平均的な幸せ


「あら、どうしたんですか、その荷物」

 大きな紙袋を二つも手に提げて職場である職員室に入ってきた鬼道に、同僚教師が目を丸くする。

 それもそのはずで、普段の鬼道はほぼ手ぶらな状態で姿を見せることが多いのだ。

「なんや、生徒たちがくれたんですわ」

 中身も詰まっているのだろう。

 はっきりとした音をさせて紙袋を机の上に置いた鬼道が、首をコキリと鳴らした。

 その様子に首をかしげた同僚が、卓上カレンダーの日付に視線を向ける。

「あぁ、バレンタインですね」

 納得がいったという風な同僚に、今度は鬼道が首をかしげる。

「桜井先生、何ですか、それ」

「今日、何日ですか、鬼道先生」

「二月の十四日やけど……それが、何か」

 最初は冗談かと思っていた同僚も、本気でわかっていない鬼道の様子に、再び目を丸くした。

「バレンタインですよ、先生」

「バレンタイン……」

 いまだピンときていない鬼道の様子に、同僚が丸くしていた目を細めた。

「ウチは女子高ですからね。イベントごとが好きなんですよ」

「お菓子を配るイベント……まるでハロウィンやな」

 見当違いな方向に納得しかけた鬼道に、同僚が苦笑する。

「まぁ、似たようなものですね。生徒たちにとっては、ハロウィンもバレンタインも似たようなものですから」

 そう言って、同僚は鍵を取りに来た生徒の方へ歩いていった。

 鬼道はとりあえず紙袋を机の隅へ追いやると、引き出しの中から筆記用具と手帳を取り出した。

「今日は特別講師の来る日やな」

 教師の朝は忙しく、一日のスケジュールの確認は必須事項だ。

 この辺りはどの職業も変わらないが、一週間のルーチンワークという点が大きな違いだ。

 五十分と十分が区切りという、特殊なスケジュールを教師はこなしていくことになる。

「突発の会議はなし……と」

 会議等の予定が書かれている白板を確認し終えて、鬼道は紙袋の中身を確かめることにした。

 六道女学院に通う生徒たちは、比較的裕福な者が多い。

 そのため、世間一般では義理チョコに分類されるそれらも、それなりに値を張るものが多そうだった。

「お、これはあの駅前の……」

 生徒たちの間で噂になっている駅前の洋菓子店の包みを見て、鬼道は早速、包装を解き始めた。

 濃厚なカカオの香りに、鬼道は思わず目を細めた。

「いいもんやなぁ、教師って」

 父親によって平均的な小学生の幸せを奪われた彼には、お菓子に対する思い入れがかなり強い。

 今でこそそれなりの給料をもらっているのだが、今度は年齢のためにお菓子を買い辛い状況にある。

 そんな彼には、嬉しいサプライズプレゼントとなった。

「ほな、いただきます」

 チョコレートを一つ、口の中に放り込む。

 チョコレートの味とは別に、オレンジピールが主張する。

 さすがに噂になるほどのことはある味に、鬼道は満足げに舌を広げた。

「美味いもんやなぁ」

 思わず笑顔になっていた鬼道は、背後に立つ人の気配に気がついていなかった。

 肩を叩かれて振り返った鬼道は、思わぬ人の姿にあわててチョコレートを飲み込んでいた。

「め、冥子はん」

「おはよ〜、マーくん」

「おはよう、冥子はん」

 理事長をより間延びさせた口調を持つ娘に、鬼道は笑顔で挨拶を返す。

 だが、冥子の視線は彼の机の上に注がれていた。

「それ、なにかしら〜」

「あぁ。生徒がくれたんや。なんや、バレンタインとか言うてたな」

「えぇ〜。バレンタインは家族にしかあげちゃダメって聞いたわ〜」

「家族か……クラスが家族やと思えてくれてるんなら、頑張ったかいがあるわ」

「あ、そうか〜。マーくんにはクラスの生徒たちも家族なのね〜」

「そうやな。感謝せんとな」

 世間とのズレを訂正しないまま笑顔を浮かべる二人に、冥子の後ろに控えていたメイドが冥子を促す。

「お嬢様、鬼道様にお渡しになられるのでは」

「そうそう、忘れてたわ〜。はい、マーくん」

「なんや」

「バレンタインのチョコレート」

「え……僕にか」

「そうよ〜。大切なお友達にもあげていいんだって、フミさんが教えてくれたの〜」

「さ、さよか。でも、ええの」

「うん。銀座のゴディバだから、美味しいわよ〜」

「ゴディバか。どっかで聞いたことのある店やな」

 あまり価値のわかっていない二人のやりとりに、周囲の人間が微笑ましい表情を浮かべる。

 母親に呼ばれた冥子とフミが理事長室に消えるのを待って、同僚代表の桜井が鬼道へと近付く。

「鬼道先生、お返しを考えないといけませんね」

「お返しって、明日でもかまわんのやろか」

「いいえ、一ヵ月後と決まってるんですよ。それも、ゴディバのチョコには特別なお返しがいるんです」

 桜井の言葉を聞いた隣の同僚が、たまらずに小さく吹き出した。

「何を返せばいいんやろか」

「プラチナリングです」

 桜井の言葉に、さすがの鬼道も首をかしげた。

「なんや、プロポーズみたいやな」

「当たり前ですよ。ゴディバには、女の人からの結婚準備OKですよのサインがこめられてるんですよ」

「な……そうやったんかッ」

 いきなり顔を赤くさせて狼狽し始めた鬼道の姿に、更に何人かの同僚がこらえきれずに笑い出す。

 予鈴のチャイムがなり、ふらふらと職員室を出る鬼道を見送った同僚たちは、一斉に桜井へ視線を向けた。

「いいんですか、桜井先生」

「彼、本気にしてますよ」

「大丈夫だとは思うけど、一応は理事長の娘さんだし」

「あの様子じゃ、もしも断られたらどうなることか」

 同僚の視線を受けて、さすがの桜井も頬をかく。

「教室で、生徒たちが本当のことを言うと思いますけど」

 桜井の言葉に、あおっていた同僚たちもうなずいていた。

「まぁ、あの様子では生徒も異常を感じるでしょうが」

「完全にからかわれるでしょうな」

「お茶請けぐらい用意してやりますか」

 本鈴のチャイムが鳴り、教師たちも職員室を後にする。

 鬼道の机の上には、冥子の渡したゴディバの箱が残されていた。

 

<了>