決して譲れぬもの


 銀の剣を無造作に隣の椅子へ立てかけ、グラスに小さな弧を描かせる。

 新たな戦場を前にして、スカサハは自ら志願した役割を果たすつもりでいた。

 そのためスカサハは、普段口にしない酒を飲んで、自らを奮い立たせねばならなかった。

 

 

「……店主、すまぬが個室の用意と周囲の人払いをお願いしたい」

 求めていた声を耳にして、スカサハは空になったグラスを置いた。

 ゆっくりと顔を上げ、待ち人の姿を視界に入れる。

 外套を店主に預けたスカサハの待ち人は、何気ない仕草で店内を見回した。

 二人の視線が交錯し、スカサハは銀の剣を手にして席を立った。

 店の入口でスカサハが歩み寄って来るのを黙って待っていた男は、スカサハが足を止めると同時に

ゆっくりと店の奥へと歩き始めた。

「ついて来るがいい。話は奥でしよう」

 店主が慌てて店員を走らせるが、男は気にする様子もなく、歩みを止める気配もない。

 その様子を見て、スカサハは銀の剣を確かめるようにして鍔鳴りをさせると、男の後ろに続く。

「あぁ、かまわない」

 すぐに返事を返したスカサハに、ヨハンは口の両端を軽く持ち上げた。

 それは背中を見ることになっていたスカサハには見えなかったが、雰囲気は見て取れた。

「……何がおかしい?」

「いや、明日には刃を交えようかという者と、こうして会っていることにな」

「ヨハン、お前まだ……」

 スカサハの言葉を遮るように、ヨハンは個室の扉を開けた。

 扉を開けたままスカサハの方へ向いたヨハンが、手でスカサハを促す。

 素直にヨハンの仕草に従って、スカサハは個室の奥側の席に腰を下ろす。

 銀の剣を壁に立てかけて。

 

 

