再会の朝に


 空気を切り裂く音が、静かな屋敷の中庭に響く。

 ロスメスタは自分にあてがわれた部屋から、中庭で一心に剣を振っている男を見下ろしていた。

 男の名前はパジャ。

 常日頃から彼の頭髪を隠すために巻かれているターバンは、既に形が崩れていた。

 それ故、彼が気にしている魔族を示す色の髪が、ターバンの隙間からはみ出している。

「……精が出るな」

 ロスメスタの言葉が彼へ届くには、距離がありすぎる。

 それでも、彼女は呟かずにはいられなかった。

 一心不乱に剣を振るうパジャの眼差しは、ロスメスタでなくとも魅入られてしまうだろう。

 本人は全く自覚していないのだが、彼にはフェイロンとは違う魅力があった。

 それは少し付き合うだけではわからない薄色の魅力ではあるが、それだけに一度惹きつけた者を離さない。

「からかいに行くか」

 そう呟くと、ロスメスタは窓際から離れ、中庭へと歩き出した。

 まだ誰も起きていないのか、別邸の中を歩く彼女は誰にも会わずに中庭へと下りられた。

 ロスメスタが開けた扉の音は気にも止めずに、パジャは何かを振り払うかのように剣を振るっている。

「精が出るな」

 今度こそ、ロスメスタの声はパジャへ届いた。

「王女……早いな」

 声をかけられ、ようやくパジャが剣を下ろした。

 乱れたターバンに手をやり、ふと躊躇ってからターバンを外す。

 魔族であることを示す髪を解放し、パジャはターバンで額の汗をぬぐった。

「タオルくらいは準備しておいたらどうなのだ」

 ターバンで汗をぬぐったパジャを見て、ロスメスタはそう言った。

 朝の光を髪に反射させるロスメスタから眩しそうに視線を外し、パジャがターバンを頭に巻きなおす。

 無言でそれを見守ったロスメスタに、パジャは小さく吐息をついた。

「調子が狂うな」

「そうか。いい加減に慣れて欲しいものだな」

 飄々とそう言い返したロスメスタに、パジャは再び剣を持ち上げた。

 顔先を刃が通っても、ロスメスタの表情に変化は無い。

 それを見越した上で、パジャは二度ほど剣を左右に閃かせた。

「……俺はまだ、お前が王女だとは思えない」

「私こそ、私のユーモアを理解しないお前はわからないな」

「あれがユーモアだと? お前もフェイロンも、頭がどうかしている」

「ふむ。では、その頭がどうかしている女性に見惚れていたお前は何なのだ?」

 ロスメスタの表情に優越感が浮ぶ。

 フェイロンの実家で再会した昨夜、パジャは確かに彼女に見惚れていた。

 金色に変わった彼の瞳を覗き込んできた彼女に、彼は言葉を返せなかったのだ。

 もちろん、それがわからないロスメスタではない。

「それとも、お前は女性に免疫が無いのか?」

「……黙れ」

 図星をさされ、パジャの顔が不機嫌になる。

 面白い玩具を手に入れた少女のように、ロスメスタは笑った。

「ふむ。あの少女もお前の連れという感じではなかった」

「あぁ。あの娘はフェイロンに会いたがっていた。俺が連れて来た訳ではない」

「そうだろう。少なくとも、お前が好きになるような女性ではない」

 そう言いながら、ロスメスタはパジャのターバンに手を伸ばした。

 慌ててターバンを守ろうとしたパジャの手が、ロスメスタの手と重なる。

 そのまま手を止めたパジャの顔を見ながら、ロスメスタは何かに気付いたかのように目を見開いた。

「すまない。髪に触れるつもりは無かったのだ」

「……いや、別に」

 そう言ってロスメスタが手を引くと、パジャもそれを追うようにして手を下ろした。

 小鳥の鳴き声が完全な朝の訪れを二人に告げる。

 赤かった朝焼けが、白い光へと変わっていく。

「お前、いつまで隠すつもりなのだ」

「この髪のことか? さぁ、生きている限りかもな」

「辛くないのか? 別に私達の前で隠すようなことでもないと思うが」

 ロスメスタの視線に耐え兼ねるように、パジャが身体をそらす。

 そのまま、再び剣を振り始めたパジャを見て、ロスメスタは数歩後ろへ下がった。

 それでも、彼から視線を逸らそうとはしない。

「パジャ」

「……何だ」

「私は美人か?」

 突然尋ねられた言葉に、パジャの気管支が詰まった。

 苦しそうに咳き込んだ後、パジャは剣を地面へ突き刺し、口許を押さえてロスメスタの方を振りかえった。

「な、何だ、いきなり」

「いや、パジャに美人と言われたことがなかったのだ。どうだ、私は美人なのか?」

 笑い飛ばすにはロスメスタの顔は真剣過ぎ、パジャに世渡りの才能はなかった。

 剣を置き、パジャはロスメスタに精一杯の虚勢を張った。

「俺に聞いてどうする」

「私はお前がどう見てるかを知りたい」

 真っ直ぐな瞳がパジャの言葉を詰まらせる。

 王女たる者の資質か、ロスメスタの方から視線を外すようなことはない。

 フェイロンとは違った意味に直線的なロスメスタの視線は、パジャからすれば苦手なものの一つだった。

「……美人という定義がどのようなものかは知らんが、少なくとも綺麗だとは思う」

 視線を外し、パジャが顔を背けるようにしてひねり出した言葉に、ロスメスタは表情を緩めた。

 真剣な時とは違った魅力が、再びパジャを虜にする。

「そうか。綺麗なら綺麗と言ってくれて良いぞ」

「言えるか、そんなこと」

 近寄ってくるロスメスタから逃げるようにして剣を地面から抜き、鞘に納める。

 背後で小さく笑い声を立てているロスメスタに小憎らしい想いを抱きながら、パジャは別邸へと戻りだした。

 その背中を追うようにして、ロスメスタもゆっくりと歩き出す。

「朝食は何だろうな」

「俺が知るか」

「冬の朝とかけ、パジャととく。その心は低血圧」

「……」

「笑って良いぞ、パジャ」

 虚ろな瞳で笑うシズマもいない中庭で、ロスメスタを満足させる者はいなかった。

 足取りも重く部屋へ戻ろうとするパジャの後ろを、ロスメスタが小首をかしげながら歩いていた。

 

<了>