私の命が尽きるまで
1
セイレーン城。
グランベル本国に反逆者の烙印を押されたシグルド達が、シレジア王妃によって匿われている城である。
彼らの反逆が真実か否かは、もはやどうでもよいことであった。
たった一つの事実は、彼らがセイレーン城にいることだけである。
「……無理です。この天候では、とても天馬を飛ばすことはできません」
「そうか。一刻も早く母上にこの状況のことをお報せせねばならんのだが」
シレジア地方の城独特の天馬発着場から、レヴィンは隣にいるフュリーと共に空を見上げていた。
灰色に濁った空は、勢いよく灰色の縞模様を押し流し続けている。
「かなり風が強そうだな」
自身、風の流れ読むことには長けているレヴィンがそう言うと、フュリーも同意を示した。
「上空は渦を巻いている感じです。とても、山を超えてシレジア城へ行くことは……」
「いかに俺でも、お前達を危険な目に合わすわけにはいかないからな」
そう言うと、レヴィンは小さくため息をついた。
それに気付いたフュリーがそっとレヴィンの肩に手を置くと、レヴィンはその手を握り返した。
フュリーの白い指先が、わずかに赤く染まる。
「いかにディートバ隊と言えども、この天候では出陣できません」
「わかってはいるが、母上の指示なくして戦端を開くことは許されん」
「いざとなれば、アウロラに向かわせます。あの子なら、この天候でも無事に辿り着けるでしょう」
「……いや、無理は絶対にさせるな。天馬騎士は、一人として死なせてはいけないからな」
レヴィンがフュリーの手を離す。
フュリーも黙って手を引くと、表情を引き締めた。
二人の耳に、聞き慣れない足音が入って来たからだった。
「侵入者にしては、随分足音を立てているな」
フュリーが無言で腰に差してあるショートナイフに手を添える。
その姿を隠すように、レヴィンが半歩フュリーの前に出た。
しかし、二人の予想に反して、姿を現したのは金髪の僧侶だった。
「エーディン公女、そのお姿では風邪をひきますよ」
「えぇ。上着を買いに行くので、ミデェールを探している最中ですの」
シレジアの冬は厳しい。
グランベル王国の中でも温暖な地域に住んでいるエーディンには、かなり堪えているはずだった。
フュリーが、風を見る為に開けていた窓を、そっと閉めた。
「上着を買われるなら、アル屋がいいですよ。あの店は中々いい品物が揃っている」
「ありがとうございます。ところで、ミデェールを見かけませんでしたか」
エーディンの問いに、レヴィンは小首をかしげて背後に控えているフュリーの方を振り返った。
エーディンの視線がそれにつられてフュリーへ移るのを待って、フュリーが口を開いた。
「ミデェールさんなら、今日は修理屋へ行くと言われていました。先程、出て行かれましたけど」
「そう……仕方ないわね」
エーディンはそう言って肩を竦めると、来た道を戻り始めた。
「買い物へ行かれるなら、護衛をつけますよ。フュリー、プシュケはまだ城にいるな?」
「はい。プシュケがいなければ、私が護衛に」
そう申し出たシレジア主従に、エーディンは首を横に振った。
「たいした用事ではありませんし、一人でも大丈夫ですわ」
エーディンが断ったのに、更に護衛を申し出るつもりはなかった。
レヴィンもフュリーも、表向きはセイレーンの城主とその補佐役となっている。
ラーナがシレジアに戻って来たレヴィンを要職につけて、逃げ出させなくしたというシナリオである。
当然、セイレーン城の事務処理の最終決定はレヴィンが行うことになっていた。
エーディンにかまっていられるほど、暇ではないのである。
「それではお気をつけて」
そう言ってレヴィンがエーディンを送り出そうとした時、三人の側を駆けて行く少年がいた。
このシレジアにおいても未だ半袖なのは、シグルド軍に居着いてしまっているデューだ。
まだまだ育ち盛りなのか、日に日に逞しくなっていく身体は、半袖姿をも納得させてしまう。
「おい、デュー」
「ん?」
壁に手をついてスピードを止めたデューに、レヴィンはエーディンを指した。
「エーディンが街に買い物に行くんだ。お前もついて行け」
「そりゃかまわないけどさ。オイラ、特に用事もないし」
「ついでに、お前も服を買ってこい。見てる方が寒くなるぜ」
「そっかな。まぁ、これから寒くなりそうだし、買ってもいいかなって思ってたけど」
「そうね。その方がいいわ」
フュリーの微笑に少し照れ笑いを返して、デューはエーディンの方に向き直った。
「んじゃ、オイラ、いつでもいいけど」
「それでは、今から行きましょう。王子、お代はこちらへ取りに来させても平気かしら?」
「あぁ、かまわない」
レヴィンの答えに軽く頷いて、エーディンはそれで会釈も済ませると、デューを連れて歩き出した。
フュリーもデューの戦闘能力を信用しているのか、さほど心配そうな素振りは見せなかった。
「それでは、そろそろ書類を片付けてしまいましょう」
「そうするか。今夜は冷えそうだな……」
そう呟いて、レヴィンは窓の外に映る雲の流れへ視線をやっていた。
2
買い物自体はたいしたものではなかった。
デューは皮製のジャケットを買い、エーディンはファーのコートを選んだ。
金髪に白いファーはよく似合う。
元々の美貌も手伝ってか、道行く人の半分ほどはエーディンを振り返る有様だった。
「……なんか、落ちつかないや」
