殺せばいいのか?


「……フリージ公爵家第一公女、ティルテュ」

「はい」

「ヴェルトマー公爵家第三公子、アゼル」

「はい」

「汝ら、互いに認め合い、共に歩むことを誓いますか? 異議無き場合は、沈黙をもって答えよ」

 クロードの宣告も、最終段階に入っていた。

 シレジア城の広間に誂えられた祭壇の前に立った一組の男女が、純白の服に身を包まれている。
 赤色と銀色の髪だけが、彼たちの唯一の色だ。

 少し長すぎるような沈黙の後、クロードがバルキリーの杖を高く掲げた。

「神の名の許に、この者達の婚姻を許しましょう……願わくば、神の御加護のあらんことを……」

 神父の杖が鳴り、祝福が授けられる。

 アゼルがティルテュの顔を隠しているヴェールを持ち上げ、ティルテュの唇を啄んだ。

 参列者の中から起こるどよめきを無視するように、二人の誓は長く続いた。

「……二度と、君を泣かせはしないからね」

「バカ……嬉し過ぎて、泣いちゃうよ」

 アゼルの唇が、ティルテュの涙を拭き取ってゆく。

 なすがままに任せたティルテュは、涙が止まると同時にアゼルを強く抱きしめた。

 


「……いい式でしたね」

 セイレーン城へ帰る途中、シグルドの馬に乗せられたオイフェはそう言って目を輝かせた。

「いつか、僕もあのような式を上げられるでしょうか」

「そうだな。シアルフィに帰ったら、オイフェにもしかるべき女性を探さなければならないな」

「シ、シグルド様ッ」

 真顔で悩み出したシグルドにオイフェが慌てると、隣を進んでいたアレクが茶化した。

「いいじゃないか。オイフェ、そろそろの尻に敷かれたらどうだ?」

 クックと笑うアレクに、ノイッシュとアーダン、さらにはミデェールまでが肩を震わせていた。

「ヒドイッ。ミデェールさんまで笑わなくてもいいじゃないですかッ」

「ゴメン、ゴメン」

 後ろにいるオイフェを振り返りながら謝るミデェールの馬には、エーディンが乗っている。
 エーディンを奪還すると同時に告白したミデェールの願いは叶い、早くも一人目の息子が生まれていた。

 憤慨し続けているオイフェを宥めるように、アーダンが言葉を発した。

「まぁ、なんだな。誰だって結婚には憧れるものだよ。それに、オイフェに先にされたら、俺はどうなるんだ?」

「それを言っちゃおしまいだろ。お前待ってたら、オイフェは一生独身じゃないか」

「……アレク、言ってはならんことを!」

 アーダンの振り下ろした剣をかわして、アレクはさっさと馬を走らせた。それを追うようにして駆けて行った
アーダンを見やり、ノイッシュはオイフェの側に馬を寄せた。

「ま、アレクも悪気があるわけじゃないから」

「……わかってますけど」

「髭でも伸ばしてみたらどうだ? 少しは男臭く見えるかもしれない」

「髭、ですか?」

「ま、例えばの話だよ」

 そう言って微笑むノイッシュは、オイフェの悩み込んだ表情を楽しんでいた。

 


 一行がセイレーンに着いたのは夜半過ぎだった。

 式を挙げたばかりのティルテュとアゼル、元々シレジアに屋敷のあるレヴィンとフュリーはシレジアに
残っていたが、他のメンバーは一人残らずセイレーンに着いていた。

 

 与えられた自室で着替えを済ませ、アレクは薄い上着を羽織って城内を歩くことにした。

「まったく、ノイッシュはノイッシュで彼女が来てやがるし、アーダンの奴はさっさと寝やがるし……」

 アゼルを肴に飲み明かそうと考えていたアレクはアテが外れ、仕方なく一人で飲んでいたのだが、
余計に目が冴えてしまったのだ。

「いい月夜なんだがな」

 白い月光が、雪の残る大地を白く透明に見せる。

 どんな色素をもってしても、この情景を人は描くことが出来ないだろう。

 そんな思いで城のテラスから外を見つめていたアレクは、鈴の音を聞いた気がして視線を動かした。

 

「……ラン…ララン……フィアラ ソアラ プリスィマ……」

 人を夢見心地にさせる歌声に誘われて中庭に下りたアレクは、鈴の音の正体を見た。

「シルヴィア……」

 裸足で雪の上を舞うシルヴィアは、まるで妖精のようにアレクの視線を奪った。

 アレクの存在に気付いていないのか、シルヴィアの両手両足につけられた鈴が雪を駆ける。

 