「まずは、遅くなってしまったことを謝らせていただきたい」

 開口一番、謝罪の言葉を口にしたヨハンに、スカサハは黙って手を振った。

 それには軽く頷き、ヨハンはすぐに本題を切り出した。

「呼び出された理由は、近日中に始まる、セリス軍との全面対決のことと考えているが」

「あぁ」

「それならば、以前にも貴方に申し伝えた筈だ。私に、セリス軍に加わる意志は無いと」

「それは知ってる。だから、俺がもう一度説得に来た」

 真っ直ぐにヨハンと睨み合いながら、スカサハはそう告げた。

 その真っ直ぐな瞳を曖昧な仕草でかわし、ヨハンは注文を持って来た店員を下がらせる。

 店員が下がったのを確認してスカサハへ向き直ったヨハンに、スカサハは説得を始めた。

「俺達はイザークの民の解放だけを目的に立ち上がったわけじゃない」

「グランベル中央に巣食う暗黒教団を倒すためかな」

「そうだ。この大陸全土を覆う暗黒を斬り払う為に俺達は立ち上がった」

「そして、ガネーシャ城を攻略した」

 セリス軍の正当性を力説しようとするスカサハに、ヨハンは淡々と事実を突きつけた。

 そうしてスカサハの言葉を封じておいて、ヨハンはスカサハに問いかけた。

「ガネーシャを落城させた理由はなんだ?」

「正当防衛……と、いう言葉は通じないんだろうな」

「当然だな。我々はイザークの民の為に統治を行っている。所詮、貴方は反乱軍に過ぎない」

「子供狩りや弱者からの搾取が民の為だと言うのかッ」

 怒りを露わにして机を叩いたスカサハに、ヨハンはやや気泡の落ち着いた麦酒を口にした。

 口の中をわずかに湿らすだけにとどめ、ヨハンはグラスを置く。

 そのゆったりとした動作が終わると同時に、ヨハンが大きく吐息をついた。

 殺気にも似た気合を叩き付けるスカサハに、ヨハンは目を閉じて返事を返す。

「少なくとも、私の領地では認めてはいない」

「だったら、何故他の領地での行為を見逃すんだッ。お前なら、止められる筈だろうッ」

「私はイザークの一領主に過ぎない。他の領主に意見できる地位も血筋もない」

「だったら、俺達と共に戦うべきだ。暗黒教団の支配を打ち砕く為に!」

 閉じられていたヨハンの瞼が開く。

 机に乗り出すようにしてヨハンの説得を続けるスカサハを正面に見据え、ヨハンは再び拒否の言葉を口にした。

「それは、できない」

 その言葉に、スカサハは遂に机を叩き、そのままの姿勢で立ち上がった。

 目線の高くなった相手に、ヨハンは黙って僅かに視線を上げる。

 二人ともに次の言葉を模索しているかのような間が続く。

「……私は騎士だ。それも、一国の城を任せられた騎士だ。己の感情で動ける立場ではない」

「それは詭弁だ。お前が最も嫌っていた人種と同じ文句じゃないか」

 先程の沈黙の間を埋めるかのように、スカサハがすぐさま切り返す。

 それに応じるように、ヨハンも口を閉ざす気配は見せなかった。

「そうかも知れない。だが、私には私の領民を守る責務がある。それを放置することはできない」

「だから、その領民の生活をよりよくする為に、俺達は戦っている」

「だが、セリス殿が負ければ、それで全ては無に還る」

 ヨハンの静かな態度が、スカサハの怒りを緩やかに惑わせていく。

 怒りの矛先を失ったような感覚を受けて、スカサハは大きく息をついて、腰を席に戻した。

「……その通りだ。負ければ、そうなるかも知れない」

「そのようなリスクを、私の一存で領民全てに押し付けることはできない」

「負けるつもりはない。お前が仲間になってくれるならな」

 スカサハの言葉に、ヨハンに口許が綻ぶ。

 その口許に、スカサハは同じように口許を緩めた。

「いい口説き文句だな」

「俺も、そう思ったぜ」

 ヨハンの微笑に、スカサハは仕方なく苦笑してみせた。

 その隙を見逃さないように、ヨハンがグラスを持ち上げた。

 それに応じたスカサハとグラスを重ね、ヨハンはようやく姿勢を崩した。

「……最後かも知れぬな。お前とこうして飲むのも」

「あぁ」

 先程は唇を湿らす程度にしか麦酒を飲まなかったヨハンが、打って変わって一気にグラスを開ける。

 それに倣ったスカサハと同時に空のグラスを机の上に置く。

「もっと、お前とは色々話したかった」

「本当に俺達に加わることはできないのか?」

「シュミット将軍が動き出しているという噂もある。イザークは持ちこたえられないだろう」

 イザークはシュミット将軍がガネーシャへ攻め上がる途中にある。

 もしもヨハンが本国に叛旗を翻せば、丁のいい見せしめになる可能性が高い。

 そのことは、ヨハンもスカサハも十分に承知していることだった。

「例え一時でも、イザークの民を危険に晒すわけにはいかない」

「……それが、騎士というものか?」

「そうだと思っている。騎士として生きているということは、領民をすべての理不尽から守ることだ」

「……ヨハルヴァに聞かせてやりたいセリフだな」

 既にセリス軍への内通を確約しているヨハンの弟の名前を、スカサハは苦々しく言った。

 そのスカサハの表情にも微笑を保ち、ヨハンは個室のそばを通りかかった店員に追加注文をした。

「弟には弟の考えがあるのだろう。私よりも、正しい選択をしているかも知れない」

「どうだか。ラクチェ欲しさにやってるんじゃないかと思うぜ」

 すぐさま運ばれて来た麦酒のお代わりを一気に飲み干して、スカサハはグラスを店員に渡す。

 また慌てて調理場へグラスを持っていく店員へ軽く視線を飛ばしつつ、ヨハンもグラスを傾けた。

「兄の僻みだな」

「違う。そんなんじゃない」

 そう言いつつも、スカサハの顔は赤くなっていた。

 もっとも、アルコールのせいではないとも言い切れないが。

 

 

 店主が看板を外しているその隣で、ヨハンとスカサハはそれぞれに外套を羽織って立っていた。

「……お前がソファラの城主だったなら、俺達の仲間になってたか?」

「さぁ、どうだろうな。親父に先見の妙があったのかもしれんな」

 そう言って笑ったヨハンは、そのままくるりとスカサハに背を向けた。

 スカサハもその背中を追うことなく、反対側へと歩き出す。

「ヨハルヴァを頼む」

「全力で相手をさせてもらう」

 お互いの呟きに答えることなく、二人は歩みを続ける。

 スカサハの銀の剣は、静かに主の腰に従っていた。

 

<了>