神として、人として、男として (後編)


 クロードがもたらした真実は、シグルド軍を救うにはいたらなかった。

 そんな中、レヴィンをはじめとしたシレジア王家は一行を受け入れ、彼等に一つの城を任せた。
 王家自身が内乱に揺れる中、シグルド達は束の間の平穏を味わうこととなった。

 

 平穏とは言え、心の中は不安でたまらない。
 そんな心理をつくように、シグルド達は恋路を急ぐ。

「ミデェール、貴様、いつッ」
「す、すいません! アァッ、王子、矢はやめて下さいッ」
「許さん! デュー、ミデェールを捕まえろッ」
「ハハッ」

「なぁ、ラケシス」
「なによ、ベオウルフ」
「いくら寒くても、その格好はないと思うぜ」
「いいじゃない。セーター重ね着くらい」
「せめてマントとか、外装くらい調えろよ。お姫様だろ、一応」
「そんなことより、そんな寒そうな格好でウロウロしないでよ。見てるこっちが寒くなるでしょ」

 嫉妬と羨望と。
 友情と愛情と。

 様々な感情が交錯し、賑やかに暮らす一団の中で、アゼルとティルテュ、そしてクロードは浮き上がっていた。
 前者は裏切りを感じて、後者は現実を知ってしまった者として。

 

 シグルド軍にいながら、故郷に入ってからは、実家とシグルドの許との往復を繰り返している二人は、そんなクロードに気付いていた。

「元気ないな、クロード」

 いつもの微笑を見せながら話し掛けてきたレヴィンに、クロードは苦笑して見せた。

「慣れない気候に、体が慣れていないのかもしれません」
「そうか? 俺にはもっと、重い感じに見えるがな」
「そんなに重く感じますか?」
「あぁ。アンタの周囲、重力倍だぜ」

 そう言って笑ったレヴィンは、そのまま立ち去ろうとはしなかった。
 頃合いを見計らって真面目な表情に戻ると、クロードの胸倉をつかむ。

「いつまで一人で背負い込んでんだよ。アンタ、何を知った?」
「真実だけですよ」

 そう言ってレヴィンの視線を逃れようとしたクロードを腕力で引き寄せ、レヴィンは強引に視線を合わせた。

「風をなめるなよ。アンタ、本当は未来でも見て来たんじゃないのか?」
「何を根拠に……」
「アンタは聖杖を捨てたらしい。神器は、そんなに簡単に捨てられるものなのかい?」

 レヴィンの視線から逃れる為に、クロードはレヴィンの手を乱暴に振り払った。
 クロードの珍しい意思表示に、レヴィンはあっさりと引き下がったが、それでも逃がすつもりはなかった。

「俺のオフクロは、絶対にフォルセティを捨てはしない。それは、アンタも同じ筈だ」
「……器がないのかも知れませんね。私には、バルキリーに似合う器がないのかもしれません」

 レヴィンの言葉が止まる。

「所詮、血ですよ……バルキリーを受け継ぐ者は」

 クロードの言葉を聞いたレヴィンの頭に、フュリーの言葉が蘇った。

 血ではなく、真に選ばれた者が神器を受け継ぐ……それを信じないのか。
 たとえ親子のせいだとしても、私は貴方の風を受けていたい……それだけで、貴方には資格があると。

 レヴィンは自分の頭に蘇った言葉に、頬が熱くなるのを感じた。
 それと同時に、目の前に悩む青年を救えるのは、自分ではないことを知る。
 それは、もしかしたら、救われた者の傲慢さからくる勘違いだったのかも知れないが。

「……まぁ、なんだ。それでもアンタは神のお告げを受けることができたんだろう? これ以上、理屈はいらないさ」
「ならば、一人で背負うことも、神のお告げなのでしょう」

 クロードがそこまで言った後、二人は何事もなかったように微笑しあう。
 レヴィンは爽やかな、そしてクロードは困ったような微笑に戻る。

「悪いな。俺が聞くようなことじゃなかったみたいだ」
「いいえ」
「アンタの重荷を外す奴が、出てくるといいな」

 レヴィンの言葉に無言で会釈し、クロードはレヴィンの前を離れた。
 それを目で追いかけながら、レヴィンは近付いてくる別の足音へと体を向ける。

「王子、シグルド公子がお呼びです」
「あぁ……」
「王子?」

 いつになく気のない返事をするレヴィンを心配そうに見つめるフュリーを宥めながら、
レヴィンはクロードの行き先とは反対側にあるシグルドの部屋へと歩き始めた。

 

 

