信じられる相棒
「……入ってよろしいでしょうか」
アーサーの遠慮がちな声に、レヴィンはゆったりとした声でドアを開けるように告げた。
「珍しいな、お前が尋ねて来るなど。もしや、フィーと喧嘩でもしたか?」
「御心配なく。フィーは俺が必ず幸せにします。今日は、フィーの話をしに来たんじゃない」
アーサーの言葉に、レヴィンはやや硬いものを感じた。
「何の話を聞きたいんだ?」
「俺の、両親の話です」
アーサーの返事を聞いて、レヴィンが読んでいた本にしおりを挟んだ。
本を閉じて、アーサーの姿を視界の正面へと移す。
「君の記憶に残るだけでは不満なのかな」
「簡単に言えば。俺は、戦っていた両親を知らない。今の俺と同じ立場にいた、親父たちの話を聞きたい」
「聞いて、どうするんだ?」
そう尋ね返すと同時に黙ってしまったアーサーへ、レヴィンは軽く手で振り払った。
「何を知りたいかは知らないが、今のお前には必要ないだろう。それとも、この俺に昔を思い出させるつもりか」
「話を、聞かせて下さい。その上で、確かめたいことがあるんだ」
アーサーの真剣な視線が、レヴィンを射抜こうとして動かない。
しかし、レヴィンは苦笑を返すだけで、アーサーの問いに答えようとはしなかった。
「……俺は、本当に今のままでフィーを幸せに出来るのか、本当は自信がないんだ」
そう言ったアーサーに、レヴィンは小さく肩をすくめた。
娘のこととなれば、さすがにレヴィンも無下にはしない。
「だから、過去を知りたい……か。いかにも、お前の考えそうなことだ。お前の親父も……」
レヴィンはイスから立ち上がると、暖炉に蒔をくべなおした。
「アゼルー、アゼルー、クロード様が、引き受けてくれたよ!」
ティルテュの元気な声とともに、アゼルとレックスの部屋の扉が開け放たれた。
しかし、二人の姿はそこにはなかった。
「おかしいなぁ、何処行ったんだろ」
ティルテュはそう呟くと、アゼルを探すために城内の廊下を走り出した。
「……行った?」
アゼルの小さな声が、隣にいるレックスに尋ねた。
「あぁ、行ったぜ。どうやら、気付かれなかったみたいだな」
ティルテュの足音はとうの昔に遠くへと行っており、アゼルがビクビクするほどでもない。
クローゼットの中から顔を出したレックスはそう判断して、同じく中に入っていたアゼルを引きずり出した。
「ったく、フィアンセから逃げることもないだろうに」
「仕方ないだろ。自信がないんだから」
「幸せにしてやりたいんだろ?」
「うん」
「なら、その気持ちだけで充分じゃねーか」
レックスがそう言っても、アゼルの表情は暗かった。
思いつめた時に見せる親友の表情に、レックスは少しばかり吐息をついた。
「何が足りないってんだ?」
「強さ、かな。僕に、彼女を守れる力が本当にあるんだろうか」
「わかんねーな。でも、お前は充分に強いぜ。それは、生き抜いてきた事で証明されてるだろうが」
「でも、ここにいる。このシレジアの大地に、僕はいるんだ」
レックスは、そう言い切った親友の変わり様に驚きと嬉しさを感じていた。
いつも自分の背中にいたアゼルではない、大きく成長したアゼルが目の前にいたからだ。
「ここにいるのに、強さと弱さは関係ないぜ。俺達は追われた。でもな、逃げてんじゃない」
「逃げてない?」
「敵に服従しちゃいない。怯えて逃げたんでもねェ。俺達は、自分達の意志で此処にいる」
戸惑いの色を見せるアゼルに、レックスは続けた。
「逃げたいんなら、本国に帰ればいい。ティルテュを連れてな」
レックスの言葉に、アゼルが目を丸くする。
それでも、レックスの言うことはもっともだった。
グランベル王国の中央にいる彼らの家族は、決してアゼルとティルテュを追放したわけではない。
「俺の首でも持って帰れば、二人は本国で夫婦になれるぜ。でも、お前はそうしてない」
