破戒騎士


 マディノ城に侵攻しようとしているオーガヒル海賊との戦いは熾烈を極めていた。

 主戦力であるシグルド本隊はシルベール城へ出撃しており、残っていたのはわずかな歩兵のみ。

 辛うじて残っていた騎兵は、アゼルとレックス、ミデェールの三人だけである。

「橋を渡らせるなッ」

「敵が多いな。シグルド殿はまだかッ」

 オーガヒルとマディノをつなぐ橋を挟んで、両軍は一進一退の攻防を続けていた。

 海賊とは言え、その力強さには特筆すべきものがある。

 それに比べ、マディノを守るシグルド軍はアイラを筆頭とする素早さがウリの兵士達。

 海賊達の強引な突破を、レックスとホリンの強固な守りと、アゼルの援護魔法で押し返しているに過ぎない。

 加えて、どう見積もっても不利な人数の差は否めなかった。

 そんな中で、弓での攻撃を得意とするジャムカは、前線へ出るに出れないもどかしさを感じていた。

「くそッ、こんな状態がいつまで続くッ」

 遂に苛立ちを隠しきれなかったジャムカが、橋の下へと駆け出す。

「王子ッ」

 慌てたミデェールが後を追おうとするが、ジャムカは一声でミデェールの足を留めさせた。

「お前は本隊への伝令に行けッ。お前が一番速く動ける筈だ」

「は、はい。王子、御無事でッ」

 ジャムカの言葉を受けて馬の頭を返したミデェールを見送ることなく、ジャムカは海へと足を踏み入れる。

 幸い、海流は穏やかで、ジャムカほどの者になれば足元をさらわれるという心配もない。

 それを確かめた上で、ジャムカは腰を溜め、力強く弓を引き絞った。

「弓が単なる援護の為の武器と思うなッ」

 弓を得意とするユングウィの者でさえも一目置く、ヴェルダンの強弓がしなる。

 ヴェルダン三兄弟の中でも特に弓に秀でた三男坊の攻撃が、橋の上にいた海賊の首を貫く。

 どよめいた中を、レックスの豪腕が道を開きにかかった。

「邪魔なんだよ、テメェら」

「命が惜しくば逃げろ。敵対する者は全て殺す!」

 レックスの馬の影から飛び出したアイラが、着地ざまに流星剣を決める。

 そして、すぐさまその場所を跳び退くと、レックスの馬が彼女を海賊の矢面から隠した。

「埒が開かないな」

「お前も無理するな。少なくともお前よりは私の方が信頼できる」

 何度も自分の盾になろうとしているレックスに、アイラは落ち着いた表情で声をかけた。

 それには答えることなく、レックスが刃の欠けた手斧でもって目の前に飛び出して来た海賊の首を切断する。

 血飛沫が上がり、再びアイラがレックスの影から飛び出して行く。

「お姫様ってのは、もう少し貞淑だと思ってたんだがなぁ」

 もう一人の我侭公女のことを思い出しながら、レックスが苦笑した。

 その間にも、数人の海賊を斬殺したアイラが背後へと隠れに来る。

「キリがないな」

「何と言っても人数が足りねぇ」

 文句を言いながらも、アイラの呼吸が乱れることはない。

 それは、レックスにしても同じことだった。

「……ここで、ここでグダグダしているわけには、いかないんだ!」

 突如、声を張り上げたアゼルの愛馬が嘶きを残して、レックスの横をすり抜けていく。

 レックスとはやや距離を置いて海賊の侵攻を防いでいたホリンが、アゼルの援護の為に一歩を踏み出した。

 それを見て、アイラがレックスとホリンに檄を飛ばす。

「無茶をするな!」

「見捨てろってのかッ」

 馬の手綱を引き絞り、アゼルを追おうとしていたレックスが腹立たしげに怒鳴り返す。

 ホリンも一歩を踏み出した状態で、押し返してきた海賊と剣を交えたままである。

「これ以上の突撃は死を意味する。自重しろ」

「……退がりたけりゃ、一人で退がれ!」

 アゼルの走り去った方角を見つめ、レックスが強引とも思える突撃を始める。

 それに続いたホリンを目の端に捕らえ、アイラは静かにレックスの隣に並んだ。

 気配を感じたレックスが一息つくと同時にアイラに声をかける。

「悪いな」

「お前のような男を、こんな所で死なせるわけにはいかないだろう」

「へぇ……自惚れても良いのか」

「気を散らすな。活路を開くぞ」

 それきり、海賊へと次々と踏み込んでいくアイラの背中を、レックスとホリンが楽しげに続いていく。

 ちらりと交わした男同士の視線は、お互いへの無言の宣戦布告だった。

 

 

