私の命が尽きるまで


 セイレーン城。

 グランベル本国に反逆者の烙印を押されたシグルド達が、シレジア王妃によって匿われている城である。

 彼らの反逆が真実か否かは、もはやどうでもよいことであった。

 たった一つの事実は、彼らがセイレーン城にいることだけである。

 

 

「……無理です。この天候では、とても天馬を飛ばすことはできません」

「そうか。一刻も早く母上にこの状況のことをお報せせねばならんのだが」

 シレジア地方の城独特の天馬発着場から、レヴィンは隣にいるフュリーと共に空を見上げていた。

 灰色に濁った空は、勢いよく灰色の縞模様を押し流し続けている。

「かなり風が強そうだな」

 自身、風の流れ読むことには長けているレヴィンがそう言うと、フュリーも同意を示した。

「上空は渦を巻いている感じです。とても、山を超えてシレジア城へ行くことは……」

「いかに俺でも、お前達を危険な目に合わすわけにはいかないからな」

 そう言うと、レヴィンは小さくため息をついた。

 それに気付いたフュリーがそっとレヴィンの肩に手を置くと、レヴィンはその手を握り返した。

 フュリーの白い指先が、わずかに赤く染まる。

「いかにディートバ隊と言えども、この天候では出陣できません」

「わかってはいるが、母上の指示なくして戦端を開くことは許されん」

「いざとなれば、アウロラに向かわせます。あの子なら、この天候でも無事に辿り着けるでしょう」

「……いや、無理は絶対にさせるな。天馬騎士は、一人として死なせてはいけないからな」

 レヴィンがフュリーの手を離す。

 フュリーも黙って手を引くと、表情を引き締めた。

 二人の耳に、聞き慣れない足音が入って来たからだった。

「侵入者にしては、随分足音を立てているな」

 フュリーが無言で腰に差してあるショートナイフに手を添える。

 その姿を隠すように、レヴィンが半歩フュリーの前に出た。

 しかし、二人の予想に反して、姿を現したのは金髪の僧侶だった。

「エーディン公女、そのお姿では風邪をひきますよ」

「えぇ。上着を買いに行くので、ミデェールを探している最中ですの」

 シレジアの冬は厳しい。

 グランベル王国の中でも温暖な地域に住んでいるエーディンには、かなり堪えているはずだった。

 フュリーが、風を見る為に開けていた窓を、そっと閉めた。

「上着を買われるなら、アル屋がいいですよ。あの店は中々いい品物が揃っている」

「ありがとうございます。ところで、ミデェールを見かけませんでしたか」

 エーディンの問いに、レヴィンは小首をかしげて背後に控えているフュリーの方を振り返った。

 エーディンの視線がそれにつられてフュリーへ移るのを待って、フュリーが口を開いた。

「ミデェールさんなら、今日は修理屋へ行くと言われていました。先程、出て行かれましたけど」

「そう……仕方ないわね」

 エーディンはそう言って肩を竦めると、来た道を戻り始めた。

「買い物へ行かれるなら、護衛をつけますよ。フュリー、プシュケはまだ城にいるな?」

「はい。プシュケがいなければ、私が護衛に」

 そう申し出たシレジア主従に、エーディンは首を横に振った。

「たいした用事ではありませんし、一人でも大丈夫ですわ」

 エーディンが断ったのに、更に護衛を申し出るつもりはなかった。

 レヴィンもフュリーも、表向きはセイレーンの城主とその補佐役となっている。

 ラーナがシレジアに戻って来たレヴィンを要職につけて、逃げ出させなくしたというシナリオである。

 当然、セイレーン城の事務処理の最終決定はレヴィンが行うことになっていた。

 エーディンにかまっていられるほど、暇ではないのである。

「それではお気をつけて」

 そう言ってレヴィンがエーディンを送り出そうとした時、三人の側を駆けて行く少年がいた。

 このシレジアにおいても未だ半袖なのは、シグルド軍に居着いてしまっているデューだ。

 まだまだ育ち盛りなのか、日に日に逞しくなっていく身体は、半袖姿をも納得させてしまう。

「おい、デュー」

「ん?」

 壁に手をついてスピードを止めたデューに、レヴィンはエーディンを指した。

「エーディンが街に買い物に行くんだ。お前もついて行け」

「そりゃかまわないけどさ。オイラ、特に用事もないし」

「ついでに、お前も服を買ってこい。見てる方が寒くなるぜ」

「そっかな。まぁ、これから寒くなりそうだし、買ってもいいかなって思ってたけど」

「そうね。その方がいいわ」

 フュリーの微笑に少し照れ笑いを返して、デューはエーディンの方に向き直った。

「んじゃ、オイラ、いつでもいいけど」

「それでは、今から行きましょう。王子、お代はこちらへ取りに来させても平気かしら?」

「あぁ、かまわない」

 レヴィンの答えに軽く頷いて、エーディンはそれで会釈も済ませると、デューを連れて歩き出した。

 フュリーもデューの戦闘能力を信用しているのか、さほど心配そうな素振りは見せなかった。

「それでは、そろそろ書類を片付けてしまいましょう」

「そうするか。今夜は冷えそうだな……」

 そう呟いて、レヴィンは窓の外に映る雲の流れへ視線をやっていた。

 

 