 クロードがいつものように、城内にある礼拝堂で所在なげに座っていると、そっと扉が開かれた。

「神父様……いるの?」
「シルヴィアさん、でしたね」

 声のした方へ振り返り、クロードは微笑んだ。

「どうかしましたか?」
「神父様ってさ、人の悩みとかを解決出来るんでしょ?」
「……解決することはできませんが、聴いて差し上げることくらいはできますよ」

 正直にそう言ったクロードに少し戸惑ってから、シルヴィアはクロードの正面の椅子に腰を下ろした。

「いいよ……神様に聞いて欲しいだけだから」
「どうぞ。神はいつでも、貴方に耳を傾けていらっしゃいます」

 悲しい性なのか、クロードはいつの間にか神父へと戻っていた。
 一度は、いや、今はもう信じることのない神への橋渡し役へと、クロードは態勢を整えていたのだ。

 それに気付いた時、クロードは心の中で苦笑しつつ、シルヴィアに話を促した。

「それがさ……レヴィン、殴っちゃった」
「喧嘩でもなされたのですか?」
「だといいんだけどね。レヴィンにフラれて、ついつい手が出ちゃったの」
「失恋、ですか」

 シルヴィアは顔を伏せて、泣き声を堪える為に自分の指を噛んでいた。
 それでも、涙を堪えることはできず、噛んだ手に零れた唾液とともに、シルヴィアの水溜を形成する。

「シルヴィアさん?」
「……何でかな。わかってたのにね……アイツがずっとフュリー見てるの、わかってたのに……何で?」

 シルヴィアの口から、とめどなく嗚咽が漏れ始めた。
 ただじっと耳を傾けながら、クロードは頃合いを見計らって、その手にある杖を鳴らした。

「シルヴィアさん、それで、どうしたいのです?」
「……わかんない」

 首を横に振ったシルヴィアの顔を上げさせ、クロードはその額に手を置いた。
 驚いて目を瞬かせたシルヴィアに、クロードはゆっくりと言い聞かせる。

「彼らが正式に結ばれるまで諦めないもよし。今、ここで思いを断ち切るもよし。全ては貴方の思うがまま。
 でも、決して後悔しない道をお選びなさい。そして、幸せを見つけて下さい」
「神父様」

 クロードは立ち上がると、額から手を外し、軽く微笑んだ。

「しばらく、ここで心を静めるとよろしいでしょう。その腫れた目では、せっかくの美しさが台無しですよ」
「え?」

 慌てて目許にある涙に触れたシルヴィアは、クロードに背を向けた。
 それを咎めることなく、クロードは扉の外へ向かって歩き出した。

「神父様」

 礼拝堂を出て行こうとしたクロードを、シルヴィアは呼び止めた。

「はい?」
「また、話、聞いてもらえる?」
「……はい。神はいつでも、貴方を見守られておりますよ。その橋渡しくらい、させていただきます」
「うん。ありがと」

 最後の言葉には答えずに、クロードは扉を閉めた。

 外に出ると、シレジア特有の純白の雪が、クロードの金髪を白の中に映えさせる。
 やや長すぎるその髪を手で梳かし、クロードは雪の落ちてくる空を見上げた。

「……神よ、私は貴方を信じることが出来ない。でも、こうして橋渡し役を引き受けています」

 

 

 クロードは悩み続けた。
 自分が神に最も近い者であるという他者からの認識と、神を信じることの出来ない今の自分に。

 

 それでも、時間は止まることはなかった。

 遂にアンドレイを焚きつけることに成功したランゴバルトは、彼を使い、シレジアを内乱へと導く。
 先手を打たれたラーナの要請に応える形で、シグルド軍は再び戦場へと赴くことになる。

 

「神父はここに残って、様子を見ていただけませんか?」

 シグルドにそう言われて、クロードは何故かほっとした面持ちで頷いていた。

「わかりました」
「あと、数名を城へ残しておきます。戦闘の指揮はアーダンに取らせますので、神父はその補佐を」
「オイフェ君は連れて行くのですか」
「私は、今でもシアルフィへ帰れると思っています。それを考えれば、オイフェを育てるよい機会です」

 屈託ない笑顔を見せ続けるリーダーに、クロードは視線を合わせることが出来なかった。

「……神父、シルヴィアを残して行きます」
「はい。でも、何故それを?」

 突然妙なことを言われて戸惑うクロードに、シグルドは笑顔のままドス黒いオーラを放つ。

「女はね、捕まえられるときに捕まえるものですよ」
「はい?」

 その時、アレクが部屋へシグルドを呼びに来た。

「行きますよ、大将」
「アレク、今行く。神父、未来はこの手で変えられるものなのですよ」

 視線を上げた神父に軽く出陣の挨拶をして、シアルフィ主従は変えることのできる未来へ向かって走り出していた。

 

 

10

 断罪の時は過ぎた。
 全てを薙いだ炎も収まり、暗闇が生き残った者を襲う。

 

 それでも神は、運命の歯車を途切れさすことはない。
 少女には男を、少年には女を。

 決して途切れることのない性への営みが、運命の歯車を回し続ける。

 

