴィンは二周りほど大きな円を描く。
「フィーはここまで行く。シレジア軍の索敵範囲は貴公の考えているものよりも広い」
「そうかもしれません。ですが、ここまでの範囲となると……」
「あぁ。城の連中の索敵範囲とかぶるだろうな」
「そうですね。単騎偵察が安全とは言いかねる範囲になります」
フィンが表情をしかめた。
レヴィンは地図上での地形を確かめ、唇をかんだ。
「伏兵の置き易い地形だな」
「街道の為、小屋も多数あります。伏兵が潜むには絶好の場所です」
トラキア軍に所属していたアルテナが、自己の記憶を元に小屋の位置を書き記していく。
その結果は、フィーがどの方向に行ったとしても危険であることを示していた。
それを見たアーサーが、小さく舌打ちをする。
「敵に発見されることなく、平野部まで辿り着くことは困難です」
アルテナの言葉に、レヴィンも異は挟まなかった。
「遅くなりました」
新たに三人分の紅茶を持って戻って来たセティが、ティニーにあとの事を任せ、地図を覗き込んだ。
賢者と呼ばれるその聡明さは、今の状況でも失われることはなく、セティは小さく吐息を漏らした。
「無茶ですね」
「あぁ。それをやっちまうのがお前の妹なんだよ」
「わかっている。だが、この配置ではアルテナ王女に迎えに行ってもらうわけにもいきませんね」
セティの言う通り、天馬よりも足の遅い翼竜に乗るアルテナの単独飛行は、さらに危険度を増す。
当てもなく飛び続けてもらうには、天候も敵軍の配置予想も分が悪過ぎた。
「……だが、そうも言ってられん。アルテナ王女、お願いできるか?」
「えぇ」
「私もお供致します」
そう言って頭を下げた二人に、レヴィンは地図のある一点を叩いた。
「この地点にバカ娘がいる筈だ」
「その根拠は?」
「俺とフュリーは同じ奴から兵法を学んだ。フィーは俺とフュリーから兵法を教わった」
アルテナの質問に、レヴィンはそう答えた。
無論、それだけでレヴィンの言葉を信じるわけにはいかない。
しかし、アルテナが再び口を開く前に、レヴィンは有無を言わさぬ口調で命じていた。
「アルテナ王女は一直線に向かってくれ。ティニーは待機。フィンとアーサーは俺達と来い」
「承知しました。アルテナ様、御武運を」
「大丈夫よ。この雨雲が保護色になってくれるわ」
フィンの言葉にそう言い返し、アルテナがテントを駆け出していく。
残された四人も、残りをティニーに託し、厩舎と走り出していた。
「父上、一体どのような根拠で?」
息一つ切らさずに走るレヴィンの後ろを走りながら、セティが尋ねた。
隣を走っているアーサーも、聞き耳を立てている。
「……風だ。風上と風下。シレジアは風の臭いに敏感だ。天馬の体臭を感じる昆虫を飼う人間もいる」
「あっ……」
レヴィンの言葉に、セティもかつての師の言葉を思い出していた。
「嵐だろうが、風はどこかにいきつく。この地形からして、嵐はきっとあの場所へ流れこむ」
三人より一足早く馬厩に着いていたフィンが、早くもアーサーの馬を準備していた。
アーサーが軽く礼を言って飛び乗ると同時に、レヴィンがその後ろへと飛び乗った。
「お前達は陽動を頼む。くれぐれも戦端だけは開かせるなよッ」
「はい!」
「行けッ」
アーサーが一声気合を入れて、愛馬に鞭をしならせる。
鉄砲玉のように飛び出して行った二人を見送り、セティとフィンは二人からやや離れた方向へと動き出した。
「見張り小屋にデルムッドとファバルがいる筈です。合流しましょう」
「そうですね。急ぎましょう」
セティの案に頷いて、フィンは勇者の槍を手に、愛馬の背にセティを乗せた。
「……動き出した気配はないわね」
レヴィンの予想したとおりの地点で、フィーは愛馬の背から下りた。
嵐の中でも全く動じる気配の見せない愛馬の首を叩き、眼下に広がる森を見下ろす。
「この雨が止むまでは、と言うところかしらね」
シレジアの吹雪に比べれば、どうと言うことはない。
そう感じながらも、さすがに身体の冷えまでは我慢できない。
