金の分だけ


 ベオウルフがシグルド軍に世話になるようになってから数日。
 シグルド軍はノディオン城で束の間の休息を取っていた。

「……おもしろいことでもないかねぇ」

 元々、一つの所にじっとしているのが苦手なベオウルフは、手持ち無沙汰になっていた。
 落ち着かない雰囲気でウロウロしては、数分立ち止まったりを繰り返す。

 だが、その仕草でさえ、傍目には単なる城の点検をしているようにしか見えない。
 つくづく、彼は落ち着いた雰囲気に見える風貌をしている。

「ん? 何だ、この声」

 甲高いながらも、妙に力のこもった声を聴き取り、ベオウルフは足を向けた。

 彼の想像は、見事に的中した。
 ラケシスがアレクを相手に、鍛錬場で剣の稽古をしていたのだ。

「精が出るな」
「お姫様の頼みでね。アンタ、暇かい?」

 ラケシスの打ち返しを軽くあしらいながら、アレクは視線をそらさずに声をかけた。
 鍛錬場のベンチに腰を下ろして、ベオウルフは軽く笑った。

「随分と余裕だな」
「まさか。約束打ち込みだよ」
「道理で。察するに、捌きの練習と言ったところか」

 一瞥しただけで、ベオウルフは練習内容を言い当てる。
 傭兵として生き抜いて来た彼は、一瞥で剣を見切ることがいかに大切であるかを叩き込まれている。

 

 

「……無意味な稽古だよ」

 そう言って、ベオウルフが二人の間にタオルを投げ入れた。

 突然投げ入れられたタオルを模擬刀で払い除け、ラケシスがようやくベオウルフを睨んだ。
 アレクの方はチラリと視線を送っただけで、投げ入れられたタオルを拾って、汗を拭き始めた。

「邪魔をするつもり?」
「いや、無意味な稽古は時間の無駄だ」
「この私の稽古が無駄?」
「無駄だな。そんな稽古、いくらやっても意味がねぇ。まぁ、よく言って、精神集中くらいだろうな」

 模擬刀を握ったまま、ラケシスが口を閉じた。

「……お前さんさえよけりゃ、剣を教えてやってもいいぜ。エルトシャンには世話になったからな」
「兄様の名前を口にしないで」

 エルトシャン。
 ラケシスの尊敬し、敬愛する兄の名前を出されて、ラケシスは即座に忠告した。

「今度兄様の名前を口に出したら、その時は容赦なく殺します」
「やってもらいたいもんだ」
「貴方のような者に、兄様の名前を口にされたくはありません」

 ラケシスの殺気が、ラケシスの本心を語っている。
 その殺気は、間違いなく本物だった。

 その殺気を心地よく感じながら、ベオウルフはわざとからかうように、禁断の名前を口にし続ける。

「その程度の腕じゃ、エルトシャンの片腕にもなれねぇな」
「黙りなさいッ」

 一歩踏み出そうとしたラケシスの足が止まる。
 前に進めば、その喉を模擬刀で突かれるという寸前で。

 いつの間にか、ベンチに座っていたベオウルフは、その場所をラケシスの目前に変えていた。
 そして模擬刀を手に、ラケシスの動きを制したベオウルフが、おもしろくなさそうに口を開いた。

「虚を突かれ過ぎる。動きが読みやすい」
「……ッ」

 険悪な雰囲気になり始めた鍛錬場の中で、アレクが吐息をついた。

「ベオウルフ、アンタ、暇なのか?」
「暇だな」
「なら、ここ、任せるぜ。オレ、お茶でも頼んでくるわ」

 タオルと模擬刀を棚にかけて、汗を拭き終えたアレクがラケシスに一礼する。

 しかし、ラケシスは全く動けなかった。
 アレク退出まで、ベオウルフは模擬刀を突きつけたままにしていたのである。

「……さて、冗談はこの程度にしておこうか」
「冗談ですって?」
「あぁ。くだらない冗談だ」

 模擬刀から解放されたラケシスが、即座に反論しようと口を開く。
 だが、ベオウルフはその先を制した。

「エルトシャンには、お前さんのことを頼まれてる」
「兄様に? バカなことを言わないで下さる? 何故、兄様が貴方のような者を」
「ま、昔の悪友ってところだ」

 模擬刀を無造作に放り捨て、ベンチへと腰を戻す。

「そんなことはどうでもいい。強くなりたいんだろう?」
「……そうよ」
「エルトシャンは取り返す為には、強さが必要だからか?」
「……そうよ。悪い?」
「いや、確認しただけだ」