 クライマックスに到り、最後の一鳴りが消えると、たった一人の観客が拍手でその存在を示した。

「妖精かと思った」

「やだ、起こしちゃった?」

「んにゃ。起きてたのさ」

 踊り終わった彼女に差し出された上着を羽織り、シルヴィアは吐息をついた。

「なんか……踊りたくってさ。無性に」

「そっか」

「うん」

 アレクは中庭の噴水のへりに着いている雪を払い、腰を下ろす。

「……理由、聞かないの?」

 立ったままのシルヴィアが、座っているアレクを見下ろしながら尋ねた。

「別に。踊りたいときだってあるし、泣きたいときだってある。そんなもんだろ、オレたちって」

「まぁね。それだけ刹那的に生きてるのよね、あたし達」

「十九歳の言葉かよ」

「オジンくさ」

 そう言って微笑むシルヴィアに苦笑しながら、アレクは彼女に手を伸ばした。

 嫌がる素振りも見せずに腕の中に納まったシルヴィアは、少しだけ体重を預けた。

「……いい奴じゃない、アンタ」

「今頃気付いたのか?」

「うん。レヴィンしか見てなかったから」

「ヒデェな、そりゃ」

 腕に収めたまま何もしようとはしないアレクの顔を、シルヴィアは覗き込んだ。

「結構紳士じゃん」

「レヴィンしか見てなかったんだろ?」

「彼、フュリーとくっついちゃったじゃない」

「それでも、お前はどこかを向いてる。それは少なくともオレじゃないくらいわかるさ」

「……強引さが足りないんじゃない?」

 答えようとしたアレクを制して、シルヴィアはアレクの額に口をつけると、マントを払い落として立ち上がった。

 これ見よがしに鈴を振って見せたシルヴィアを見送って、アレクは頭をかいた。

「ったく、人の獲物をかっさらいやがった奴の顔が見たいぜ」

 


 翌日、ノイッシュが、アレクを起こす為に扉を叩くと、髪をセットしていないアレクが顔だけを出した。

「おぅ、ノイッシュか。何だ?」

「起こしに来たんだよ。昨夜は遅かったのか?」

「お前ほどじゃないさ……で、用件は?」

 何故か顔を赤くしたノイッシュに気付いた素振りも見せずに尋ねたアレクに、ノイッシュの背後から
アーダンが答えた。

「シグルド様がお前に用事だそうだ。私室で待っていらっしゃる」

「私室で? セリス様の具合でも悪いのか?」

 用件を聞いた途端に扉から離れて仕度を始めたアレクに、アーダンは扉を開け放して中に入った。

「いや、セリス様ならオイフェと一緒に庭で昼寝をしているのを見たけど」

「はぁ? だったら何で私室なんだろな」

「知るかよ。とにかく、お前だけがお呼び出しだぜ。胸の内、探っとけよ」

「まさか、本気でオイフェの嫁探しだったりしてな」

 自分で言った冗談に笑って、アレクは身支度を終えた。

 

 

「アレクです」

「入れ」

 シグルドの私室に入ったアレクは、クロードがそこにいるのを見て、驚きを隠せなかった。

「クロード様……何なら、出直しましょうか?」

 そう言ったアレクを手招いて、シグルドはクロードの正面に座らせた。

 わけもわからずにクロードの方を見ると、金髪の神父は、珍しく表情を曇らせていた。

「……アレク、相談に乗ってくれますか?」

「は、はい。そりゃあ……何です?」

 あまりのことに恐縮するアレクの戸惑いを無視して、クロードは用件を話し出した。

「アレク……貴方は、女性に泣きながら頬を叩かれたことがありますか?」

「そりゃ、たまにはそんなこともありますけど」

「どうします?」

「どうしますって……まぁ、色恋沙汰がほとんどですからね。黙って殴られるのが普通じゃないかと」

「黙って殴られた後です。女性が走り去った後」

「そりゃ、帰って寝ますよ。ま、相手によっちゃ追いかけて欲しいって思ってるかもしれないんで、ケースバイ
 ケースですかね。大抵すぐに追いかけないと、後から行っても怒られるだけですけどね」

 ここに来て何かを感じたのか、アレクから質問を返した。

「ちょっと待って下さいよ……まさか、神父が?」

 少しの沈黙の後、クロードは俯きながら頷いた。

 言葉を無くしたシグルドとその部下は、黙ってクロードの告白を聞く事にした。

「つい先程です。礼拝堂でいつものように祈っていた時、急にシルヴィアさんがやってきました」

 