 そして、運命の輪を止めようとした男は、その身を扉にぶちあてた。

 

「……神父様!」
「シルヴィア!」

 まるで尻尾を振っているかのように、シルヴィアはボロボロになって入って来たクロードに抱きついた。
 彼女を辛うじて受け止め、クロードは彼女の頭を自分の胸に押し付けた。

 かつてない抱擁に、シルヴィアは首を振ってその呪縛から逃れようとするが、クロードはそれを許さなかった。

「私は……誰一人守れなかった。真実を知ったから、未来を知ったから……そんなもの、何の役にも立たなかった」
「神父様、痛いッ」
「誰が疑えただろう。私だって、許されてしまったと思っていた……私は、まだ神を信じていたのだッ」
「クロード様ッ」
「教えてくれ、シルヴィア! 私は、私は神を信じているのかッ」

 突然肩をつかまれて、シルヴィアはクロードの正面に固定された。
 彼女を見つめる彼の瞳は、もはやあの優しい瞳ではない。赤く、血に染められた瞳だった。

「クロード様……」
「教えてくれッ……私はまだ、神を信じているのか?」

 すがり付くように、彼は彼女の前に膝をついた。
 慌ててしゃがみこみ、シルヴィアはクロードの顔を自らの胸の中に隠す。

「神様なんて、どうでもいいよ。クロード様がいて、私がいて……それだけで、いいもの」

 クロードの言葉は、彼女の服の中に消えていく。

「未来は変わったよ、きっと。だって、神様だってアタシとクロード様がこうしてるの、予測できなかったよ」

 シルヴィアの手が、砂と炎に艶を奪い去られた男の髪を梳く。

「クロード様が逃がしてくれたから、こうしてまた抱きあえるのよ」
「シルヴィア……」
「……その瞳も、もうあたしのものなんだから、勝手に変化させないでよね」

 クロードの瞼を、シルヴィアの舌が塞ぐ。
 黙ってなすがままにさせながら、クロードの右手が彼女の服の中へと潜り込む。

「吸って……」

 シルヴィアがクロードの瞼を解放した。

「あたしなら、何度でも舞う……それでクロード様を救えるのなら、何度でも舞うから」
「……今は、鳴いて下さい」

 クロードの呟きに一つだけ頷いて、踊り子はクロードに身を委ねた。

 

 

11

 一つの報告書を手に、フリージの将軍がフリージ城主の許へ飛び込んで来た。

「何だい、騒々しい」
「クロード神父が、明日、極刑に処されると!」
「何だって?」

 ようやく立ち上がったヒルダへ、将軍はその報告書を手渡した。
 報告書を一読したヒルダの手から湧き上がった炎が、その報告書を焼き尽くす。

「ブラギの踊り子と神父は、救えなかったか……」
「はい。一緒にいる所を捕らえられ、既にバーハラに投獄された御様子」
「わかった。さがりな」

 一礼して退出した将軍の気配が消えると同時に、ヒルダは執務室の奥の部屋に入った。
 そこにいる、一組の夫婦に報告書のことを告げる為に。

 

 

エピローグ

 暗黒教団の手により、処刑は一般公開された。

 民衆がその信仰心と好奇心と故に集まった中、暗黒教団の手によって処刑台に磔にされたエッダの神父は、
穏やかに笑っていた。

「神を信じるお前達に、未来などない」
「フン、この期に及んで言い逃れか?」

 クロードの言葉を鼻で笑った暗黒教徒に、シルヴィアが唾を吐き当てた。

「さっさと殺しなよ。人の恋路を邪魔した奴は、どうせロクな死にかたしないだろうけどね」
「貴様ッ」
「シルヴィア……」

 呆れるクロードにウインクを飛ばして、永遠の踊り子は、静かに指先で踊り始めた。

「……Der Gott wissen Weiβ……」
「Der weisse Tanzer tanze aufewing in winde……」

 踊り始めたシルヴィアの後を、クロードはいとも簡単に詠唱した。
 軽く視線を合わせあった二人の声が重なり、二人の身体が黄金に輝きだす。

「やめさせろ!」

 暗黒教徒の誰かが叫ぶが、彼らの動きは強力な聖の波動によって抑えられていた。
 その間に、二人は歌を完成させる。

「私は今、神を感じている……全ては知のままに」
「全ては愛のままに」

 そして、クロードとシルヴィア、二人の意志が繋がる。

「全ては、自らの思うがままに!」

 聖なる波動が二人を包み、眩いばかりの光を放つ…。

 

 

Der Gott wissen Weiβ
 神は白き者を知る

Der weisse Tanzer tanze aufewing in winde
 白き踊り子は、風の中を永遠に踊りつづける

(…エッダ黙詩録より)

 

<了>