 立ったままのラケシスを見上げて、ベオウルフは口調を変えた。

「お前さん、本当に強くなりたけりゃ、剣を選ばなくちゃだめだ。剣に選ばれているようじゃ、いつまで経っても強くはなれん」

 ベオウルフの言葉に、ラケシスは鍛錬場に立てかけてある、自らの愛剣へ視線を送った。
 その視線を追うまでもなく何を見ているかを悟ったベオウルフは、ラケシスに言葉を続けた。

「別に、お前さんの愛剣が間違ってるとは言ってないぜ。むしろ、選んだ奴に感謝するんだな」
「兄様よ」
「だろうな。アイツなら、間違いのない剣を選べる筈だからな」

 ベオウルフの言葉を受けてか、ラケシスは自らの愛剣を手にとった。
 既に数々の戦いを共に潜り抜けて来たその愛剣は、ラケシスの手にしっくりと馴染んでいる。

「剣を選ぶと言うのは?」
「戦い方だな。お前さん、自分に合った戦い方をしてないってことだ」

 ラケシスが軽く愛剣を振ると、空気を切り裂く音が心地よく響いた。
 チラリと視線を送ったラケシスに、ベオウルフは気付かなかったふりをする。

「お前さんのスピードじゃ、到底かわしきる戦いはできねぇ。現に、アレクの方が剣は素早い」

 ラケシスは無言で、自らの手許に視線をやった。

「お前さんにはお前さんにしかないものがある。それを自分で活かさない限り、死ぬことになるぜ」

 ラケシスの視線は自らの手許を見つめたまま、動く気配は見せなかった。

「まぁ、お姫様にはお姫様の戦いってのもあるけどな。そんな暮らし、嫌なんだろう?」
「……嫌よ」

 たった一言。
 それでも、ラケシスの感情を表すには充分な一言になる。

 ベオウルフは自分を見ようともしないお姫様に苦笑しながら、ベンチを立ち上がった。
 その気配に、ラケシスが視線を動かす。

「まずは軽いテストってとこからだな。剣術の基本は知ってるか?」
「押す、捌く」
「足りねぇな」
「……速さは別物でしょう? 少なくとも、基本じゃないわ」

 睨み付けるような視線を、ベオウルフは軽く受け流す。

「そう、速さじゃない。だけどな、それは格闘術。言ってみりゃ、相手を殺さない宮廷剣術の基本だ。
 ま、速さを基本じゃないと言ったところで、お前さんには素質があるってことになるがな」

 素質があると言われて、ラケシスは頬を噛んだ。

「お前さんに足りてないのは、叩き潰すっていう、戦闘の基本だ」
「叩き潰す? 剣は斬るものでしょう?」

 ラケシスのもっともな質問に、ベオウルフは自らの剣を抜いた。

「いいか、よく聞け。剣ってのは、所詮は道具なんだ。例え刃が欠けたって、剣自体は何とも思わねぇ」

 ベオウルフがラケシスに向かって剣を振り下ろす。

 甲高い音を残して、ラケシスとベオウルフの剣が動きを止めた。

「だから、強引な使い方ができる。相手の骨を砕いて自分が欠けようが、何とも思わないんだからな。
 お前さんには、それが欠けてるんだ。殺さなきゃ殺されるってことを、もう一度考え直すんだな」

 そう言い切って、ベオウルフはさっさと剣をしまった。

 一方、ラケシスはベオウルフの剣を受け止めた態勢のまま、視線一つ動かさずに言葉を紡ぐ。

「……何で、私にそんなことを?」

 肩を竦めて、ベオウルフは背を向けた。
 その表情は、決して笑ってはいなかったが。

「別に。金の分の働きはするって言っただろ」
「……ありがとう」

 ラケシスの言葉に足を止め、思わず振り返ったベオウルフが見たものは、ラケシスの伏目がちな仕草だった。

「強くなれよ」
「……えぇ」

 ベオウルフが鍛錬場の外に出る。
 そこには、アレクが紅茶の入ったカップを持って立っていた。

 そのカップのうちの一つを手にとって、ベオウルフは無言のまま歩き去る。

「何だかなぁ……オレってかなりそんな役回りだよな」

 アレクの呟きは、誰にも聞こえないだろう。
 それが彼の良さであり、彼が憎まれない理由。

 そして、彼が一人身である原因。

 

<了>