「レックスの首は、僕には取れないよ」
「いや、この首、お前達二人のためにならやれるぜ」
そう言って笑って見せるレックスに、アゼルはただ飛びついた。
レックスの腕をつかみ、自分の頭の所にあるレックスの肩に額を押し付けた。
しばらくそうしておいて、アゼルは静かにレックスの腕を離した。
「僕、ティルテュを探してくるよ」
そう言って部屋を飛び出して行く親友を見送って、レックスは一人ごちた。
「ったく、何で彼女もいない俺が、アイツの世話焼かなきゃなんねーんだよ」
しかし、そうボヤくのも、レックスの中では何物にも変えがたい日常なのだった。
「ティルテュ!」
「アゼル! 何処行ってたのッ」
両腕を腰に当て、頬を膨らますティルテュに、アゼルは苦笑いしながら謝った。
「ゴメン。ちょっと、気持ちの整理をね」
「クロード様がね、立会人を引き受けて下さるって!」
「本当? じゃ、僕達……」
「うん、結婚できるよ!」
無邪気に飛びついてきたティルテュを抱きとめて、アゼルは大きく深呼吸をした。
守りたい者を手にした感触は、どんな快感よりも柔らかく、どんな幸せよりも甘かった。
「ティルテュ、僕は誓うよ。生涯、君のことを守ってみせる。たとえ、この身が滅びようとも」
「バカッ!」
そう言って、ティルテュが無理やり身体を離す。
そして、逃げられると思ってティルテュを追いかけようとしたアゼルの鼻先に指を突きつけた。
「滅びる時は一緒! 手をつないで死ぬの!」
二人の手が、指ごとに絡み合う。
「この手は二度と離さないで。せっかく……アゼルの初恋の相手から奪い返したのに」
「えっ?」
「もう、あたしのだからね」
「……じゃ、ティルテュは僕のもの?」
「うん」
小さな返事に、アゼルは思わずティルテュの額にキスをしていた。
「ア、アゼルッ?」
「僕のものだから、盗られないように名前を書いておかなくちゃね」
レヴィンは話し終えると、アーサーの方を向いた。
「……と、まぁ、こんな風な奴らだったな」
「まるで、見たように話しますね」
「風が教えてくれる。お前とフィーの出合いも、お前の悲劇と喜びもな」
イスに腰掛けるレヴィンの表情から、軍師・レヴィンが消える。
一人の父親としてのレヴィンが、そこにいた。
「フィーを頼む。俺はアイツに優しい言葉をかけることはできない。その悲しみを、癒してやってくれ」
「……わかっています」
「だったら、出て行くがいい」
無言で頭を下げて立ち去るアーサーが消えると、レヴィンが元に戻る。
「不器用なヴェルトマーの血が、フリージの血で薄められたか。バカ娘には、勿体無い男だな」
誰もいない扉に向かって語り掛けるレヴィンの目は、その先にいるかつての仲間を見ていた。
部屋に戻ったアーサーを出迎えたのは、同室のスカサハではなかった。
「アーサー、何処行ってたの?」
「フィー……なんでここに?」
「明日の準備と打ち合わせをしようと思って。あたしたち、二人での進軍だからさ」
二人は明日、バーハラへの進軍の主力から外れ、迂回して退路を断つ役目を与えられていた。
「いつもどおりだろ。別に、変わったことはいらないさ」
「そうだけど……決戦前夜だよ」
「特別な言葉が欲しい?」
決戦前夜を口にして、顔を赤くしたフィーに、アーサーは暖めておいた言葉を投げる。
「この辺に、名前書いとかなきゃな」
「……んッ」
アーサーとフィーとの距離がゼロになり、3cmに戻る。
「……あたしも、アンタに名前書かなきゃね」
再び、ゼロから3へ。
今度の3cmは、二人だけの距離。
出会ってすぐは、7cmだったのに。
でも今は、どんなに離れていても、この3cmだけは変わらない。
二人の距離は、いつかゼロへと変わるだろう。
友達から恋人へ。恋人から永遠のパートナーへ。
二人の距離は、今、3cm。
<了>
<平成15年4月29日 改訂>