六道女学院の補習授業


 暑い日差しが、職員室の中にまで降り注いでいる。

 汗を吸ったジャージから、日頃から着用している和服に着替えると、不思議な清涼感がある。

 和服に着替えたばかりの鬼道政樹は、クーラーの効いている職員室に入るなり、大きく息をついた。

 それを見ていた鬼道の同僚・桜井が、席に座ったばかりの鬼道に、冷たい麦茶の入ったコップを差し出す。

「お疲れ様です」

 お盆に載せて運んできたのだろう。

 桜井がお盆を両手で胸の前に抱えながら、にっこりと微笑んだ。

 同僚の、しかも若い女性の笑顔に、普段はポーカーフェイスで通っている鬼道も、微笑みを返していた。

「おおきに」

「大変ですね。模擬戦闘って、お疲れになるんでしょう?」

「仕事やから、仕方ないですわ」

 そう答えて、鬼道は黙って広げられたお盆の上に、空になったコップを乗せた。

「すんまへんな」

「いいえ。私、今日は午後からしか授業がないんですよ」

 桜井がそう言って、頭を下げた鬼道に手を振る。

 彼女がお盆を持って流しの方へ立ち去るのを見送って、鬼道は椅子を回転させた。

 彼の机の上にうずたかく積み上げられているのは、外部に発注していた、生徒の資料だ。

 向き合いたくはないのだが、向き合わなければひどさを増すばかりだ。

「理事長も、人使いが荒い」

 ため息の一つもつきたくなるというのが、偽らざる本音だ。

 しかし、勤め人の悲しさかな。鬼道に拒否権はない。

 気を取り直して資料の一番上に手を付けた鬼道は、丁寧に資料のチェックを始めた。

「……やっぱ、弓の最近の成長はホンマもんか」

 鬼道が最初に手にしていたのは、六道女学院霊能科の生徒の中でも、成長著しい弓かおりの資料である。

 これまでに計測した時の霊能値と、最近計測した値の全てが記載されている。

 ある時期を境に急激な成長を遂げていることが、資料の数値からだけでも読み取れるほどだ。

「何があったんやろ」

 そう呟きながら、簡単なメモを控えるだけで、次の生徒の書類へ目を通す。

 うずたかく積み上げられた書類の全てを読み終えるまで、彼に休みなどはなかった。

 

 

