直線連立方程式の解


 選抜出場決定。

 準決勝ではハラハラさせてくれたけれど、何とか出場権をもぎ取った。

 まぁ、その試合で退場しちゃったアタシが言える義理じゃないけどさ。

「さぁ、ラストはオールコートの5on5よ。明日は休みなんだから、気合入れなさい」

「はいッ」

 選抜出場のご褒美か。

 かと言って、することもないんだけどねぇ。

 ユッコあたり誘って、買い物でも行くか。

「恵子、ポストお願いッ」

「あいよッ」

 少し気持ちが浮ついていたからか、ポストに入ろうとした瞬間、体勢が崩れた。

「恵子ッ」

「無理だ。一度まわして」

 先にポジション取られたか。

「よし、いいわよ。そのまま大神さんを押さえなさい」

「はいッ」

 ポジションは、そんなに簡単に譲れないさ。

 ステップを切って、右から切り込む。

「スライド!」

 いくらなんでも、この位置でスライドかい。

 切り返しのスピードだって、まだまだ負けちゃいないよッ。

「ポスト入ったよッ」

 完全にディフェンスを振り切って、手を上げる。

 その瞬間には、むっちゃんの手からボールが離れている。

 これがウチのホットラインさ。

「麻衣、左! 恵子、麻衣へまわしてッ」

「あいよッ」

 むっちゃんから来たボールを、シュートフェイクをいれてから左の麻衣へ。

 DFが一枚つれたってことは、今のフェイクはよかったってことだね。

「スリィ!」

 むっちゃんの指示で、麻衣がモーションの速いシュートを撃つ。

 当然、アタシの役目はリバウンドだ。

 リングに弾かれたボールが、こちらに落ちてくる。

「リバウンド!」

「ディフェンス、今度も獲ってみせなさい!」

 まだまだ甘いよッ。

 そんなブロックじゃ、止められないねっ。

「しょッ」

 指先で弾くようにして、落ちてきたボールを押し返す。

 宙へ戻されたボールが、リングの中に吸い込まれていく。

 練習したかいはある。綺麗なタップでしょ。

「よっしゃぁ!」

 先生の立てた親指に、アタシも親指を返す。

 今日は体のキレがいい。ここ最近、食欲がなかったのが幸いしたようだ。

「さぁ、次はセットオフェンスのフォーメーションよ。次は大神さんをダブルチームでいきなさい」

「はいッ」

 ダブルチームか。外からになるんだっけ。

「大神さんは必ずリバウンドを取ること。ノルマは8割よ」

「はいよッ」

 ちょっとちょっと……ダブルチームでその確率は厳しいじゃないの。

 いくらアタシでも、それはちょっと辛いって、先生。

「さぁ、行くよ。ユッコ、いけると思ったらいつでもカットインしてよッ」

「オッケー」

 頼むよ、ユッコ。

「さぁ、ディフェンスは止めてみせて!」

「はいッ」

 むっちゃんのドリブルが始まった。

 

 