 シルベール城を攻略したシグルドは、オーガヒルの動きを聞き、急いでマディノ城へと引き返していた。

 シグルドを始め、キュアン、エスリンらを主体とする騎馬隊は、それなりの速度でマディノへと到着する。

 しかし、彼らを待っていたのはミデェールによる開戦の報告であった。

「シグルド様!」

「ミデェール、その格好は……」

 戦装束のミデェールを見たシグルドが、瞬時に状況を察知する。

 馬に休息を与えていたキュアンも、妻のエスリンを伴ってシグルドのそばへと駆け寄ってきた。

「休んでる暇もなさそうだな」

「あぁ。ミデェール、状況は?」

「はい。既にオーガヒル隊と橋を挟んでの攻防が続いております。指揮はアイラ様がお執りに」

 ミデェールの報告を聞き、シグルドはすぐさま判断を下した。

「出撃する。アーダン、オイフェとシャナンを頼むぞ」

「お任せ下さい」

 残されるとわかり、オイフェが口を開こうとした時、シグルドの大きな手がオイフェの頭の上に置かれた。

「城の守りを頼む。オーガヒルがここまで来た時の備えを」

「は、はいっ」

 そう答えたオイフェの頭を一度だけクシャクシャと掻きまわし、シグルドは戦士の表情へと戻る。

 既に出撃準備を整えたアレクとノイッシュが馬から下りて主の命令を待っていた。

「これよりマディノ防衛のために出陣する。先鋒はアレクとキュアン、備えはノイッシュとフィン。頼むぞ」

「了解。いつでもいけますよ」

 軽く手を挙げて、アレクが馬にまたがる。

 キュアンとエスリンの二人が馬にまたがるのを待って、アレクが出立する。

 しかし、三人の後を追って出撃しようとしたラケシスは、シグルドにその腕を掴まれた。

「ラケシス、君は城の守りを頼む」

 そう言ってきたシグルドを睨み返し、ラケシスは視線だけでシグルドに腕を離させた。

 女性に弱いと称されているシグルドでなくとも手を離すような、誰もがうろたえる強い眼差しだった。

「冗談ではありませんわ。このアグストリアでの狼藉、見過ごすわけには参りませぬ」

「し、しかし、君は走りづめだし……」

「体力も気力も、準備は出来ていますわ!」

 敬愛していた兄の首を目の前にして涙を堪えきった気丈な姫は、自分を戦線から外そうとしている全軍の

指揮官にかみついた。

 そんなラケシスの背後に立ちながら、滅多にない真剣さで、ベオウルフは雇用主に対して異を唱えた。

「無理はさせねぇ。今は迷ってる時間も惜しいだろうが」

「そうだが……」

 決断を迷うシグルドに、オイフェが横から口を出す。

「これ以上の戦力の分断は危険です。ベオウルフさんを信じられた方が得策です」

 二人の推薦を受け、シグルドは心配そうな表情のままラケシスを見下ろした。

 その視線に真っ直ぐに応え、ラケシスがシグルドの決断を待つ。

「……ラケシス、無茶はしないでくれよ」

「勿論ですわ」

 シグルドの決断に微笑を浮べて答え、ラケシスが一足先に城門の外へと歩き出す。

 それを追うベオウルフへ、シグルドが一度小さく頭を下げた。

 それには無言で手をふり返し、ベオウルフはラケシスの隣に並んだ。

「俺の援護はできるだろうな」

「さぁ。私の余力がどこまであるかは、信頼なさらない方がよろしくてよ」

 素っ気無く答えながら、ラケシスが馬上のベオウルフへと手を伸ばす。

 その手をつかんで馬上へと引き上げ、ベオウルフは今一度、鐙(あぶみ)の位置を確かめた。

「橋の所までは乗せてやる」

「最初の仕事は回復役でしょ。それくらいはわきまえていますわ」

 ラケシスの回答に口端を上げ、ベオウルフは馬を走らせ始めた。

 背中をつかむラケシスの指にかかる力は、先程までよりは幾分か柔らかくなっていた。

 だが、兄を失った悲しみから解き放たれたのかどうか。

 それを判断する術は、まだベオウルフの中に備わってはいなかった。

 

 

 シグルド本隊が援軍に駆けつけたことで、戦局は大きく転換する。

 シグルド軍が完全に橋を制圧し、オーガヒル軍を砦の方へと押し返し始めたのである。

「アレク、塔へ向かってくれ。神父とティルテュ公女の迎えを頼む」

「了解。公女もいるんでしたっけ」

 戦局を打開したせいか、アレクの口振りにも余裕が感じられた。

「アゼルの奴も向かった筈だ。途中で拾ってやってくれ」

 休息の為に前線から後方へ下がっていたレックスが、シグルド主従の会話を聞いて口を挟んだ。

 ちなみに、先程までレックスと共に休んでいたホリンは、既に前線へと復帰している。

「了解しました。オーガヒルの砦へ帰還すればよろしいのでしょうか」

「いや、この付近に野営を張る。ここに戻って来ればいい」

 シグルドの言葉通り、エーディンをはじめとした後方支援に慣れた者が既に野営の準備にとりかかっていた。

 アレクもそれを確認した上で、馬の頭を塔の方へと向けた。

 