 六道女学院は霊能科という特殊なコースで有名な、後期中等教育認可校である。

 十二神将を式神として受け継ぐ六道家当主によって創立され、今ではGS試験合格者の約三割を輩出する霊能名門校として、確固たる地位を築いている。

 現在は三十七代目当主、つまりは六道冥子の母親が理事長を務めている。

「鬼道ちゃん〜、いるかしら〜」

 職員室に入るなり、その独特の間抜け声を出した理事長に、鬼道は資料の隙間から顔を覗かせた。

「理事長はん、何でっか?」

「ちょっと、話があるの〜」

 理事長に話があると言われては、資料を置かざるを得ない。

 自分の机の前で教材を調べていた桜井が立ち上がったのを目の端で追いながら、鬼道は職員室にある応接セットへと理事長を座らせた。

 鬼道がその向かい側に腰を下ろすと、二人分のお茶をセットの上に置いた桜井が、一礼をして去っていく。

「鬼道ちゃん、今の仕事には満足している〜?」

「へ? まぁ、満足しとります。何もなくなったボクを拾ってもろて……」

「そうね〜。冥子の頼みじゃなかったら、私も聞かなかったわ〜」

「ホンマに、感謝しとります」

 そう答えるものの、いつもの如く唐突に始められる会話に、鬼道は苦笑を浮かべていた。

 とにかく、冥子といい、その母といい、テンポがワンテンポ以上ズレているのは間違いない。

「今年の卒業生のGS合格者が去年を上回れば〜、鬼道ちゃんのお給料、UPするわ〜」

「さぁ……今年の生徒は今一つです。来年なら、確実に数名は合格するでしょうが」

「来年、霊能科を新設する高校があるらしいの。だから、そこに負けないようにしてもらいたいのね〜」

「頑張ります」

 そこまで話を続けて、冥子の母親はすっぱりと話題を変えた。

「それで、今度の臨海学校のことなんだけどね〜」

「あ、はい。宿はもう手配しとりますけど」

「それでね〜……」

 事務的なやり取りをかわして、詳しい内容まで話の詰め合わせをする。

 父親と修行に明け暮れた頃の生活とは違い、今は面倒な仕事までしなければならない。

 しかし、それも今の鬼道政樹にとっては、やりがいのある仕事だった。

 

 