身体の表面で弾かれる雪と違い、雨は当たった分だけ濡れる。
その分、体温を奪われる率も高かった。
「とにかく、そろそろ帰らないと。マーニャも乾かしてやらないとね」
そう言って、鞍の上の水分を拭き取る。
マーニャの睫についた水滴も拭き終えた時、フィーは愛馬の異変に気付いた。
「……誰か、来る」
マーニャの鼻が何かをかぎわけていた。
細身の槍を構えてフィーが周囲を見回していると、マーニャが上空を睨んだ。
マーニャの動きに合わせて上空を見上げたフィーの視界に、微妙に空の色よりも緑色の塊が映る。
「あれは……翼竜!」
瞬時にそう判断し、マーニャに跨る。
騎乗態勢を整えて再度上空を睨むと、塊は更に大きくなっていた。
「上昇は、間に合わないッ」
そう判断し、フィーがマーニャから飛び降りる。
マーニャも心得たもので、翼を縮め、茂みの方へと駆けていく。
翼竜と天馬では、その敏捷さでは天馬の方が上である。
しかし、降下態勢に入った翼竜の速度は速い。
いかに天馬と言えども、上昇しながらそれに対抗することは難しいと言われていた。
「裏目ったかなぁ」
竜騎士の標準装備は鋼の槍だ。
偵察に出ていたフィーの装備は細身の槍だけ。
攻撃力の面では圧倒的に不利である。
しかも、場所が地上に近くなればなるほど、竜騎士の方が有利となる。
「一撃をかわせば何とかなるわ……」
そう呟いて、槍を持つ手許を絞る。
フィーが決意を固めたその数秒後、翼竜は意外にもフィーの側へ軟着陸をしていた。
「フィー、無事ッ?」
「ア、アルテナ様?」
翼竜から下りたアルテナを見て、マーニャがフィーの側へと戻って来る。
共に偵察任務に就くことの多いアルテナの顔は、マーニャも覚えているらしかった。
「無事でよかったわ」
「無事って……あ、言ってなかったっけ?」
そう言って頬を掻いたフィーの頭を小さく小突いて、アルテナが苦笑する。
「心配させて……悪い娘ね」
「まぁ、でも、収穫はあったし」
「小屋のことかしら?」
「うん。あとは、配置も大体つかめたかな」
「とにかく、早く戻りましょう。貴方のせいで、戦端が開かれるかもしれなかったのよ」
アルテナの言葉に、さすがのフィーも表情を曇らせた。
「やっぱり、無茶だったかな」
「それは私の判断することではないわ。今は、陣へ戻るのが先」
「そうします」
「そう、そうしてもらいたいわ。アーサーもカンカンだったから」
「うぅ……どうしよう。怒ると怖いんですねぇ、アイツ」
マーニャに跨って上昇しながら、フィーが大きくため息をついた。
隣で翼竜を操るアルテナも、再び苦笑を漏らす。
「あの勢いだと、大分怒られるわよ」
「やっぱり……アルテナ様、とりなして下さいよ」
「嫌よ」
「そんなぁ」
そう言ってガックリとマーニャの背中に沈んだフィーを見て、アルテナは笑い続けていた。
それでも、そっと翼竜を側に寄せると、フィーに向かって囁きかけた。
「自分を捨てて、思いきり男心をくすぐってみなさい」
「……相手はアーサーですよ。通じるかなぁ」
心配そうにそう呟き返したフィーに、アルテナはただ黙って微笑んでいた。
「……こことここに見張り台があったわ。それから、ここには小屋が」
フィーの指が次々と地図の上に敵兵の配置を示していく。
セリス軍が誇る斥候は、充分にその任務を果たしているかに見えた。
だが、小気味良い音をさせ、レヴィンはフィーの頬を張った。
フィーが偵察コースを示して、偵察の報告をし終えると同時に。
「父上ッ」
セティの声を無視して、レヴィンはバランスを崩したフィーの前で冷たく言い放った。
「翼を持つ人間のすることじゃない」
「……偵察は私の任務なのよ!」
「だから偵察をした、か。それが翼を持つ人間の言葉か」
レヴィンの言葉を受けてレヴィンに殴り掛かろうとしたフィーを取り押さえて、アーサーが口を開いた。
「そこまで言うことはないでしょう」