 

 橋から少し離れた完全な平地で野営を整えている本隊から離れ、アレクは海岸線沿いに馬を走らせた。

 時々視界に入ってくる焼死体は、アゼルの通った道を示しているのか。

 そんなことを考えながら、アレクは馬の負担を最小限に抑える速度で、西へ向かって馬を走らせていた。

「……もらった!」

 大きなかけ声と共に右前方から飛んできた斧を、アレクは身のこなしだけでかわしきる。

 突然の危険に暴れ気味になる馬の足を宥めながら、アレクは茂みに隠れていた敵兵を見つけ出した。

「海賊の生き残りか」

「テメェ、シアルフィの騎士だな」

 茂みから音を立てて出現した男が、アレクの鎧を一瞥する。

 馬から降り、アレクは剣を抜いた。

 一対一の戦闘では、騎乗している方が動きにくい場合もある。

 アレクの愛馬は主が離れても、逃げ出す気配はなかった。

「殺すッ」

「やってみな」

 アレクの動き出しは速かった。

 一瞬にして敵の意表をついたアレクの剣が、海賊の斧の威力をそいだ。

 不用意に伸びきった腕での斬撃など、アレクの敵ではない。

「お粗末だなッ」

 伸びきっている敵の肘を斬りつけると、素早く剣を横に払う。

 狙いすまされた一撃は、寸分違わずに海賊の頚動脈を切断した。

 気味の悪い音を残し、前のめりに倒れてくる男の絶命を確認する。

 しかし、一息つこうとしたアレクの背後に、次なる殺気が叩きつけられた。

「……動くな」

「仲間か」

 心の中で舌打ちし、アレクは声に従わずに振りかえった。

 金髪を海風に遊ばせながら、弓兵がつがえた矢をアレクへと向けていた。

「貴様、何者だ」

「アレク。シアルフィの騎士だが」

 アレクの言葉を聞いて、弓兵がわずかに眉をしかめた。

 アレクから見るといつ矢が放たれるかはわからないが、弓兵はしっかりと矢をつがえたままである。

「シアルフィ……あの我が物顔の余所者か」

「ま、否定はできないな」

「ならば、剣を置け。アグストリアの民のため、その命、もらいうける」

 長い言葉が、ようやく相手が女性であることをアレクに示した。

 それに気付いたアレクは、苦笑しながら剣を鞘へと納めた。

「お前、海賊だろ。その海賊が民のためとはね」

「うるさいッ。あたしは、あたしはそんな命令を下しちゃいないッ」

 声を荒げた女に、アレクは両手を上げながら会話を続けようとする。

「聞いたことがあるな。オーガヒルの女首領がアンタか」

「……今は、もはや首領ではない」

 女がつがえた矢をゆるめる。

 恐るべきその膂力は、アレクでなくとも理解できた。

 つがえた矢を長時間そのままでいられるほどの握力をもつとは、並大抵の女性ではない。

「オレ、女を殺すのは嫌なんだけどね」

「黙れッ。もういい。貴様の所業、あの世で償え!」

 女が再び弓を引く。

 足元を固めたアレクが咄嗟に横へ飛んだ瞬間、女の放った矢がアレクの影を貫いた。

 女が急いで次の矢を取ろうとした瞬間、アレクの鋭い声が通り抜ける。

「右だ、避けろ!」

「何ッ?」

 アレクを追いかけていたのか、新たに現れた海賊の刃が女の肩当を弾き飛ばす。

 肩から血を流しながらも、女は怒りの眼差しで自分を攻撃した男を睨み付けていた。

「オーリィ、貴様もかッ」

 オーリィと呼ばれた海賊は、口許に笑みを浮かべていた。

 そして、女に矢をとらせる隙を与えずに追い詰めていく。

「ブリキッド、貴様の考え方は甘い。お前では首領も務まらねぇ」

「何故だッ。義と勇をもって海に住むのがあたし達じゃないのかいッ」

「知らねぇな!」

 大きく振り下ろされた斧をかわし、ブリキッドが矢を手にする。

 しかし、つがえようとした瞬間に激痛が彼女を支配する。

「……っ」

「アバよ、ブリキッド」

 走り出したオーリィとブリキッドの間に割って入り、アレクが剣で斧を防いだ。

 力で押しこまれるところを何とか踏ん張って耐えながら、アレクは強がりの微笑を浮かべた。

「何もこんな美人を殺さなくても良いだろうが」

「邪魔をするな。この女は多くの命を奪った海賊だぞッ」