日頃から周囲の視線を受けることに慣れていないデューがそう漏らすと、エーディンはにっこりと笑った。
「自分の視線を真っ直ぐにしていれば、他人の視線なんて感じないものですわ」
「そうかなぁ」
エーディンに言われたように真っ直ぐ前を見ようとしても、習性というものは簡単には取れない。
どうしても背中から感じる視線には敏感になってしまう。
盗賊稼業をしていた関係上、他人の気配には常に敏感になってしまうのだ。
「うーん……居心地悪いや」
「あら、あそこにいるのは……」
そう呟いたエーディンの視線の先を探したデューは、緑色の髪をした騎士っぽい男を見つけた。
一見女性と見間違いそうな端正な顔立ちは、ミデェールに間違いなかった。
「あれ、ミデェールさんだね」
「何を見ているのかしら」
「声かけてみる?」
そう言って走り出そうとしたデューの両肩を押さえて、エーディンはその場で立ち止まって様子を伺った。
ミデェールが見ているのは、武器屋のショーウィンドウだ。
すると、陳列されている武器を見ているのだろうか。
自分の肩を押さえているエーディンの表情を見たデューは、小声で上に向かって話しかけた。
「武器を見てるだけなんじゃないの?」
「でも、あの表情……気に入りませんわ」
視線はミデェールの固定したまま、エーディンがそう答える。
デューにはミデェールの表情も確認できるが、何が気に入らないのかはわからなかった。
「……あ、ミデェールさんいっちゃうよ」
「静かに。あの武器屋を見に行くわよ」
「へ?」
エーディンに肩をつかまれたまま、デューは武器屋のショーウィンドウの前に立った。
ちょうど中古品のセールをしているのか、破格の値札がついている。
剣は鉄の剣以外使ったことのないデューだが、目利きは一流だ。
「へー、この剣、高そうだな」
「ミデェールが剣……変ね」
エーディンの脳裏に、シレジア城でのミデェールの赤くなった表情が浮かぶ。
その向かい側にいたのは、アイラというイザークの女剣士だった。
「これ見てたんじゃないの? この弓も値打ちものっぽいけど」
そう言ってデューが指したのは、少し古ぼけた弓だった。
トリップしかけていたエーディンも、その弓にちらりと視線をやった瞬間に現実へと帰ってきた。
「あら、本当。勇者の弓だわ」
「勇者の弓って?」
「名工の造った弓で、弓の戻りが早いとか言ってましたわ」
「弓の戻りが早いとどうなるのさ」
「次の矢が速く放てるそうですわ。お父様がよく、手に入れたいと申されていたの」
「そっか……確かに高いけど」
デューの言う通り、値札は他の物とは格段に違っていた。
桁数が違うほどではないが、倍の値段はしている。
「……手持ちが足りなかったのかしら」
「そりゃ、ミデェールさんはこんな大金持ってないんじゃない?」
デューの答えを聞いて、エーディンはじっと考え込んだ。
そして、その脳裏には流れるようなストーレートの黒髪の女剣士が顔を出す。
ミデェールが弓を見ていたのか剣を見ていたのか、判断する材料は乏しかった。
そう思えば思う程、デューの眺めている高価そうな剣の値段が上がってゆく。
「デュー、手持ちはいくらあるかしら」
「え……っと、三万くらい」
「貸してもらえるかしら」
「いいけど。でも、こんな高そうな弓、それなりの人にしか売らないんじゃないかなぁ」
財布の心配はなくなった。
聖弓士・ウルの名前を出せば、問題はない。
エーディンは実際に拳を握り締めると、勇んで武器屋の扉を開いた。
3
「大将、準備できましたッ」
「クロード神父、後は頼みます」
シグルドとアレクが駆け出して行く。
ディートバ隊進軍の情報を受け、シグルドは早々に出陣の決断を下していた。
今回は雪が深く、魔法使いの一軍の出陣も確認されているのだ。
「エーディン様、出陣の準備は整いましたか?」
「えぇ、いつでもいいわ。ミデェールも大丈夫ね?」
「はい」
そう答えて弓隊を率いるジャムカの許へ戻ろうとしたミデェールの袖を、エーディンの細い指がつかんだ。
わずかな感覚にも振り返ったミデェールに、エーディンは笑顔を作った。
「これ、持っていきなさい」
「これは……勇者の弓!」
出された物を辛うじて受け止めたミデェールに、エーディンは笑顔のまま続けた。
「もはや蛮族との戦いは終わりました。貴方も、この弓に相応しい騎士の筈でしょう」
「あ、ありがとうございます!」
弓を両手で抱えて勢いよく頭を下げたミデェールを当然のように扱い、エーディンが背を向けて歩きだした。
「そのお代は貴方の命で払って頂戴」
「は……?」
疑問形のミデェールの受け答えを無視して、エーディンは自分のタイミングで歩を止めた。
「私の命が尽きるまで、貴方は私のもの。勝手に死ぬことは許しません」
それきり、再び自分のペースで歩兵隊の方へ歩きだしたエーディンを、ミデェールは黙って見送った。
手に託された勇者の弓が、何よりも大事なエーディンの気持ちだということを知っていたから。
「……この命、もとより貴方様の為に」
もはや見えなくなってしまったエーディンにもう一度深々とお辞儀をし、ミデェールは勇者の弓を背に走り出した。
重いような、恥かしいような、誇らしいような。
シレジアの雪は白い。
ミデェールは白い雪をかき分けて馬を進める。
はるか後方に見える金髪の主から見えるように、精一杯に胸を張って。
<了>