 教師・鬼道政樹の一日は長い。

 定時に仕事が終わるわけではなく、放課後には補習授業が待っている。

 霊能科の生徒の中には既に弟子入りをしていたり、実家が霊能関係の仕事に就いている生徒も多い。

 しかし、中には一文字魔理のように、入学直前までは全く霊能のことを知らなかった生徒もいる。

 そのような生徒達に実際の霊障を体験させるのも、重要な補習の一部である。

 今日も、鬼道は冥子と共に数名の生徒達を連れて、除霊に行かなければならなかった。

「全員揃ったか?」

「はい、鬼道先生」

 それぞれの霊衣を身に纏った生徒達が綺麗に整列しながら、除霊対象の屋敷の前に集合していた。

「それじゃ、冥子はん、説明してくれるか」

 鬼道に促され、インダラに乗ったままの状態で、冥子が仕事内容を説明する。

「今日の〜仕事は〜、S級で〜……」

 S級とは、最も難解な除霊であることを示している。

 その言葉を聞いた途端、鬼道は冥子の肩を揺さ振っていた。

「冥子はんッ、話が違うやないかッ」

「え〜? だってまーくん、何でもいいから除霊の仕事はないのかって〜」

「実習に使えるって言ったやないかッ」

「だって〜、実習用に選んだことなんてしたことないから〜」

「あぁっ!」

 冥子の肩から手を放して、鬼道は頭を抱えてうずくまる。

「冥子はんに期待したボクが甘かったんや」

「そんなに言わなくても〜」

「実習にS級をもってくるGSなんて、信じられるかいッ」

「でも〜、私も一人でやるのは〜、心細かったし〜」

 あくまでのほほんとしている冥子に苦笑して、見かねた魔理が鬼道の肩を叩いて首を左右に振った。

「やっちまえばいいじゃねぇか」

「あのな、S級は今までやってきたヤツとは違うんや。命にかかわるんやッ」

「どっちにしろ、卒業しちまえば同じ仕事するんやろ。いいじゃねぇか」

「そうね〜。滅多に経験できないものだし〜」

「させたらアカンのやっ」

 あくまで反省する気のない冥子にため息をついて、鬼道は生徒達の方を振り返った。

 鬼道の落ち込みとは反対に、生徒達には緊張とやる気が漲っていた。

 冥子にもそれは感じられたのか、インダラの上で微笑みを続けている。

「危ないと思ったら、逃げぇ……えぇな!」

「私も逃げていいのね〜」

「冥子はんッ」

「冗談よ〜」

 冥子のせいで脱力した鬼道を最後尾にして、一行が屋敷の中へと入る。

 入ってそうそうに襲ってくる高い霊圧に、冥子が早速新しい式神を呼び出した。

「クビラちゃん〜」

 プッツンすることの多かった冥子も、実習を手伝うようになってから、プッツンの回数は減っていた。

 やはり、頼りない人間と組ませるという母親の逆療法は有効だったらしく、冥子に寄せられる仕事の難易度も、徐々にデビューしたての頃の状態にまで戻ってきていた。

「サンチラ〜!」

 クビラが霊視をしている間に、サンチラが生徒達の周囲をまわりだす。

 クビラの霊視によれば、屋敷全体に霊力を示す光が散らばっていた。

「変ね〜。屋敷全体から霊力が感じられるなんて〜」

「確かに妙やな。下手したら、建物自体が妖怪なんやないか?」

 鬼道の呟きを聞いた生徒達に緊張が走る。

 慌てて円陣を組んだ生徒達の中心で、冥子だけがのほほんと構えている。

「それって〜、飲み込まれたってことかしら〜」

「飲み込まれたって言うよりゃ、自分から食われたってことじゃねぇのか?」

 円陣の先頭に立つ魔理が、軽く舌を打った。

 鬼道は直属の式神である夜叉丸を自分の影の中から召喚すると、油断なく周囲を見回す。

「……飲み込まれたなら、何か起こる筈やで」

「先生ッ」

 生徒の一人が、自分の正面を指差して叫んだ。

「ゆ、床が動いてる!」

「嘘ッ、どうなってんのっ」

 生徒の指差したあたりの床が、まるで生物のように脈動を繰り返し始めた。

 タコの頭のような形態をした出っ張りが、ゆらゆらと揺らめいている。

「……蹴っちまおうぜ!」

 そう言って飛び出そうとした途端、魔理の足元の床が動き出した。

 慌ててあとずさった魔理が、攻撃目標を変更する。

 その気配に気付いた鬼道は、一歩先んじて魔理の攻撃を止めた。

「待つんや!」

「けどよッ」

「脱出するのが先や! 冥子はん、抜け道を!」

「わかった。やってみる〜」

 再び、クビラがその瞳を光らせる。

 屋敷全体の中からは、僅かな隙間は見えていても、人が通りぬけられそうな穴はない。

 攻撃の合図をうずうずしながら待っている魔理を背中に感じながら、鬼道は屋敷の窓に焦点を定めた。

「仕方あらへん。窓からぶち抜くで!」

「オッシャア!」

 一度身体の前で力強く拳を突き合わせ、鬼道の指示通りに魔理が正面突破を図る。

 後を追うようにして、冥子の放ったビカラが体当たりを仕掛ける。

 他の生徒達も、それぞれ得意な攻撃方法を構えながら、息を殺して攻撃の機会を窺っていた。

 その時、窓を突破されようとしているためか、床の動きが激しさを増した。

 床を食い千切るようにして跳ねとんだ床板の妖怪を、夜叉丸がかっちりと受け止める。