「美人ってだけで、女の罪は無くなるもんだぜ」

「何人がこの女に狂ったと思うッ。何人がこの女に狂い、命を落としたと思っているッ」

 背後で息を飲む気配を感じ、アレクは力の限り剣を押した。

「女の貴賎は過去じゃねぇ。女ってのはそれだけで偉いんだよ」

「他人の財を掠め取る海賊女が貴いわけねぇだろッ。この女の意味のねぇ優しさが、俺達をこうしたッ」

 押し返してくるオーリィの斧をさばき、アレクは咄嗟にブリキッドを背中に庇いながら距離を置く。

 態勢を立て直したオーリィに片目をつむり、アレクは剣を軽く構えた。

「顔が美人なら、心も美人さ」

「どけぇ!」

 アレクの身体が横に跳んだ。

 標的を失い、無防備な額をさらけ出しているオーリィにブリキッドの放った矢が突き刺さった。

 腰を地面につけ、両足で弓を固定し、怪我をしていない方の手で矢を放ったのである。

「……凄いな」

 ブリキッドの見せたバランス感覚の良さに舌を巻きながら、アレクは剣を納めた。

 そして、息を荒げているブリキッドの前に立つと、黙って手を差し出した。

 差し出された手を振り払い、ブリキッドは弓を置いて自力で立ちあがった。

「……オーリィ」

「よくわからないが、とりあえず休戦だな」

 オーリィの死体を見下ろすブリキッドに、アレクはそう言って再び手を差し出した。

 再びその手を払いのけ、ブリキッドがオーリィの死体から自分の放った矢を引き抜く。

 傷口から流れ出る血が、オーリィの絶命を物語っていた。

「お前達の首領として、あたしじゃ不足だったのかい」

「……単にこの男が馬鹿なんだろう」

 アレクの一言を聞いて、ブリキッドが隣に立つ軽薄なアレクを睨み付ける。

 その視線を軽く受け流し、アレクは肩をすくめた。

「美人が罪なんじゃない。騙される男に罪がある」

「貴様、嘘が下手だな。顔に書いてある」

「オレ、正直者なんだ。美人と命のやり取りしても、楽しくないでしょうが」

 とりあえず敵意は失ったのか、ブリキッドは弓を手にしても、アレクを狙おうとはしなかった。

 それをいいことに、アレクは愛馬を口笛で呼び戻すと、ブリキッドの目前に馬を止めた。

「……気が変わらないうちに消えろ」

 馬上のアレクを見て、ブリキッドが小さく呟く。

 もちろん、アレクがそれを聞くはずもなかった。

「まぁ、いい男を自称するオレとしては、怪我してるお前を放っておくつもりはないね」

「……要らぬ世話だ。侵略者に助けてもらう義理はない」

「そう言うなって。それに、道案内も頼みたいしな」

 アレクの声を無視するかのように歩き出した彼女の背中を追い抜き、アレクは馬の足を緩めた。

「土地を知らない人間に、義理はないのかい」

「……しつこいぞ」

「その身体ではロクに戦えもしないだろ。街まででいいから、道案内を頼むよ」

「いい加減にしろッ」

 遂に感情を爆発させたブリキッドに対しても、アレクは何ら表情の変化は見せない。

 むしろ、自分に対して意識を向けたことに喜んでいるかのようだった。

「それに、こんな話もあるぞ」

 アレクを睨み付けたままのブリキッドへ、アレクが切り札を切る。

「オーガヒルの海賊が、塔の財宝を狙ってるってな」

「……それは真実か?」

「さぁて……神父からの救援要請しか受け取ってないからな」

 受け取ってもいない救援要請をでっち上げ、アレクは真剣な表情で塔の方角を向いた。

 つられて塔の方角へ視線をやったブリキッドが、小さく息を呑む。

 その瞬間を逃さずに、アレクは三度手を差し出した。

「馬の方が早く行けるぜ」

「……塔を守るまでだ」

 そう言って、ブリキッドがアレクの手を借りて馬の背にまたがる。

 ブリキッドが自分の肩をつかんだのを確認し、アレクは一気に馬を走らせた。

「道案内は頼む。神父を迎えに行かなきゃならないのは本当なんでなッ」

「い、今までのは全部嘘かッ」

「さーね。オレ、君に何て言ったっけ?」

 風を切る音が、ブリキッドの罵声をアレクから遠ざける。

 馬の手綱をしっかりと操作しながら、アレクは迷うことなく塔へ向かって馬を走らせていた。

 

<了>