仇
「あー、いい天気ね」
「あぁ」
「いい風も吹いてるし、町に出て良かったでしょ?」
そう言いながら体ごと振り返ってきたフィーに、アーサーは眠そうな眼差しを向けた。
「……フィー、俺は布団の中で、この風を感じていたかったんだけど」
明らかに不機嫌そうな声のアーサーに、フィーは笑顔でアーサーの腕を引いた。
引き摺られるような形で隣に並ばされたアーサーは、フィーの腕に体重を預けながら、ゆっくりと足を動かす。
そんな仕草のアーサーを気にすることなく、フィーはデートの定番、お店巡りを始めた。
しばらく店を巡れば、自然とアーサーの足取りも軽くなる。
半ばヤケになると言うか、解説不能なテンションの昂揚と、幸せそうに笑う恋人の笑顔のせいだろうか。
「……やっと元気になったね、アーサー」
「ん? まぁ、そうかもな」
やや苦笑を浮かべながらも、今はフィーの半歩先を歩くアーサーに、フィーはホッとする。
「よかった」
「ん? 何か言ったか?」
聴き取り辛かったのだろう。
聞き返すアーサーに、フィーは腕を深く抱えることでアーサーの言葉を飲み込ませた。
「おい」
「二人きりだもん」
「いや、周りに人が……」
「解放軍のみんなにからかわれなきゃ、別にいいじゃない」
鎧を外せば、フィーも年頃の女性である。
アーサーは腕に伝わる温もりが気になって仕方ないのだが、それを言うのは躊躇われた。
「……昼飯、食べに行こうぜ」
「パスタ食べたいな」
「じゃ、行こう」
フィーが他人の肩にぶつからないように、一歩先を歩いてフィーを背後に守りながら、アーサーは人ごみに逆らって歩き出した。
「いたッ、父上の仇!」
人ごみが悲鳴と共に二つに割れる。
その二つに割れた道の真ん中を、一人の少年が状態をやや屈めながら走り出す。
パスタを売り物にしている店まであと少しといったところで、アーサーは背後に殺気を感じて振り返った。
少し遅れて異様な気配を感じ取ったフィーも、アーサーの腕を離して振り返る。
二人の目に入ったのは、状態を屈めて体当たりをするような格好で駈け寄って来る少年の姿だった。
「危ないッ」
「どいてろッ」
隣にいるフィーの肩を押し、もう片方の手を少年に向ける。
少年の攻撃範囲から外されたフィーが、アーサーの方を向いて手を伸ばす。
少年を正面から迎え撃つ、アーサーの動きに迷いはなかった。
「父上の仇!」
「サンダー!」
周囲を切り裂く眩い光が、少年の腹へ食い込んだ。
もんどり打って倒れる少年を見下ろしながら、アーサーは瞳を凄ませた。
「お前、俺が誰だか知ってるんだろうな」
倒された少年は仰向けになっていた体を素早く立て直すと、アーサーの傍に寄り添ったフィーさえも睨み付けた。
「間違えるものか。この間の戦で、俺の父上を殺したのは貴様だ!」
それを聞いたフィーの顔にやや影が走るが、アーサーは軽く口端を曲げた。
そしてすぐ傍に落ちていた、サンダーを受けて砕けてしまったナイフの柄を、爪先で蹴り飛ばした。
「戦場で殺されたのを恨んで、こんな街中で仕返しか。お前の父親はそんなことを教えたのか?」
「父上を侮辱する気かッ」
「侮辱してるのはお前だよ。仮にも軍人だろうが。甘ったれたこと言うんじゃない!」
アーサーの炎が現れ始めた左手を、フィーが慌てて押さえ込む。
「答えろよ。お前の父親はそんなことをお前に教えたのか」
「関係ないだろうッ」
そう叫んで、少年が立ち上がろうとした瞬間、少年の首根っこを抑えた者がいた。
勢いを削がれた少年が背後を振り返り口をパクパクさせているのと対照的に、少年を抑えた青年は、
落ち着き払った様子でアーサーを睨んでいた。
「往来で、すまなかったな」
「……お前は? 見た所、帝国軍人だな」
「そうだ。そして、コイツの兄だ」
青年の言葉は、落ち着きを取り戻した少年を見れば分かることだった。
「随分な挨拶だった。非礼は詫びる。許してはもらえぬか?」
「別に。ただ、ちょっとそこの店のパスタが食い難くなっただけさ」
「それは悪い事をしたな」
そう言いながら、片手で少年を持ち上げていた青年は、少年を地面に下ろした。
首をさすりながら兄の正面から横にそれた少年は、固く拳を握り締めていた。
「アーサー……」
「話は後だ」
小声で話し掛けてきたフィーを黙らせて、アーサーは青年と視線を交わした。
その視線を真っ向から受け止め、青年が背中に手を回した。
「……相手をする気か?」
青年の目が鋭くなる。
フィーもその気配を感じ、腰に差してあるショートソードヘと手を伸ばそうとしたその時、
アーサーが緊迫感を破った。
「まさか。俺も大人気なかったしな」
「……この斧、戦場で御目にかけよう」
「機会があればな」
「その機会、必ず」
二人の男が同時に背を向ける。
背を向けて、二人はそれぞれの連れの手を取り、反対側に向かって歩きだした。
結局、街を出た所でようやく昼食にありついたフィーは、黙々と食事を続けるアーサーに吐息をついた。
「アーサー、よく食べられるわね」
「……食欲ないのか?」
アーサーの指摘どおり、いつもはアーサーよりもよく食べるフィーの皿には、まだ半分くらい料理が残っていた。
大食漢のフィーから見れば、それは明らかにペースが遅い。
「ちょっと……気になっちゃってさ」
「さっきのか」
「うん」
フォークを置いて、完全に食事する気配を無くしたフィーに、アーサーは口許を拭った。
「俺達は人を殺して生き残ってる。それは否定しようのない事実だよ」
「……正論なんて要らないわよ。それくらい、わかってる」
そう言って目を背ける恋人に、アーサーは声を荒げるでなく、言葉を続ける。
「生きる為に仕方のないこと……正論だな、それは」
「いいよ。大丈夫だから」
「好きな誰かを護りたい。これも駄目か?」
「いいって」
そう言ってフォークを持ち直したフィーの手を、アーサーはつかんだ。
つかんだまま放そうとせずに、非難する為に顔を上げたフィーの目を、自らの瞳で射抜く。
「……聞いて」
固まってしまったフィーの手から、フォークを抜き取る。
ゆっくりとしたその動作にも、アーサーの想いが伝わる。
「フィー、俺達は駒じゃない。考えて動くことができるんだ。この戦争だって、逃げたければ逃げられるんだ」
「うん」
「でもな、俺達は逃げない。責任があるからだ。今までに奪った物に対する責任が」
「……アーサー」
「逃げちゃだめだ。誰に何を言われたって、俺達は戦い続けなきゃいけないんだ。それが責任なんだ」
「うん……」
フォークを抜き取った時のまま握られていた手を握り替えし、フィーが瞼を閉じる。
すぐに微笑んでその唇を啄ばんだアーサーは、唇を話すと同時に耳許で囁いた。
「ま、俺はフィーの為だけに戦うんだけどね」
「ア、アーサーッ」
顔を赤くしたフィーの額に軽く口付けをして、アーサーは席に座り直す。
「その顔してれば、一生守ってやるよ」
「……もぅ、バカ」
赤くなっているフィーが乱暴に残りの料理を平らげるのを見ながら、アーサーは満面の笑みを浮かべていた。
<了>