決戦当日


「……はぁっ」

 動悸が速い。

 何を見ていたかは覚えてないけど、ロクな夢じゃなかったようだ。

 少し早い深呼吸を繰り返して、無意識の内に布団から手を伸ばして宙をつかむ。

 腕に当たる空調の風が、どこか心地よい。

「参ったね」

 こんなにも夢見が悪いのは久しぶりだ。

 アタシは伸ばしていた手で額にかかる髪をかき上げると、ゆっくりと身体を起こした。

 二度寝するほどの勇気はなかったし、何より背中に流れる汗が気持ち悪い。

「……いい気なもんだね」

 隣で寝息を立ててるウチのキャプテンは、幸せそうな寝顔を見せている。

 どうせ、藤原君の夢でも見てるんだろうけどさ。

「はぁ、気持ち悪い」

 布団から抜け出して、干しておいたタオルと着替えのシャツを取り出す。

 部屋のシャワーを浴びてもかまわないけど、それだと起こしてしまうだろう。

「感謝してよね」

 鼻でもつまんでやろうかとも思ったけど、起こしても何の意味もない。

 やつ当たりになるだけってのはわかりきってるので、アタシはなるべく音を立てないように部屋を出た。

 

 

 

 地下の大浴場で汗を流すと、気分も直ってきた。

 寝癖を整えて、あとは前髪をセットすれば終わり。

「大神さん」

「あぁ、三浦君」

 いやいや、神様っているもんだね。

 早起きのご褒美は、朝一番から三浦君なんて。

「早いですね」

「汗かいちゃってさ。先にシャワー浴びたところ」

「あれ、女子は部屋についてないんですか」

「ついてるけど、キャプテンを起こすのも悪いしね」

「なるほど」

 ロビーに座っている三浦君の傍らには、新聞とコーヒーが置かれている。

 ウチの親父の朝と対して変わらないけど、不思議と三浦君ならカッコイイ。

「三浦君は」

「同じ理由ですよ。少し早く目が覚めたので」

「それで新聞かい」

「えぇ。習慣になっているんですよ」

 学年上位はこうして作られるんだね。

 引退したら、本気で勉強を教えてもらってみようか。

「部屋で読めばいいのに」

「藤はあれで、神経質だから」

「あぁ、何となくわかる」

 むっちゃんよりも、細かいところに目が付くって感じだろうね。

 昨日の一件を見たりしてると、押さえるところは押さえてるって感じだし。

「成田中央……だろ、今日は」

「えぇ。気負ってるのかもしれませんね、無意識に」

「昨日の感じじゃ、余裕そうだったけど」

「どうでしょうか」

 そう言って微笑む三浦君を見てる限り、気負いは感じられない。

 むしろ、アタシの方が緊張してるのかもしれない。

 昨日の晩に眠れたのは、むっちゃんと藤原君のおかげだろう。

 あんな目の前でラブコメされて、いい意味で気が抜けた。

「両キャプテンは、幸せな夢の中か」

「そうですね。藤もいい寝顔で寝てましたよ」

「癪だね。帰って鼻でもつまんでやろうかね」

「そろそろ戻りますか」

 読んでいた新聞を折りたたんで、三浦君が先にホールへ歩いていく。

 隣を並んで歩くと、あたしの身長の高さが気になる。

 やっぱり、この身長じゃあ釣り合わないね。

「……はぁ」

「疲れ、残ってますか」

「多少はね。でも、そうも言ってられないじゃないか」

「あと二日……か」

 あと二日で、基本的には引退になる。

 どうせなら、優勝してみたい。

「勝ちたいねぇ」

「大丈夫でしょう。秋吉さんも、気合十分でしょうから」

「昨日のアレだろ。つくづく羨ましいよ」

 むっちゃんにささやく藤原君は、贔屓目なしにカッコ良かった。

 麻衣も麻衣で哀川君と何か話してたし。

 そういえば、恋愛禁止って誰が言い出したんだっけ。

「一人だけ、可哀相な人もいましたけど」

「あ、それそれ。アンタから石井君に言ってやってよ」

「多分、今は無駄だと思いますよ。ある意味、視野が狭いから、彼」

 エレベーターのドアが開いた。

 三浦君がドアを押さえて、先を譲ってくれる。

「ありがと」

「いいえ」

 パネルの前に立って、七階のボタンを押す。

 動き始めたエレベーターの中は、終始無言。

 話しかけるきっかけを探している内に、エレベーターの扉は開いた。

「まだ二階」

 乗り込んできたのは、サラリーマン風の男の人。

 朝食を終えたところみたいだった。

「朝食、何時からだっけ」

「七時ですよ」

 返事をされて気が付いたこと。

 三浦君、アタシと男の人の間に立ってくれている。

 男の人が五階で下りるときは、さり気なくアタシを守るように、パネルの前に手をついてくれた。

 身長はアタシよりも低いのに、三浦君が大きく見えてしまう。

「……三浦君てさ、よく誤解されるだろ」

「どうしてですか」

「さり気なさ過ぎるよ、この手とか」

 そう言って、三浦君の腕をつかむ。

 期待させないでよ、こんな日に。

「本気ですけどね」

「冗談だろ」

「さぁ」

 人を食ったような笑顔。

 アタシじゃ、絶対に敵わない。

「……何をしてるのかな、お二人さん」

 聞き慣れた声がして、あたしは急いで声の主を探した。

 いつの間にか七階に着いていて、開いたドアの外では氷室先生が腕組みをして立ってた。

 慌てて出ようとしたけれど、目の前にいる三浦君が邪魔になって動けない。

「あの」

「随分と体力が余ってるみたいね、蘭丸」

「あとは気力の補充がすめば」

「今日もたっぷりと働いてもらうわよ、恵子」

「は、はい」

 よりにもよって氷室先生に見られるなんて。

 それより、いい加減に手をどけてよ。

「蘭丸のことだから心配はないと思うけど、場所は考えたほうがいいんじゃないかしら」

「偶然ですよ、偶然」

「ほぅ……動かないエレベーターの中が偶然ね」

 アタシが口を挟めるやりとりじゃない。

 ここは三浦君に責任を取ってもらうしかない。

「ほら、他の人に見つかる前に早く行きなさい。いい加減、起きてくるわよ」

「そうします」

 三浦君に背中を押されて、エレベーターの外に出る。

 その三浦君は、笑顔で手を振りながら九階へ上がっていった。

「さて、恵子」

「はい」

「まさか貴女が、早起きして逢引するとはね」

「偶然です、先生」

「まぁ、いいわ。このことは私の胸にしまっておきます。そのかわり、いいわね」

「はい」

 これで変なプレーでもしようものなら、確実に責められる。

 ある意味、負けられなくなっちゃった。

「蘭丸がいいのかぁ」

「え、あの」

「将来有望よ、蘭丸は。せいぜい捕まえときなさい」

 そう言うと、先生は嬉しそうな顔で部屋に戻っていく。

「何をしに来たんですか、先生」

 まさか、二人にかつがれたってことはないよねぇ。

 三浦君にしても、どこまで本気かわからないし。

 先生が見えたから、わざとしたっていう可能性も捨て切れないし。

「あー、もう。悩むのヤメだ、ヤメ」

 都合よく解釈させてもらうよ。

 三浦君はアタシを口説いたってことにする。

 ……よし、もう大丈夫だ。

 今日も一日、気合入れていくぞ!

 

<了>