「はぁ……」

 水道の蛇口をひねって、頭から水を被る。

 今日は最後まで自主練をしていたせいで、周りには誰もいない。

「さすがにしんどいねぇ」

 練習が終わってから、先生の前でタップシュートの練習。

 まだまだ男子に比べればタップもどきに過ぎないけれど、それでもないよりはあったほうがいい。

 今年こそ、三回戦は突破したいから。

「随分と遅いですね」

「ん……あぁ、アンタかい」

 呼びかけられて、急いでタオルで顔をぬぐう。

 何故か汗だくの三浦君がそこにいた。

「この時間まで練習ですか」

「そうさ。みんな、先に帰っちゃったよ」

 明日は練習が休みだから、今日は早めに帰って明日に備えるってわけさ。

 むっちゃんはともかくとして、麻衣あたりは哀川君とどこかに行くのかねぇ。

「そういえば、明日は休みでしたね」

 そう言いながら、三浦君が蛇口をひねって、水の流れに頭を突っ込む。

 いつもの理知的な仮面を崩さない三浦君の、初めて見る姿だ。

「ふぅ」

 よほど暑かったのか、一分間は水の流れに頭を突っ込んでいたみたいだ。

 ようやく蛇口を止めた三浦君は、髪を持ち上げて、水を切っていた。

「使いなよ」

「……いいんですか」

「あぁ。アタイも拭いたところだから、ちょっと濡れてるけどね。それでいいなら」

「ありがとうございます」

 律儀に頭を下げる三浦君に、アタシは大げさにタオルを投げ渡した。

 広がったタオルを片手で捕まえて、三浦君がタオルに顔をうずめた。

「……タオルぐらい、用意しときなよ」

「いつもはシャツで済ませたりしてますから」

「三浦君らしくないね。いつもは用意いいのにさ」

 男バスの練習後には自前のタオルで汗を拭いている三浦君を思い出して、アタシはそう言った。

 すると、三浦君は顔と髪を軽く押さえながら、苦笑していた。

「男バスは、杏崎さんがうるさいですからね」

「何だい、そろいもそろって、あの子に握られてるのかい」

「まぁ、いろいろとありまして」

 こんなに話したことなんて、最近はまったくなかった。

 少し話さない間に、また三浦君に置いて行かれたような気がする。

 帰ってきた男バスのSGとして、逞しくなるばかり。

 気のせいじゃないくらいに、春先に比べて身体つきも大きくなっている気もするし。

「そういえば、男バスは早めに終わってたじゃないか」

「えぇ。でも、僕は休んでいたら、藤のお荷物になるかもしれないから」

「その様子だと、ランニングかい」

「えぇ。陸上部に混ぜてもらってね」

 そのせいか。最近、あまりバテてるところを見かけないのは。

 陸上の子にチラッと聞いたことはあったけれど、本当だったんだねぇ。

「それじゃ、今日はこれからシューティングでもするのかい」

 三浦君のシューティングのしつこさは、女バスでも知っている。

 杏崎も、それに付き合っていたりするらしいけど。

「いえ、今日は帰りますよ。先程寄ってみたら、体育館の鍵が閉まっていましたから」

「それじゃ、さとみはもう帰ったのかねぇ」

「そうじゃないですか。先生からも、今日と明日は骨休みするように言われていますしね」

 汗も引き始めたのか、三浦君がアタシとタオルを交互に見ていた。

 それを見て、アタシは手を左右に振った。

「気にしないでよ。そのまま持ってかえるからさ」

「あ、そうですか。洗ったほうがいいかと思ったんですけど」

「いいってば、そんなの。どうせ、アタイだって使ったんだし」

 それでもタオルを持ったまま迷っている三浦君の手から、タオルをひったくる。

 さっさとタオルを肩にかけて、大きく伸びをして見せた。

「どうせだし、一緒に帰ろうよ。結構暗いし、アタイだって女の子だしさ」

「そうですね」

 そう言いながら、何で笑ってるのかな、三浦君。

 絶対、信じてないだろ。

「信じてないね、アンタ」

「いえ、送りますよ。女の子を、一人で返すわけにもいかないでしょう」

 三浦君らしいね、その少し困ったような表情。

 これでフリーだって言うんだから、そりゃ、藤原君との噂も立つわけだ。

「なら、決まりだね。アンタ、荷物はどこに置いてあるんだい」

「僕の荷物は体育館の中ですよ。しまった、鍵を借りないと」

「あぁ、いいって。今日はアタイが最後だからって、合鍵借りてるのさ」

「それじゃあ、行きましょうか」

 そう言って、三浦君はアタイより先に歩き出した。

 身長はアタシの方が高いけれど、その背中には少し妬ける。

 スポーツをやる者として、うらやましいその筋肉の付き方。

 アタシにはどうしたって丸みが出てしまうけれど、無駄のない、少し角ばった身体つき。

「やっぱり、男なんだよね」

 三浦君には聞こえないように小さくため息をついて、アタシは彼の後ろを追って、体育館に向かう。

 合鍵を使って体育館に入ると、三浦君は電気も付けずに部室に向かって歩いていった。

 確かに非常灯は点いているけど、やっぱり夜の学校はどこかおっかないってのに。

「えぇい、意地だ」