「アーサー、お前は黙っていろ。フィーはシレジアの娘だ。今回の間違いは許されない」
「間違い?」
フィーを押さえたまま、アーサーがセティの方を見た。
セティはレヴィンの言わんとしていることに気付いていたのか、小さく首を振った。
「……フィーは風を読み間違えた。それは天馬騎士にあってはならない行為だ」
「風って、あの嵐の風を読むなんて……」
そう言って顔をしかめたアーサーに、レヴィンはフィーを見下ろしながら告げる。
「天馬騎士の資格だ。いかなる風をも読み切らなければ、部隊の斥候役は務まらない」
「部隊の斥候……」
「天馬騎士は翼を持つ、唯一の部隊だ。当然、いかなる時でも斥候を務めなければならない」
そこで一端言葉を切り、レヴィンは顔を背けたフィーの顎をつかみ、強引に顔を向けさせた。
「だが、斥候とは生きて帰らねばならん。その為に、天馬は風に乗り、風を嗅ぎわける」
フィーが睨み返してくるのを待って、レヴィンは更に声を張り上げる。
「貴様は風を読み損ね、風上からの偵察をした。風に乗らず、風を切り裂いて飛んだ。許されると思うかッ」
「風に頼り過ぎるのは大きな間違いだわッ。私は自分の考えで、コースを決めたのよッ」
「ならば、何故単独で飛行した? 勘違いするなッ」
レヴィンの剣幕に、フィーの瞳から涙がこぼれた。
腕で涙を拭きながらテントの外へと飛び出していったフィーを追い、アーサーが一礼をして走り去る。
残されたセティは、地図を睨み続けているレヴィンの顔を盗み見ていた。
「……何か言いたそうだな」
「はい。少し厳しすぎたのではないかと」
「翼は折れやすい。それをわからせるためだ」
「ですが、もう少し言いかたを考えて下さい。あれでは、フィーが可哀想です」
「言うな。これ以上、俺より先に死なれてたまるか」
そう言いきった父親の表情を見つめながら、セティは寂しげに微笑を漏らした。
「フィーにも、そう仰って下さい」
「……それだけはゴメンだ」
「意地っ張り……そんなに最初の平手打ちが気になりますか」
「あのバカ娘、自分に父親はいないと言い切ったんだぞ。アイツから謝るまでは許さん」
「まったく、強情が二人揃うと」
セティの言葉に素早く反応したレヴィンの視線から顔をそらして、セティは静かにため息をついていた。
テントを飛び出したフィーを、アーサーは森の入口の所でようやく腕を捕らえた。
まだ森の中に入っていこうとするフィーに少し引きずられながら、アーサーはフィーの速度を止めていった。
「……放して」
二人分の体重を運ぶ馬力がなくなったのか、フィーがアーサーに向き直った。
フィーの腕をつかんだまま、アーサーも一息入れる。
「ふぅ」
「放してよ」
そう言ってアーサーの腕を振り払おうとしたフィーは、予想外の力の強さで、その腕の動きを止めさせられた。
フィーは険しい表情をしているが、腕の動きを阻止したアーサーはさほどでもない。
「落ち着けって」
「落ち着かせてよ」
「森の奥で泣いたって、どうにもならないだろう」
アーサーの言葉が、フィーの涙腺を緩める。
雨なのか、涙なのかわからない雫が、フィーの頬を更に濡らしていく。
「だって、だって……ッ」
「泣けって」
アーサーの言葉に、フィーの両手がアーサーの服をひねりあげた。
やや大きめの魔道士の服が、フィーの指の間でかき寄せられていく。
完全に自分の胸の中に頭を預けたフィーの頭を抱いて、アーサーはゆっくりとその腕を下ろしていった。
「俺もセティも、レヴィン様もわかってる。フィーが何をしたかったか」
「……でもッ」
「好きだから心配になる。好きだから護りたくなる。好きだから、怒る」
「うん……」
フィーの指が、更に強く服をかき寄せていく。
フィーが再びしゃくりあげ始めた。雨の音の間に、何度も鼻をすする音が混じる。
アーサーは、フィーの頭を自分の胸に押し付けていた。
「もう少し、このままでいよう……雨が止むまで」
フィーの小さな頷きは、彼女のつかむ服を通して、アーサーに伝わっていた。
<了>