「神父様、何をお祈りしてるの?」

「シルヴィアですか。いえ、昨日の二人の幸せをと」

「へー、じゃ、自分が結婚させた人の分、いつも祈ってるんだ」

「結婚させたわけではありません。私はあくまで、神との橋渡し役を務めただけですよ」

 クロードはそう言うと、祈りの態勢を解き、杖を片手にシルヴィアを向いた。

「悩み事ですか?」

「別に。もう大丈夫だよ。レヴィンの時には悪かったって思ってるけど」

「いいえ。人の悩みを聞くのも、神父としての務めですから」

 そう言って微笑を見せるクロードに、シルヴィアはズバリと聞いた。

「神父様、よかったの?」

「何がです?」

「ティルテュ……好きだったんでしょ?」

 唐突な名前に、鉄仮面がわずかに崩れる気配をみせたが、気配だけで終わる。

 クロードの見事なまでの自制心が、微笑を保たせていた。

「……私は神父です。新しい夫婦に祝福を与えるのも仕事ですよ」

「答えになってない」

 逃がさないという感じの口調に、神父の仮面は少しだけ剥がれた。

「ティルテュが選んだのはアゼルでした」

「結婚式って、”沈黙でもって答えさせる”時、邪魔してもいいんじゃなかったの?」

「私はあの二人を祝福したかったのです。邪魔する気はありません」

「変だよ。あたしだってどんなに叫びたかったかわかんないのに、神父様がそんな気にならないはずない。
 性格って言ったら、ここで殺すわよ」

「素敵な思い出を作っていただいたのです。それで、充分ではないですか」

「……本気で言ってるの?」

「神父は嘘をつきません」

 クロードのその言葉を聞いた途端、シルヴィアが立ち上がった。

 気合一発、クロードの頬を張り倒したシルヴィアは、驚いて落とされた杖をつかむと、一目散に走り去って
行ってしまった。

 


 クロードの告白を聴き終えたアレクは、思わずこめかみを押さえた。

「かなわねぇや……あまりにもバカだぜ」

「はい?」

「神父様、一人の男に男として言うけどな、さっさと追いかけな」

「追いかけるものなのですか?」

「本当は追いかけさせたくもねーけどな。アンタには勿体無いくらいだからな」

「アレク?」

 どこかホッとしたように息を吐いた公子様の目前に、アレクは指を突き出した。

「勿体無いけど、今のシルヴィアはアンタを見てる。自分の感情を殺して、情けない笑みを浮かべてる
 アンタになッ。本気で腹立つけど、シルヴィアはアンタを待ってんだ」

「シルヴィアが、私を?」

「言っとくけど、オレはアンタがティルテュ様のことを好きだって知らなかったぞ。それなのに、シルヴィアは
 それに気付いてた。アンタ、ここまで言ってもわかんないのかッ?」

「おい、アレク」

「シルヴィアはそれだけアンタを見てたんだよ! 自分の感情を殺せばそれでいいのかって、アンタに
 問いかけてんだよ! 杖を持ってくほど、アイツはアンタのことを待ってんだ。それを、何悩んでんだよ!
 答えはもう、出てるんじゃないのか? さっさと追いかけろ!」

「……私は、シルヴィアを」

「何とも思ってなくても追いかけろ! それが礼儀だ!」

「しかし……」

 いつまで経っても動こうとしないクロードに、シグルドがアレクの前に立った。

「男女の仲なんて、理屈じゃない。たとえすぐに心を返したとしても、その時点で好きなら、それでいいんだ。
 神父、何もこだわる必要はない。少しでもシルヴィアを想う気持ちがあるなら、行ってやるべきだ」

「シグルド、私は……」

 無言で微笑み返したシグルドに負けたのか、クロードは二人に深く礼をすると、走って行った。

 それを扉の所で見送る主従二人は、肩を竦めあった。

「……腹、立ちますね」

「本当なら自害させるところだけどね」

「シグルド様がオレに言わせたんでしょうが」

「何も言ってないけど?」

「無言の脅迫じゃないですか」

「……アレク、私は君が好きだよ」

 唐突な言葉にガクッと態勢を崩したアレクがシグルドを見上げると、シグルドは変わらずに微笑んでいた。

 

 

 彼の微笑の正体を知る者は少ない。

 だからこそ、アレクは思うのだ。

「この人についていく」

 と―――

 

<了>