 怖い気持ちを隠しながら、アタシは女バスの部室に入った。

 三浦君に貸したタオルではさすがに恥ずかしいから、予備のタオルで汗を拭う。

 制汗剤を振り撒いて、汗の匂いを隠す。

「こんな時間か……夕飯、冷めちまってるね」

 簡単に部室の後片付けをして、外に出る。

 体育館の入り口のところでアタシを待っていてくれた三浦君に手を振って、彼の隣に並ぶ。

「お待たせ」

「いえ、気になさらずに」

 そう言って微笑む三浦君は、絶対にカッコイイ。

 ちょっとスネたところのある藤原君や、ノー天気な哀川君とも違う。

 一歩引かれている距離を、思わず詰めたくなるような微笑。

「あ……その、三浦君」

「はい、何ですか」

 うわっ、その瞳はヤバイよ。

 絶対、今のアタシ、顔、赤いし。

「あ、あのさ、どうせだし、何か食っていかないかい」

「えぇ……かまいませんが」

「じゃ、決まりだね。一度、そこのラーメン食べてみたかったんだよねぇ」

「ハハハ、それじゃ、入りましょうか」

 ゴメン、ちょっとだけ嘘。

 食べてみたかったの半分、もう少し話していたかったの半分。

 それから……もっと一緒にいたいから。

「おじさん、チャンポン」

「それじゃ、アタイはワンタンメン」

 男バスにピッタリ張り付いているさとみのせいで、なかなか話しかける機会もないし。

 試合前の激励だけじゃなくて、どんなときでも、話しかけて欲しいから。

「そうそう。選抜出場、改めておめでとうございます」

「あ、うん」

 でも、いざとなると会話なんて出てこないもんだねぇ。

 今だって、三浦君に気を使わせたかなぁ。

「準決勝は危なかったと聞きましたが」

「あぁ、麻衣のおかげで決勝に出させてもらったって感じだよ。恥ずかしいね」

「その分、決勝では活躍していましたよ」

「あ、うん。そうかな」

 ……ヤバ。

 思い出しちゃったよ。

 あまりにも調子よかったから、ついついVサインなんか送っちゃって……。

「あ、その、悪かったね」

「何がです」

「Vサイン」

 言ってて、恥ずかしいったらありゃしない。

 それなのに、三浦君は変わらずに笑ってくれた。

「いいんですよ。もちろん、石井君たちには散々からかわれましたけど」

「本当にゴメンねぇ。ついつい、調子に乗っちゃって」

「まぁ、過ぎたことですし。それに、少しは嬉しかったですよ」

 え……今、嬉しかったって……言ったよな。

 お世辞、かな。

「い、いやだよぉ、からかってくれちゃってさ」

「別にからかうつもりはありませんが」

「じゃあ、本気かい」

「コートで必死になっていた女の子が向けてくれた一瞬の笑顔は、何よりも綺麗だと思いますよ」

 あ、そういうこと。

 アタシだからってわけじゃなく、ね。

「三浦君って、結構卑怯なんだねぇ」

「心外ですね。卑怯者のつもりはありませんよ」

 三浦君の顔が、少し引きつっていた。

「だってさ、今のアタイたち二人を見て、誤解する子だって出てくるだろう」

「誤解ではないでしょう。僕が本気なら」

「そう言うことがあっさり口にできるから、卑怯って言ったんだよ」

 ただのヤキモチ。

 それはわかってる。

 でも、ほんの一瞬期待した自分が、一番納得できないんだ。

 ただのヤキモチで終わりたくない。

「では、本気になったとして、僕たちにとって一番大事なのはバスケットでしょう」

「そうだね……」

 多分、アタシはバスケットを止められない。

 バスケの試合を放り出して、恋人らしいことなんてできやしない。

 アタシのテンションが下がると、自然と二人の会話は減った。

 ワンタンメンはそれなりに美味しかったけど、少し耐えがたい沈黙だった。

「さて……そろそろ行きましょうか」

「あ、うん」

 店の外に出ると、季節外れの突風が一つ。

 ばらけた髪を押さえたアタシに、三浦君が声をかけてきた。

「もしもバスケを引退した僕を見ても、大神さんは僕自身を見てくれますか」

「何言ってんのさ。バスケ止めたって、三浦君は三浦君だろ」

「バスケを止めた僕は、今の僕じゃない。それでも、大神さんは僕を見てくれますか」

「……多分ね。でも、今のアタイも三浦君も、バスケは止めないだろ」

「だったら明日、付き合ってくれませんか」

「え……」

 周囲の雑音が消えた。

 まるでフリースローを撃つように、三浦君が真っ直ぐにアタシを見ていた。

「明日、付き合ってくれませんか」

「いいよ」

 周囲の雑音が戻ってくる。

 車のエンジン音が、近寄ってくる。

「バスケのない時なんて、今の僕たちにはなさそうですが」

「いいさ。映画のチケットにも、先行予約ってのがあるじゃないか」

「先行予約ですか」

 そう言って、三浦君は笑い出した。

 つられて、アタシの頬も緩んでいた。

「行きましょう。送っていきますよ」

「あぁ」

 今はまだ、アタシたちの接点は一つだけ。

 それでもこの先、接点は増えていく予感がした。

 ちょうど、連立方程式の解が増えていくように。

 

<了>