 買い物自体はたいしたものではなかった。

 デューは皮製のジャケットを買い、エーディンはファーのコートを選んだ。

 金髪に白いファーはよく似合う。

 元々の美貌も手伝ってか、道行く人の半分ほどはエーディンを振り返る有様だった。

「……なんか、落ちつかないや」

 日頃から周囲の視線を受けることに慣れていないデューがそう漏らすと、エーディンはにっこりと笑った。

「自分の視線を真っ直ぐにしていれば、他人の視線なんて感じないものですわ」

「そうかなぁ」

 エーディンに言われたように真っ直ぐ前を見ようとしても、習性というものは簡単には取れない。

 どうしても背中から感じる視線には敏感になってしまう。

 盗賊稼業をしていた関係上、他人の気配には常に敏感になってしまうのだ。

「うーん……居心地悪いや」

「あら、あそこにいるのは……」

 そう呟いたエーディンの視線の先を探したデューは、緑色の髪をした騎士っぽい男を見つけた。

 一見女性と見間違いそうな端正な顔立ちは、ミデェールに間違いなかった。

「あれ、ミデェールさんだね」

「何を見ているのかしら」

「声かけてみる?」

 そう言って走り出そうとしたデューの両肩を押さえて、エーディンはその場で立ち止まって様子を伺った。

 ミデェールが見ているのは、武器屋のショーウィンドウだ。

 すると、陳列されている武器を見ているのだろうか。

 自分の肩を押さえているエーディンの表情を見たデューは、小声で上に向かって話しかけた。

「武器を見てるだけなんじゃないの?」

「でも、あの表情……気に入りませんわ」

 視線はミデェールの固定したまま、エーディンがそう答える。

 デューにはミデェールの表情も確認できるが、何が気に入らないのかはわからなかった。

「……あ、ミデェールさんいっちゃうよ」

「静かに。あの武器屋を見に行くわよ」

「へ?」

 エーディンに肩をつかまれたまま、デューは武器屋のショーウィンドウの前に立った。

 ちょうど中古品のセールをしているのか、破格の値札がついている。

 剣は鉄の剣以外使ったことのないデューだが、目利きは一流だ。

「へー、この剣、高そうだな」

「ミデェールが剣……変ね」

 エーディンの脳裏に、シレジア城でのミデェールの赤くなった表情が浮かぶ。

 その向かい側にいたのは、アイラというイザークの女剣士だった。

「これ見てたんじゃないの? この弓も値打ちものっぽいけど」

 そう言ってデューが指したのは、少し古ぼけた弓だった。

 トリップしかけていたエーディンも、その弓にちらりと視線をやった瞬間に現実へと帰ってきた。

「あら、本当。勇者の弓だわ」

「勇者の弓って?」

「名工の造った弓で、弓の戻りが早いとか言ってましたわ」

「弓の戻りが早いとどうなるのさ」

「次の矢が速く放てるそうですわ。お父様がよく、手に入れたいと申されていたの」

「そっか……確かに高いけど」

 デューの言う通り、値札は他の物とは格段に違っていた。

 桁数が違うほどではないが、倍の値段はしている。

「……手持ちが足りなかったのかしら」

「そりゃ、ミデェールさんはこんな大金持ってないんじゃない?」

 デューの答えを聞いて、エーディンはじっと考え込んだ。

 そして、その脳裏には流れるようなストーレートの黒髪の女剣士が顔を出す。

 ミデェールが弓を見ていたのか剣を見ていたのか、判断する材料は乏しかった。

 そう思えば思う程、デューの眺めている高価そうな剣の値段が上がってゆく。

「デュー、手持ちはいくらあるかしら」

「え……っと、三万くらい」

「貸してもらえるかしら」

「いいけど。でも、こんな高そうな弓、それなりの人にしか売らないんじゃないかなぁ」

 財布の心配はなくなった。

 聖弓士・ウルの名前を出せば、問題はない。

 エーディンは実際に拳を握り締めると、勇んで武器屋の扉を開いた。

 

 

「大将、準備できましたッ」

「クロード神父、後は頼みます」

 シグルドとアレクが駆け出して行く。

 ディートバ隊進軍の情報を受け、シグルドは早々に出陣の決断を下していた。

 今回は雪が深く、魔法使いの一軍の出陣も確認されているのだ。

「エーディン様、出陣の準備は整いましたか?」

「えぇ、いつでもいいわ。ミデェールも大丈夫ね?」

「はい」

 そう答えて弓隊を率いるジャムカの許へ戻ろうとしたミデェールの袖を、エーディンの細い指がつかんだ。

 わずかな感覚にも振り返ったミデェールに、エーディンは笑顔を作った。

「これ、持っていきなさい」

「これは……勇者の弓!」

 出された物を辛うじて受け止めたミデェールに、エーディンは笑顔のまま続けた。

「もはや蛮族との戦いは終わりました。貴方も、この弓に相応しい騎士の筈でしょう」

「あ、ありがとうございます!」

 弓を両手で抱えて勢いよく頭を下げたミデェールを当然のように扱い、エーディンが背を向けて歩きだした。

「そのお代は貴方の命で払って頂戴」

「は……?」

 疑問形のミデェールの受け答えを無視して、エーディンは自分のタイミングで歩を止めた。

「私の命が尽きるまで、貴方は私のもの。勝手に死ぬことは許しません」

 それきり、再び自分のペースで歩兵隊の方へ歩きだしたエーディンを、ミデェールは黙って見送った。

 手に託された勇者の弓が、何よりも大事なエーディンの気持ちだということを知っていたから。

「……この命、もとより貴方様の為に」

 もはや見えなくなってしまったエーディンにもう一度深々とお辞儀をし、ミデェールは勇者の弓を背に走り出した。

 重いような、恥かしいような、誇らしいような。

 シレジアの雪は白い。

 ミデェールは白い雪をかき分けて馬を進める。

 はるか後方に見える金髪の主から見えるように、精一杯に胸を張って。

 

<了>