「先生!」

「ボサッとすんなッ。来生と涼風は床の妖怪、残りは窓をぶち破るんや!」

「は、はいっ」

 夜叉丸の両腕が、受け止めた妖怪を押しつぶす。

 それを見て、鬼道はビカラの動きに注意を割いている冥子を呼んだ。

「冥子はん、アンチラ貸してんかッ」

「アンチラ〜」

 冥子の影から飛び出したアンチラが、冥子の意志を離れて、鬼道の支配下へと入る。

 鬼道の意志を受けて刀と化したアンチラを構えて、夜叉丸がその霊力を開放した。

 すさまじい霊圧が、床をメリメリとへこませた。

「凄ォ!」

「これが鬼道先生の本気……」

 感心する生徒達をよそに、アンチラを通して鬼道と霊力を相乗させた冥子が気合を放つ。

「ビカラ〜!!」

 一段と押す力の増したビカラが、窓を押し抜く。

 派手な音を立てて窓が破壊され、そばに居た魔理が、いち早く建物の外へと飛び出た。

「やった……完全に外だぜ!」

 魔理の言葉を聞いた生徒達が、夜叉丸と鬼道の援護を受けて、次々と脱出する。

 その中には、インダラに乗った冥子も含まれていた。

「全員出たんやなッ」

 そう叫んで、閉じ始めた隙間から、鬼道と夜叉丸が転がり出る。

「先生ッ、ヤベェ! 建物が動き出しやがった!」

 鬼道の背後で隙間が閉じられ、それまでは家の形態を保っていた建物自体が、うねうねと動き出す。

 それを見ていた魔理が、気合を一閃させた。

「大人しくしやがれ!」

 鬼道に伸ばされていた触手を殴り付け、魔理の気合が触手を後退させた。

 夜叉丸も、刀を構えたまま先頭に立って触手を攻撃していく。

「まーくん、平気〜?」

「あぁ、ボクなら大丈夫や。それより、コイツの正体、わからんか?」

「変な触手も出てるし〜、タコかしら〜」

「こんなところでタコッ?」

「イカかしら〜」

 冥子の答えにツッコミを返していた生徒が、重なる冥子のボケに撃沈する。

 全体的に脱力感が漂ったところで、魔理が触手に腕を巻き取られた。

「うぉ!」

「一文字!」

 建物へ引き寄せられようとした魔理を、夜叉丸が触手を切り捨てて助ける。

 一連の動きに、脱力感に見舞われていた生徒達に、再び緊張感が戻った。

「破魔札!」

 破魔札を持参していた生徒達が、一斉に破魔札を投げつける。

 大きな爆発音と共に視界が悪くなるが、鬼道の勘は不十分であることを読み取っていた。

「冥子はん、サンチラ!」

「はい〜」

 建物へ駆け出した夜叉丸を覆うように、サンチラが全身を光らせながら巻き付いた。

 アンチラとの相乗効果で、夜叉丸の振るう刀の斬撃が、雷を伴って建物を切り刻んでいく。

「今や! 全員でかかれ!」

「えいっ」

「破ッ!」

 全員の攻撃を受けて屋敷の形を留めることができなくなった霊体が、バサラへと吸い込まれていく。

 全てを吸い終えて式神を影の中へ戻した冥子に、鬼道も夜叉丸を影の中へと戻した。

 二人が臨戦態勢を解いたのを見て、生徒達に安堵の吐息がもれる。

「やっと終わったな……一時はどうなるかと思ったぜ」

「ま、実際の霊障ってのは、もっといろいろなことが起こる。身に染みてわかったやろ?」

「毎回これじゃ、身が持たねぇよ」

 疲労に肩を落とした魔理の気持ちは、生徒達全員の気持ちを代弁したものだった。

 鬼道がゆっくりと全員に点呼を取ったところで、冥子はポンッと手を叩いた。

「終わったわ〜。じゃあ〜、冥子がおごっちゃう〜」

「マジッ? アタイ、中華がいい!」

「六道先輩なら、お金持ちですよね。私、フカヒレ食べてみたいです!」

 緊張からの開放感と除霊を終えた満足感からはしゃぐ生徒達を見ながら、鬼道は冥子に声をかけた。

「お疲れさん」

「ごめんね〜、まーくん〜。一人じゃ、自信なかったから〜」

「今度は、生徒のおらん時に頼んでや」

「本当〜? それじゃあ〜、また頼もうかしら〜」

 そう言って笑う冥子に、鬼道は思わず頬を染めていた。

 それを目聡く見つけた栗山と小池が意地悪くからかう。

「先生ぇ、顔赤いよぉ?」

「うるさい!」

 詰め寄ってきた生徒から離れるように身体をのけぞらせ、鬼道が叱り声を上げた。

 その鬼道の腕をつかみ、冥子はインダラを呼び出した。

 インダラに咥えられるようにして背中へと乗せられた鬼道が慌てている隙に、冥子はしっかりと鬼道の腕の中へと身体を納めた。

「め、冥子はん?」

「なんか〜、お姫様みたいね〜」

 冥子の言葉に、ますます顔を赤くした鬼道に微笑んで、冥子がショウトラを呼び出した。

「それじゃ〜、みんなはショウトラにつかまっててね〜」

「うわっ、ふもふもだな」

 そう言ってショウトラにつかまった魔理を先頭に、次々と生徒達がショウトラにつかまっていく。

 しかし、次の瞬間、生徒達の悲鳴が上がった。

「うわっうわー、うわー!」

「落ちる落ちる!」

「イヤー!」

「あら〜、どうしたのかしら〜」

 ショウトラの移動速度に悲鳴を上げる魔理達を見ながら、冥子だけがノホホンとして微笑んでいた。

 

<了>